ツルゲーネフ はつ恋 ⑩

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問題文

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(しち きっかりはちじに、わたしはふろっくこーとをいっちゃくおよび、あたまのかみを)

七 きっかり八時に、わたしはフロックコートを一着および、頭の髪を

(こだかくもりあげて、こうしゃくふじんのすみかなるはなれへはいっていった。)

小高く盛り上げて、侯爵夫人の住家なる傍屋へ入って行った。

(れいのろうぼくが、ぶあいそうなめでわたしをじろりとみると、しぶしぶこしかけから)

例の老僕が、無愛想な眼でわたしをじろりと見ると、しぶしぶ腰掛から

(しりをもたげた。)

尻をもたげた。

(きゃくまにはようきなひとごえがきこえていた。わたしはそのどあをあけると、)

客間には陽気な人声が聞こえていた。わたしはそのドアをあけると、

(あっとばかりうしろへすさった。へやのまんなかには、いすのうえにこうしゃくれいじょう)

あっとばかり後ろへすさった。部屋の真ん中には、椅子の上に侯爵令嬢

(がつったちあがって、おとこのぼうしをめのまえにささげている。いすのまわりには、)

が突っ立ち上がって、男の帽子を眼の前に捧げている。椅子のまわりには、

(ごにんのおとこがひしめきあっている。かれらはわれがちにぼうしのなかへてをつっこもうと)

五人の男がひしめき合っている。彼らは我がちに帽子の中へ手を突っ込もうと

(するのだが、れいじょうはそれをうえへうえへともちあげて、ちからいっぱいゆすぶっていた。)

するのだが、令嬢はそれを上へ上へと持ち上げて、力いっぱい揺ぶっていた。

(わたしのすがたをみとめると、かのじょはおおきなこえで、「まってよ、まってよ!)

わたしの姿を認めると、彼女は大きな声で、「待ってよ、待ってよ!

(あたらしいおきゃくさまだわ、あのひとにもふだをあげなくちゃ」というなり、ひらりと)

新しいお客様だわ、あの人にも札をあげなくちゃ」と言うなり、ひらりと

(いすからとびおりて、わたしのふろっくのそでのおりかえしをつかまえると、--)

椅子から飛び下りて、わたしのフロックの袖の折返しをつかまえると、--

(「さあ、いらっしゃいってば」といった。--「なにをぼんやりたっているの?)

「さあ、いらっしゃいってば」と言った。--「何をぼんやり立っているの?

(みなさん、ごしょうかいいたしますわ。このかたはむっしゅー・ヴぉるでまーる、)

皆さん、御紹介いたしますわ。この方はムッシュー・ヴォルデマール、

(おとなりのぼっちゃんです。それからこちらは」とかのじょは、わたしにむかってじゅんぐりに)

お隣の坊ちゃんです。それからこちらは」と彼女は、わたしに向って順ぐりに

(きゃくをゆびさしながら、つけくわえた。「まれーふすきいはくしゃく、)

客を指さしながら、付け加えた。「マレーフスキイ伯爵、

(おいしゃのるーしんさん、しじんのまいだーのふさん、)

お医者のルーシンさん、詩人のマイダーノフさん、

(たいしょくたいいのにるまーつきいさん、それからけいきへいのべろヴぞーろふさん、)

退職大尉のニルマーツキイさん、それから軽騎兵のベロヴゾーロフさん、

(このかたはもうおあいになったわね、どうぞみなさん、なかよくなすってね」)

この方はもうお会いになったわね、どうぞ皆さん、仲よくなすってね」

(わたしはすっかりあがってしまって、だれにもおじぎをせずにいたほどだった。)

わたしはすっかりあがってしまって、誰にもお辞儀をせずにいたほどだった。

など

(いしゃのるーしんというのが、あのときにわでわたしにこっぴどくはじをかかした)

医者のルーシンというのが、あのとき庭でわたしにこっぴどく恥をかかした

(れいのあさぐろいおとこであることはわかったが、あとはみんなしょたいめんだった。)

例の浅黒い男であることはわかったが、あとはみんな初対面だった。

(「はくしゃく!と、じないーだはあとをつづけた。--「むっしゅー・ヴぉるでまーる)

「伯爵!と、ジナイーダはあとを続けた。--「ムッシュー・ヴォルデマール

(にもふだをかいてあげてちょうだい」「それはふこうへいですな」と、)

にも札を書いて上げてちょうだい」「それは不公平ですな」と、

(こころもちぽーらんどなまりのあることばつきで、はくしゃくははんたいした。)

心もちポーランドなまりのある言葉つきで、伯爵は反対した。

(これはすこぶるびぼうの、こったみなりをしたくりいろのかみのおとこで、ひょうじょうにとんだ)

これは頗る美貌の、凝った身なりをした栗色の髪の男で、表情に富んだ

(とびいろのめと、ほそいこぢんまりしたしろいはなをもち、ちっぽけなくちのうえに、)

鳶色の目と、細い小ぢんまりした白い鼻をもち、ちっぽけな口の上に、

(ちょびひげをはやしている。--「このひと、ばっきんごっこのなかまに)

ちょび髭を生やしている。--「この人、罰金ごっこの仲間に

(はいらなかったんですからねえ」「ふこうへいだ」と、べろヴぞーろふと、もうひとり)

入らなかったんですからねえ」「不公平だ」と、ベロヴゾーロフと、もう一人

(べつのおとこがあいづちをうった。あとのほうのおとこは、たいしょくたいいとよばれたじんぶつで、)

別の男が相槌を打った。あとの方の男は、退職大尉と呼ばれた人物で、

(としはしじゅうがらみ、みっともないほどのあばたづらで、あらびあじんみたいに)

年は四十がらみ、みっともないほどのあばた面で、アラビア人みたいに

(かみのけがちぢれて、ねこぜで、がにまたで、けんしょうのないぐんぷくをきて、むねのぼたんを)

髪の毛が縮れて、猫背で、がに股で、肩章のない軍服を着て、胸のボタンを

(はずしている。「ふだをかいてあげなさいってば」と、れいじょうはくりかえした。--)

はずしている。「札を書いて上げなさいってば」と、令嬢は繰り返した。--

(「そりゃなんのぼうどうなの?むっしゅー・ヴぉるまーるははじめていっしょに)

「そりゃなんの暴動なの?ムッシュー・ヴォルマールは初めて一緒に

(なったんだから、きょうはこのひととくべつあつかいよ。ぶつぶついわないで、)

なったんだから、今日はこの人特別扱いよ。ぶつぶつ言わないで、

(かいてちょうだい、あたしそうしたいんだから」)

書いてちょうだい、あたしそうしたいんだから」

(はくしゃくはかたをすくめたが、すなおにいちれいすると、ほうせきいりのゆびわで)

伯爵は肩をすくめたが、素直に一礼すると、宝石入りの指輪で

(かざりたてたしろいてにぺんをとりあげ、ちいさなかみきれをさきとって、)

飾り立てた白い手にペンをとりあげ、小さな紙切れを裂き取って、

(それにかきはじめた。)

それに書き始めた。

(「ではせめてヴぉるでまーるしに、ことのしだいをせつめいしてあげてもいいでしょう」)

「ではせめてヴォルデマール氏に、事の次第を説明して上げてもいいでしょう」

(と、あざけるようなこえでるーしんがいいだした。ーー)

と、嘲るような声でルーシンが言い出した。ーー

(「さもないと、すっかりまごついておられるようですからな。じつはね、きみ、)

「さもないと、すっかりまごついておられるようですからな。実はね、君、

(われわれはばっきんごっこをしているんだが、れいじょうがばっきんをはらうことになったので、)

我々は罰金ごっこをしているんだが、令嬢が罰金を払うことになったので、

(こううんのくじをひきあてたひとは、れいじょうのおてにきすするけんりをえるわけなんです。)

幸運のくじを引き当てた人は、令嬢のお手にキスする権利を得るわけなんです。

(わかったですか、ぼくのいったことが?」わたしはちらりとかれのかおみたばかりで、)

わかったですか、僕のいったことが?」わたしはちらりと彼の顔見たばかりで、

(あいかわらずぼうぜんじしつのていでつったっていたが、そのあいだにれいじょうはまたいすの)

相変わらず茫然自失のていで突っ立っていたが、その間に令嬢はまた椅子の

(うえにとびのると、またもやぼうしをゆすぶりはじめた。)

上に飛び乗ると、またもや帽子を揺すぶり始めた。

(みんながてをのばしたのでーーわたしもそれにしたがった。)

みんなが手を伸ばしたのでーーわたしもそれに従った。

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