常夏2-2「内大臣、近江君を訪う」
問題文
(やがて、このおんかたのたよりに、たたずみおはして、のぞきたまへば、)
やがて、この御方のたよりに、たたずみおはして、のぞきたまへば、
(すだれたかくおしはりて、ごせちのきみとて、されたるわかうどのあると、)
簾高くおし張りて、五節の君とて、されたる若人のあると、
(すごろくをぞうちたまふ。てをいとせちにおしもみて、)
双六をぞ打ちたまふ。手をいと切におしもみて、
(「せうさい、せうさい」とこふこえぞ、いとしたときや。)
「せうさい、せうさい」とこふ声ぞ、いと舌疾きや。
(「あな、うたて」とおぼして、おとものひとのさきがけおふをも、てかきせいしたまうて、)
「あな、うたて」と思して、御供の人の前駆追ふをも、手かき制したまうて、
(なほ、つまどのほそめなるより、しゃうじのひらきあひたるをみいれたまふ。)
なほ、妻戸の細目なるより、障子の開きあひたるを見入れたまふ。
(このいとこも、はた、けしきはやれる、)
この従姉妹も、はた、けしきはやれる、
(「おかへしや、おかへしや」と、つつをひねりて、とみにうちいでず。)
「御返しや、御返しや」と、筒をひねりて、とみに打ち出でず。
(なかにおもひはありやすらむ、いとあさへたるさまどもしたり。)
中に思ひはありやすらむ、いとあさへたるさまどもしたり。
(かたちはひちちかに、あいぎゃうづきたるさまして、かみうるはしく、つみかろげなるを、)
容貌はひちちかに、愛敬づきたるさまして、髪うるはしく、罪軽げなるを、
(ひたひのいとちかやかなると、こえのあはつけさとにそこなはれたるなめり。)
額のいと近やかなると、声のあはつけさとにそこなはれたるなめり。
(とりたててよしとはなけれど、ことびととあらがふべくもあらず、)
取りたててよしとはなけれど、異人とあらがふべくもあらず、
(かがみにおもひあはせられたまふに、いとすくせこころづきなし。)
鏡に思ひあはせられたまふに、いと宿世心づきなし。
(「かくてものしたまふは、つきなくうひうひしくなどやある。)
「かくてものしたまふは、つきなくうひうひしくなどやある。
(ことしげくのみありて、とぶらひまうでずや」とのたまへば、れいの、)
ことしげくのみありて、訪らひまうでずや」とのたまへば、例の、
(いとしたどにて、「かくてさぶらふは、なにのものおもひかはべらむ。としごろ、)
いと舌疾にて、「かくてさぶらふは、何のもの思ひかはべらむ。年ごろ、
(おぼつかなく、ゆかしくおもひきこえさせしおかほ、)
おぼつかなく、ゆかしく思ひきこえさせし御顔、
(つねにえみたてまつらぬばかりこそ、てうたぬここちしはべれ」ときこえたまふ。)
常にえ見たてまつらぬばかりこそ、手打たぬ心地しはべれ」と聞こえたまふ。
(「げに、みにちかくつかふひともをさをさなきに、)
「げに、身に近く使ふ人もをさをさなきに、
(さやうにてもみならしたてまつらむと、かねてはおもひしかど、)
さやうにても見ならしたてまつらむと、かねては思ひしかど、
(えさしもあるまじきわざなりけり。なべてのつかうまつりびとこそ、)
えさしもあるまじきわざなりけり。なべての仕うまつり人こそ、
(とあるもかかるも、おのづからたちまじらひて、ひとのみみをもめをも、)
とあるもかかるも、おのづから立ち交らひて、人の耳をも目をも、
(かならずしもとどめぬものなれば、こころやすかべかめれ。それだに、そのひとのをんな、)
かならずしもとどめぬものなれば、心やすかべかめれ。それだに、その人の女、
(かのひとのことしらるるきはになれば、おやきゃうだいのおもてぶせなるたぐひおほかめり。まして」)
かの人の子と知らるる際になれば、親兄弟の面伏せなる類ひ多かめり。まして」
(とのたまひさしつる、みけしきのはづかしきもしらず、)
とのたまひさしつる、御けしきの恥づかしきも知らず、
(「なにか、そは、ことことしくおもひたまひてまじらひはべらばこそ、ところせからめ。)
「何か、そは、ことことしく思ひたまひて交らひはべらばこそ、所狭からめ。
(おほんおほつぼとりにも、つかうまつりなむ」ときこえたまへば、えねんじたまはで、)
大御大壺取りにも、仕うまつりなむ」と聞こえたまへば、え念じたまはで、
(うちわらひたまひて、「につかはしからぬやくななり。)
うち笑ひたまひて、「似つかはしからぬ役ななり。
(かくたまさかにあへるおやのけうせむのこころあらば、このもののたまふこえを、)
かくたまさかに会へる親の孝せむの心あらば、このもののたまふ声を、
(すこしのどめてきかせたまへ。さらば、いのちものびなむかし」と、)
すこしのどめて聞かせたまへ。さらば、命も延びなむかし」と、
(をこめいたまへるおとどにて、ほほえみてのたまふ。)
をこめいたまへる大臣にて、ほほ笑みてのたまふ。