『十三年』山川方夫1【完】

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喫茶店で友人を待っていると、ふと、自分を見つめている女に気づき…
※分かりやすくする為、表記等を一部改変しております
順位 名前 スコア 称号 打鍵/秒 正誤率 時間(秒) 打鍵数 ミス 問題 日付
1 berry 7594 7.6 98.8% 595.2 4574 54 92 2024/04/24
2 HAKU 7538 7.7 97.7% 597.3 4609 106 92 2024/04/23
3 miko 6245 A++ 6.3 97.9% 720.2 4596 98 92 2024/04/21
4 つぅー 5720 A 5.7 98.7% 820.5 4753 59 92 2024/04/22
5 なす 4550 C++ 4.5 99.2% 1025.3 4701 35 92 2024/04/22

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問題文

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(あかるいひるすぎのきっさてんで、かれはゆうじんをまっていた。ゆうじんはおくれていた。)

明るい昼過ぎの喫茶店で、彼は友人を待っていた。友人は遅れていた。

(きゃくのないしろいまるてーぶるが、いくつかつづいている。)

客のない白い丸テーブルが、いくつか続いている。

(なつのそのじこくはきゃくのかずもまばらで、)

夏のその時刻は客の数もまばらで、

(そのせいか、がらんとしたてんないがよけいひろくみえる。)

そのせいか、ガランとした店内が余計広くみえる。

(ふと、かれは、じぶんをみつめているひとつのまなざしにきづいた。)

ふと、彼は、自分を見つめている一つの眼差しに気づいた。

(なまぬるくなったこーひーにゆっくりとてをのばして、)

生ぬるくなったコーヒーにゆっくりと手を伸ばして、

(かれは、おなじまどぎわのご、ろくめーとるさきのてーぶるのおんなをみた。)

彼は、同じ窓際の五、六メートル先のテーブルの女を見た。

(わかくはない。おんなは、そろそろよんじゅっさいにちかいとしごろにおもえる。)

若くはない。女は、そろそろ四十歳に近い年頃に思える。

(じょうひんなこんいろのわふくをきて、おなじてーぶるにはむすめらしきこどもがいた。)

上品な紺色の和服を着て、同じテーブルには娘らしき子どもが居た。

(かたがむきだしになっている、ぴんくいろのふくのしょうじょだ。)

肩がむき出しになっている、ピンク色の服の少女だ。

(しょうじょは、そっくすをはいたしろいぼうのような)

少女は、ソックスをはいた白い棒のような

(ほそくながいあしを、たいくつげにぶらぶらうごかしている。)

細く長い足を、退屈げにブラブラ動かしている。

(きっとふたりは、ちかくのかいしゃではたらいているちちおやでも、まっているのだろう。)

きっと二人は、近くの会社で働いている父親でも、待っているのだろう。

(かれはしんぶんにめをもどしかけたが、そのわふくのおんなのめが、べつにうろたえも、)

彼は新聞に目を戻しかけたが、その和服の女の目が、別にうろたえも、

(たじろぎもせず、じっとしたしげにかれにむけられたままなのにひっかかった。)

たじろぎもせず、ジッと親しげに彼に向けられたままなのにひっかかった。

(だれだろう。だれかしっているひとだろうか。)

誰だろう。誰か知っている人だろうか。

(に、さんど、しせんがしんぶんとそのおんなをおうふくしたとき、)

二、三度、視線が新聞とその女を往復した時、

(ふいにかれののどにさけびのようなものがのぼってきた。)

不意に彼のノドに叫びのようなものがのぼってきた。

(よりこだ。おんなはびしょうをうかべていた。)

頼子だ。 女は微笑を浮かべていた。

(しょうめんからかれをみつめるひとみには、なんのわだかまりもなかった。)

正面から彼を見つめる瞳には、何のわだかまりも無かった。

など

(しばらくめをあわせたまま、かれは、みょうじをけんめいにおもいだそうとしていた。)

しばらく目を合わせたまま、彼は、苗字を懸命に思い出そうとしていた。

(でもおもいだせたのは、うすいべにやいたにくろぺんきでかかれた、)

でも思い出せたのは、薄いベニヤ板に黒ペンキで書かれた、

(「こうぶんしゃ」というもじでしかなかった。)

「好文社」という文字でしかなかった。

(それが、あのちいさなかしほんやのなまえだった。)

それが、あの小さな貸本屋の名前だった。

(まだ、いたるところにせんかのあとがみられたじだいだった。)

まだ、至る所に戦火の跡が見られた時代だった。

(ちゅうがくせいだったかれは、あるばいとのついでにほんがよめるのをたのしみに、)

中学生だった彼は、アルバイトのついでに本が読めるのを楽しみに、

(「こうぶんしゃ」のきゅうじんこうこくをみて、みせへはいった。)

「好文社」の求人広告を見て、店へ入った。

(そのみせはがっこうのちかくにあったので、)

その店は学校の近くにあったので、

(おんなしゅじんのよりこは、「るすばんがてら、ここからかよえばいい」といってきた。)

女主人の頼子は、「留守番がてら、ここから通えばいい」と言ってきた。

(そかいさきのかれのいえからがっこうへかようばあい、かたみちにじかんもかかる。)

疎開先の彼の家から学校へ通う場合、片道二時間もかかる。

(よりこはときどき、かれをしょくじにさそってくれたりした。)

頼子は時々、彼を食事に誘ってくれたりした。

(せんさいをまぬかれたかのじょのやしきは、みせのすぐちかくにあった。)

戦災を免れた彼女の屋敷は、店のすぐ近くにあった。

(かのじょはみぼうじんのようだったが、)

彼女は未亡人のようだったが、

(そのおっとはせんそうでひだりあしにきずをうけただけでぶじにきかんし、)

その夫は戦争で左足に傷を受けただけで無事に帰還し、

(いまはじぎょうのたてなおしのためおおさかととうきょうではんはんのせいかつをおくっていて、)

今は事業の建て直しのため大阪と東京で半々の生活を送っていて、

(よりこはきゅうかぞくのむすめだという、きんじょのうわさだった。)

頼子は旧華族の娘だという、近所のウワサだった。

(ちいさくてそまつなたてもののかしほんやのやねうらのにじょうほどのへやが、)

小さくて粗末な建物の貸本屋の屋根裏の二畳ほどの部屋が、

(かれにあたえられたへやだった。)

彼に与えられた部屋だった。

(そのへやにふいによりこがあらわれたのは、そのとしのあき、ていでんのまよなかだった。)

その部屋に不意に頼子が現れたのは、その年の秋、停電の真夜中だった。

(めがさめると、もうよりこのすがたはなかった。)

目が覚めると、もう頼子の姿は無かった。

(しかし、はじめてのけいけんのきおくはあまりにもなまなましく、)

しかし、初めての経験の記憶は余りにも生々しく、

(わけのわからないきょうふがかれをおそっていた。)

訳の分からない恐怖が彼を襲っていた。

(つぎのひ、かれはにもつをまとめてみせをでた。)

次の日、彼は荷物をまとめて店を出た。

(そして、みせへはにどといかなかった。)

そして、店へは二度と行かなかった。

(ただ、「にげねば」とだけおもいつづけていた。)

ただ、「逃げねば」とだけ思い続けていた。

(あれから、よりことはいちどもあっていない。)

あれから、頼子とは一度も会っていない。

(つぎにみせのまえをとおったのはいちねんいじょうもたってからだったが、)

次に店の前を通ったのは一年以上も経ってからだったが、

(みせはとなりのおおきなふるぎやのいちぶにかわっていた。)

店は隣の大きな古着屋の一部に変わっていた。

(きみょうなかなしみにみちびかれてあゆみよったやしきも、ひょうさつがかわっていた。)

奇妙な悲しみに導かれて歩み寄った屋敷も、表札が変わっていた。

(よりこはゆくえふめいだった。)

頼子は行方不明だった。

(でもそれは、もうふるいゆめのようなとおいきおく、)

でもそれは、もう古い夢のような遠い記憶、

(いきされたふるいきおくのいっぺんにすぎない。)

遺棄された古い記憶の一片にすぎない。

(いまは、へいぜんとあいさつをしてわかれるじしんがある。)

今は、平然と挨拶をして別れる自信がある。

(「いまさら、どうということもないのだ」と、かれはおもった。)

「今更、どうということもないのだ」と、彼は思った。

(よりこはしょうじょのあたまごしに、まだちらちらとかれをながめ、むごんのびしょうをおくっている。)

頼子は少女の頭越しに、まだチラチラと彼を眺め、無言の微笑を送っている。

(しょうじょはよりこのむすめなのか。)

少女は頼子の娘なのか。

(じゅっさいよりはうえだろう。じゅうにくらいだろうか。)

十歳よりは上だろう。十二くらいだろうか。

(とつぜん、かれはしょうじょのかたにめをすわれた。)

突然、彼は少女の肩に目を吸われた。

(とうめいできょだいななみににたものがかれをつつみ、かれはうごくことができなかった。)

透明で巨大な波に似た物が彼を包み、彼は動くことが出来なかった。

(「いま、じゅうにさい」かれはじっとしたまま、くちのなかでいった。)

「今、十二歳」彼はジッとしたまま、口の中で言った。

(あのできごとから、じゅうさんねんたっている。)

あの出来事から、十三年経っている。

(ちいさなちょうのようなかたちをしたあざが、しょうじょのみぎかたにあった。)

小さなチョウのような形をしたアザが、少女の右肩にあった。

(しろいぽろしゃつのしたの、かれのみぎかたにも、おなじかたちのあざがあった。)

白いポロシャツの下の、彼の右肩にも、同じ形のアザがあった。

(かれはたちあがった。ひとめ、しょうじょのかおをみたいとおもった。)

彼は立ち上った。 一目、少女の顔を見たいと思った。

(よろめくように、かれはよりこのてーぶるへとあるいた。)

よろめくように、彼は頼子のテーブルへと歩いた。

(「おひさしぶりです」「ごきげんよう」)

「お久しぶりです」「ごきげんよう」

(よりことことばをかわしながら、かれはめをしょうじょにそそいでいた。)

頼子と言葉を交わしながら、彼は目を少女に注いでいた。

(しょうじょは、おびえたような、さぐるようなおとなのめで、)

少女は、おびえたような、探るような大人の目で、

(かれとよりこをこうごにみて、もじもじとよりこのほうにいすをずらせる。)

彼と頼子を交互に見て、モジモジと頼子のほうにイスをずらせる。

(そのまゆとめのあたりに、かれはあきらかにじぶんをみた。)

その眉と目のあたりに、彼は明らかに自分をみた。

(「おじょうさんですか」と、かれはかすれたこえでいった。)

「お嬢さんですか」と、彼はかすれた声で言った。

(「ええ」と、よりこはこたえた。「ちょうど、じゅうになるの」)

「ええ」 と、頼子は答えた。「ちょうど、十になるの」

(「ちょうど、じゅうだと」かれはくちのなかでといかえして、)

「ちょうど、十だと」彼は口の中で問い返して、

(もういちど、しょうじょのかたをみつめた。)

もう一度、少女の肩を見つめた。

(あざはなかった。)

アザは無かった。

(かれはぼうぜんとし、やがてしろいてーぶるのあちこちに、)

彼は呆然とし、やがて白いテーブルのあちこちに、

(てんてんとちいさなかげがおちているのにきづいた。)

点々と小さな影が落ちているのに気づいた。

(さっきのあざ、ちいさなちょうのかたちのあざは、)

さっきのアザ、小さなチョウの形のアザは、

(ただのふりそそぐひかりのいたずらだったのか。)

ただの降り注ぐ光のイタズラだったのか。

(あかるいなつのひざしが、みせのがらすをしろくかがやかせている。)

明るい夏の日射しが、店のガラスを白く輝かせている。

(かれはわらいだした。よりこもわらっていた。みせはきゃくでこんできた。)

彼は笑い出した。頼子も笑っていた。店は客で混んできた。

(すうふんご、かれがゆうじんといっしょにきっさてんからでていくのを、)

数分後、彼が友人と一緒に喫茶店から出て行くのを、

(おんなはしずかなえがおでみおくった。)

女は静かな笑顔で見送った。

(「ねえ、まま」それまでだまりつづけていたしょうじょが、ふふくそうなこえでおんなにいった。)

「ねえ、ママ」それまで黙り続けていた少女が、不服そうな声で女に言った。

(「ままったらいやだわ。わたし、もうじゅうにじゃない。どうしてまちがえたのよ」)

「ママったら嫌だわ。私、もう十二じゃない。どうして間違えたのよ」

(おんなはこたえずに、おだやかなびしょうのまま、まためをとびらへむけた。)

女は答えずに、穏やかな微笑のまま、また目を扉へ向けた。

(そのとき、がらすのとびらがひらいて、でぱーとのつつみをかかえた、)

その時、ガラスの扉がひらいて、デパートの包みをかかえた、

(ひとりのちゅうねんのおとこがみせにはいってきた。)

一人の中年の男が店に入ってきた。

(「さ、ぱぱがいらっしゃったわ」と、おんなはいった。)

「さ、パパがいらっしゃったわ」と、女は言った。

(「ぱぱ」と、しょうじょはさけんだ。)

「パパ」と、少女は叫んだ。

(むねいっぱいにかみづつみをかかえたおとこはひょうじょうをくずして、そのてーぶるへあゆみよった。)

胸一杯に紙包みをかかえた男は表情を崩して、そのテーブルへ歩み寄った。

(おとこは、ひだりあしをかるくひきずるようにしていた。)

男は、左足を軽く引きずるようにしていた。

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