夏目漱石「こころ」３－１６

(きゅう)

九

(「ひとくちでいうと、おじはわたくしのざいさんをごまかしたのです。)

「一口でいうと、叔父は私の財産を誤魔化したのです。

(ことはわたくしがとうきょうへでているさんねんかんのあいだにたやすくおこなわれたのです。)

事は私が東京へ出ている三年間の間に容易く行なわれたのです。

(すべてをおじまかせにしてへいきでいたわたくしは、せけんてきにいえばほんとうのばかでした。)

凡てを叔父任せにして平気でいた私は、世間的に云えば本当の馬鹿でした。

(せけんてきいじょうのけんちからひょうすれば、あるいはじゅんなるたっといおとことでもいえましょうか。)

世間的以上の見地から評すれば、或は純なる尊い男とでも云えましょうか。

(わたくしはそのときのおのれをかえりみて、)

私はその時の己れを顧みて、

(なぜもっとひとがわるくうまれてこなかったかとおもうと、)

何故もっと人が悪く生れて来なかったかと思うと、

(しょうじきすぎたじぶんがくやしくってたまりません。)

正直過ぎた自分が口惜しくって堪りません。

(しかしまたどうかして、もういちどああいううまれたままのすがたに)

然しまたどうかして、もう一度ああいう生れたままの姿に

(たちかえっていきてみたいというこころもちもおこるのです。)

立ち帰って生きて見たいという心持も起るのです。

(きおくしてください。あなたのしっているわたくしはちりによごれたあとのわたくしです。)

記憶して下さい。あなたの知っている私は塵に汚れた後の私です。

(きたなくなったねんすうのおおいものをせんぱいとよぶならば、)

きたなくなった年数の多いものを先輩と呼ぶならば、

(わたくしはたしかにあなたよりせんぱいでしょう。)

私はたしかに貴方より先輩でしょう。

(もしわたくしがおじのきぼうどおりおじのむすめとけっこんしたならば、)

若し私が叔父の希望通り叔父の娘と結婚したならば、

(そのけっかはぶっしつてきにわたくしにとってゆうりなものでしたろうか。)

その結果は物質的に私に取って有利なものでしたろうか。

(これはかんがえるまでもないこととおもいます。)

これは考えるまでもない事と思います。

(おじはさくりゃくでむすめをわたくしにおしつけようとしたのです。)

叔父は策略で娘を私に押し付けようとしたのです。

(こういてきにりょうけのべんぎをはかるというよりも、)

好意的に両家の便宜を計るというよりも、

(ずっとげびたりがいしんにかられて、けっこんもんだいをわたくしにむけたのです。)

ずっと下卑た利害心に駆られて、結婚問題を私に向けたのです。

(わたくしはいとこをあいしていないだけで、きらってはいなかったのですが、)

私は従妹を愛していないだけで、嫌ってはいなかったのですが、