夢野久作 笑う唖女 ③

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(「あわあわあわあわあわ。えべえべえべえべえべ」)

「アワアワアワアワアワ。エベエベエベエベエベ」

(「こんちくしょう。おしやんのくせにけちをつけにきおったな。)

「コン畜生。唖女《おしやん》の癖にケチを附けに来おったな。

(これいかんか。ころすぞ」)

コレ行かんか。殺すぞ」

(いっさくがまきわりようのおのをふりあげてみせると、おしやんは、)

一作が薪割用の斧《おの》を振上げて見せると、唖女は、

(りょうてをあわせておがみながら、ほうほうたるあたまをさゆうにふりたてた。)

両手を合わせて拝みながら、蓬々たる頭を左右に振立てた。

(したはらをなでてみせながらいまいちどさけんだ。)

下/腹部《したはら》を撫でて見せながら今一度叫んだ。

(「えべえべえべえべえべ」)

「エベ……エベ……エベエベエベ」

(そのときにくりのはかせふうふがげんかんへでてきた。)

その時に栗野博士夫婦が玄関へ出て来た。

(「これこれ。らんぼうなことをしちゃいかん。おだやかにしておいかえさんといかん」)

「コレコレ。乱暴な事をしちゃ不可ん。穏やかにして追返さんと不可ん」

(おしやんがきゅうにむきなおってくりのはかせのふろっくすがたにりょうてをあわせた。したはらをさして)

唖女が急に向直って栗野博士のフロック姿に両手を合わせた。下/腹部を指して

(きせいをはっしつづけた。)

奇声を発し続けた。

(「なんだ。にんしんしとるじゃないか」)

「何だ。妊娠しとるじゃないか」

(いっさくがてぬぐいをかたからおろした。おのをつえについてぺこぺこした。)

一作が手拭を肩から卸した。斧を杖に突いてペコペコした。

(「へえへえ。これはせんせい。このおしやんはもとこのうらやまの)

「ヘエヘエ。これは先生。この唖女《おしやん》はモトこの裏山の

(ちんばじいのむすめで、あそこのなぬしどんのあきどぞうにすんで)

ちんば爺《じい》の娘で、あそこの名主どんの空土蔵《あきどぞう》に住んで

(おったものでございますが」)

おった者で御座いますが……」

(「ふうむ。まだわかいむすめじゃなじいさん」)

「フウム。まだ若い娘じゃな爺さん」

(「へえ。いくつになりますかぞんじませんが。へえ。きょねんのなつのすえごろまで)

「ヘエ。幾歳《いくつ》になりますか存じませんが。ヘエ。去年の夏の末頃まで

(このうらやまにすんでおりまして、ちちおやのちんばじいのもんぱちは、むらやくばのはしりづかいや、)

この裏山に住んでおりまして、父親のちんば爺の門八は、村役場の走り使いや、

(ひびょういんのばんにんなどいたしておりましたが」)

避病院《ひびょういん》の番人など致しておりましたが……」

など

(「ふーむ。むらのやっかいものじゃったのか」)

「フーム。村の厄介者じゃったのか」

(「へえ。まあいうてみればそれくらいのにんげんでございましたが、それがさくねんのあきぐちに)

「ヘエ。まあ云うて見ればソレ位の人間で御座いましたが、それが昨年の秋口に

(なりますとたいせつなむすめのこのおしやんが、どこかへすがたをかくしました)

なりますと大切な娘のこの唖女《おしやん》が、どこかへ姿を隠しました

(そうで、もんぱちじいはびっこひきひきむらのないがいをさがしまわっておりますうちに、あの)

そうで、門八爺はびっこ引き引き村の内外を探しまわっておりますうちに、あの

(どぞうのなかでくびをくくってしんでおりましたことが、ほどへてわかりましたので)

土蔵の中で首を縊《くく》って死んでおりました事が、程経てわかりましたので

(だいそうどうになりましてな」)

大騒動になりましてな」

(「うむうむ」)

「ウムウム」

(「それからあと、このおしやんのすがたをみたものはひとりもおりませんので)

「それから後、この唖女《おしやん》の姿を見た者は一人も居りませんので……

(へえ」)

ヘエ……」

(「ふうむ。だれがにがいたのかわからんのか」)

「ふうむ。誰が逃がいたのかわからんのか」

(「へえ。それがでございます。ごらんのとおりおしむすめのうえに)

「ヘエ。それがで御座います。御覧の通り唖娘《おしむすめ》の上に

(いろきちがいで、あのうらやまのなかのどぞうのにかいまどから、さんこうのわかいものの)

色情狂《いろきちがい》で、あの裏山の中の土蔵の二階窓から、山行の若い者の

(すがたをみかけますとてまねきをしたり、あられもないみぶりをしてみせたり)

姿を見かけますと手招きをしたり、アラレもない身振をして見せたり

(いたしますので、ちんばのもんぱちじいがそとにでるときには、かならずくいものをうちに)

致しますので、ちんばの門八爺《じい》が外に出る時には、必ず喰物を内に

(そこないて、そとからしっかりとしまりをしておったそうでございます。それでも)

残いて外から厳重《しっかり》と締りをしておったそうで御座います。それでも

(もんぱちがかえりがけには、みちなかでひろうたあかいぬのきれなぞをもって)

門八が帰りがけには、途中《みちなか》で拾うた赤い布片《きれ》なぞを持って

(かえってやりますとこのはなこめがこのむすめのなまえでございます)

帰ってやりますとこの花子奴《め》が……この娘の名前で御座います……

(こいつがうちょうてんものうよろこんでおりましたそうで、そのよろこびようが、)

コイツが有頂天も無う喜んでおりましたそうで、その喜びようが、あんまり

(あんまりいじらしさにもんぱちじいがときどき、なけなしのぜにをはたいて、やすもののねりおしろいや、)

イジラシサに門八爺が時々、なけなしの銭をハタいて、安物の練白粉や、

(くちべにをこうてかえってやったとかやらぬとかまことにかわいそうとも)

口紅を買うて帰ってやったとか……やらぬとか……まことに可哀相とも

(なんとももうしようのないあわれなおやこでございましたが」)

何とも申様《もうしよう》の無い哀れな親娘《おやこ》で御座いましたが」

(「まあ」とはかせふじんがためいきをしてめをしばたたいた。)

「……まあ……」と博士夫人がタメ息をして眼をしばたたいた。

(「ふうむ。してみるとだれかこのおんなにいたずらをしたむらのわかてが、)

「ふうむ。してみると誰かこの女にイタズラをした村の青年《わかて》が、

(そのくらのとまえをあけてやったものかな」)

その土蔵《くら》の戸前を開けてやったものかな」

(「へえ。そうかもしれませぬが、ちんばのもんぱちがとじまりをわすれたんかも)

「ヘエ。そうかも知れませぬが、ちんばの門八が戸締を忘れたんかも

(しれませぬ。だいぶもうろくしておりましたでそれで)

知れませぬ。だいぶ耄碌《もうろく》しておりましたで……それで

(むすめににげられたのをくにやんで、ぎょうまつのたのしみがないようになりましたで、)

娘に逃げられたのを苦に病んで、行末の楽しみが無いようになりましたで、

(くびをつったのではないかとみなもうしておりましたが」)

首を吊ったのではないかと皆申しておりましたが」

(「うむ。そうかもしれんのう。つまりこのむすめをにがいたやつが、)

「うむ。そうかも知れんのう。つまりこの娘を逃がいた奴が、

(もんぱちじいをそいたようなもんじゃ」)

門八爺を殺いたようなもんじゃ」

(「へえ。まあいうてみればそげなことで」)

「ヘエ。まあ云うて見ればそげな事で……」

(「しかし、それからもう、かれこれいちねんちこうなっとるが、)

「しかし、それから最早《もう》、かれこれ一年近うなっとるが、

(どこにかくれていたものかなあこのおんなは」)

どこに隠れていたものかなあこの女は……」

(「それがへえ。やっぱりどこかとおいところを、あてもなしにひにんしてまわりより)

「それがヘエ。やっぱりどこか遠い処を、当てもなしに非/人してまわりより

(まするうちに、だれやらわからんをやどして、ひさしぶりにちちおやのもんぱちじいが)

まする中に、誰やらわからん×××を宿して、久し振りに父親の門八爺が

(こいしうなりましたので、こきょうへかえってきますと、あのうらやまのくらはとけて)

恋しうなりましたので、故郷へ帰って来ますと、あの裏山の土蔵は壊《と》けて

(あとかたもございませんので、とほうにくれておりまするところへ、こちらさまの)

アトカタも御座いませんので、途方に暮れておりまするところへ、コチラ様の

(まえをとおりかかって、ごやっかいになりにきたのではないかと、こうおもいますが」)

前を通りかかって、御厄介になりに来たのではないかと、こう思いますが……」

(「ふうん。しかし、ものをやってもいらんちうし、じぶんのはらを)

「ふうん。併《しか》し物を遣っても要らんチウし、自分の腹を

(ゆびさいてなにやらいいよるではないか」)

指《ゆび》さいて何やら云いよるではないか」

(「へえ。もううみづきでいたみだしているかもしれませんがなあ。ちょうどこの)

「ヘエ。もう産み月で痛み出して居るかも知れませんがなあ。ちょうどこの

(むらからすがたをかくいたじぶんからかぞえますととつきぐらい。そうと)

村から姿を隠いた時分から数えますと十月《とつき》ぐらい。………そうと

(すればはらませたものは、このむらのわかてかもしれませんがへへへ」)

すれば孕《はら》ませた者は、この村の青年かも知れませんが……ヘヘヘ……」

(「うむ。こまったやつじゃのう」)

「うむ。困った奴じゃのう」

(「なんせいあいてがおしやんで、おまけのうえにきちがいときて)

「何せい相手が唖女《おしやん》で、おまけの上にキチガイと来て

(おりますけに、なにがなにやらわかったものではございません」)

おりますけに、何が何やらわかったものでは御座いません」

(「しかしここがいしゃのいえちうことは、わかっとるわけじゃな」)

「しかしここが医者の家チウ事は、わかっとる訳じゃな」

(「さあ。わかっておりますかしらん。おいおいはなちゃん。ここいたいけん」)

「さあ。わかっておりますか知らん。オイオイ花チャン。ここ痛いけん」

(いっさくじいがじぶんのはらをさしてみせながら、おしやんのかおをのぞきこんだ。)

一作爺が自分の腹を指して見せながら、唖女の顔を覗き込んだ。

(しかしおしやんのおはなはこたえなかった。さいぜんからのふたりのもんどうを、じぶんのことと)

しかし唖女のお花は答えなかった。最前からの二人の問答を、自分の事と

(さっしているらしく、むじゃきな、しんけんなめつきでふたりのかおをかわるがわるみくらべて)

察しているらしく、無邪気な、真剣な眼付で二人の顔を代る代る見比べて

(いたが、そのうちに、くりのはかせふさいのはいごから、ものめずらしそうにのぞいている)

いたが、そのうちに、栗野博士夫妻の背後から、物珍らしそうに覗いている

(しんろうしんぷのなかでも、さきにたっているしんろうすみおのあおじろいかおにきがつくと、おはなは)

新郎新婦の中でも、先に立っている新郎澄夫の青白い顔に気が付くと、お花は

(みるみるめをまるくしてくちをぽかんとひらいた。どろだらけのてあしをおどらしてこいぬの)

見る見る眼を丸くして口をポカンと開いた。泥だらけの手足を躍らして小犬の

(ようにはねあがると、げんかんのしきだいへどろあしのままかけあがって、くりのはかせを)

ように跳ね上ると、玄関の式台へ泥足のまま駈け上って、栗野博士を

(つきのけながら、すみおのはかまごしにしっかりとだきついた。)

突除《つきの》けながら、澄夫の袴腰《はかまごし》にシッカリと抱き付いた。

(どうじに「あっ」とちいさなこえをたてたはなよめのはつえを、はいごからだきかかえる)

同時に「アッ」と小さな声を立てた花嫁の初枝を、背後から抱きかかえる

(ようにしてくりのふじんが、ろうかのおくのほうへつれこんでいった。)

ようにして栗野夫人が、廊下の奥の方へ連れ込んで行った。

(すみおははっとどをうしなった。はなよめのほうをふりかえるまもなく、おしやんのりょうてをはらい)

澄夫はハッと度を失った。花嫁の方を振返る間もなく、唖女の両手を払い

(のけてとびのこうとしたが、まにあわなかった。がっしりと)

除《の》けて飛退《とびの》こうとしたが、間に合わなかった。ガッシリと

(おびぎわをつかんだおんなのりょううでを、そのままぎゃくにがっしりとつかみしめると、めをまっしろく)

帯際を掴んだ女の両腕を、そのまま逆にガッシリと掴み締めると、眼を真白く

(むきだし、したをだらりとたらした。そうしてきをおちつけようとしている)

剥《む》き出し、舌をダラリと垂らした。そうして気を落付けようとしている

(のであろう。あわててそのしたをのみこみのみこみめをぱちぱち)

のであろう。周章《あわ》ててその舌を嚥込《のみこ》み嚥込み眼をパチパチ

(させた。そのかおをしたからみあげたおしやんはさもさもうれしそうにわらった。)

させた。その顔を下から見上げた唖女はサモサモ嬉しそうに笑った。

(「けけけけけけけけけけけけ」)

「ケケケ……ケケケケケケケケケ……」

(わかさまらしいじょうひんなすみおのかおが、そのわらいごえにつれてみるみるしわだらけの)

若様らしい上品な澄夫の顔が、その笑い声につれて見る見る皺《しわ》だらけの

(おにばばのような、またはかみけをさかだてたあおおにのようなひょうじょうにかわった。はんたいにすみおの)

鬼婆のような、又は髪毛を逆立てた青鬼のような表情に変った。反対に澄夫の

(ほうがはっきょうしているかのようにみえた。)

方が発狂しているかのように見えた。

(くりのはかせもいっさくじいも、すみおといっしょにどをうしなった。)

栗野博士も一作爺も、澄夫と一所《いっしょ》に度を失った。

(「これこれのかんか」)

「コレコレ……退《の》かんか……」

(「こらっこんげどう」)

「コラッ……コン外道《げどう》……」

(とふたりがこえをそろえてどなりつけるうちにいっさくが、おんなのえりくびへてをかけると、)

と二人が声を揃えて怒鳴り付けるうちに一作が、女の襟首へ手をかけると、

(ふるびたおいずりのせぬいとわきぬいが、どうじに)

古びた笈摺《おいずり》の背縫《せぬい》と脇縫《わきぬい》が、同時に

(びりびりとひきはなれかかった。そのてをひじょうなちからではねのけながらおしやんは、)

ビリビリと引離れかかった。その手を非常な力で跳ね除《の》けながら唖女は、

(なみだをぼろぼろとながした。すみおのかおをさし、またじぶんのふくぶをさししめして、)

涙をボロボロと流した。澄夫の顔を指し、又自分の腹部を指し示して、

(なさけなさそうなきせいをはっしながらおどおどとさんにんのかおをみまわした。)

情なさそうな奇声を発しながらオドオドと三人の顔を見廻わした。

(「えべえべあわあわ。あわあわあわあわ」)

「エベエベ……アワアワ。アワアワアワアワ……」

(すみおはぜったいぜつめいのひょうじょうをした。くちびるをちのでるほどかんで、かたをきりきりと)

澄夫は絶体絶命の表情をした。唇を血の出る程噛んで、肩をキリキリと

(さかだちたした。)

逆立たした。

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