【静と動】タイピング大会~2学期後半 長文編

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プレイ回数3226難易度(4.5) 30秒 長文
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問題文

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(ほうりゅうじはしょうとくたいしがたてたといわれている)

法隆寺は聖徳太子が建てたといわれている

(かんいじゅうにかい、じゅうしちじょうのけんぽうをつくったのはしょうとくたいし)

冠位十二階、十七条の憲法をつくったのは聖徳太子

(たいしは、ずいにおののいもこたちをけんずいしとしておくった)

太子は、隋に小野妹子たちを遣隋使として送った

(そがしをほろぼしたのはなかのおおえのおうじとなかとみのかまたり)

蘇我氏を滅ぼしたのは中大兄皇子と中臣鎌足

(あすかじだいにゆうりょくなごうぞくがきぞくとなった)

飛鳥時代に有力な豪族が貴族となった

(しょうむてんのうはとうだいじをつくり、だいぶつづくりをした)

聖武天皇は東大寺をつくり、大仏づくりをした

(だいぶつづくりにはそうであるぎょうきがくわわった)

大仏づくりには僧である行基が加わった

(へいあんじだいは794ねんから12せいきごろまでやく400ねんかんつづいた)

平安時代は794年から12世紀ごろまで約400年間続いた

(へいあんじだいのかなもじやねんちゅうぎょうじなどのぶんかをこくふうぶんかという)

平安時代のかな文字や年中行事などの文化を国風文化という

(むらさきしきぶはげんじものがたり、せいしょうなごんはまくらのそうしをかいた)

紫式部は源氏物語、清少納言は枕草子を書いた

(ぶしとしてはじめてだいじょうだいじんになったのはたいらのきよもり)

武士としてはじめて太政大臣になったのは平清盛

(みなもとのよしともはへいじのらんでたいらのきよもりにやぶれた)

源義朝は平治の乱で平清盛に敗れた

(みなもとのよりともはおとうとのよしつねらをきょうとにせめのぼらせ、だんのうらのたたかいでへいしをほろぼした)

源頼朝は弟の義経らを京都にせめのぼらせ、壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼした

(みなもとのよりともはちょうていからせいいたいしょうぐんににんめいされた)

源頼朝は朝廷から征夷大将軍に任命された

(みなもとのよりともはかまくらにばくふをひらいた)

源頼朝は鎌倉に幕府を開いた

(みなもとのよりともはごけにんとのむすびつきをつよくするためごおんとほうこうのかんけいをきずいた)

源頼朝は御家人との結びつきを強くするため御恩と奉公の関係を築いた

(げんじのあとはほうじょうしがばくふのせいじをすすめた)

源氏の後は北条氏が幕府の政治を進めた

(みなもとのよりとものつまはほうじょうまさこ)

源頼朝の妻は北条政子

(ほうじょうときむねのめいれいによりごけにんたちはにどのげんこうからにほんをまもりぬいた)

北条時宗の命令により御家人たちは二度の元寇から日本を守り抜いた

(あしかがたかうじはきょうとにばくふをひらいた)

足利尊氏は京都に幕府を開いた

など

(あしかがよしみつはきょうとのきたやまにきんかくじをたてた)

足利義満は京都の北山に金閣寺を建てた

(あしかがよしまさはひがしやまにぎんかくをたてた)

足利義政は東山に銀閣を建てた

(ぎんかくはしょいんづくりというようしきがもちいられている)

銀閣は書院造という様式が用いられている

(むろまちのぶんかにのうやきょうげん、ちゃのゆやいけばながある)

室町の文化に能や狂言、茶の湯や生け花がある

(せっしゅうはすいぼくがでゆうめいだ)

雪舟は水墨画で有名だ

(おだのぶながはおけはざまのたたかいでいまがわよしもとのたいぐんをやぶった)

織田信長は桶狭間の戦いで今川義元の大軍を破った

(おだのぶながはきりすときょうをほごし、ふきょうをみとめた)

織田信長はキリスト教を保護し、布教を認めた

(おだのぶながはほんのうじのへんでかしんのあけちみつひでにせめられ、じがいした)

織田信長は本能寺の変で家臣の明智光秀にせめられ、自害した

(とよとみひでよしはてんかとういつをなしとげた)

豊臣秀吉は天下統一を成し遂げた

(とよとみひでよしはけんちやかたながりをおこない、ひゃくしょうをしはいしようとした)

豊臣秀吉は検地や刀狩を行い、百姓を支配しようとした

(のぶながやひでよしがかつやくしたころをあづちももやまじだいという)

信長や秀吉が活躍したころを安土桃山時代という

(せきがはらのたたかいでとくがわいえやすがしょうりした)

関ヶ原の戦いで徳川家康が勝利した

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