パノラマ奇島談_§6

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著者:江戸川乱歩
売れない物書きの人見廣介は、定職にも就かない極貧生活の中で、自身の理想郷を夢想し、それを実現することを夢見ていた。そんなある日、彼は自分と瓜二つの容姿の大富豪・菰田源三郎が病死した話を知り合いの新聞記者から聞く。大学時代、人見と菰田は同じ大学に通っており、友人たちから双生児の兄弟と揶揄されていた。菰田がてんかん持ちで、てんかん持ちは死亡したと誤診された後、息を吹き返すことがあるという話を思い出した人見の中で、ある壮大な計画が芽生える。それは、蘇生した菰田を装って菰田家に入り込み、その莫大な財産を使って彼の理想通りの地上の楽園を創造することであった。幸い、菰田家の墓のある地域は土葬の風習が残っており、源三郎の死体は焼かれることなく、自らの墓の下に埋まっていた。

人見は自殺を偽装して、自らは死んだこととし、菰田家のあるM県に向かうと、源三郎の墓を暴いて、死体を隣の墓の下に埋葬しなおし、さも源三郎が息を吹き返したように装って、まんまと菰田家に入り込むことに成功する。人見は菰田家の財産を処分して、M県S郡の南端にある小島・沖の島に長い間、夢見ていた理想郷を建設する。

一方、蘇生後、自分を遠ざけ、それまで興味関心を示さなかった事業に熱中する夫を源三郎の妻・千代子は当惑して見つめていた。千代子に自分が源三郎でないと感付かれたと考えた人見は千代子を、自らが建設した理想郷・パノラマ島に誘う。人見が建設した理想郷とはどのようなものだったのか。そして、千代子の運命は?

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問題文

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(できるものか。そして、かれのあたまのなかにはかれのもくろみのひとつひとつが、びさいなてんに)

できるものか。そして、彼の頭の中には彼の目論見の一つ一つが、微細な点に

(わたってつぎつぎとあらわれてくるのです。しかも、そのどのひとつにも、)

わたって次々と現れてくるのです。しかも、そのどの一つにも、

(すこしのておちだって、あろうどうりはないのでした。)

少しの手落ちだって、あろう道理はないのでした。

(ふときがつくと、ふたりのきゃくのはなしごえがいつのまにかやんで、そのかわりに)

ふと気が付くと、二人の客の話し声がいつの間にかやんで、その代わりに

(ちょうしのちがったふたとおりのいびきのおとが、へやのむこうからひびいていました。)

調子の違った二通りの鼾の音が、部屋の向こうから響いていました。

(ねがえりをうって、ほそめをひらいてみますと、おとこたちはけんこうらしくだいのじになって、)

寝返りを打って、細目を開いてみますと、男たちは健康らしく大の字になって、

(そうごうをくずして、よくねいっているのです。)

相好を崩して、よく寝入っているのです。

(なにものか、きゅうにかれのじっこうをせきたてるのがかんじられました。きかいがとうらいした)

何物か、急に彼の実行を急き立てるのが感じられました。機会が到来した

(というかんがえが、かれのざつねんをたちどころにいっそうしてしまいました。)

という考えが、彼の雑念をたちどころに一掃してしまいました。

(かれはなにかにめいぜられるように、すこしのちゅうちょもなくちんとうのこうりをひらいて、)

彼は何かに命ぜられるように、少しの躊躇もなく枕頭の行李を開いて、

(そのそこからいちまいのきもののきれはしをとりだしました。それはみょうなかたちに)

その底から一枚の着物の切れ端を取り出しました。それは妙な形に

(ひきさかれた、ご、ろくすんぐらいのふるびたもめんがすりでした。それをつかむと、)

引き裂かれた、五、六寸ぐらいの古びた木綿絣でした。それをつかむと、

(こうりはもとのとおりにふたをして、かれはそっとかんぱんにしのびでるのでした。)

行李は元の通りに蓋をして、彼はそっと甲板に忍び出るのでした。

(もうじゅういちじをすぎていました。)

もう十一時を過ぎていました。

(よいのうちはときどきせんしつへかおをみせたぼーいやせんいんたちも、)

宵のうちは時々船室へ顔を見せたボーイや船員たちも、

(それぞれかれらのしんしつにしりぞいたのか、そのへんにはひとかげもありません。)

それぞれ彼らの寝室に退いたのか、その辺には人影もありません。

(ぜんぽうのいちだんたかいじょうかんぱんには、さだめしだしゅがてっしょうのみはりをつづけて)

前方の一段高い上甲板には、さだめし舵手が徹宵の見張りを続けて

(いるのでしょうが、いまひとみひろすけのたっているところからはそれもみえません。)

いるのでしょうが、今人見広介の立っているところからはそれも見えません。

(ふなべりによれば、しぶきをたてるおおなみのうねり、せんびにおびをのべるやこうちゅうの)

船べりによれば、しぶきを立てる大波のうねり、船尾に帯を述べる夜光虫の

(りんこう、めをあげれば、まゆをあっしてせまるみうらはんとうのきょだいなるこくえい、めいめつする)

燐光、目を上げれば、まゆを圧して迫る三浦半島の巨大なる黒影、明滅する

など

(ぎょそんのとうか、そして、そらには、ほこりのようなむすうのほしくずが、)

漁村の燈火、そして、空には、埃の様な無数の星屑が、

(ふねのしんこうにつれてにぶいかいてんをつづけています。)

船の進行につれて鈍い回転を続けています。

(きこえるものは、どんじゅうなきかんのひびきと、ふなべりにくだけるなみのおとばかりです。)

聞こえるものは、鈍重な機関の響きと、船べりに砕ける波の音ばかりです。

(このぶんになれば、かれのけいかくはまずはっかくするしんぱいはありません。)

この分になれば、彼の計画はまず発覚する心配はありません。

(さいわいときははるのおわり、うみはねむったようにしずかです。こうろのかんけいじょう、りくかげはじょじょに)

幸い時は春の終り、海は眠ったように静かです。航路の関係上、陸影は徐々に

(ふねのほうへちかづいてきます。かれはもう、そのりくとふねとがもっともせっきんするよていの)

船の方へ近づいてきます。彼はもう、その陸と船とが最も接近する予定の

(ばしょをまつだけなのです(かれはたびたびこのこうろをとおったことがあって、)

場所を待つだけなのです(彼はたびたびこの航路を通ったことがあって、

(それがどのへんだかをよくこころえていました)。そして、たったすうちょうのかいじょうを、)

それがどの辺高をよく心得ていました)。そして、たった数丁の海上を、

(ひとめにかからぬようにおよぎわたりすればよいのでした。)

人目に係らぬように泳ぎ渡りすれば良いのでした。

(かれはまずやみのなかにふなべりをさがしまわって、らんかんのがいぶにくぎのでているかしょを)

彼はまず闇の中に船べりを探し回って、欄干の外部に釘の出ている個所を

(みつけると、そのくぎへさいぜんのかすりのきれをかぜでとばぬようにしっかりと)

見つけると、その釘へさいぜんの絣の切れを風で飛ばぬようにしっかりと

(ひっかけておいて、それから、はんぷのかげにかくれ、すはだにただいちまい)

引っ掛けておいて、それから、帆布の蔭に隠れ、素肌にただ一枚

(みにつけていた、いまのきれとおなじようなえのふるびたあわせをぬぐと)

身に着けていた、今の切れと同じような柄の古びた袷を脱ぐと

(たもとのなかのさいふとへんそうようぐとをおとさぬようにくるみ、)

袂の中の財布と変装用具とを落とさぬようにくるみ、

(そいつをへこおびでかたくせなかへむすびつけました。)

そいつを兵児帯で硬く背中へ結びつけました。

(「さあこれでよし、すこしのあいだつめたいおもいをすればよいのだ」)

「さあこれで良し、少しの間冷たい思いをすればよいのだ」

(かれははんぷのかげをはいだして、もういちどそのへんをながめまわし、だいじょうぶだれも)

彼は帆布の蔭を這い出して、もう一度その辺を眺め廻し、大丈夫誰も

(みていないことがわかると、きょだいなやもりのかっこうで、)

見ていないことがわかると、巨大なヤモリの格好で、

(かんぱんをふなべりへとはっていき、するするとらんかんをのりこえました。)

甲板を船べりへと這って行き、するすると欄干を乗り越えました。

(おとをたてないようになにかにすがってとびこむこと、すくりゅうにまきこまれない)

音を立てないように何かにすがって飛び込むこと、スクリュウに巻き込まれない

(ようじんをすること、このふたつのてんはかれがもうなんどとなくかんがえておいたことでした。)

用心をすること、この二つの点は彼がもう何度となく考えておいたことでした。

(それには、ふねがすいどうをとおるとき、ほうこうてんかんのためにそくどをゆるめたさいが)

それには、船が水道を通る時、方向転換のために速度を緩めた際が

(もっともこうつごうなのです。そして、そのときがまた、りくにもいちばんちかいのです。)

最も好都合なのです。そして、その時がまた、陸にも一番近いのです。

(でかれはふなべりのなにかのつなにすがって、いつでもとびこめるよういをしながら、)

で彼は船べりの何かの綱にすがって、いつでも飛び込める用意をしながら、

(そのほうこうてんかんのこうきをいまかいまかとまちかまえました。)

その方向転換の好機を今か今かと待ち構えました。

(ふしぎなことには、このげきじょうてきなばあいにもかかわらず、かれのこころはいともれいせいに)

不思議なことには、この劇場的な場合にもかかわらず、彼の心はいとも冷静に

(しずまりかえっていました。もっとも、しんこうちゅうのふねからうみにとびこんで、)

静まり返っていました。もっとも、進行中の船から海に飛び込んで、

(たいがんにおよぎつくことは、べつだんざいあくというのではありませんし、)

対岸に泳ぎ着くことは、別段罪悪というのではありませんし、

(それにきょりもみじかく、およぎのほうのじしんもあり、)

それに距離も短く、泳ぎの方の自信もあり、

(たいしたきけんのないことはわかっていたのですけど、)

大した危険のないことはわかっていたのですけど、

(といって、それがやっぱりかれのだいいんぼうのひとつのよびこうどうであってみれば、)

といって、それがやっぱり彼の大陰謀の一つの予備行動であってみれば、

(かれのきしつとしてふあんをかんじないでいられようはずがないのでした。)

彼の気質として不安を感じないでいられようはずがないのでした。

(それにもかかわらず、かくもれいせいに、おちつきはらってこうどうすることが)

それにもかかわらず、かくも冷静に、落ち着き払って行動することが

(できたのは、なんともふしぎといわねばなりません。かれはあとになって、)

出来たのは、何とも不思議といわねばなりません。彼は後になって、

(けいかくにちゃくしゅしていらいいちにちごとにだいたんに、ふてぶてしくなっていったかれじしんの)

計画に着手して以来一日ごとに大胆に、ふてぶてしくなっていった彼自身の

(こころもちをふりかえり、そのはげしいへんかにひじょうなおどろきをあじわったことですが、)

心持を振り返り、その激しい変化に非常な驚きを味わったことですが、

(かれがそうしてふなべりにとりすがったときのこころもちが、)

彼がそうして船べりに取りすがった時の心持が、

(おそらくそのてはじめであったのかもしれません。)

おそらくその手始めであったのかもしれません。

(やがて、ふねはもくてきのかしょにちかづき、がらがらという、だきのくさりのおとがして、)

やがて、船は目的の個所に近づき、ガラガラという、舵機の鎖の音がして、

(ほうこうをかえはじめ、どうじにそくどもにぶくなってきました。)

方向を変え始め、同時に速度も鈍くなってきました。

(「いまだ!」)

「今だ!」

(つなをはなすときには、それでも、さすがにしんぞうがどきんとおどりあがりました、)

綱を話すときには、それでも、さすがに心臓がドキンと躍り上がりました、

(かれはてをはなすとどうじに、ぜんしんのちからをこめてふなべりをけり、みをたいらかにして、)

彼は手を離すと同時に、全身の力を込めて船べりをけり、身を平らかにして、

(なるべくとおいところへ、ちょうどみずにのったかたちで、)

なるべく遠いところへ、ちょうど水に乗った形で、

(おとのたたぬようにすべりこむほうほうをとりました。)

音の立たぬように滑り込む方法を取りました。

(ごぼんというみずおと、はっとみにしむつめたさ、じょうげさゆうからせまってくるかいすいのちから、)

ゴボンという水音、ハッと身に染む冷たさ、上下左右から迫ってくる海水の力、

(もがいてももがいてもみずのひょうめんにうかびあがらぬもどかしさ、そのなかで、)

もがいてももがいても水の表面に浮かび上がらぬもどかしさ、その中で、

(かれはしかし、めったむしょうにみずをかき、みずをけり、ちょっとでも、わずかでも、)

彼はしかし、めった無性に水をかき、水をけり、一寸でも、一尺でも、

(すくりゅうからとおざかることをわすれませんでした。)

スクリュウから遠ざかることを忘れませんでした。

(どうしてあのふなべりのうずまきをおよぎきることができたか、それから、たとえ)

どうしてあの船べりの渦巻きを泳ぎ切ることが出来たか、それから、たとえ

(おだやかなうみであったとはいえ、しびれるようなひやみずのなかを、すうちょうのあいだも、)

穏やかな海であったとはいえ、しびれるような冷水の中を、数丁の間も、

(どうしてたえしのぶことができたか、あとになってかんがえてみても、)

どうして耐え忍ぶことが出来たか、後になって考えてみても、

(かれにはそのわれながらふしぎなちからをどうにもりかいできないのでした。)

彼にはその我ながら不思議な力をどうにも理解できないのでした。

(かくて、こううんにもけいかくのだいいちちゃくしゅを、みごとにやりおおせたかれは、)

かくて、幸運にも計画の第一着手を、見事にやりおおせた彼は、

(つかれきったからだを、どこともしれぬぎょそんのくらやみのうみべになげだして、そこで)

疲れ切った体を、どことも知れぬ漁村の暗闇の海辺に投げだして、そこで

(よるのあけるのをまち、まだかわききらぬきものをき、へんそうをほどこして、むらびとたちが)

夜の明けるのを待ち、まだ乾ききらぬ着物を着、変装を施して、村人たちが

(おきでぬうちに、よこすかとおぼしきほうこうへむかってあるきだすのでした。)

起き出ぬうちに、横須賀とおぼしき方向へ向かって歩き出すのでした。

(なな)

(ゆうべまでひとみひろすけであったおとこは、それからいちにち、のりかええきのおおふねのやすやどで)

ゆうべまで人見広介であった男は、それから一日、乗換駅の大船の安宿で

(くらして、そのよくじつのごご、ちょうどよるにはいってtしにつくきしゃをえらんで、)

暮らして、その翌日の午後、ちょうど夜に入ってT市につく汽車を選んで、

(やっぱりへんそうのまま、さんとうしゃのきゃくとなりました。)

やっぱり変装のまま、三等車の客となりました。

(しょくんはすでにおきづきでありましょうが、かれがこうしてきちょうないちにちを)

諸君はすでにお気づきでありましょうが、彼がこうして貴重な一日を

(なすこともなくすごしたのは、かれのじさつのおしばいが、うまくもくてきを)

なすこともなく過ごしたのは、彼の自殺のお芝居が、うまく目的を

(はたしたかどうかをしろうとして、それののるしんぶんのでるのをまちあわせるため)

果たしたかどうかを知ろうとして、それの載る新聞の出るのを待ち合わせるため

(でありました。そして、かれがいよいよtしへのりこむいじょうは、そのしんぶんきじが、)

でありました。そして、彼がいよいよT市へ乗り込む以上は、その新聞記事が、

(おもうつぼにはまって、かれのじさつをほうどうしていたことはもうすまでもないのです。)

思う壷にはまって、彼の自殺を報道していたことは申すまでもないのです。

(「しょうせつかのじさつ」というようなみだしで)

「小説家の自殺」というような見出しで

((かれもしんだおかげでたにんからしょうせつかとよんでもらうことができました)、)

(彼も死んだおかげで他人から小説家と呼んでもらうことが出来ました)、

(ちいさくではありましたが、どのしんぶんにもかれのじさつのきじがのっていました。)

小さくではありましたが、どの新聞にも彼の自殺の記事が載っていました。

(ひかくてきくわしくほうどうしたしんぶんには、のこされたこうりのなかにいっさつのざっきちょうがあって、)

比較的詳しく報道した新聞には、残された行李の中に一冊の雑記帳があって、

(それにひとみひろすけというしょめいがあり、よをはかなむじせいのもんくが)

それに人見広介という署名があり、世をはかなむ辞世の文句が

(しるされていたのと、おそらくとびこむときにひっかかったのであろう、)

記されていたのと、おそらく飛び込むときに引っかかったのであろう、

(ふなべりのくぎにかれのいるいとおぼしきかすりのきれはしがのこされていたのとで、)

船べりの釘に彼の衣類とおぼしき絣の切れ端が残されていたのとで、

(しにんのみがらなりじさつのどうきなりがはんめいしたよしがしるされてありました。)

死人の身柄なり自殺の動機なりが判明したよしが記されてありました。

(つまりかれのけいかくは、まんまとしゅびよくせいこうしたのであります。)

つまり彼の計画は、まんまと首尾よく成功したのであります。

(さいわいなことには、かれには、このきょうげんじさつによってなくほどのみよりも)

幸いなことには、彼には、この狂言自殺によって泣くほどの身寄りも

(ありませんでした。むろんかれのきょうりにはかけいのいえもあり)

ありませんでした。むろん彼の郷里には家兄の家もあり

((ざいがくとうじかれはそのあにからがくしをもらっていたのですが、)

(在学当時彼はその兄から学資を貰っていたのですが、

(ちかごろではあにのほうからかれをみすててしまったかたちでした)、)

近頃では兄の方から彼を見捨ててしまった形でした)、

(に、さんのしんぞくもあったのですから、それらのひとがかれのふじのしを)

二、三の親族もあったのですから、それらの人が彼の不時の死を

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