順位指定系タイピングについて所感
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問題文
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(まいたいぴんぐをつかわれているかたなら、)
マイタイピングを使われている方なら、
(つぎのようなたいぴんぐをなんどかみたことがないだろうか?)
次のようなタイピングを何度か見たことがないだろうか?
(たいとるめいに「1いになれる」や、「さいかいがうんぬん」みたいな、)
タイトル名に「1位になれる」や、「最下位が云々」みたいな、
(じゅんいをしていしてつくるもんだいしゅうがさんけんされる。)
順位を指定して作る問題集が散見される。
(げーむせいをじゅうししてつくったたいぴんぐのつもりだが、)
ゲーム性を重視して作ったタイピングのつもりだが、
(じゅんいというのはふくじてきについてきて、)
順位というのは副次的についてきて、
(すこあそのものがたいぴんぐのけっかをしめしているはずなので、)
スコアそのものがタイピングの結果を示しているはずなので、
(もくてきがしゅだんになってしまっているようなきがする。)
目的が手段になってしまっているような気がする。
(もっとおおくのひとがたいぴんぐそのものにちゃくもくした、)
もっと多くの人がタイピングそのものに着目した、
(すばらしいもんだいしゅうをつくってまいたいぴんぐがもりあがる、)
素晴らしい問題集を作ってマイタイピングが盛り上がる、
(そんなりそうのみらいがきてほしいが。)
そんな理想の未来が来てほしいが。