太宰治フォスフォレッスセンス2

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太宰治『フォスフォレッスセンス』

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(わたしは、いちにちはちじかんずつねむってゆめのなかでせいちょうし、おいてきたのだ。)

私は、一日八時間ずつ眠って夢の中で成長し、老いて来たのだ。

(つまりわたしは、いわゆるこのよのげんじつでない、)

つまり私は、所謂この世の現実で無い、

(べつのせかいのげんじつのなかでもそだってきたおとこなのである。)

別の世界の現実の中でも育って来た男なのである。

(わたしにはこのよのなかの、どこにもいないしんゆうがいる。しかもそのしんゆうはいきている)

私にはこの世の中の、どこにもいない親友がいる。しかもその親友は生きている

(またわたしには、このよのなかのどこにもいないつまがいる。)

また私には、この世の中のどこにもいない妻がいる。

(しかもそのつまは、ことばもにくたいももって、いきている。)

しかもその妻は、言葉も肉体も持って、生きている。

(わたしはめがさめて、かおをあらいながら、そのつまのにおいをみぢかにかんずることができる。)

私は眼が覚めて、顔を洗いながら、その妻の匂いを身近に感ずる事が出来る。

(そうして、よるねるときには、またそのつまにあえるたのしいきたいをもっているのである)

そうして、夜寝る時には、またその妻に逢える楽しい期待を持っているのである

(「しばらくあわなかったけど、どうしたの?」)

「しばらく逢わなかったけど、どうしたの?」

(「おうとうをとりにいっていたの。」「ふゆでもおうとうがあるの?」)

「桜桃を取りに行っていたの。」「冬でも桜桃があるの?」

(「すうぃす。」「そう。」)

「スウィス。」「そう。」

(しょくよくも、またあのせいよくとやらも、なにもないすずしいこいのかいわがつづいて、)

食慾も、またあの性慾とやらも、何も無い涼しい恋の会話が続いて、

(ゆめで、いぜんになんどもみたことのある、しかし、ちきゅうのうえにはぜったいにない)

夢で、以前に何度も見た事のある、しかし、地球の上には絶対に無い

(みずうみのほとりのあおくさはらにわたしたちふうふはねころぶ。)

湖のほとりの青草原に私たち夫婦は寝ころぶ。

(「くやしいでしょうね。」「ばかだ。みなばかばかりだ。」わたしはなみだをながす。)

「くやしいでしょうね。」「馬鹿だ。みな馬鹿ばかりだ。」私は涙を流す。

(そのとき、めがさめる。わたしはなみだをながしている。)

そのとき、眼が覚める。私は涙を流している。

(ねむりのなかのゆめと、げんじつがつながっている。きもちがそのまま、つながっている。)

眠りの中の夢と、現実がつながっている。気持ちがそのまま、つながっている。

(だから、わたしにとってこのよのなかのげんじつは、ねむりのなかのゆめのれんぞくでもあり、)

だから、私にとってこの世の中の現実は、眠りの中の夢の連続でもあり、

(また、ねむりのなかのゆめは、そのままわたしのげんじつでもあるとかんがえている。)

また、眠りの中の夢は、そのまま私の現実でもあると考えている。

(このよのなかにおけるわたしのげんじつのせいかつばかりをみて、わたしのぜんぶをりょうかいすることは、)

この世の中に於ける私の現実の生活ばかりを見て、私の全部を了解することは、

など

(ほかのひとたちにはふかのうであろう。とどうじに、わたしもまた、ほかのひとたちについて、)

他の人たちには不可能であろう。と同時に、私もまた、ほかの人たちに就いて、

(なんのりかいするところもないのである。)

何の理解するところも無いのである。

(ゆめは、れいのふろいどせんせいのおせつにしたがえば、このげんじつせかいからすべてあんじを)

夢は、れいのフロイド先生のお説にしたがえば、この現実世界からすべて暗示を

(うけているものなのだそうであるが、しかしそれは、ははとむすめはおなじものだ)

受けているものなのだそうであるが、しかしそれは、母と娘はおなじものだ

(というぼうろんのようにもわたしにはおもわれる。そこには、つながりがありながら、)

という暴論のようにも私には思われる。そこには、つながりがありながら、

(またほんしつてきなさいのある、べっこのせかいがてんかいせられているはずである。)

また本質的な差異のある、別箇の世界が展開せられている筈である。

(わたしのゆめはげんじつとつながり、げんじつはゆめとつながっているとはいうものの、)

私の夢は現実とつながり、現実は夢とつながっているとはいうものの、

(そのくうきが、やはりまったくちがっている。)

その空気が、やはり全く違っている。

(ゆめのくにでながしたなみだがこのげんじつにつながり、やはりわたしはくやしくてないているが、)

夢の国で流した涙がこの現実につながり、やはり私は口惜しくて泣いているが、

(しかし、かんがえてみると、あのくにでながしたなみだのほうが、)

しかし、考えてみると、あの国で流した涙のほうが、

(わたしにはずっとほんとうのなみだのようなきがするのである。)

私にはずっと本当の涙のような気がするのである。

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