山本周五郎 赤ひげ診療譚 狂女の話 9

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投稿者投稿者uzuraいいね3お気に入り登録
プレイ回数845難易度(4.5) 5027打 長文 長文モード可
映画でも有名な、山本周五郎の傑作短編です。
長崎から江戸へ帰ってきた青年医師保本登は、小石川養生所で働くことになるが…。
順位 名前 スコア 称号 打鍵/秒 正誤率 時間(秒) 打鍵数 ミス 問題 日付
1 じゅんこ 5218 B+ 5.5 94.8% 911.8 5033 275 91 2024/04/27
2 hutaba 4039 C 4.2 96.1% 1194.2 5026 202 91 2024/04/12

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問題文

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(のぼるはくらがりのなかでおすぎをみた。「そういうことはしらなかった」とかれはいった、)

登は暗がりの中でお杉を見た。「そういうことは知らなかった」と彼は云った、

(「ーーつがわはなにをしたんだ」「そんなこといえませんわ」)

「ーー津川はなにをしたんだ」「そんなこと云えませんわ」

(「いいか、おすぎさん」とかれはあらたまったちょうしでいった、)

「いいか、お杉さん」と彼は改まった調子で云った、

(「わたしはいしゃだし、あたらしいいじゅつをまなんできたにんげんだ、くわしいしょうじょうがわかれば、)

「私は医者だし、新らしい医術をまなんで来た人間だ、詳しい症状がわかれば、

(あかひげとはべつなちりょうほうがあるかもしれない、はなしてみるだけでも、)

赤髯とはべつな治療法があるかもしれない、話してみるだけでも、

(むだじゃあないとおもわないか」おすぎもかれをみかえした、)

むだじゃあないと思わないか」お杉も彼を見返した、

(「まじめにそうおっしゃるのね」「わたしのことはよくしっているはずだ」)

「まじめにそう仰しゃるのね」「私のことはよく知っている筈だ」

(「よってさえいらっしゃらなければね」とおすぎはいった、)

「酔ってさえいらっしゃらなければね」とお杉は云った、

(「ようございます、このつぎのときにすっかりおはなしもうしますわ」)

「ようございます、この次のときにすっかりお話し申しますわ」

(「どうしていまはなさないんだ」のぼるはおすぎのてをつかもうとした。)

「どうしていま話さないんだ」登はお杉の手をつかもうとした。

(おすぎはそのてをさけてたちあがり、くすっとしのびわらいをしながらいった。)

お杉はその手を避けて立ちあがり、くすっと忍び笑いをしながら云った。

(「そういうことをなさるからよ」「それとこれとはべつだ」)

「そういうことをなさるからよ」「それとこれとはべつだ」

(のぼるはすばやくたっておすぎをだいた。)

登はすばやく立ってお杉を抱いた。

(おすぎはじっとしていた。のぼるはかたてをおすぎのせ、かたてをかたにまわしてだきしめた。)

お杉はじっとしていた。登は片手をお杉の背、片手を肩にまわして抱き緊めた。

(「おれがすきなんだろう」「あなたは」とおすぎがききかえした。)

「おれが好きなんだろう」「あなたは」とお杉が訊き返した。

(「すきさ」といいざま、のぼるはじぶんのくちびるでつよくおすぎのくちびるをふさいだ、)

「好きさ」と云いざま、登は自分の唇でつよくお杉の唇をふさいだ、

(「すきだよ」おすぎのからだからちからがぬけ、やわらかくおもたくなるのがかんじられた。)

「好きだよ」お杉の躯から力がぬけ、柔らかく重たくなるのが感じられた。

(のぼるはこしかけのほうへひきもどそうとした。)

登は腰掛のほうへ引き戻そうとした。

(すると、おすぎはかれのうでからすりぬけ、しのびわらいをしながらうしろへとびのいた。)

すると、お杉は彼の腕からすりぬけ、忍び笑いをしながらうしろへとびのいた。

(「いや、そんなことをなさるあなたはきらいよ」とおすぎがいった、)

「いや、そんなことをなさるあなたは嫌いよ」とお杉が云った、

など

(「おやすみなさい」「かってにしろ」とかれはいった。)

「おやすみなさい」「勝手にしろ」と彼は云った。

(それからごろくにちおすぎにあわなかった。もうさんがつちゅうじゅんになっていただろう、)

それから五六日お杉に逢わなかった。もう三月中旬になっていただろう、

(しょないにあるさくらはどれもさきさかり、さいえんのほうでもやくようのきやくさきが、)

所内にある桜はどれも咲きさかり、栽園のほうでも薬用の木や草木が、

(おそいのもすっかりめをのばしていたし、はやいものははなをさかせており、)

おそいのもすっかり芽を伸ばしていたし、早いものは花を咲かせており、

(かぜがわたると、それらのはなのつよいにおいで、くうきがおもくかんじられるようであった。)

風がわたると、それらの花の強い匂いで、空気が重く感じられるようであった。

(ーーひるめしのあとで、のぼるがやくえんのほうへあるいていくと、)

ーー午(ひる)めしのあとで、登が薬園のほうへ歩いていくと、

(せんたくのもどりのおすぎにあった。すこしはなれてあるきながら、)

洗濯の戻りのお杉に会った。少しはなれて歩きながら、

(どうしてばんにこないのかときくと、かぜをひいたのだと、おすぎはこたえた。)

どうして晩に来ないのかと訊くと、風邪をひいたのだと、お杉は答えた。

(もうよくなったから、こんやはゆくつもりだったといったが、)

もうよくなったから、今夜はゆくつもりだったと云ったが、

(そういいながらもかるいせきをするし、すっかりこえをからしていた。)

そう云いながらも軽い咳をするし、すっかり声を嗄(か)らしていた。

(「まだせきがでるじゃないか」とかれがいった、)

「まだ咳が出るじゃないか」と彼が云った、

(「だいじにするほうがいい、こんやでなくったっていいんだよ」)

「大事にするほうがいい、今夜でなくったっていいんだよ」

(おすぎはびしょうしながらなにかいった。「よくきこえない」とかれはすこしちかよった、)

お杉は微笑しながらなにか云った。「よく聞えない」と彼は少し近よった、

(「どうしたって」「こんやうかがいます」とおすぎがこたえた。)

「どうしたって」「今夜うかがいます」とお杉が答えた。

(「むりをするな、くすりはのんでいるのか」)

「むりをするな、薬はのんでいるのか」

(「ええ、きょじょうせんせいからいただいています」)

「ええ、去定先生からいただいています」

(「むりをしないほうがいい」とかれはいった、)

「むりをしないほうがいい」と彼は云った、

(「わたしがのどのらくになるくすりをつくってやろう」おすぎはびしょうしながらうなずいた。)

「私が喉の楽になる薬をつくってやろう」お杉は微笑しながらうなずいた。

(そのひ、しょくどうでゆうめしをたべていると、のぼるにきゃくだとげんかんからしらせてきた。)

その日、食堂で夕めしを食べていると、登に客だと玄関から知らせて来た。

(きょじょうはがいしゅつしてまだかえらず、もりはんだゆうはしらんかおをしていた。)

去定は外出してまだ帰らず、森半太夫は知らん顔をしていた。

(しょくじちゅうにたつことはきんじられているので、のぼるはどんなきゃくだとといかえした。)

食事ちゅうに立つことは禁じられているので、登はどんな客だと問い返した。

(すると、きゃくはまだわかいむすめで、なはあまのまさをだというへんじだった。)

すると、客はまだ若い娘で、名は天野まさをだという返辞だった。

(ーーあまの、まさを。のぼるはそのなにはっきりしたきおくがなかった。)

ーー天野、まさを。登はその名にはっきりした記憶がなかった。

(けれどもすぐにけんとうがついた。ちぐさにいもうとがひとりあった、まだほんのしょうじょで、)

けれどもすぐに見当がついた。ちぐさに妹が一人あった、まだほんの少女で、

(かおもほとんどおぼえていないが、せいがあまのであり、)

顔も殆んど覚えていないが、姓が天野であり、

(ここへじぶんをたずねてきたとすると、そのいもうとにちがいないとおもった。)

ここへ自分を訪ねて来たとすると、その妹にちがいないと思った。

(ーーたぶんあのしょうじょだろう。だがなんのためにきたのか、とのぼるはいぶかった。)

ーーたぶんあの少女だろう。だがなんのために来たのか、と登は訝った。

(じぶんのいしできたのか、それともだれかのさしがねか、)

自分の意志で来たのか、それとも誰かのさしがねか、

(まるですいさつすることもできなかったし、)

まるで推察することもできなかったし、

(うっかりあってはいけないというきがした。)

うっかり会ってはいけないという気がした。

(「へやにいないといってくれ」とのぼるはとりつぎのものにいった、)

「部屋にいないと云ってくれ」と登は取次の者に云った、

(「わたしはあわないから、でんごんがあったらきいておいてくれ」)

「私は会わないから、伝言があったら聞いておいてくれ」

(しょくじがおわったとき、とりつぎのものがきた。)

食事が終ったとき、取次の者が来た。

(ぜひあいたいからまっているといったが、いまかえっていった。)

ぜひ会いたいから待っていると云ったが、いま帰っていった。

(でんごんはなく、またくるといった、ということであった。)

伝言はなく、また来ると云った、ということであった。

(このもんどうを、むこうでもりはんだゆうがきいていた。)

この問答を、向うで森半太夫が聞いていた。

(ちゃをすすりながら、はんだゆうがさりげなくきいていることをのぼるはみとめ。)

茶を啜りながら、半太夫がさりげなく聞いていることを登は認め。

(らんぼうにたちあがってしょくどうをでた。のぼるはえんぷのきちたろうにさけをかわせた。)

乱暴に立ちあがって食堂を出た。登は園夫の吉太郎に酒を買わせた。

(やせてひょろながいからだの、きのよわい、そのどもりのわかものは、かいにいくのをしぶった。)

痩せてひょろ長い躯の、気の弱い、その吃りの若者は、買いにいくのを渋った。

(ーーこうたびたびでは、いまにみつかってしかられる、といいたかったらしい。)

ーーこうたびたびでは、いまにみつかって叱られる、と云いたかったらしい。

(だがひどいどもりで、なかなかおもうようにくちがきけないし、のぼるがどなりつけると、)

だがひどい吃りで、なかなか思うように口がきけないし、登がどなりつけると、

(へいこうして、あたまをかきながらでていった。)

閉口して、頭を掻きながら出ていった。

(「いもうとむすめなどをよこして、こんどはなにをたくらもうというんだ」)

「妹娘などをよこして、こんどはなにを企もうというんだ」

(とかれはひとりでつぶやいた、)

と彼は独りでつぶやいた、

(「やってみろ、こんどはそううまくだまされはしないぞ」さけがくると、)

「やってみろ、こんどはそううまく騙されはしないぞ」酒が来ると、

(のぼるはそれをひやでのみ、かなりよってから、のこりをとっくりのままもってでた。)

登はそれを冷で飲み、かなり酔ってから、残りを徳利のまま持って出た。

(きおんのたかいよるでくもっているのだろう、そらにはつきもなく、ほしもみえなかった。)

気温の高い夜で曇っているのだろう、空には月もなく、星も見えなかった。

(くうきはつちのにおいとはなのかおりとで、かすかにあまく、おもたくしめっており、)

空気は土の匂いと花の薫りとで、かすかにあまく、重たく湿っており、

(それがときをきってつよくにおうようにかんじられた。)

それがときをきって強く匂うように感じられた。

(くらいのと、よっていたからだろう、かれはこしかけのまえをしらずにとおりすぎて、)

暗いのと、酔っていたからだろう、彼は腰掛の前を知らずにとおりすぎて、

(うしろからおすぎによびとめられた。)

うしろからお杉に呼びとめられた。

(「きていたのか」といいながら、かれはそっちへもどった。)

「来ていたのか」と云いながら、彼はそっちへ戻った。

(「おじょうさんがねましたから」)

「お嬢さんが寝ましたから」

(とおすぎがようやくききとれるほどのしゃがれごえでいった、)

とお杉がようやく聞きとれるほどのしゃがれ声で云った、

(「ーーどうなさいました」「つまずいたんだ」)

「ーーどうなさいました」「つまずいたんだ」

(かれはちょっとよろめいて、どしんとこしかけにかけた、)

彼はちょっとよろめいて、どしんと腰掛に掛けた、

(「ここへこいよ」おすぎははなれてこしをかけ、なにかいった。)

「ここへ来いよ」お杉ははなれて腰を掛け、なにか云った。

(「きこえない」とかれはくびをふった、)

「聞えない」と彼は首を振った、

(「そのこえじゃあきこえやしない、もっとこっちへこいよ」おすぎはすこしすりよった。)

「その声じゃあ聞えやしない、もっとこっちへ来いよ」お杉は少しすり寄った。

(「さあこれ」とかれはたもとからくすりぶくろをだしておすぎにわたした、)

「さあこれ」と彼は袂から薬袋を出してお杉に渡した、

(「せんじてのむんだ、せんじかたはかいてある、これでのどはらくになるはずだ」)

「煎じてのむんだ、煎じ方は書いてある、これで喉は楽になる筈だ」

(おすぎはれいをのべてからいった、「おさけをもっていらしったんですか」)

お杉は礼を述べてから云った、「お酒を持っていらしったんですか」

(「ほんのひととくちさ、のみのこりだ」「あたしももってきました」)

「ほんの一と口さ、飲み残りだ」「あたしも持って来ました」

(「なんだって」かれはおすぎのほうへみみをよせた。)

「なんだって」彼はお杉のほうへ耳をよせた。

(「あなたのふくべ」とおすぎはいって、もっているふくべをみせた、)

「あなたの瓠(ふくべ)」とお杉は云って、持っている瓠を見せた、

(「いつかあずかったままわすれていたふくべよ、)

「いつか預かったまま忘れていた瓠よ、

(おじょうさんのあがるおいしいおさけがあるので、すこしわけてもってきたんです」)

お嬢さんのあがるおいしいお酒があるので、少し分けて持って来たんです」

(「ああ、えびづるそうのみでかもしたさけだろう」「ごぞんじなんですか」)

「ああ、えびづる草の実で醸(かも)した酒だろう」「ご存じなんですか」

(「あかひげがやくようにつくらせてるやつだ、)

「赤髯が薬用につくらせてるやつだ、

(いつかごへいのこやであじをみたことがあるよ」といってかれはふくべをうけとった、)

いつか五平の小屋で味をみたことがあるよ」と云って彼は瓠を受取った、

(「しかしおまえがさけをもってきてくれるなんて、めずらしいじゃないか」)

「しかしおまえが酒を持って来てくれるなんて、珍らしいじゃないか」

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