山本周五郎 赤ひげ診療譚 むじな長屋 15

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プレイ回数573難易度(4.2) 2738打 長文
映画でも有名な、山本周五郎の傑作連作短編です。
赤ひげ診療譚の第三話です。

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問題文

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(はるのあめだとたかをくくっていたが、かなすぎのとおりへでるとふりがつよくなり、)

春の雨だとたかをくくっていたが、金杉の通りへ出ると降りが強くなり、

(やがてどしゃぶりになった。)

やがてどしゃ降りになった。

(さはちはままよとおもい、てぬぐいをかむったあたまからずぶぬれになりながら、)

佐八はままよと思い、手拭をかむった頭からずぶ濡れになりながら、

(ゆっくりあるいていくと、わかいじょちゅうがよびかけ、)

ゆっくり歩いていくと、若い女中が呼びかけ、

(しるしのあるばんがさをかしてくれたのである。)

印のある番傘を貸してくれたのである。

(ーーどうせぬれちまってるんだ。)

ーーどうせ濡れちまってるんだ。

(ーーでもからだにわるいから。)

ーーでも躯に悪いから。

(そんなやりとりをしたうえ、かれはそのかさをかりてかえった。)

そんなやりとりをしたうえ、彼はその傘を借りて帰った。

(それがおなかであった。)

それがおなかであった。

(かさをかえしにいってから、さはちはおなかがわすれられなくなった。)

傘を返しにいってから、佐八はおなかが忘れられなくなった。

(あめのなかをとんできて、「でもからだにわるいから」とかさをかしてくれたとき、)

雨の中をとんで来て、「でも躯に悪いから」と傘を貸してくれたとき、

(すでにそのめがおやこえにひきつけられたらしい。それからむりによびだして、)

すでにその眼顔や声にひきつけられたらしい。それからむりに呼びだして、

(いくたびかいりやのたんぼであった。)

幾たびか入谷(いりや)の田圃(たんぼ)で逢った。

(むりではあったが、おなかはこばまなかった。)

むりではあったが、おなかは拒ばまなかった。

(そのうちにやすみのひができて、ふたりはやなかのてんのうじでおちあい、)

そのうちに休みの日ができて、二人は谷中の天王寺でおちあい、

(さはちはじぶんのきもちをうちあけた。)

佐八は自分の気持をうちあけた。

(ーーうれしいわ。)

ーーうれしいわ。

(おなかはあおざめたかおでそういった。)

おなかは蒼ざめた顔でそう云った。

(その「うれしいわ」というたんじゅんなことばが、)

その「うれしいわ」という単純な言葉が、

(まるであさがおのはながさくのをみるような、)

まるで朝顔の花が咲くのを見るような、

など

(しんせんですがすがしいかんどうをさはちにあたえた。)

新鮮ですがすがしい感動を佐八に与えた。

(ーーうれしいけれど、だめなの。)

ーーうれしいけれど、だめなの。

(あおざめたかおのままで、おなかはそっとかぶりをふった。)

蒼ざめた顔のままで、おなかはそっとかぶりを振った。

(かのじょにはしちにんのきょうだいがあり、ちちがびょうしんなのでしおくりをしている。)

彼女には七人の弟妹があり、父が病身なので仕送りをしている。

(それにじょちゅうぼうこうにはいるとき、むこうじゅうねんのねんきで、きゅうぎんをかりているし、)

それに女中奉公にはいるとき、向う十年の年期で、給銀を借りているし、

(しおくりのかねもほかのほうこうにんよりもおおかった。)

仕送りの金も他の奉公人よりも多かった。

(それはおなかのちちがもとえちとくのたなにつとめていたことと、)

それはおなかの父がもと越徳の店に勤めていたことと、

(たなをでてかつぎごふくをやってきたが、そのしなもえちとくからしいれていた、)

店を出て担ぎ呉服をやって来たが、その品も越徳から仕入れていた、

(というえんもあったのだが、)

という縁もあったのだが、

(いずれにせよじぶんでじぶんのからだがじゆうにならないのだとおなかははなした。)

いずれにせよ自分で自分のからだが自由にならないのだとおなかは話した。

(ーーねんきはどのくらいのこってるんだ。)

ーー年期はどのくらい残ってるんだ。

(ーーあといちねんだけれど、しおくりのかねがかりになっているから、)

ーーあと一年だけれど、仕送りの金が借りになっているから、

(ねんきがあけてもでるわけにはいかないのよ。)

年期が明けても出るわけにはいかないのよ。

(ーーかりたかねをかえせばいいだろう。)

ーー借りた金を返せばいいだろう。

(ーーぎりというものがあるわ。)

ーー義理というものがあるわ。

(ーーにんげんのいっしょうをしばるようなぎりはない、おれにまかせてくれないか。)

ーー人間の一生を縛るような義理はない、おれに任せてくれないか。

(おなかはかぶりをふった。たなをでるにしても、びょうしんのちちときょうだいがおおいから、)

おなかはかぶりを振った。店を出るにしても、病身の父と弟妹が多いから、

(いっしょになればあなたのおもにになるだけだ、というのであった。)

いっしょになればあなたの重荷になるだけだ、というのであった。

(そのくらいのことはしようじゃないか、とさはちはいった。)

そのくらいのことはしようじゃないか、と佐八は云った。

(じぶんにはおやもきょうだいもない、おまえのおやはおれのおや、)

自分には親もきょうだいもない、おまえの親はおれの親、

(おまえのきょうだいはおれのきょうだいだ。)

おまえのきょうだいはおれのきょうだいだ。

(おやきょうだいにみつぐくらいのことはできるよ、とさはちはいったのだ。)

親きょうだいに貢ぐくらいのことはできるよ、と佐八は云ったのだ。

(さはちはそれからせいいっぱいかせいだ。つきにいちど、いりやのたんぼでおなかとあった。)

佐八はそれから精いっぱい稼いだ。月にいちど、入谷の田圃でおなかと逢った。

(おなかのいえはあさくささんやにあり、まいつきいちど、ひまがでてちちのみまいにいく、)

おなかの家は浅草山谷にあり、毎月いちど、暇が出て父のみまいにいく、

(そのひにうちあわせをしてあい、たんぼみちをさんやのちかくまでおくるのであった。)

その日にうち合せをして逢い、田圃道を山谷の近くまで送るのであった。

(さはちはさけののめるたちだったが、そのさけもやめ、つきあいのあそびもやめた。)

佐八は酒の飲めるたちだったが、その酒もやめ、つきあいの遊びもやめた。

(ちょうどともだちなかまでしんないぶしがはやっていて、)

ちょうど友達なかまで新内節がはやっていて、

(さはちもはんとしばかりけいこにかよっていたときだったが、)

佐八も半年ばかり稽古にかよっていたときだったが、

(それもぴたりとやめてかせぎにかせいだ。)

それもぴたりとやめて稼ぎに稼いだ。

(こういうひたむきなきもちがつうじたのだろう、おなかもやがてこころをきめ、)

こういうひたむきな気持が通じたのだろう、おなかもやがて心をきめ、

(ねんきがあけたらいっしょになろうとやくそくした。)

年期があけたらいっしょになろうと約束した。

(さはちはかぞくにあいたいといったが、それだけはおなかがしょうちせず、)

佐八は家族に会いたいと云ったが、それだけはおなかが承知せず、

(いえのきんじょへちかよることさえ、いこじなくらいつよくこばみとおした。)

家の近所へ近よることさえ、いこじなくらい強く拒みとおした。

(ーーいまはどうしてもいやなの、いっしょになるまでまってちょうだい。)

ーーいまはどうしてもいやなの、いっしょになるまで待ってちょうだい。

(りゆうはあんまりみじめだからはずかしい、ということであり、)

理由はあんまりみじめだから恥ずかしい、ということであり、

(さはちもしいてとはいいかねた。)

佐八もしいてとは云いかねた。

(けれども、あとでわかったことだが、もっとふかい、)

けれども、あとでわかったことだが、もっと深い、

(ぬきさしならぬりゆうがほかにあったのだ。)

ぬきさしならぬ理由がほかにあったのだ。

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