先生の怖い話「狐狗狸」(2/2)

問題文
(つぎのひ、ぼくはやまにでかけた。まいとししょうがつにはかかさずにいっているやまだ。)
次の日、僕は山に出かけた。毎年正月には欠かさずに行っている山だ。
(そのやまのちょうじょうふきんにはおてらがありちゅうふくにはろくじぞうとよばれるおじぞうさんがある。)
その山の頂上付近にはお寺があり中腹には六地蔵と呼ばれるお地蔵さんがある。
(そのおじぞうさんたちはあまりにふるいものらしく、)
そのお地蔵さん達はあまりに古いものらしく、
(ろくたいのうちさんたいのくびがおちてなくなってしまっていた。)
6体の内3体の首が落ちて無くなってしまっていた。
(またせのたかいちくりんにかこまれひるでもうすぐらく、かれはなどにうもれて、)
また背の高い竹林に囲まれ昼でも薄暗く、枯葉などに埋もれて、
(いわゆるかなりぶきみなものだった。)
いわゆるかなり不気味なものだった。
(それとたいしょうてきに、さんちょうのおてらちかくのおじぞうさんは)
それと対照的に、山頂のお寺近くのお地蔵さんは
(きれいにあかいふくまできせてもらっていた。)
綺麗に赤い服まで着せてもらっていた。
(だいぶむかし、ぼくはそのやまをのぼったときに、)
だいぶ昔、僕はその山を登った時に、
(そのおじぞうさんたちのあまりのたいぐうのちがいにかなしくなり、)
そのお地蔵さん達のあまりの待遇の違いに悲しくなり、
(「おじぞうさんはおじぞうさん。くびがなくても、おじぞうさん。」)
「お地蔵さんはお地蔵さん。首が無くても、お地蔵さん。」
(とかいいながら、おとずれるたびにいちじかんほど、そのろくじぞうのあたりをそうじしていた。)
とか言いながら、訪れる度に一時間程、その六地蔵の辺りを掃除していた。
(そのときくらいから、ことあるごとにそのおじぞうさんがたすけてくれるようになった。)
その時くらいから、事あるごとにそのお地蔵さんが助けてくれるようになった。
(くびのないかげだけがかべにうつったりするとだいぶぶきみだけど・・・。)
首の無い影だけが壁に映ったりするとだいぶ不気味だけど・・・。
(つまりぼくはそのおじぞうさんにあいにいったのだ。)
つまり僕はそのお地蔵さんに会いに行ったのだ。
(たいちょうはさいあくでやまにのぼるのはたいへんだった。)
体調は最悪で山に登るのは大変だった。
(ずつうとはきけ、めまいがひどくだんねんしようかとおもったが、)
頭痛と吐き気、目眩が酷く断念しようかと思ったが、
(なぜかどうしてもいかないといけないとおもった。)
何故かどうしても行かないといけないと思った。
(たどりついたおじぞうさんのまえにすわって、てをあわせた。)
たどり着いたお地蔵さんの前に座って、手を合わせた。
(そしていまのじょうきょうをつたえて、たすけをもとめてみた。)
そして今の状況を伝えて、助けを求めてみた。
(しかしやはりへんじがあるわけはなく、ふゆのやまのさむさもてつだって)
しかしやはり返事があるわけは無く、冬の山の寒さも手伝って
(そのばをさることにした。おじぞうさんにせをむけ、)
その場を去る事にした。お地蔵さんに背を向け、
(ちくりんのでぐちふきんにきたとき、ふいにうしろから)
竹林の出口付近に来た時、不意に後ろから
(「しゃん」というきんぞくがなるようなおおきなおとがした。)
「シャン」という金属がなるような大きな音がした。
(きゅうなしゃめんにいたぼくはそのおとにおどろいたひょうしにしりもちをついてしまった。)
急な斜面に居た僕はその音に驚いた拍子に尻餅をついてしまった。
(「なんや、いまの・・・。」とうしろをみてもなにもない。)
「なんや、今の・・・。」と後ろを見ても何もない。
(しかしそれはたしかにおじぞうさんのほうこうからきこえた。)
しかしそれは確かにお地蔵さんの方向から聞こえた。
(ぼくはそのまま、それいじょう、ふりかえらずにいえじについた。)
僕はそのまま、それ以上、振り返らずに家路についた。
(いえにかえり、けっしてよくないたいちょうをこうりょしてすぐにねた。)
家に帰り、決して良くない体調を考慮してすぐに寝た。
(よなかにめがさめてあることにきづいた。ゆびがのびるようになっていた。)
夜中に目が覚めてあることに気づいた。指が伸びるようになっていた。
(そしてねこがいっしょにねていた。からだがかるい・・・。)
そして猫が一緒に寝ていた。体が軽い・・・。
(ねつをはかると36どこうはんまでさがっていた。しょくよくもでていた。)
熱を測ると36℃後半まで下がっていた。食欲も出ていた。
(もういちどおじぞうさんをおもっててをあわせた。)
もう一度お地蔵さんを思って手を合わせた。
(そのひからぼくはかいふくにむかい、いまのぼくがいる。)
その日から僕は回復に向かい、今の僕がいる。
(ほんとうにこっくりさんで、なにかがきたのかはわからない・・・。)
本当にコックリさんで、何かが来たのかはわからない・・・。
(こっくりさんはかんけいないのかもしれない。)
コックリさんは関係ないのかも知れない。
(しかしおじぞうさんにたよったそのひからぼくのたいちょうがかいふくにむかったのはじじつで、)
しかしお地蔵さんに頼ったその日から僕の体調が回復に向かったのは事実で、
(そのひをさかいにまたねこがいっしょにねるようになったのもじじつである。)
その日を境にまた猫が一緒に寝るようになったのも事実である。