依談 褫溶 その2
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| 順位 | 名前 | スコア | 称号 | 打鍵/秒 | 正誤率 | 時間(秒) | 打鍵数 | ミス | 問題 | 日付 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | ボアソナード刑法 | 7252 | 光 | 7.4 | 97.1% | 995.6 | 7438 | 217 | 99 | 2026/05/23 |
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問題文
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(ごぼうせいといえば、やはりへいあんじだいのおんみょうじ、あべのせいめいのいめーじがつよいのではな)
五芒星といえば、やはり平安時代の陰陽師、安倍晴明のイメージが強いのではな
(いでしょうか。しかし、ごぼうせいがひろまったのはなにもへいあんじだいのことではありませ)
いでしょうか。しかし、五芒星が広まったのは何も平安時代のことではありませ
(ん。きないやかんとうでみつかるぼくしょどきというしゅるいのどきに、このごぼうせいをあしら)
ん。畿内や関東で見つかる墨書土器という種類の土器に、この五芒星をあしら
(ったものがはっけんされています。このどきはならじだいからせいぞうされていたとかんがえら)
ったものが発見されています。この土器は奈良時代から製造されていたと考えら
(れているもので、ならじだいにはすでにごぼうせいしんこうがあったことがわかります。さて)
れているもので、奈良時代には既に五芒星信仰があったことがわかります。さて
(、ごぼうせいしんこうのちゅうかくはごぎょうせつです。これは、もく・か・ど・こん・すいのいつつのげんそか)
、五芒星信仰の中核は五行説です。これは、木・火・土・金・水の五つの元素か
(らすべてができている、というちゅうごくゆらいのかんがえかたです。さらにごぎょうせつはおんみょうせつと)
らすべてができている、という中国由来の考え方です。さらに五行説は陰陽説と
(むすびつき、こよみやてんもんとかかわっていきます。また、ごぎょうとごぞう(かん・しん・ひ・はい・)
結びつき、暦や天文と関わっていきます。また、五行と五臓(肝・心・脾・肺・
(じん)がむすびつくことで、いりょうにもえいきょうをおよぼしました。つまり、ごぎょうをいのまま)
腎)が結びつくことで、医療にも影響を及ぼしました。つまり、五行を意のまま
(にあつかえるということは、よのなかのおおくのものをいのままにできるということをい)
に扱えるということは、世の中の多くのものを意のままにできるということを意
(みしたのです。そして、ごぼうせいのそれぞれのちょうてんは、ごぎょうのげんそのしょうちょうでした。)
味したのです。そして、五芒星のそれぞれの頂点は、五行の元素の象徴でした。
(またそれぞれのへんはげんそどうしの「そうこく」とよばれるかんけいをしめしているともいわれ)
またそれぞれの辺は元素同士の「相剋」と呼ばれる関係を示しているともいわれ
(ました。まさにごぼうせいはごぎょうせつのもとで「まほうのちからのしょうちょう」となり、ひろまってい)
ました。まさに五芒星は五行説のもとで「魔法の力の象徴」となり、広まってい
(ったのです。じっさいのじゅじゅつてきなしとは、まよけがおおかったようです。きりすときょうの)
ったのです。実際の呪術的な使途は、魔除けが多かったようです。キリスト教の
(じゅうじかのように、せいなるちからのしょうちょうは、それじたいせいなるちからをやどし、あしきものをしりぞ)
十字架のように、聖なる力の象徴は、それ自体聖なる力を宿し、悪しきものを退
(けるとかんがえられていたのです。またおんみょうじをあつかったそうさくさくひんでのあつかいのように、)
けると考えられていたのです。また陰陽師を扱った創作作品での扱いのように、
(あしきけがれをうちがわにふういんするやくわりもあったとされています。いちぶちほうではこのし)
悪しき穢れを内側に封印する役割もあったとされています。一部地方ではこの使
(とがへんしつし、ごぼうせいがかたしろながしのぎしきにもちいられることもありました。かたしろながし)
途が変質し、五芒星が形代流しの儀式に用いられることもありました。形代流し
(はひとのけがれをかたしろにうつしてかわにながすというぎしきで、げんざいのひなまつりやとうろうながしの)
は人の穢れを形代に移して川に流すという儀式で、現在のひな祭りや灯篭流しの
(るーつにもなっています。これらのぎしきにはひとのかたちにかこうしたもっかんがもちいられる)
ルーツにもなっています。これらの儀式には人の形に加工した木簡が用いられる
など
(ことがおおかったのですが、そのようなぎしきようのもっかんとかんがえられるもののうちに、)
ことが多かったのですが、そのような儀式用の木簡と考えられるもののうちに、
(ごぼうせいがえがかれているものがみつかっています。けがれをとじこめるというせいしつが)
五芒星が描かれているものが見つかっています。穢れを閉じ込めるという性質が
(、かたしろながしのもちついみあいとがっちしたのでしょう。ほかにはもっとちょくせつてきに、ごぼう)
、形代流しの持つ意味合いと合致したのでしょう。他にはもっと直接的に、五芒
(せいをかたどったもっかんがもちいられることがありました、ごぼうせいがひとのかたちににていること)
星を象った木簡が用いられることがありました、五芒星が人の形に似ていること
(も、かたしろながしにごぼうせいがかんよしたりゆうかもしれません。きんねんはたんじゅんにそうしょくとして)
も、形代流しに五芒星が関与した理由かもしれません。近年は単純に装飾として
(もちいられることのおおいごぼうせいにも、じつはこういったまじゅつてきなちからがやどっているので)
用いられることの多い五芒星にも、実はこういった魔術的な力が宿っているので
(す。)
す。
(ああこのだんせいね。おぼえてますよ。ちょうどわたしがうけつけやっていたときでしたね。)
ああこの男性ね。覚えてますよ。ちょうど私が受付やっていたときでしたね。
(じまんじゃないですが、ひとのかおをおぼえるのはとくいなんですよ。とくにこのかたは、さい)
自慢じゃないですが、人の顔を覚えるのは得意なんですよ。特にこの方は、最
(ごのぶのほうでしたので。うちのとうろうながしは、いちおうにだんかいにわかれてまして。さいしょ)
後の部の方でしたので。うちの灯篭流しは、一応二段階にわかれてまして。最初
(はおこさんがつくったとうろうをながすぶです。まいとしおおくのおこさんにさんかいただいてい)
はお子さんが作った灯篭を流す部です。毎年多くのお子さんに参加いただいてい
(るんですけども、やはりおこさんとしてはじぶんのとうろうがながれているのをみたいで)
るんですけども、やはりお子さんとしては自分の灯篭が流れているのを見たいで
(すよね。だからじかんがはやいうちにおこさんのをながしてあげないと、よふかしする)
すよね。だから時間が早いうちにお子さんのを流してあげないと、夜更かしする
(ことになってしまう。そういうわけで、まずおこさんがつくったとうろうをながすのです)
ことになってしまう。そういうわけで、まずお子さんが作った灯篭を流すのです
(。つぎがおとなのぶでして、おこさんたちのとうろうをすべてながしきったあとに、つづけて)
。次が大人の部でして、お子さんたちの灯篭をすべて流し切ったあとに、続けて
(おとながつくったとうろうをながします。とまあ、いちおうおもてむきこうなってはいるんですけど)
大人が作った灯篭を流します。とまあ、一応表向きこうなってはいるんですけど
(、ほんとうはおとなのぶはふたつにわかれてるんですよ。おとなのぶのさんかしゃにはわかいか)
、本当は大人の部は二つに分かれてるんですよ。大人の部の参加者には若いカ
(っぷるやがくせいのかたがおおくて。やっぱりおまつりですから、おもいでづくりとしてさんかし)
ップルや学生の方が多くて。やっぱりお祭りですから、思い出作りとして参加し
(ていただいているようです。ただ、とうろうながしのもともとのやくわりというのは、おもい)
ていただいているようです。ただ、灯篭流しのもともとの役割というのは、思い
(でづくりとか、きれいなけいかんをえんしゅつすることではないんですよ。ししゃのれいをながし、あ)
出作りとか、綺麗な景観を演出することではないんですよ。死者の霊を流し、あ
(ちらがわにおかえしする。もしくはけがれをながしだす。そういったやくわりを、とうろうながしは)
ちら側にお返しする。もしくは穢れを流し出す。そういった役割を、灯篭流しは
(ほんらいもっています。どちらのいみにしても、おまつりきぶんでさんかされるかたとはちが)
本来持っています。どちらの意味にしても、お祭り気分で参加される方とは違
(って、そういったほんらいのもくてきをきたいされるかたもいらっしゃるわけで。そういった)
って、そういった本来の目的を期待される方もいらっしゃるわけで。そういった
(かたがたのごきたいにそえるように、おとなのぶはぜんはんとこうはんをきりわけて、そういう)
方々のご期待に添えるように、大人の部は前半と後半を切り分けて、そういう
(かたがたのとうろうはこうはんにまとめてながしているのです。たいせつなついとうのきもちが、あにめ)
方々の灯篭は後半にまとめて流しているのです。大切な追悼の気持ちが、アニメ
(のきゃらくたーがえがかれたとうろうといっしょにながされるのには、やはりていこうがあるとおも)
のキャラクターが描かれた灯篭と一緒に流されるのには、やはり抵抗があると思
(いますから。そのかたがつくったとうろうも、なくなったおかあさまのくようということで。とう)
いますから。その方が作った灯篭も、亡くなったお母様の供養ということで。灯
(ろうにかいてあったもの・・・・・・ちょっとさすがにそこまではおもいだせませんね。ただ)
篭に描いてあったもの……ちょっとさすがにそこまでは思い出せませんね。ただ
(くようのためのものだったので、おなまえはかいてあったとおもいます。せつこさん、ん)
供養のためのものだったので、お名前は描いてあったと思います。節子さん、ん
(ー、どうだったか。もうちょっとちがったなまえのきもしますが。おかあさまのなまえがせつ)
ー、どうだったか。もうちょっと違った名前の気もしますが。お母様の名前が節
(こさんなんですね。それならたぶん、そうだったかもしれません。うつっているかは)
子さんなんですね。それなら多分、そうだったかもしれません。映っているかは
(わかりませんが、えいぞうをかくにんしますか?わたしのもってるものだけだとみえないか)
わかりませんが、映像を確認しますか? 私の持ってるものだけだと見えないか
(もしれませんが、しりあいにこえをかけてみれば。いろいろなかくどのえいぞうがあつまるとおも)
もしれませんが、知り合いに声をかけてみれば。色々な角度の映像が集まると思
(いますよ。ええ。はい。それじゃあごじつおおくりしますね。)
いますよ。ええ。はい。それじゃあ後日お送りしますね。
(すわたいしゃではげんざいでもかわずがりのしんじがつづいているが、かみへのささげものがちっぽけな)
諏訪大社では現在でも蛙狩の神事が続いているが、神への捧げものがちっぽけな
(かえるであることにぎもんをいだくかたもおおいだろう。これは、すわたいしゃがりゅうじゃしんこうにかんれん)
蛙であることに疑問を抱く方も多いだろう。これは、諏訪大社が龍蛇信仰に関連
(していて、へびのこうぶつがかえるであるから、としてせつめいされることがおおい。しかしすわ)
していて、蛇の好物が蛙であるから、として説明されることが多い。しかし諏訪
(たいしゃかみしゃでゆうめいなみしゃぐじしんこう、そしてかえるがもつさまざまないみをかんがえれば、もう)
大社上社で有名なミシャグジ信仰、そして蛙が持つ様々な意味を考えれば、もう
(すこしふかいいみをよみとることができる。かえるはふるくからひとびととなじみぶかいいきもので)
少し深い意味を読み取ることができる。蛙は古くから人々と馴染み深い生き物で
(あり、それゆえにさまざまなでんしょうがある。そのなかには「かえるはかみやほとけ、れいをせおい、はこ)
あり、それゆえに様々な伝承がある。その中には「蛙は神や仏、霊を背負い、運
(ぶものである」というかんがえかたがある。たましまひきざわにつたわるいのこもちにかんするいい)
ぶものである」という考え方がある。多摩市馬引沢に伝わる亥子餅に関する言い
(つたえでも、おくもつであるぼたもちをせおってはこぶのはかえるのやくめである。かえるのもつこ)
伝えでも、お供物である牡丹餅を背負って運ぶのは蛙の役目である。蛙の持つこ
(のいみをこうりょするに、かみがかえるをくらうというのは、すなわちかえるがやどすかみやれいをく)
の意味を考慮するに、神が蛙を食らうというのは、すなわち蛙が宿す神や霊を食
(らうということをとおして、れいてきなちからをうちにとりこむぎしきだとはかんがえられないだろ)
らうということを通して、霊的な力を内に取り込む儀式だとは考えられないだろ
(うか。みしゃぐじしんこうにもこのような「そとのれいてきなものをとりいれちからをえる」と)
うか。ミシャグジ信仰にもこのような「外の霊的なものを取り入れ力を得る」と
(いうかんがえかたがみられる。「われにからだなし、ほうりをもってからだとす」とでんしょうにあるように、)
いう考え方が見られる。「我に体なし、祝を以て体とす」と伝承にあるように、
(おおほうりはひょうざとしてみしゃぐじさまをとりいれ、あらひとがみとしてのちからをこうしするわけで)
大祝は憑座としてミシャグジ様を取り入れ、現人神としての力を行使するわけで
(あるが、これはまさに、しんれいをみにいれてそのちからをえるというろんりである。しか)
あるが、これはまさに、神霊を身に入れてその力を得るという論理である。しか
(しあるしてんからは、おおほうりはかみをとりこみつつ、じっさいにはからだをかみにうばわれていると)
しある視点からは、大祝は神を取り込みつつ、実際には体を神に奪われていると
(みることもできるだろう。それゆえにおおほうりはかみしゃのしきちをでると、いしにかえして)
見ることもできるだろう。それゆえに大祝は上社の敷地を出ると、意思に反して
(たたりをばいかいしてしまうともいわれるのだ。このような、しんれいをくい、そしてくう)
祟りを媒介してしまうともいわれるのだ。このような、神霊を食い、そして食う
(というこういをとおして、たしゃをのみこみ、またのみこまれうるというのが、あるしゅ)
という行為を通して、他者を飲み込み、また飲み込まれうるというのが、ある種
(のしんいきのろんりである。そうかんがえれば、やでかえるをいるいみもわかる。しんせいないみを)
の神域の論理である。そう考えれば、矢で蛙を射る意味もわかる。神聖な意味を
(もつやで、かえるのやどすしんれいをころすのだ。そうでなければ、あがめるべきかみがぎゃくにとり)
持つ矢で、蛙の宿す神霊を殺すのだ。そうでなければ、崇めるべき神が逆に取り
(こまれてしまうおそれがあるからである。かわずがりのしんじは、このようなしんいきのろんりを)
込まれてしまう恐れがあるからである。蛙狩の神事は、このような神域の論理を
(もちいてかみにちからをほきゅうし、よきとしのじつげんをねがうぎしきであるといえる。)
用いて神に力を補給し、良き年の実現を願う儀式であるといえる。
(ず:とうろうにかかれていたずけいのさいげん。ふじいかずひこしがさくせいしたとみられる。)
図:灯篭に描かれていた図形の再現。藤井和彦氏が作成したとみられる。
(いっぽうで「せつこ」のもじがかかれたとうろうはみつからなかった。)
一方で「節子」の文字が書かれた灯篭は見つからなかった。
(いたいはっけんされる。ゆくえふめいがくせいか。)
遺体発見される。行方不明学生か。
(ちばけんけいは13にち、7ねんまえからゆくえふめいとなっていたふじいかえでさん(とうじ18)の)
千葉県警は13日、7年前から行方不明となっていた藤井楓さん(当時18)の
(いたいをはっけんしたとはっぴょうした。はっけんばしょはこうひょうされていない。かえでさんは、)
遺体を発見したと発表した。発見場所は公表されていない。(中略)楓さんは、
(ははのふじいゆみさんとじたくでかいわをしたのをさいごにゆくえがわからなくなり、そのあと)
母の藤井由美さんと自宅で会話をしたのを最後に行方が分からなくなり、その後
(じたくしゅうへんをちゅうしんにそうさくがおこなわれたがはっけんにはいたらなかった。いたいにはとう)
自宅周辺を中心に捜索が行われたが発見には至らなかった。(中略)遺体には頭
(ぶをふくめいくつかのけっそんがみられたため、けいさつはしたいいき、したいそんかいのりょうめんでそう)
部を含めいくつかの欠損が見られたため、警察は死体遺棄、死体損壊の両面で捜
(さをすすめている。)
査を進めている。
(あにですか。あまり、わたしからおはなしできることはありませんよ。なかがよくなくて。)
兄ですか。あまり、私からお話しできることはありませんよ。仲が良くなくて。
(はばつがちがうというか。あにはははのはばつ、わたしはちちのはばつ、ってかんじで。あにはかずちゃ)
派閥が違うというか。兄は母の派閥、私は父の派閥、って感じで。兄はかずちゃ
(ん、かずちゃんってよばれてましたが、わたしはははにまともになまえをよばれたきおくが)
ん、かずちゃんって呼ばれてましたが、私は母にまともに名前を呼ばれた記憶が
(ありませんね。たぶん、わたしはかわいくなかったんだとおもいます。はんこうてきでしたから。)
ありませんね。多分、私は可愛くなかったんだと思います。反抗的でしたから。
(ははは、すえっこってかんじですよね。まあ、はははちちにもつめたかったので、もしかし)
ははは、末っ子って感じですよね。まあ、母は父にも冷たかったので、もしかし
(たらあにのことしかあいせなかったのかもしれないです。なので、わたしとちちのはばつって)
たら兄のことしか愛せなかったのかもしれないです。なので、私と父の派閥って
(いっても、ははにほったらかしにされたくみっていうかんじで。はははあにをできあいしていた)
いっても、母にほったらかしにされた組っていう感じで。母は兄を溺愛していた
(んですけど、たぶんあにはははのことがきらいだったとおもいます。あにがどこへいくにもつ)
んですけど、多分兄は母のことが嫌いだったと思います。兄がどこへ行くにもつ
(いてくるんですよ、あのひと。ともだちとあそぶにしたってははのきょかがひつようでしたし、おんな)
いてくるんですよ、あの人。友達と遊ぶにしたって母の許可が必要でしたし、女
(のこなんてぜったいだめですから。とうほくのへんないえしゅっしんらしくて、なんかかんがえかたがふるい)
の子なんて絶対ダメですから。東北の変な家出身らしくて、なんか考え方が古い
(というか。おんなはきたない、きたないって。なんかちのけがれ?とかいって、あにをどなりつけ)
というか。女は汚い、汚いって。なんか血の穢れ?とか言って、兄を怒鳴りつけ
(てたのはおぼえてます。じゃあじぶんはきれいなのかよっておもいますけどね。そういう)
てたのは覚えてます。じゃあ自分は綺麗なのかよって思いますけどね。そういう
(いみでは、ははにきらわれててよかったとはおもいます。なぐられましたし、ばとうもされ)
意味では、母に嫌われててよかったとは思います。殴られましたし、罵倒もされ
(ましたけど、いまかんがえればそくばくされるよりはましなので。)
ましたけど、今考えれば束縛されるよりはマシなので。