太宰治フォスフォレッスセンス3

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太宰治『フォスフォレッスセンス』3

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(たとえば、あるよる、こんなことがあった。)

たとえば、或る夜、こんなことがあった。

(いつもゆめのなかであらわれるつまが、「あなたは、せいぎということをごぞんじ?」)

いつも夢の中で現れる妻が、「あなたは、正義ということをご存じ?」

(と、からかうようなくちょうではなく、わたしをしんらいしきっているようなくちょうでたずねた。)

と、からかうような口調では無く、私を信頼し切っているような口調で尋ねた。

(わたしは、こたえなかった。「あなたは、おとこらしさというものをごぞんじ?」)

私は、答えなかった。「あなたは、男らしさというものをご存じ?」

(わたしはこたえなかった。「あなたは、せいけつということをごぞんじ?」)

私は答えなかった。「あなたは、清潔ということをご存じ?」

(わたしはこたえなかった。「あなたは、あいということをごぞんじ?」)

私は答えなかった。「あなたは、愛ということをご存じ?」

(わたしはこたえなかった。やはり、あのみずうみのほとりのそうげんにねころんでいたのであるが)

私は答えなかった。やはり、あの湖のほとりの草原に寝ころんでいたのであるが

(わたしはねころびながらなみだをながした。すると、とりがいちわとんできた。)

私は寝ころびながら涙を流した。すると、鳥が一羽飛んで来た。

(そのとりは、こうもりににていたが、かたほうのつばさのながさだけでもさんめーとるちかく、)

その鳥は、蝙蝠に似ていたが、片方の翼の長さだけでも三メートルちかく、

(そうして、そのつばさをすこしもうごかさず、ぐらいだのようにおともなく)

そうして、その翼をすこしも動かさず、グライダのように音も無く

(わたしたちのうえ、にめーとるくらいうえを、すれすれにとんでいって、)

私たちの上、二メートルくらい上を、すれすれに飛んで行って、

(そのとき、からすのなくようなこえでこういった。「ここではないてもよろしいが、)

そのとき、鴉の鳴くような声でこう言った。「ここでは泣いてもよろしいが、

(あのせかいでは、そんなことでなくなよ。」わたしは、それいらい、)

あの世界では、そんなことで泣くなよ。」私は、それ以来、

(にんげんはこのげんじつのせかいと、それから、もうひとつのすいみんのなかのゆめのせかいと、)

人間はこの現実の世界と、それから、もうひとつの睡眠の中の夢の世界と、

(ふたつのせかいにおいてせいかつしているものであって、このふたつのせいかつのたいけんのさくざつし)

二つの世界に於いて生活しているものであって、この二つの生活の体験の錯雑し

(こんめいしているところに、いわばぜんじんせいとでもいったものがあるのではあるまいか)

混迷しているところに、謂わば全人生とでもいったものがあるのではあるまいか

(とかんがえるようになった。「さようなら。」とげんじつのせかいでわかれる。)

と考えるようになった。「さようなら。」と現実の世界で別れる。

(ゆめでまたあう。「さっきは、おじがきていて、すみませんでした。」)

夢でまた逢う。「さっきは、叔父が来ていて、済みませんでした。」

(「もう、おじさん、かえったの?」「あたしを、しばいにつれていくって、)

「もう、叔父さん、帰ったの?」「あたしを、芝居に連れて行くって、

(きかないのよ。うざえもんとばいこうのしゅうめいひろうで、こんどのうざえもんは、)

きかないのよ。羽左衛門と梅幸の襲名披露で、こんどの羽左衛門は、

など

(まえのうざえもんよりも、もっとおとこぶりがよくって、すっきりして、かわいくって、)

前の羽左衛門よりも、もっと男振りがよくって、すっきりして、可愛くって、

(そうして、こえがよくって、げいもまるでまえのうざえもんとはくらべものにならない)

そうして、声がよくって、芸もまるで前の羽左衛門とは較べものにならない

(くらいうまいんですって。」「そうだってね。ぼくははくじょうするけれども、)

くらいうまいんですって。」「そうだってね。僕は白状するけれども、

(まえのうざえもんがだいすきでね、あのひとがしんで、もう、かぶきをみるきも)

前の羽左衛門が大好きでね、あのひとが死んで、もう、歌舞伎を見る気も

(しなくなったほどなのだ。けれども、あれよりも、もっとうつくしいうざえもんが)

しなくなった程なのだ。けれども、あれよりも、もっと美しい羽左衛門が

(でたとなりゃ、ぼくだって、みにいきたいが、あなたはどうして)

出たとなりゃ、僕だって、見に行きたいが、あなたはどうして

(いかなかったの?」「じいぷがきたの。」「じいぷが?」)

行かなかったの?」「ジイプが来たの。」「ジイプが?」

(「あたし、はなたばをいただいたの。」「ゆりでしょう。」「いいえ。」)

「あたし、花束を戴いたの。」「百合でしょう。」「いいえ。」

(そうしてわたしのわからない、ふぉすふぉなんとかいうながったらしいむずかしい)

そうして私のわからない、フォスフォなんとかいう長ったらしいむずかしい

(はなのなをいった。わたしは、じぶんのごがくのまずしさをはずかしくおもった。)

花の名を言った。私は、自分の語学の貧しさを恥ずかしく思った。

(「あめりかにも、しょうこんさいがあるのかしら。」とそのひとがいった。)

「アメリカにも、招魂祭があるのかしら。」とそのひとが言った。

(「しょうこんさいのはななの?」そのひとは、それにこたえず、「はかばのないひとって、)

「招魂祭の花なの?」そのひとは、それに答えず、「墓場の無い人って、

(かなしいわね。あたし、やせたわ。」「どんなことばがいいのかしら。)

哀しいわね。あたし、痩せたわ。」「どんな言葉がいいのかしら。

(おすきなことばをなんでもいってあげるよ。」「わかれる、といって。」)

お好きな言葉をなんでも言ってあげるよ。」「別れる、と言って。」

(「わかれて、またあうの?」「あのよで。」とそのひとはいったがわたしは、)

「別れて、また逢うの?」「あの世で。」とそのひとは言ったが私は、

(ああこれはげんじつなのだ、げんじつのせかいでわかれても、)

ああこれは現実なのだ、現実の世界で別れても、

(また、このひととはあのすいみんのゆめのせかいであうことができるのだから、)

また、このひととはあの睡眠の夢の世界で逢うことが出来るのだから、

(なんでもない、とすこぶるゆったりしたきぶんでいた。)

なんでも無い、と頗るゆったりした気分でいた。

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