夢野久作 押絵の奇蹟⑥/⑲

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問題文

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(そんなにしてうちじゅうがこどもをほしがっておいでになりましたところへ、)

そんなにして家中が子供を欲しがっておいでになりましたところへ、

(わたしというものができましたのですから、そのおよろこびはどんなだったでしょう。)

私というものが出来ましたのですから、そのお喜びはどんなだったでしょう。

(いままでだまっておいでになりましたおとうさまは、いよいよそのとしのはちがつにむつきめの)

今まで黙っておいでになりましたお父様は、いよいよその年の八月に六月目の

(いわたおびをおかあさまがなさるようになりますと、たいきょうというのをおはじめになりました)

岩田帯をお母様がなさるようになりますと、胎教というのをお初めになりました

(そうです。それについては、どのようなこじがありましたものか、よく)

そうです。それについては、どのような故事がありましたものか、よく

(ぞんじませぬけれども、やはりかんがくのほうでしなからつたわったことでございましょう。)

存じませぬけれども、やはり漢学の方で支那から伝わった事で御座いましょう。

(いままでおとうさまとおざしきにおやすみになったおかあさまを、おだいどころのひろい)

今までお父様とお座敷にお寝(やす)みになったお母様を、お台所の広い

(いたのまのよこにあるおちゃのまに、たったひとりでおやすませになって、おとうさまだけが)

板の間の横に在るお茶の間に、たった一人でお寝ませになって、お父様だけが

(おざしきにおのこりになり、また、おばあさまはおげんかんのよこのごじぶんのへやに、)

お座敷にお残りになり、又、お祖母様はお玄関の横の御自分の室(へや)に、

(いままでのとおりにおやすみになるのでした。そうして、そのおかあさまがおやすみになる)

今までの通りにお寝みになるのでした。そうして、そのお母様がお寝みになる

(おちゃのまのしほうには、れきしでなだかいひとや、いさましいできごとのえなぞをいっぱいに)

お茶の間の四方には、歴史で名高い人や、勇ましい出来事の絵なぞを一ぱいに

(はりつけたり、がくにしてかけたりしてありますので、そんなえやじなぞを、)

貼り付けたり、額にして架けたりしてありますので、そんな絵や字なぞを、

(おかあさまがあさばんにみておいでになりますと、おなかにいるこどもが、そうしたおかあさまの)

お母様が朝晩に見ておいでになりますと、お腹に居る子供が、そうしたお母様の

(きもちからかんかをうけましてりっぱなこどもになりますのだそうで、それがたいきょうと)

気持ちから感化を受けまして立派な子供になりますのだそうで、それが胎教と

(いうのだそうでございます。そんなえやじは、わたしがおおきくなりましてのちも、)

いうのだそうで御座います。そんな絵や字は、私が大きくなりまして後も、

(すすけたままおちゃのまのしほうにならんでおりましたので、くすのきまさなりのうちじにとか、)

煤けたままお茶の間の四方に並んでおりましたので、楠正成の討死とか、

(びゃっこたいのしょうねんのせっぷくとか、うえののしょうぎたいのせんそうとか、)

白虎隊の少年の切腹とか、上野の彰義隊の戦争とか、

(やまとたけるのみことがくまそをたいじしていられるところ)

日本武尊(やまとたけるのみこと)が熊襲(くまそ)を退治していられるところ

(とかいうような、いさましいなかにも、むごたらしいようなせきばんえが、)

とかいうような、勇ましい中にも、むごたらしいような石版絵が、

(さいごうさまのしょうぞうとかたかやまひこくろうのかいたちゅうのじとかいうものといっしょにならんでいるの)

西郷様の肖像とか高山彦九郎の書いた忠の字とかいうものと一緒に並んでいるの

など

(でしたが、そんなえやじをみまわしておりますと、おとうさまはわたしを、まだうまれない)

でしたが、そんな絵や字を見まわしておりますと、お父様は私を、まだ生れない

(うちからおとこのこときめておいでになったらしいことが、よくわかるのでござい)

うちから男の児ときめておいでになったらしいことが、よくわかるので御座い

(ました。それから、いよいよわたしがうまれるときがちかづきますと、まえにもうしました)

ました。それから、いよいよ私が生れる時が近づきますと、前に申しました

(おせきばあさんがとまりこみでおだいどころのいたのまにとこをとってねました。)

オセキ婆さんが泊り込みでお台所の板の間に床を取って寝ました。

(このばあさんは、わたしがいつつかむっつのころまでいきておりましたが、たいへんにげんきものの)

この婆さんは、私が五つか六つの頃まで生きておりましたが、大変に元気者の

(よくばりばあさんで、おとうさまはあまりおすきにならなかったそうですが、じゅうにんちかくも)

慾張り婆さんで、お父様はあまりお好きにならなかったそうですが、十人近くも

(こどもをうんだけいけんがありましたので、このときばかりはおとうさまはなにもおっしゃらずに)

子供を生んだ経験がありましたので、この時ばかりはお父様は何も仰言らずに

(おかあさまのかいほうをおゆるしになったそうです。いまでもよくおぼえております。めのたまの)

お母様の介抱をお許しになったそうです。今でもよく覚えております。眼の玉の

(ぎょろぎょろする、ふとったいろのくろいおんなで、おかあさまのおはなしがでるたんびに、)

ギョロギョロする、肥った色の黒い女で、お母様のお話が出るたんびに、

(「わたしのそだてたんじゃもの・・・なあごいんきょさん」といってはおおきなくちをひらいて)

「私の育てたんじゃもの・・・ナア御隠居さん」と云っては大きな口を開いて

(おとこのようにわらうのでしたが、そのころのばあさんにはめずらしくおはぐろをつけて)

男のように笑うのでしたが、その頃の婆さんには珍しくオハグロをつけて

(いなかったことをよくおぼえています。ひとのうわさによりますとやなぎまち(ゆうかく)にほうこうを)

いなかった事をよく覚えています。人の噂によりますと柳町(遊郭)に奉公を

(していたこともあるそうですが、そのばあさんがやってきまして、おかあさまのおなかを)

していた事もあるそうですが、その婆さんがやって来まして、お母様のお腹を

(ひとめみますと、「これはおおきい。よっぽどおおきなおとこのおこさんにちがいない。)

一目見ますと、「これは大きい。よっぽど大きな男のお子さんに違いない。

(ひかずもいくらかのびておうまれになるでしょう」ともうしましたので、おとうさまは)

日数もいくらか延びてお生れになるでしょう」と申しましたので、お父様は

(たいへんにおよろこびになったそうです。けれどもこのばあさんのよげんはあたりませんで、)

大変にお喜びになったそうです。けれどもこの婆さんの予言は当りませんで、

(うまれたわたしはふつうのおおきさのおんなのこでした。ただひかずがいっしゅうかんばかりのびただけ)

生れた私は普通の大きさの女の子でした。只日数が一週間ばかり延びただけ

(でしたそうですが、それでもおばあさまや、おとうさまはふへいにおおもいになる)

でしたそうですが、それでもお祖母様や、お父様は不平にお思いになる

(どころか、おせきばあさんにてをあわせて、「ああ。おかげであんどした」とおっしゃって)

どころか、オセキ婆さんに手を合せて、「ああ。お蔭で安堵した」と仰有って

(なみだをおながしになったくらいだそうです。わたしがうまれましたのはめいじじゅうさんねんのじゅうにがつの)

涙をお流しになった位だそうです。私が生れましたのは明治十三年の十二月の

(にじゅうくにちで、たいへんにゆきのふるあさだったそうですが、ちょうどおばあさまも)

二十九日で、大変に雪の降る朝だったそうですが、ちょうどお祖母様も

(おとうさまも、もううまれるかうまれるかというようなごしんぱいのためにつかれきって)

お父様も、もう生れるか生れるかというような御心配のために疲れ切って

(おいでになりましたので「いよいようまれるときまでまっておいでなさい」と)

おいでになりましたので「いよいよ生れる時まで待っておいでなさい」と

(おせきばあさんがもうしますままに、おざしきのおこたつにあたりながらうとうとして)

オセキ婆さんが申しますままに、お座敷のお炬燵に当りながらウトウトして

(おいでになるあいだにうまれたのだそうで、よるがあけてからこどものなきごえをおききに)

おいでになる間に生れたのだそうで、夜が明けてから子供の泣き声をお聞きに

(なるとおふたりともびっくりなすったそうです。けれどもおせきばあさんはきのつよい)

なるとお二人ともビックリなすったそうです。けれどもオセキ婆さんは気の強い

(おんなで、いそいでわたしをみにおいでになったおとうさまを、「あっちへおいでなさい。)

女で、急いで私を見にお出でになったお父様を、「アッチへお出でなさい。

(いまだかしてあげます。とのがたはさんじょへおはいりになるものではありません」と)

今抱かして上げます。殿方は産所へお這入りになるものではありません」と

(しかりつけましたので、おとうさまはまたあわてておこたつへおはいりになって、あたまから)

叱りつけましたので、お父様は又慌ててお炬燵へお這入りになって、頭から

(ふとんをおかぶりになりました。そのためにこたつのやぐらがはんぶんまるだしになって、その)

蒲団をお被りになりました。そのために炬燵の櫓が半分丸出しになって、その

(さゆうに、おとうさまのくろいおみあしがにゅっとにほんつきでておりましたそうで、)

左右に、お父様の黒いおみ足がニュッと二本つき出ておりましたそうで、

(「そのごようすのおかしかったこと・・・」とおせきばあさんがよくひとにはなしては)

「その御様子の可笑しかった事・・・」とオセキ婆さんがよく人に話しては

(わらったということを、ずっとあとになって、ききました。)

笑ったという事を、ずっとあとになって、聞きました。

(わたしがうまれましたあとさきのことで、あとになってききましたことはまだいろいろ)

私が生れましたあと先の事で、後になって聞きました事はまだいろいろ

(あります。そのうちでもなによりさきにもうしあげなければなりませぬことは、わたしが)

あります。そのうちでも何より先に申上げなければなりませぬ事は、私が

(うまれましてからまもなくはやりだしましたてまりうたで、いまでもふくおかのこもりおんなは)

生れましてから間もなく流行り出しました手鞠歌で、今でも福岡の子守女は

(うたっているそうでございます。)

唄っているそうで御座います。

(「いっちょはじまりーきりかんじょ・・・)

「イッチョはじまりーキリカンジョ・・・

(いっぽんぼうでくらすはおおつかどんよ。(じょうじゅつのせんせいのこと))

一本棒で暮すは大塚どんよ。(杖術の先生の事)

(にょーぼでくらすはいのぐちどんよ。)

ニョーボで暮すは井ノ口どんよ。

(さんぽうでくらすがながさわどんよ。(くしだじんじゃのかんぬしさまのこと))

三宝で暮すが長沢どんよ。(櫛田神社の神主様の事)

(しわんぼうでくらすがてらくら(きんか)どんよ。)

四わんぼうで暮すが寺倉(金貨)どんよ。

(ごめんなされよあらむずかしや。)

五めんなされよアラ六ずかしや。

(ななつなんでもやきもちやいて。)

七ツなんでも焼きもち焼いて。

(くめんじゅうめんなさらばなされ。)

九めん十めんなさらばなされ。

(めひきそでひきゃわたしのままよ。)

眼ひき袖引きゃ妾(わたし)のままよ。

(ややができてもめかけのはらよ。)

孩児(やや)が出来ても妾の腹よ。

(あなたのおなかはかりまいものよ。)

あなたのお腹は借りまいものよ。

(ぬしはだれともおしゃらばおしゃれ。)

主は誰ともおしゃらばおしゃれ。

(うんだそのこにしるしはないが。)

生んだその子にシルシはないが。

(おもうたおかたにちょっといきうつし。)

思うたお方にチョット生きうつし。

(あらいっこいっこあがった」)

あらイッコイッコ上った」

(ともうしますのですが、わたしが、このようなことをもうしますのはいかがかとぞんじます)

と申しますのですが、私が、このような事を申しますのは如何かと存じます

(けれども、これはやはりおとうさまとおかあさまと、それからわたしのことをめあてにして)

けれども、これはやはりお父様とお母様と、それから私の事を目当てにして

(あてこすったもので、おかあさまがおびをぬっておやりになったりきしのなまえや、)

当てこすったもので、お母様が帯を縫ってお遣りになった力士の名前や、

(おしえにおつくりになった、あなたのおとうさまのことなどをわにわをかけてうわさしたもの)

押絵にお作りになった、貴方のお父様の事などを輪に輪をかけて噂したもの

(でしょう。わたしのおとうさまはまえにももうしますようにいろのくろいたくましいおかたで、)

でしょう。私のお父様は前にも申しますように色の黒い逞しいお方で、

(どちらかともうせばぶおとこでおいでになったのに、おかあさまのほうはまるでうらはらで、)

どちらかと申せば醜男でおいでになったのに、お母様の方はまるでウラハラで、

(よにもめずらしくうつくしいかたでしたので、いろいろなことをひとがもうしましたのも)

世にも珍しく美しい方でしたので、いろいろな事を人が申しましたのも

(むりはないとおもわれます。)

無理はないと思われます。

(おとうさまは、そんなうたがはやりだしてからというもの、まいにちのおはかまいりや、)

お父様は、そんな歌が流行り出してからというもの、毎日のお墓参りや、

(ほうぼうのかみさまやほとけさまへのあんざんのおがんほどきや、おれいまいりのほかは、おかあさまをいっぽも)

方々の神様や仏様への安産の御願ほどきや、お礼参りのほかは、お母様を一歩も

(そとへおだしにならなかったそうです。もっとも、おとうさまはへいぜいからじょうだんぐちひとつ)

外へお出しにならなかったそうです。もっとも、お父様は平生から冗談口一つ

(おっしゃらぬまじめなおかたでしたから、このようなうたのうらにかくしてあるほんとうの)

仰有らぬ真面目なお方でしたから、このような歌のウラに隠してある本当の

(いみはおわかりにならなかったでしょう。ただ、ごじぶんのことがいってあるので、)

意味はおわかりにならなかったでしょう。只、御自分の事が云ってあるので、

(おきにさわったものらしく、そんなうたをいじわるくうちのおもてにきてうたうこもりおんなたちを、)

お気に障ったものらしく、そんな歌を意地悪く家の表に来て唄う子守女たちを、

(おとうさまがきちがいのようになって、おしかりになるこえがかわむこうのおことの)

お父様がキチガイのようになって、お叱りになる声が川向うのお琴の

(おししょうさんのところまでよくきこえたそうです。また、そのころわたしのうちのくらしむきは、)

お師匠さんの処までよく聞こえたそうです。又、その頃私の家の暮し向きは、

(わずかばかりくるさくまいとかんがくのおれいのほかはおかあさまのおしえやはりしごとでたてて)

僅かばかり来る作米と漢学のお礼のほかはお母様の押絵や針仕事で立てて

(おられましたので、わたしがうまれますあとさきはごりょうしんともずいぶんおつらいことがおおかった)

おられましたので、私が生れますあと先は御両親とも随分お辛い事が多かった

(ろうとおもいますが、そんないみのことも、このてまりうたにうたいこんで)

ろうと思いますが、そんな意味の事も、この手鞠歌に唱(うた)い込んで

(ありますようで、だれがつくったものかぞんじませぬが、ほんとににくらしくて)

ありますようで、誰が作ったものか存じませぬが、ほんとに憎らしくて

(にくらしくておもいだすたびにむねがいっぱいになります。けれどもそのせいかして、)

憎らしくて思い出す度に胸が一パイになります。けれどもそのせいかして、

(おかあさまはとりめになるといっておせきばあさんがとめるのもきかずに、ふつうのひと)

お母様は鳥目になるといってオセキ婆さんが止めるのも聞かずに、普通の人

(よりもはやくかみをあらったり、はりしごとをはじめたりなすったそうです。おとうさまもまた)

よりも早く髪を洗ったり、針仕事を始めたりなすったそうです。お父様も亦

(それからのちというものはひとがわらうのもかまわずに、あさゆうのおかいものまでもごじぶんで)

それから後というものは人が笑うのも構わずに、朝夕のお買物までも御自分で

(おでましになりましたそうで、おかあさまはうちにじっとしておしごとをしておいでに)

お出ましになりましたそうで、お母様は家にジッとしてお仕事をしておいでに

(なりさえすれば、おとうさまのごきげんがよいので、おばあさまはたいそうおこまりになった)

なりさえすれば、お父様の御機嫌がよいので、お祖母様は大層お困りになった

(そうです。しかし、いまになってよくかんがえてみますと、そうしたおとうさまの)

そうです。しかし、今になってよく考えてみますと、そうしたお父様の

(おこころもちがわたしにはよくわかるようにおもいます。)

お心持ちが私にはよくわかるように思います。

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