自分用タイピング(いろんな意味で)

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投稿者投稿者Nihon!!!!!いいね1お気に入り登録
プレイ回数319難易度(5.0) 1642打 長文
自分の架空帝国に関すること
今黒歴史になりつつある自分の架空帝国に関することがタイピングとなっています。なんか中二病っぽいなぁ見たいな感じで見守ってください。ちなみに書くことが多すぎて次回に持ち越されたのはここだけの話。※これはすべてフィクションです

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問題文

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(1600ねんだい、「たくみけん」は、きたのにほんとおなじぶしょうがはびこるちだった。) 1600年代、「拓海県」は、北の日本と同じ武将が蔓延る地だった。 (1603ねん、とくがわいえやすがばくふをひらいたころ、てるやまはるとがかずかずのぶしょうをなぎたおし、) 1603年、徳川家康が幕府を開いた頃、照山大翔が数々の武将をなぎ倒し、 (てんかをにぎるかとおもわれた。しかし、みなみのちゅうどうまさのりがせいりょくをかくだいしていた。) 天下を握るかと思われた。しかし、南の中道正就が勢力を拡大していた。 (ちゅうどうとてるやまはてんかをあらそうらいばるであったのだ。) 中道と照山は天下を争うライバルであったのだ。 (そして、1650ねんだいにたいりょうのぶしょうのりょうちがふたりのぶしょうのもとにがっぺいされた。) そして、1650年代に大量の武将の領地が二人の武将のもとに合併された。 (このとき、ふたりのぶしょうはのぞかれている。) この時、二人の武将は除かれている。 (そして、ちゅうどうとてるやまのたいりつはげきかし、1676ねん2がつ、てんかわけめのたたかい) そして、中道と照山の対立は激化し、1676年2月、天下分け目の戦い (「たはらのたたかい」がぼっぱつする。) 「田原の戦い」が勃発する。 (かいせんちょくごはちゅうどうまさのりのほうがゆうせいであったが、じょじょにこうちゃくしていき、) 開戦直後は中道正就の方が優勢であったが、徐々に膠着していき、 (しょうもうせんへとなっていった。) 消耗戦へとなっていった。
(しかし、そんなしょうもうせんのなかでも、てるやまはるとはきさくでなんどもちゅうどうぐんをすきづいた) しかし、そんな消耗戦の中でも、照山大翔は奇策で何度も中道軍を隙づいた (そして、1688ねん5がつ、おくるもとじょうやくがむすばれ、てるやまはるとは「たくみていこく」のけんこくを) そして、1688年5月、貽元条約が結ばれ、照山大翔は「拓海帝国」の建国を (せんげん、ならびに「みんしゅきょうわとう」を「ていこくみんしゅとう」にかいめいした。) 宣言、並びに「民主共和党」を「帝国民主党」に改名した。 (しかし、なにをおもったのか、てるやまはるとはえどばくふにせんせんふこくをおくってしまう。) しかし、何を思ったのか、照山大翔は江戸幕府に宣戦布告を送ってしまう。 (そして、みんぞくがんらいからあるちょうえつしたぎじゅつりょくにより、1920ねんだいのぶきをてんかい。) そして、民族元来からある超越した技術力により、1920年代の武器を展開。 (みたこともないぶきにえどばくふのにんげんはみなきょうがくしたという。) 見たこともない武器に江戸幕府の人間はみな驚愕したという。 (そして、とんでもないそくどでおがさわらしょとうをせんりょうした。) そして、とんでもない速度で小笠原諸島を占領した。 (しかし、そのまませんせんにうごきはなかった。) しかし、そのまま戦線に動きはなかった。 (りゆうとしてあげられるのは、おがさわらしょとうからえどばくふほんどまでのきょり、) 理由として挙げられるのは、小笠原諸島から江戸幕府本土までの距離、 (ていこくぐんのしきのていか、そして、えどばくふのがんきょうなていこうというりゆうがあげられる。) 帝国軍の士気の低下、そして、江戸幕府の頑強な抵抗という理由が挙げられる。
など
(そして、1692ねん1がつ19にち、てるやまはるとげんこうていは、ていこくしんみんにこうふくせんげんの) そして、1692年1月19日、照山大翔現皇帝は、帝国臣民に降伏宣言の (ほうそうをらじおでおこなった。) 放送をラジオで行った。 (そして、1692ねん1がつ25にち、「おだわらへいわおよびこうわじょうやく」がむすばれ、) そして、1692年1月25日、「小田原平和及び講和条約」が結ばれ、 (たくみていこくこうふくとひきかえに、おがさわらしょとうのかつじょうがめいきされた。) 拓海帝国降伏と引き換えに、小笠原諸島の割譲が明記された。 (こんかいはここまでであります。つづきはおたのしみに) 今回はここまでであります。続きはお楽しみに
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