黒死館事件51

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小栗虫太郎の作品です。
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1 ぷぷ 5766 A+ 5.9 97.7% 60.0 354 8 4 2024/04/30

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問題文

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(いうまでもなくそのちょうこうは、あるしゅのせいしんしょうがいにはぜんくとなって)

「云うまでもなくその徴候は、ある種の精神障礙には前駆となって

(くるものです。けれども、ちーへんの きふのしんり などをみると、きょくどの)

来るものです。けれども、チーヘンの『忌怖の心理』などを見ると、極度の

(きふかんにかられたさいのせいりげんしょうとして、それにかんするあまたのじっけんてきけんきゅうが)

忌怖感に駆られた際の生理現象として、それに関する数多の実験的研究が

(あげられています。ことに、もっともきょうみをひかれるのは、どるむどるふの)

挙げられています。ことに、最も興味を惹かれるのは、ドルムドルフの

(とっと・しゃいんとっと・わんと・ふりゅーへ・べーえるでぃぐんぐ ちゅうのいちれいでしょうかな。たしか)

『死仮死及び早期の埋葬』中の一例でしょうかな。確か

(1826ねんに、ぼるどーのえぴすこーぽどんねがきゅうしして、いしがかれのしを)

一八二六年に、ボルドーの監督僧正ドンネが急死して、医師が彼の死を

(しょうめいしたので、ひつぎにおさめまいそうしきをおこなうことになりました。ところが、そのさなか)

証明したので、棺に蔵め埋葬式を行うことになりました。ところが、その最中

(どんねはかんちゅうでそせいしたのです。しかし、こわねのじゆうをうしなっているので)

ドンネは棺中で蘇生したのです。しかし、声音の自由を失っているので

(すくいをもとめることもできず、こんしんのちからをふるってひつぎのふたをわずかに)

救いを求めることも出来ず、渾身の力を揮って棺の蓋をわずかに

(すかしまでしたのでしたが、そのままかれはちからつきて、ふたたびかんちゅうで)

隙しまでしたのでしたが、そのまま彼は力尽きて、再び棺中で

(うごけなくなってしまいました。ところが、そのいきながらほうむられようとする)

動けなくなってしまいました。ところが、その生きながら葬られようとする

(げんごにぜっしたきょうふのなかで、おりからそうごんなもてっとのがっしょうがとどろいているにも)

言語に絶した恐怖の中で、折から荘厳な経文歌の合唱が轟いているにも

(かかわらず、かれのゆうじんふたりが、ひそかにしごするこえをきいたというのですよ)

かかわらず、彼の友人二人が、秘かに私語する声を聴いたと云うのですよ」

(それからのりみずは、そのげんしょうをこのじけんのじったいのなかにうつした。そうなると、)

それから法水は、その現象をこの事件の実体の中に移した。「そうなると、

(もちろんこのばあい、ひとつのくえすちょねあです。だいたいばとらーなどというものは、ぼうかんてきな)

勿論この場合、一つの疑題です。だいたい召使などというものは、傍観的な

(こうふんこそあれ、またげんばにたっしもせぬそうさかんが、なにかたずねようとして)

亢奮こそあれ、また現場に達しもせぬ捜査官が、何か訊ねようとして

(きんせつするけはいをあらわしたにしても、それになんらのいふをおぼえるべきどうりは)

近接する気配を現わしたにしても、それになんらの畏怖を覚えるべき道理は

(ありません。ですから、そのときぼくは、あるできごとのぜんていとでもいうような、)

ありません。ですから、その時僕は、ある出来事の前提とでも云うような、

(うすきみわるいよかんにうたれました。いわば、かびんしんけいのどらまちっくなゆうぎなんでしょうが)

薄気味悪い予感に打たれました。云わば、過敏神経の劇的な遊戯なんでしょうが

(ちょっとくちにはいえない、いっしゅいようにふれてくるくうきをかんじたのです。)

ちょっと口には云えない、一種異様に触れてくる空気を感じたのです。

など

(それがはっきりとしたものでないだけに、なおさらもがいてでも)

それが明瞭としたものでないだけに、なおさらもがいてでも

(ちかづかねばならぬようなちからにそそられました。そうしてまもなく、あなたのかんこうれいが)

近づかねばならぬような力に唆られました。そうして間もなく、貴方の嵌口令が

(うんだ、さんぶつであるのをしるとどうじに、しいておおいかくそうとしたうんめいてきなひとりを)

生んだ、産物であるのを知ると同時に、強いて覆い隠そうとした運命的な一人を

(そのしんちょうまではかることができたのです しんちょうを?しんさいはさすがにおどろいてまなこを)

その身長まで測ることが出来たのです」「身長を?」真斎はさすがに驚いて眼を

(みはったが、ここでさんにんは、かつておぼえたことのないこうふんに)

みはったが、ここで三人は、かつて覚えたことのない亢奮に

(せりあげられてしまった。そうです。あのかぶとのまえたてぼしが、えっけ・ほも)

せり上げられてしまった。「そうです。あの兜の前立星が、此の人を見よ――

(といっているのです とのりみずはいすをふかくひいて、しずかにいった。)

と云っているのです」と法水は椅子を深く引いて、静かに云った。

(たぶんあなたもおききになったでしょうが、そでろうかのこしきぐそくのうちで、)

「たぶん貴方もお聴きになったでしょうが、拱廊の古式具足のうちで、

(えんろうがわのとびらぎわにあるひおどししころのうえに、もうあくなくろげさんまいしかつのだてのかぶとが)

円廊側の扉際にある緋縅錣の上に、猛悪な黒毛三枚鹿角立の兜が

(のっていました。また、そのぜんれつでつりぐそくになっているあらいかわどうのひとつが、)

載っていました。また、その前列で吊具足になっている洗革胴の一つが、

(これはびびしいししかじざのついた、ほしまえたてさいくわがたのかぶとをいただいていて、そのふたつの)

これは美々しい獅子噛座のついた、星前立細鍬形の兜を頂いていて、その二つの

(とりあわせからはんだんすると、れきぜんたるおきかえのあとがのこっているのです。)

取り合わせから判断すると、歴然たる置き換えの跡が残っているのです。

(そればかりでなく、そのおきかえのおこなわれたのが、さくやのしちじいごであることも)

そればかりでなく、その置き換えの行われたのが、昨夜の七時以後であることも

(ばとらーのしょうげんによってたしかめることができました。しかし、そのおきかえには、)

召使の証言によって確かめることが出来ました。しかし、その置き換えには、

(すこぶるでりけーとなしんぞうがうつっているのですよ。そして、それがえんろうのたいがんにある)

すこぶる繊細な心像が映っているのですよ。そして、それが円廊の対岸にある

(ふたつのへきがとまって、はじめてこのほんたいをあきらかにするのでした。ごしょうちのとおり)

二つの壁画と俟って、始めてこの本体を明らかにするのでした。御承知のとおり

(みぎてのものは しょじょじゅたいのず で、せいぼがさたんにたち、ひだりての)

右手のものは『しょ女受胎の図』で、聖母が左端に立ち、左手の

(かるばりさんのあさ は、みぎはしにいえすをくぎづけにしたじゅうじかがたっているのです。)

『カルバリ山の朝』は、右端に耶蘇を釘付けにした十字架が立っているのです。

(つまりそのふたつのかぶとをおきかえないでは、まりあがじゅうじかにくぎづけされるという、)

つまりその二つの兜を置き換えないでは、聖母が十字架に釘付けされるという、

(よにもふかしぎなげんしょうがあらわれるからでした。しかし、そのげんいんはたやすく)

世にも不可思議な現象が現われるからでした。しかし、その原因は容易く

(つききわめることができたのです。ねえたごうさん、えんろうのとびらぎわには、がいめんつやけしの)

突き究めることが出来たのです。ねえ田郷さん、円廊の扉際には、外面艶消しの

(がらすでへいめんのべんととつめんのべんをこうごにしてつくった、ろくべんけいのへきとうが)

硝子で平面の弁と凸面の弁を交互にして作った、六弁形の壁灯が

(ありましたっけね。じつは、ひおどししころのほうにむいているへいめんのべんに、)

ありましたっけね。実は、緋縅錣の方に向いている平面の弁に、

(ひとつのきほうがあるのをはっけんしたのです。ところで、がんかにつかう)

一つの気泡があるのを発見したのです。ところで、眼科に使う

(こくちうすけんがんきょうのそうちをごぞんじでしょうか。へいめんはんしゃきょうのちゅうおうにびこうをうがって)

コクチウス検眼鏡の装置を御存じでしょうか。平面反射鏡の中央に微孔を穿って

(そのはんたいのじくにおうめんきょうをおき、そこにつどったこうせんを、へいめんきょうのさいこうからがんていに)

その反対の軸に凹面鏡を置き、そこに集った光線を、平面鏡の細孔から眼底に

(おくろうとするのですが、このばあいは、てんじょうのしゃんでりあのひかりがおうめんのべんに)

送ろうとするのですが、この場合は、天井のシャンデリアの光が凹面の弁に

(つどって、それがぜんぽうのへいめんべんにあるきほうをとおってから、むこうがわにあるまえたてぼしに)

集って、それが前方の平面弁にある気泡を通ってから、向う側にある前立星に

(しょうしゃされたからでした。つまりそれがわかると、まえたてぼしのはげしいはんしゃこうを)

照射されたからでした。つまりそれが判ると、前立星の激しい反射光を

(うけねばならないいちをきそにして、めのたかさがそくていされるのでしょう)

うけねばならない位置を基礎にして、眼の高さが測定されるのでしょう」

(しかし、そのはんしゃこうがなにを?ほかでもない、ふくしがおこされるのですよ。)

「しかし、その反射光が何を?」「ほかでもない、複視が起されるのですよ。

(さいみんちゅうでさえもがんきゅうをよこからおすと、しじくがこんらんしてふくしをしょうずるのですが、)

催眠中でさえも眼球を横から押すと、視軸が混乱して複視を生ずるのですが、

(よこからくるきょうれつなこうせんでも、どうようのこうかをうみます。つまりそのけっか、)

横から来る強烈な光線でも、同様の効果を生みます。つまりその結果、

(ぜんぽうにあるまりあがじゅうじかとかさなるので、ちょうどまりあがはりつけになったような)

前方にある聖母が十字架と重なるので、ちょうど聖母が磔刑になったような

(かりぞうがおこるわけでしょう。いうまでもなく、そのおきかえたじんぶつというのは、)

仮像が起る訳でしょう。云うまでもなく、その置き換えた人物と云うのは、

(ふじんなのです。なぜなら、そうしてまぼろしのようにあらわれるまりはりつけのかりぞうは、)

婦人なのです。何故なら、そうして幻のように現われる聖母磔刑の仮像は、

(だいいち、じょせいとしてもっともひさんなきけつをいみしています。またいちめんには、)

第一、女性として最も悲惨な帰結を意味しています。また一面には、

(てんらいのかんしをうけているようないしきにかられて、しんぱんとかけいばつとかいうような、)

天来の瞰視をうけているような意識に駆られて、審判とか刑罰とか云うような、

(みょうにげんじんぽいきょうふがもたらされてくるのですよ。だいたいそういった)

妙に原人ぽい恐怖がもたらされてくるのですよ。だいたいそう云った

(しゅうきょうてきかんじょうなどというしろものは、いっしゅのほんのうてきせんざいぶつなんですからね。)

宗教的感情などというしろものは、一種の本能的潜在物なんですからね。

(どんないだいなちりょくをもってしても、よういにこくふくできるものではありません。)

どんな偉大な知力をもってしても、容易に克服できるものではありません。

(ちょっかんてきではあるが、けっしてしべんてきではないのです。)

直観的ではあるが、けっして思弁的ではないのです。

(もともとやーヴぃずむは・・・・・・かとりしずむは、せんとあうぐすちぬすがえいごうけいばつせつを)

もともと刑罰神一神説は……公教精神は、聖アウグスチヌスが永劫刑罰説を

(となえたとき、すでにちょうこじんてきな、ぬくべからざるちからにたっしていたのですからね。)

唱えたとき、すでに超個人的な、抜くべからざる力に達していたのですからね。

(ですから、ふりょであるといなとにかかわらず、そのだいまりょくはたちまちに)

ですから、不慮であると否とにかかわらず、その大魔力はたちまちに

(せいしんのへいこうをふんさいしてしまいます。ことに、もろい、へんかをうけやすい、なにかいじょうな)

精神の平衡を粉砕してしまいます。ことに、脆い、変化をうけ易い、何か異常な

(きとをけっこうしようとするさいのようなしんりじょうたいでは、そのしょうげきにはおそらく)

企図を決行しようとする際のような心理状態では、その衝撃には恐らく

(ひとたまりもないことでしょう。・・・・・・つまりたごうさん、そういったどうようを)

ひとたまりもないことでしょう。……つまり田郷さん、そういった動揺を

(ふせぐために、そのふじんはふたつのかぶとをおきかえたのですよ。しかし、まえたてのほしと)

防ぐために、その婦人は二つの兜を置き換えたのですよ。しかし、前立の星と

(へいこうするいちで、おおよそのしんちょうがそくていされるのですが、)

並行する位置で、おおよその身長が測定されるのですが、

(ごふぃーとよんいんち そのたかさをゆうするふじんは、いったいだれでしょうか。)

五フィート四インチ――その高さを有する婦人は、いったい誰でしょうか。

(いうまでもなく、やといにんどもならたいせつなそうしょくひんのかたちをかえるようなことは)

云うまでもなく、傭人どもなら大切な装飾品の形を変えるようなことは

(しないでしょうし、よにんのがいじんはろんなしとしても、のぶこもくがしずこも、)

しないでしょうし、四人の外人は論なしとしても、伸子も久我鎮子も、

(それぞれにいち、にいんちほどひくいのです。ところがたごうさん、そのふじんは、)

それぞれに一、二インチほど低いのです。ところが田郷さん、その婦人は、

(まだこのやかたのなかにひそんでいるのですよ。ああいったい、それは)

まだこの館の中に潜んでいるのですよ。ああいったい、それは

(だれなんでしょうかね とさいさんしんさいのじきょうをうながしても、あいてはいぜんとして)

誰なんでしょうかね」と再三真斎の自供を促しても、相手は依然として

(むごんである。のりずのこえにいどむようなねつじょうがこもってきた。)

無言である。法水の声に挑むような熱情がこもってきた。

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