谷崎潤一郎 痴人の愛 21

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投稿者投稿者神楽@社長推しいいね0お気に入り登録
プレイ回数618難易度(5.0) 5991打 長文
谷崎潤一郎の中編小説です
私のお気に入りです
順位 名前 スコア 称号 打鍵/秒 正誤率 時間(秒) 打鍵数 ミス 問題 日付
1 なおきち 6521 S+ 6.7 96.8% 886.8 5978 195 100 2024/03/29
2 やまちやまちゃん 4448 C+ 4.5 97.5% 1300.9 5939 152 100 2024/04/30

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問題文

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(「そう?」)

「そう?」

(といって、なみがよせてくるようなぐあいにむねをうねらせて、はずかしそうな)

と云って、波が寄せて来るような工合に胸をうねらせて、羞かしそうな

(ほほえみをうかべながら、)

ほほ笑みを浮かべながら、

(「あたし、ほんとにないたかしら?」)

「あたし、ほんとに泣いたかしら?」

(「もうどっこへもいかないって、めにいっぱいなみだをためていたじゃないか。いつまで)

「もうどッこへも行かないッて、眼に一杯涙をためていたじゃないか。いつまで

(たってもおまえはまるでだだっこだね、おおきなべびちゃん・・・・・・・・・」)

立ってもお前はまるでだだッ児だね、大きなベビちゃん・・・・・・・・・」

(「わたしのぱぱちゃん!かわいいぱぱちゃん!」)

「私のパパちゃん!可愛いパパちゃん!」

(なおみはいきなりわたしのくびにしがみつき、そのくちびるのしゅのなついんをはんぼうなゆうびんきょくの)

ナオミはいきなり私の頸にしがみつき、その唇の朱の捺印を繁忙な郵便局の

(すたんぷがかりがおすように、ひたいや、はなや、がんけんのうえや、みみたぶのうらや、わたしのかおの)

スタンプ掛りが捺すように、額や、鼻や、眼瞼の上や、耳朶の裏や、私の顔の

(あらゆるぶぶんへ、すんぶんのすきまもなくぺたぺたとおしました。それはわたしに、なにか、)

あらゆる部分へ、寸分の隙間もなくぺたぺたと捺しました。それは私に、何か、

(つばきのはなのような、どっしりとおもい、そしてつゆけくやわらかいむすうのはなびらがふって)

椿の花のような、どっしりと重い、そして露けく軟かい無数の花びらが降って

(くるようなこころよさをかんじさせ、そのはなびらのかおりのなかに、じぶんのくびがすっかり)

来るような快さを感じさせ、その花びらの薫りの中に、自分の首がすっかり

(うまってしまったようなゆめみごこちをおぼえさせました。)

埋まってしまったような夢見心地を覚えさせました。

(「どうしたの、なおみちゃん、おまえはまるできちがいのようだね」)

「どうしたの、ナオミちゃん、お前はまるで気違いのようだね」

(「ああ、きちがいよ。・・・・・・・・・あたしこんやはきちがいになるほど)

「ああ、気違いよ。・・・・・・・・・あたし今夜は気違いになるほど

(じょうじさんがかわいいんだもの。・・・・・・・・・それともうるさい?」)

譲治さんが可愛いんだもの。・・・・・・・・・それともうるさい?」

(「うるさいことなんかあるものか、ぼくもうれしいよ、きちがいになるほどうれしいよ、)

「うるさいことなんかあるものか、僕も嬉しいよ、気違いになるほど嬉しいよ、

(おまえのためならどんなぎせいをはらったってかまやしないよ。・・・・・・・・・)

お前のためならどんな犠牲を払ったって構やしないよ。・・・・・・・・・

(おや、どうしたの?またないてるの?」)

おや、どうしたの?又泣いてるの?」

(「ありがとよ、ぱぱさん、あたしぱぱさんにかんしゃしてるのよ、だからひとりでに)

「ありがとよ、パパさん、あたしパパさんに感謝してるのよ、だからひとりでに

など

(なみだがでるの。・・・・・・・・・ね、わかった?ないちゃいけない?いけなけりゃ)

涙が出るの。・・・・・・・・・ね、分った?泣いちゃいけない?いけなけりゃ

(ふいてちょうだい」)

拭いて頂戴」

(なおみはふところからかみをだして、じぶんではふかずに、それをわたしのてのなかへ)

ナオミは懐から紙を出して、自分では拭かずに、それを私の手の中へ

(にぎらせましたが、ひとみはじーっとわたしのほうへそそがれたまま、いまふいてもらうそのまえに、)

握らせましたが、瞳はじーッと私の方へ注がれたまま、今拭いて貰うその前に、

(いっそうなみだをこんこんとまつげのえんまであふれさせているのでした。ああなんといううるおいを)

一層涙を滾々と睫毛の縁まで溢れさせているのでした。ああ何と云う潤いを

(もった、きれいなめだろう。このうつくしいなみだのたまをそうっとこのままけっしょうさせて、)

持った、綺麗な眼だろう。この美しい涙の玉をそうッとこのまま結晶させて、

(とっておくわけにはいかないものかとおもいながら、わたしはさいしょにかのじょのほおを)

取って置く訳には行かないものかと思いながら、私は最初に彼女の頬を

(ふいてやり、そのまるまるともりあがったなみだのたまにふれないようにがんかのまわりをぬぐうて)

拭いてやり、その円々と盛り上った涙の玉に触れないように眼窩の周りを拭うて

(やると、かわがたるんだりひっぱれたりするたびごとに、たまはいろいろなかたちにもまれて)

やると、皮がたるんだり引っ張れたりする度毎に、玉はいろいろな形に揉まれて

(とつめんれんずのようになったり、おうめんれんずのようになったり、しまいには)

凸面レンズのようになったり、凹面レンズのようになったり、しまいには

(はらはらとくずれてせっかくふいたほおのうえにふたたびひかりのいとをひきながらながれていきます。)

はらはらと崩れて折角拭いた頬の上に再び光の糸を曳きながら流れて行きます。

(するとわたしはもういちどそのほおをふいてやり、まだいくらかぬれているめだまのうえを)

すると私はもう一度その頬を拭いてやり、まだいくらか濡れている眼玉の上を

(なでてやり、それからそのかみで、かすかなおえつをつづけているかのじょのはなの)

撫でてやり、それからその紙で、かすかな嗚咽をつづけている彼女の鼻の

(あなをおさえ、)

孔をおさえ、

(「さ、はなをおかみ」)

「さ、鼻をおかみ」

(と、そういうと、かのじょは「ちーん」とはなをならして、いくどもわたしにはなを)

と、そう云うと、彼女は「チーン」と鼻を鳴らして、幾度も私に洟を

(かませました。)

かませました。

(そのあくるひ、なおみはわたしからにひゃくえんもらって、ひとりでみつこしへいき、わたしはかいしゃで)

その明くる日、ナオミは私から二百円貰って、一人で三越へ行き、私は会社で

(ひるのやすみに、ははおやへあててはじめてむしんじょうをかいたものです。)

午の休みに、母親へ宛てて始めて無心状を書いたものです。

(「・・・・・・・・・なにぶんこのころはぶっかたかく、にさんねんまえとはおどろくほどのそういにて)

「・・・・・・・・・何分この頃は物価高く、二三年前とは驚くほどの相違にて

(さしたるぜいたくをいたさざるにもかかわらず、つきづきのけいひにおわれ、とかいせいかつもなかなか)

さしたる贅沢を致さざるにも不拘、月々の経費に追われ、都会生活もなかなか

(よういにこれなく、・・・・・・・・・」)

容易に無之、・・・・・・・・・」

(と、そうかいたのをおぼえていますが、おやにむかってこんなじょうずなうそをいうほど、)

と、そう書いたのを覚えていますが、親に向ってこんな上手な嘘を云うほど、

(それほどじぶんがだいたんになってしまったかとおもうと、わたしはわれながらおそろしいきが)

それほど自分が大胆になってしまったかと思うと、私は我ながら恐ろしい気が

(しました。が、はははわたしをしんじているうえに、せがれのだいじなよめとしてなおみにたいしても)

しました。が、母は私を信じている上に、倅の大事な嫁としてナオミに対しても

(じあいをもっていたことは、にさんにちしてからてもとにとどいたへんじをみても)

慈愛を持っていたことは、二三日してから手許に届いた返辞を見ても

(わかりました。てがみのなかには「なをみにきものでもかっておやり」とわたしがいって)

分りました。手紙の中には「なをみに着物でも買っておやり」と私が云って

(やったよりもひゃくえんよけいかわせがふうにゅうしてあったのです。)

やったよりも百円余計為替が封入してあったのです。

(えるどらどおのだんすのとうやはどようびのばんでした。ごごのしちじはんからと)

十 エルドラドオのダンスの当夜は土曜日の晩でした。午後の七時半からと

(いうので、ごじごろがいしゃからかえってくると、なおみはすでにゆあがりのはだを)

云うので、五時頃会社から帰って来ると、ナオミは既に湯上りの肌を

(ぬぎながら、せっせとかおをつくっていました。)

脱ぎながら、せっせと顔を作っていました。

(「あ、じょうじさん、できてきたわよ」)

「あ、譲治さん、出来て来たわよ」

(と、かがみのなかからわたしのすがたをみるなりいって、かたてをうしろのほうへのばして、かのじょが)

と、鏡の中から私の姿を見るなり云って、片手をうしろの方へ伸ばして、彼女が

(さししめすそおふぁのうえには、みつこしへたのんでおおいそぎでつくらせたきものとまるえりとが、)

指し示すソオファの上には、三越へ頼んで大急ぎで作らせた着物と丸襟とが、

(つつみをとかれてながながとならべてあります。きものはくちわたのはいっているひよくのあわせで、)

包みを解かれて長々と並べてあります。着物は口綿の這入っている比翼の袷で、

(きんしゃちりめんというのでしょうか、くろみがかったしゅのようなじいろには、はなを)

金紗ちりめんと云うのでしょうか、黒みがかった朱のような地色には、花を

(きいろくはをみどりに、てんてんとちらしたそうもようがあり、おびにはぎんしでぬいをほどこした)

黄色く葉を緑に、点々と散らした総模様があり、帯には銀糸で縫いを施した

(ふたすじみすじのなみがゆらめき、ところどころに、ござぶねのようなこふうなふねが)

二たすじ三すじの波がゆらめき、ところどころに、御座船のような古風な船が

(うかんでいます。)

浮かんでいます。

(「どう?あたしのみたてはうまいでしょう?」)

「どう?あたしの見立ては巧いでしょう?」

(なおみはりょうてにおしろいをとき、まだゆけむりのたっているにくづきのいいかたからうなじを、)

ナオミは両手にお白粉を溶き、まだ湯煙の立っている肉づきのいい肩から項を、

(そのてのひらでみぎひだりからやけにぴたぴたたたきながらいいました。)

その手のひらで右左からヤケにぴたぴた叩きながら云いました。

(が、しょうじきのところ、かたのあつい、しりのおおきい、むねのつきでたかのじょのからだには、)

が、正直のところ、肩の厚い、臀の大きい、胸のつき出た彼女の体には、

(そのみずのようにやわらかいちしつが、あまりにあいませんでした。めりんすやめいせんを)

その水のように柔かい地質が、あまり似合いませんでした。めりんすや銘仙を

(きていると、あいのこのむすめのような、えきぞてぃっくなうつくしさがあるのですけれど)

来ていると、混血児の娘のような、エキゾティックな美しさがあるのですけれど

(ふしぎなことにこういうまじめないしょうをまとうと、かえってかのじょはげひんにみえ、もようが)

不思議な事にこう云う真面目な衣裳を纏うと、却って彼女は下品に見え、模様が

(はでであればあるだけ、よこはまあたりのちゃぶやかなにかのおんなのような、そやな)

派手であればあるだけ、横浜あたりのチャブ屋か何かの女のような、粗野な

(かんじがするばかりでした。わたしはかのじょがひとりでとくいになっているので、しいて)

感じがするばかりでした。私は彼女が一人で得意になっているので、強いて

(はんたいはしませんでしたが、このどくどくしいよそおいのおんなといっしょに、でんしゃへのったり)

反対はしませんでしたが、この毒々しい装いの女と一緒に、電車へ乗ったり

(だんす・ほーるへあらわれたりするのは、みがすくむようなきがしました。)

ダンス・ホールへ現れたりするのは、身が竦むような気がしました。

(なおみはいしょうをつけてしまうと、)

ナオミは衣裳をつけてしまうと、

(「さ、じょうじさん、あなたはこんのせびろをきるのよ」)

「さ、譲治さん、あなたは紺の背広を着るのよ」

(と、めずらしくもわたしのふくをだしてきてくれ、ほこりをはらったりひのしをかけたりして)

と、珍しくも私の服を出して来てくれ、埃を払ったり火熨斗をかけたりして

(くれました。)

くれました。

(「ぼくはこんよりちゃのほうがいいがな」)

「僕は紺より茶の方がいいがな」

(「ばかねえ!じょうじさんは!」)

「馬鹿ねえ!譲治さんは!」

(と、かのじょはれいの、しかるようなくちょうでひとにらみにらんで、)

と、彼女は例の、叱るような口調で一と睨み睨んで、

(「よるのえんかいはこんのせびろかたきしーどにきまっているもんよ。そうしてからーも)

「夜の宴会は紺の背広かタキシードに極まっているもんよ。そうしてカラーも

(そふとをしないですてぃっふのをつけるもんよ。それがえてぃけっとなんだから)

ソフトをしないでスティッフのを着けるもんよ。それがエティケットなんだから

(これからもおぼえておおきなさい」)

これからも覚えてお置きなさい」

(「へえ、そういうもんかね」)

「へえ、そう云うもんかね」

(「そういうもんよ、はいからがってるくせにそれをしらないでどうするのよ。この)

「そう云うもんよ、ハイカラがってる癖にそれを知らないでどうするのよ。この

(こんせびろはずいぶんよごれているけれど、でもようふくはぴんとしわがのびていて、かたがくずれて)

紺背広は随分汚れているけれど、でも洋服はぴんと皺が伸びていて、型が崩れて

(いなけりゃいいのよ。さ、あたしがちゃんとしてあげたから、こんやはこれを)

いなけりゃいいのよ。さ、あたしがちゃんとして上げたから、今夜はこれを

(きていらっしゃい。そしてちかいうちにたきしーどをこしらえなけりゃいけないわ。)

着ていらっしゃい。そして近いうちにタキシードを拵えなけりゃいけないわ。

(でなけりゃあたしおどってあげないわ」)

でなけりゃあたし踊って上げないわ」

(それからねくたいはこんかくろむじで、ちょうむすびにするのがいいこと、くつはえなめるに)

それからネクタイは紺か黒無地で、蝶結びにするのがいいこと、靴はエナメルに

(すべきだけれど、それがなければふつうのくろのたんぐつにすること、あかかわはせいしきに)

すべきだけれど、それがなければ普通の黒の短靴にすること、赤皮は正式に

(はずれていること、くつしたもほんとうはきぬがいいのだが、そうでなくてもいろは)

外れていること、靴下もほんとうは絹がいいのだが、そうでなくても色は

(くろむじをえらぶべきこと。どこからきいてきたものか、なおみはそんな)

黒無地を選ぶべきこと。何処から聞いて来たものか、ナオミはそんな

(こうしゃくをして、じぶんのふくそうばかりではなく、わたしのことにもひとつひとつくちばしをいれ、)

講釈をして、自分の服装ばかりではなく、私のことにも一つ一つ嘴を入れ、

(いよいよいえをでかけるまでにはなかなかてまがかかりました。)

いよいよ家を出かけるまでにはなかなか手間が懸りました。

(むこうへついたのはしちじはんをすぎていたので、だんすはすでにはじまっていました。)

向うへ着いたのは七時半を過ぎていたので、ダンスは既に始まっていました。

(そうぞうしいじゃず・ばんどのおとをききながらはしごだんをのぼっていくと、しょくどうのいすを)

騒々しいジャズ・バンドの音を聞きながら梯子段を上って行くと、食堂の椅子を

(とりはらっただんす・ほーるのいりぐちに、”special dance)

取り払ったダンス・ホールの入口に、“Special Dance

(admission:ladies free,gentlemen¥3.00)

Admission:Ladies Free,Gentlemen\3.00

(としるしたはりがみがあり、ぼーいがひとりばんをしていて、かいひをとります。もちろん)

と記した貼紙があり、ボーイが一人番をしていて、会費を取ります。勿論

(かふええのことですから、ほーるといってもそんなにりっぱなものではなく、)

カフエエのことですから、ホールと云ってもそんなに立派なものではなく、

(みわたしたところ、おどっているのはじゅっくみぐらいもあったでしょうが、もう)

見わたしたところ、踊っているのは十組ぐらいもあったでしょうが、もう

(それだけのにんずうでもかなりがやがやにぎわっていました。)

それだけの人数でも可なりガヤガヤ賑っていました。

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