中学歴史1縄文時代・弥生時代

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(にほんのきゅうせっきじだい)

日本の旧石器時代

(ぐんまけんのいわじゅくいせきでにほんにもきゅうせっきじだいがあったことがわかった。)

群馬県の岩宿遺跡で日本にも旧石器時代があったことがわかった。

(きゅうせっきじだいのどうぐは、いしをうちかいただせいせっきだった。)

旧石器時代の道具は、石を打ちかいた打製石器だった。

(じょうもんじだい)

縄文時代

(じょうもんじだいは、やく1まん2000ねんまえからきげんぜん4せいきごろまでつづいた。)

縄文時代は、約1万2000年前から紀元前4世紀ごろまで続いた。

(じょうもんじだいのひとびとは、ひろばのまわりでたてあなじゅうきょをたててくらしていた。)

縄文時代の人々は、広場のまわりで竪穴住居を建てて暮らしていた。

(じょうもんじだいにはどきもしようされるようになった。これをじょうもんどきという。)

縄文時代には土器も使用されるようになった。これを縄文土器という。

(じょうもんどきはひょうめんになわめのもんようがあることがとくちょう。)

縄文土器は表面に縄目の文様があることが特徴。

(あつでで、ていおんでやかれてくろい。)

厚手で、低温で焼かれて黒い。

(せっきはませいせっきをしようするようになった。)

石器は磨製石器を使用するようになった。

(だせいせっきをしようしたのがきゅうせっきじだい。)

打製石器を使用したのが旧石器時代。

(ませいせっきをしようしたじょうもんじだいは、しんせっきじだい。)

磨製石器を使用した縄文時代は、新石器時代。

(ゆたかなしゅうかくをねがってどぐうにんぎょうなどもつくられた。)

豊かな収穫を願って土偶人形なども作られた。

(やよいじだい)

弥生時代

(やよいじだいは、きげんぜん4せいきごろからきげん3せいきごろまでつづいた。)

弥生時代は、紀元前4世紀ごろから紀元3世紀ごろまで続いた。

(やよいじだい、たいりくからつたわったいなさくがかいしされた。)

弥生時代、大陸から伝わった稲作が開始された。

(いなさくは、きゅうしゅうほくぶにつたわり、そこからにほんかくちにひろまった。)

稲作は、九州北部に伝わり、そこから日本各地に広まった。

(やよいじだいにしようされたどきはやよいどき。)

弥生時代に使用された土器は弥生土器。

(やよいどきのとくちょうはうすくてかたく、こうおんでやかれていろはせきかっしょく。)

弥生土器の特徴はうすくてかたく、高温で焼かれて色は赤褐色。

(しゅうかくしたいねは、たかゆかそうこにたくわえられた。)

収穫した稲は、高床倉庫にたくわえられた。

など

(じゅうきょは、じょうもんじだいとおなじたてあなじゅうきょだった。)

住居は、縄文時代と同じたて穴住居だった。

(ちゅうごくとのかんけい)

中国との関係

(やよいじだいのにほんのようすは、ちゅうごくのれきししょにかかれている。)

弥生時代の日本のようすは、中国の歴史書に書かれている。

(ちゅうごくのれきししょは、にほんのことをわとよんでいました。)

中国の歴史書は、日本のことを倭とよんでいました。

(1せいきなかばにきゅうしゅうほくぶのなこくのおうがかん(ごかん)につかいをおくった。)

1世紀半ばに九州北部の奴国の王が漢(後漢)に使いを送った。

(かんのこうていは、「かんのわのなのこくおう」ときざまれたきんいんをなこくのおうにあたえた。)

漢の皇帝は、「漢委奴国王」と刻まれた金印を奴国の王に与えた。

(このきんいんは、えどじだいにはっけんされた。)

この金印は、江戸時代に発見された。

(3せいきには、やまたいこくのじょおうひみこがぎにつかいをおくった。)

3世紀には、邪馬台国の女王卑弥呼が魏に使いを送った。

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