谷崎潤一郎 痴人の愛 4

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投稿者投稿者神楽@社長推しいいね0お気に入り登録
プレイ回数857難易度(4.5) 6586打 長文
谷崎潤一郎の中編小説です
最近読み終わりました
私のお気に入りです
追記:またやらかしてしまいました。本当にすみません、、、。
順位 名前 スコア 称号 打鍵/秒 正誤率 時間(秒) 打鍵数 ミス 問題 日付
1 やまちやまちゃん 4743 C++ 4.8 97.7% 1341.1 6512 151 98 2024/04/26
2 i 3264 D 3.4 95.5% 1931.0 6612 309 98 2024/03/20

関連タイピング

問題文

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(どうせわたしもじゅうぶんなことはできまいけれど、じょちゅうがひとりほしいとおもっていたさいでも)

どうせ私も十分な事は出来まいけれど、女中が一人欲しいと思っていた際でも

(あるし、まあだいどころやふきそうじのようじぐらいはしてもらって、そのあいまにひととおり)

あるし、まあ台所や拭き掃除の用事ぐらいはして貰って、そのあい間に一と通り

(のきょういくはさせてあげますが、と、もちろんわたしのきょうぐうだのまだどくしんであることなどを)

の教育はさせて上げますが、と、勿論私の境遇だのまだ独身であることなどを

(すっかりうちあけてたのんでみると、「そうしてしていただければまことにとうにんもしあわせ)

すっかり打ち明けて頼んで見ると、「そうしてして戴ければ誠に当人も仕合わせ

(でして、・・・・・・・・・」というような、なんだかはりあいがなさすぎる)

でして、・・・・・・・・・」と云うような、何だか張合いがなさ過ぎる

(くらいなあいさつでした。まったくこれではなおみのいうとおり、あうほどのことはなかった)

くらいな挨拶でした。全くこれではナオミの云う通り、会う程のことはなかった

(のです。)

のです。

(よのなかにはずいぶんむせきにんなおややきょうだいもあるものだと、わたしは、そのときつくづくとかんじ)

世の中には随分無責任な親や兄弟もあるものだと、私は、その時つくづくと感じ

(ましたが、それだけいっそうなおみがいじらしく、あわれにおもえてなりませんでした。)

ましたが、それだけ一層ナオミがいじらしく、哀れに思えてなりませんでした。

(なんでもははおやのことばによると、かれらはなおみをもてあつかっていたらしいので、)

何でも母親の言葉に依ると、彼等はナオミを持て扱っていたらしいので、

(「じつはこのこはげいしゃにするはずでございましたのを、とうにんのきがすすみませんもの)

「実はこの児は芸者にする筈でございましたのを、当人の気が進みませんもの

(ですから、そういつまでもあそばせておくわけにもまいらず、よんどころなくかふええ)

ですから、そういつまでも遊ばせて置く訳にも参らず、拠んどころなくカフエエ

(へやっておきましたので」と、そんなこうじょうでしたから、だれかがかのじょをひきとって)

へやって置きましたので」と、そんな口上でしたから、誰かが彼女を引き取って

(せいじんさせてさえくれさせすれば、まあともかくもひとあんしんだというようなしだい)

成人させてさえくれさせすれば、まあともかくも一と安心だと云うような次第

(だったのです。ああなるほど、それでかのじょはいえにいるのがいやなものだから、こうきゅうび)

だったのです。ああ成る程、それで彼女は家にいるのが嫌なものだから、公休日

(にはいつもこがいへあそびにでて、かつどうしゃしんをみにいったりしたんだなと、じじょうを)

にはいつも戸外へ遊びに出て、活動写真を見に行ったりしたんだなと、事情を

(きいてやっとわたしもそのなぞがとけたのでした。)

聞いてやっと私もその謎が解けたのでした。

(が、なおみのかていがそういうふうであったことは、なおみにとってもわたしにとっても)

が、ナオミの家庭がそう云う風であったことは、ナオミに取っても私に取っても

(ひじょうにこうだったわけで、はなしがきまるとじききにかのじょはかふええからひまをもらい、)

非常に幸だった訳で、話が極まると直きに彼女はカフエエから暇を貰い、

(まいにちまいにわたしとふたりでてきとうなしゃくやをさがしにあるきました。わたしのつとめさきがおおいまちでした)

毎日々々私と二人で適当な借家を捜しに歩きました。私の勤め先が大井町でした

など

(から、なるべくそれにべんりなところをえらぼうというので、にちようびにはあさはやくからしんばし)

から、成るべくそれに便利な所を選ぼうと云うので、日曜日には朝早くから新橋

(のえきにおちあい、そうでないひはちょうどかいしゃのひけたじこくにおおいまちで)

の駅に落ち合い、そうでない日はちょうど会社の退けた時刻に大井町で

(まちあわせて、かまた、おおもり、しながわ、めぐろ、しゅとしてあのへんのこうがいから、しちゅうでは)

待ち合わせて、蒲田、大森、品川、目黒、主としてあの辺の郊外から、市中では

(たかなわやたまちやみたあたりをまわってみて、さてかえりにはどこかでいっしょにばんめしを)

高輪や田町や三田あたりを廻って見て、さて帰りには何処かで一緒に晩飯を

(たべ、じかんがあればれいのごとくかつどうしゃしんをのぞいたり、ぎんざどおりをぶらついたりして)

たべ、時間があれば例の如く活動写真を覗いたり、銀座通りをぶらついたりして

(かのじょはせんぞくちのいえへ、わたしはしばぐちのげしゅくへともどる。たしかそのころはしゃくやがふっていなとき)

彼女は千束町の家へ、私は芝口の下宿へと戻る。たしかその頃は借家が払底な時

(でしたから、てごろないえがなかなかおいそれとみつからないで、わたしたちははんつき)

でしたから、手頃な家がなかなかオイソレと見つからないで、私たちは半月

(あまりこうしてくらしたものでした。もしもあのじぶん、うららかなごがつのにちようびのあさ)

あまりこうして暮らしたものでした。もしもあの時分、麗かな五月の日曜日の朝

(などに、おおもりあたりのあおばのおおいこうがいのみちを、かたをならべてあるいているかいしゃいん)

などに、大森あたりの青葉の多い郊外の路を、肩を並べて歩いている会社員

(らしいひとりのおとこと、ももわれにゆったみすぼらしいこむすめのようすを、だれかがちゅうい)

らしい一人の男と、桃割れに結った見すぼらしい小娘の様子を、誰かが注意

(していたとしたら、まあどんなふうにおもえたでしょうか?おとこのほうはこむすめを)

していたとしたら、まあどんな風に思えたでしょうか?男の方は小娘を

(「なおみちゃん」とよび、こむすめのほうはおとこを「かわいさん」とよびながら、しゅじゅうとも)

「ナオミちゃん」と呼び、小娘の方は男を「河合さん」と呼びながら、主従とも

(つかず、きょうだいともつかず、さればといってふうふともともだちともつかぬかっこうで、)

つかず、兄妹ともつかず、さればと云って夫婦とも友達ともつかぬ格好で、

(たがいにすこしえんりょしいしいかたりあったり、ばんちをたずねたり、ふきんのけしきをながめたり)

互いに少し遠慮しいしい語り合ったり、番地を尋ねたり、附近の景色を眺めたり

(ところどころのいけがきや、やしきのにわや、みちばたなどにさいているはなのいろかを)

ところどころの生垣や、邸の庭や、路端などに咲いている花の色香を

(ふりかえったりして、ばんしゅんのながいいちにちをあっちこっちとこうふくそうにあるいていたこの)

振り返ったりして、晩春の長い一日を彼方此方と幸福そうに歩いていたこの

(ふたりは、さだめしふしぎなとりあわせだったにちがいありません。はなのはなしでおもいだす)

二人は、定めし不思議な取り合わせだったに違いありません。花の話で想い出す

(のは、かのじょがたいへんせいようばなをあいしていて、わたしなどにはよくわからないいろいろなはなのなまえ)

のは、彼女が大変西洋花を愛していて、私などにはよく分らない色々な花の名前

(それもめんどうなえいごのなまえをたくさんしっていたことでした。かふええにほうこう)

それも面倒な英語の名前を沢山知っていたことでした。カフエエに奉公

(していたじぶんに、かびんのはなをしじゅうあつかいつけていたのでしぜんにおぼえたのだそう)

していた時分に、花瓶の花を始終扱いつけていたので自然に覚えたのだそう

(ですが、とおりすがりのもんのなかなぞに、たまたまおんしつがあったりすると、かのじょは)

ですが、通りすがりの門の中なぞに、たまたま温室があったりすると、彼女は

(めざとくもすぐたちどまって、)

目敏くも直ぐ立ち止まって、

(「まあ、きれいなはな!」)

「まあ、綺麗な花!」

(と、さもうれしそうにさけんだものです。)

と、さも嬉しそうに叫んだものです。

(「じゃ、なおみちゃんはなんのはながいちばんすきだね」)

「じゃ、ナオミちゃんは何の花が一番好きだね」

(と、たずねてみたとき、)

と、尋ねてみたとき、

(「あたし、ちゅーりっぷがいちばんすきよ」)

「あたし、チューリップが一番好きよ」

(と、かのじょはそういったことがあります。)

と、彼女はそう云ったことがあります。

(あさくさのせんぞくちょうのような、あんなごみごみしたろじのなかにそだったので、かえって)

浅草の千束町のような、あんなゴミゴミした路次の中に育ったので、却って

(なおみははんどうてきにひろびろとしたでんえんをしたい、はなをあいするしゅうかんになったので)

ナオミは反動的にひろびろとした田園を慕い、花を愛する習慣になったので

(ありましょうか。すみれ、たんぽぽ、げんげ、さくらそう、そんなものでもはたけのあぜや)

ありましょうか。菫、たんぽぽ、げんげ、桜草、そんな物でも畑の畦や

(いなかみちなどにはえていると、たちまちちょこちょことかけていってつもうとする。)

田舎道などに生えていると、忽ちチョコチョコと駆けて行って摘もうとする。

(そしてしゅうじつあるいているうちにかのじょのてにはつまれたはながいっぱいになり、いくつとも)

そして終日歩いているうちに彼女の手には摘まれた花が一杯になり、幾つとも

(しれないはなたばができ、それをだいじにかえりみちまでもってきます。)

知れない花束が出来、それを大事に帰り途まで持って来ます。

(「もうそのはなはみんなしぼんでしまったじゃないか、いいかげんにすてておしまい」)

「もうその花はみんな萎んでしまったじゃないか、好い加減に捨てておしまい」

(そういってもかのじょはなかなかしょうちしないで、)

そう云っても彼女はなかなか承知しないで、

(「だいじょうぶよ、みずをやったらまたすぐいきっかえるから、かわいさんのつくえのうえへおいたら)

「大丈夫よ、水をやったら又直ぐ生きッ返るから、河合さんの机の上へ置いたら

(いいわ」)

いいわ」

(と、わかれるときにそのはなたばをいつもわたしにくれるのでした。)

と、別れるときにその花束をいつも私にくれるのでした。

(こうしてほうぼうさがしまわってもよういにいいいえがみつからないで、さんざんまよいぬいた)

こうして方々捜し廻っても容易にいい家が見つからないで、散々迷い抜いた

(あげく、けっきょくわたしたちがかりることになったのは、おおもりのえきからじゅうにさんちょういった)

揚句、結局私たちが借りることになったのは、大森の駅から十二三町行った

(ところのしょうせんでんしゃのせんろにちかい、とあるいっけんのはなはだおそまつなようかんでした。いわゆる)

ところの省線電車の線路に近い、とある一軒の甚だお粗末な洋館でした。所謂

(「ぶんかじゅうたく」というやつ、まだあのじぶんはそれがそんなにはやっては)

「文化住宅」と云う奴、まだあの時分はそれがそんなに流行っては

(いませんでしたが、ちかごろのことばでいえばさしずめそういったものだったでしょう)

いませんでしたが、近頃の言葉で云えばさしずめそう云ったものだったでしょう

(こうばいのきゅうな、ぜんたいのたかさのはんぶんいじょうもあるかとおもわれる、あかいすれーとでふいた)

勾配の急な、全体の高さの半分以上もあるかと思われる、赤いスレートで葺いた

(やね。まっちのはこのようにしろいかべでつつんだそとがわ。ところどころにきってある)

屋根。マッチの箱のように白い壁で包んだ外側。ところどころに切ってある

(ちょうほうけいのがらすまど。そしてしょうめんのぽーちのまえに、にわというよりはむしろちょっと)

長方形のガラス窓。そして正面のポーチの前に、庭と云うよりは寧ろちょっと

(したあきちがある。と、まずそんなふうなかっこうで、なかにすむよりはえにかいたほうが)

した空地がある。と、先ずそんな風な格好で、中に住むよりは絵に画いた方が

(おもしろそうなみつきでした。もっともそれはそのはずなので、もとこのいえはなんとかいう)

面白そうな見つきでした。尤もそれはその筈なので、もとこの家は何とか云う

(えかきがたてて、もでるおんなをさいくんにしてふたりですんでいたのだそうです。したがって)

絵かきが建てて、モデル女を細君にして二人で住んでいたのだそうです。従って

(へやのとりかたなどはずいぶんふべんにできていました。いやにだだっひろいあとりえと、)

部屋の取り方などは随分不便に出来ていました。いやにだだッ広いアトリエと、

(ほんのささやかなげんかんと、だいどころと、かいかにはたったそれだけしかなく、あとは)

ほんのささやかな玄関と、台所と、階下にはたったそれだけしかなく、あとは

(にかいにさんじょうとよじょうはんとがありましたけれど、それとてやねうらのものおきごやのような)

二階に三畳と四畳半とがありましたけれど、それとて屋根裏の物置小屋のような

(もので、つかえるへやではありませんでした。そのやねうらへかようのにはあとりえの)

もので、使える部屋ではありませんでした。その屋根裏へ通うのにはアトリエの

(しつないにはしごだんがついていて、そこをのぼるとてすりをめぐらしたろうかがあり、)

室内に梯子段がついていて、そこを上ると手すりを繞らした廊下があり、

(あたかもしばいのさじきのように、そのてすりからあとりえをみおろせるように)

あたかも芝居の桟敷のように、その手すりからアトリエを見おろせるように

(なっていました。)

なっていました。

(なおみはさいしょこのいえの「ふうけい」をみると、)

ナオミは最初この家の「風景」を見ると、

(「まあ、はいからだこと!あたしこういういえがいいわ」)

「まあ、ハイカラだこと!あたしこう云う家がいいわ」

(と、だいそうきにいったようすでした。そしてわたしも、かのじょがそんなによろこんだのですぐ)

と、大そう気に入った様子でした。そして私も、彼女がそんなに喜んだので直ぐ

(かりることにさんせいしたのです。)

借りることに賛成したのです。

(たぶんなおみは、そのこどもらしいかんがえで、まどりのぐあいなどじつようてきでなくっても、)

多分ナオミは、その子供らしい考で、間取りの工合など実用的でなくっても、

(おとぎばなしのさしえのような、いっぷうかわったようしきにこうきしんをかんじたのでしょう。たしかに)

お伽噺の挿絵のような、一風変った様式に好奇心を感じたのでしょう。たしかに

(それはのんきなせいねんとしょうじょとが、なるたけせたいじみないように、あそびのこころもちで)

それは呑気な青年と少女とが、成るたけ世帯じみないように、遊びの心持で

(すまおうというにはいいいえでした。まえのえかきともでるおんなもそういうつもりで)

住まおうと云うにはいい家でした。前の絵かきとモデル女もそう云うつもりで

(ここにくらしていたのでしょうが、じっさいたったふたりでいるなら、あのあとりえの)

此処に暮らしていたのでしょうが、実際たった二人でいるなら、あのアトリエの

(ひとまだけでも、ねたりおきたりくったりするにはじゅうぶんようがたりたのです。)

一と間だけでも、寝たり起きたり食ったりするには十分用が足りたのです。

(わたしがいよいよなおみをひきとって、その「おとぎばなしのいえ」へうつったのは、ごがつ)

三 私がいよいよナオミを引き取って、その「お伽噺の家」へ移ったのは、五月

(げじゅんのことでしたろう。はいってみるとおもったほどにふべんでもなく、ひあたりの)

下旬のことでしたろう。這入って見ると思ったほどに不便でもなく、日あたりの

(いいやねうらのへやからはうみがながめられ、みなみをむいたまえのあきちはかだんをつくるのに)

いい屋根裏の部屋からは海が眺められ、南を向いた前の空地は花壇を造るのに

(つごうがよく、いえのきんじょをときどきしょうせんのでんしゃのとおるのがきずでしたけれど、あいだに)

都合がよく、家の近所をときどき省線の電車の通るのが瑕でしたけれど、間に

(ちょっとしたたんぼがあるのでそれもそんなにやかましくはなく、まずこれならば)

ちょっとした田圃があるのでそれもそんなにやかましくはなく、先ずこれならば

(もうしぶんのないすまいでした。のみならず、なにぶんそういうふつうのひとにはふてきとうないえ)

申し分のない住居でした。のみならず、何分そう云う普通の人には不適当な家

(でしたから、おもいのほかにやちんがやすく、いっぱんにぶっかのやすいあのころのことでは)

でしたから、思いの外に家賃が安く、一般に物価の安いあの頃のことでは

(ありましたが、しききんなしのつきづきにじゅうえんというので、それもわたしにはきにいりました)

ありましたが、敷金なしの月々二十円というので、それも私には気に入りました

(「なおみちゃん、これからおまえはわたしのことを「かわいさん」とよばないで)

「ナオミちゃん、これからお前は私のことを『河合さん』と呼ばないで

(「じょうじさん」とおよび。そしてほんとにともだちのようにくらそうじゃないか」)

『譲治さん』とお呼び。そしてほんとに友達のように暮らそうじゃないか」

(と、ひっこししたひにわたしはかのじょにいいきかせました。)

と、引越した日に私は彼女に云い聞かせました。

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