奇跡のコースI-2
ヘレン・シャックマン記
ウィリアム・セットフォード、ケネス・ワプニック編
大内 博 訳
ナチュラルスピリット
問題文
(あいのひょうげんはすべてほんとうのいみにおいて)
愛の表現はすべて本当の意味において
(つねにきせきてきなものです。)
常に奇跡的なものです。
(そういうひょうげんとおなじように)
そういう表現と同じように
(きせきのこうかんはぶつりてきなほうそくをぎゃくてんさせます。)
奇跡の交換は物理的な法則を逆転させます。
(きせきのこうかんはあたえるものとうけとるもののりょうほうに)
奇跡の交換は与えるものと受け取るものの両方に
(さらにおおくのあいをもたらします。)
さらに多くの愛をもたらします。
(しんじさせるためにみせものとしてきせきをもちいることは)
信じさせるために見世物として奇跡を用いることは
(きせきのもくてきをごかいしたものです。)
奇跡の目的を誤解したものです。
(いのりはきせきのばいたいです。)
祈りは奇跡の媒体です。
(いのりはそうぞうされたものと)
祈りは想像されたものと
(そうぞうしゅのこみゅにけーしょんです。)
創造主のコミュニケーションです。
(いのりをとおしてあいはうけとられ)
祈りを通して愛は受け取られ
(きせきをとおしてあいがひょうげんされます。)
奇跡を通して愛が表現されます。
(きせきはおもいです。)
奇跡は想いです。
(おもいはよりひくいれべるのたいけん)
想いはより低いレベルの体験
(つまりにくたいのれべるのたいけんをあらわすこともできれば)
つまり肉体のレベルの体験を表すこともできれば
(たいけんのよりたかいれべる、)
体験のより高いレベル、
(つまりれいてきなれべるのたいけんをあらわすこともできます。)
つまり霊的なレベルの体験を表すこともできます。
(いっぽうはぶつりてきたいけんをつくりだし、)
一方は物理的体験を創り出し、
(たほうはれいてきなたいけんをそうぞうします。)
他方は霊的な体験を創造します。
(きせきははじまりでありおわりです。)
奇跡は始まりであり終わりです。
(したがって、きせきはじかんのじゅんじょをかえます。)
したがって、奇跡は時間の順序を変えます。
(きせきはつねにさいせいのかくにんであり)
奇跡は常に再生の確認であり
(こうたいするようにみえてじっさいはぜんしんします。)
後退するように見えて実際は前進します。
(きせきはげんざいにおいて)
奇跡は現在において
(かこをかいじょしそうすることによって)
過去を解除しそうすることによって
(みらいをかいほうします。)
未来を解放します。
(きせきはしんじつのしょうにんです。)
奇跡は真実の証人です。
(せっとくりょくがあるのはきせきはかくしんからうまれるからです。)
説得力があるのは奇跡は確信から生まれるからです。
(かくしんがなければ、)
確信がなければ、
(きせきはまじゅつへとだらくします。)
奇跡は魔術へと堕落します。
(まじゅつにはまいんどがなく、)
魔術にはマインドがなく、
(したがってはかいてきでありかんげんすれば)
従って破壊的であり還元すれば
(そうぞうてきでないまいんどのつかいかたです。)
想像的でないマインドの使い方です。
(まいにちをきせきにささげるべきです。)
毎日を奇跡に捧げるべきです。