『秋草の顆』佐左木俊郎1

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社交的な人とコミュ障が惹かれ合うと…
※分かりやすくする為、表記等を一部改変しております

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問題文

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(かもくとしょうきょくてきなたいどとは、わたしたちいちぞくのきょうつうせいかくといってもいいのだ。)

寡黙と消極的な態度とは、私達一族の共通性格と言ってもいいのだ。

(わたしはいえにきせいして、に、さんにちのたいざいちゅう、ほとんどふぼとことばをかわさずに)

私は家に帰省して、二、三日の滞在中、ほとんど父母と言葉を交わさずに

(かえってくることがすくなくなかった。ちちもまた、いなかからわざわざ)

帰ってくることが少なくなかった。父もまた、田舎からわざわざ

(わたしたちにあいにきながら、つまのといにたいしてほんのふたことかみことの)

私達に会いに来ながら、妻の問いに対してほんの二言か三言の

(こたえをするだけで、わたしとはほとんどくちをきかずにかえっていくことがおおい。)

答えをするだけで、私とはほとんど口をきかずに帰って行くことが多い。

(べつにわたしたちおやこのあいだのあいじょうがうすいから、というわけではないのだ。)

別に私達親子の間の愛情が薄いから、という訳ではないのだ。

(わたしが、ちちのかおからちちのことばをきくことができるのとおなじように、)

私が、父の顔から父の言葉を聞くことが出来るのと同じように、

(ちちもまたわたしのかおからわたしのことばをききとってくれるのだ。)

父もまた私の顔から私の言葉を聞き取ってくれるのだ。

(わたしたちはだからおたがいにかおをみあわせれば、それでいいのである。)

私達はだからお互いに顔を見合わせれば、それでいいのである。

(わたしたちのそういうせいかくは、しばしばたにんからごかいをうけてきた。)

私達のそういう性格は、しばしば他人から誤解を受けてきた。

(たにんからものごとをたのまれると、それをことわることのできないしょうぶんなので、)

他人から物事を頼まれると、それを断ることの出来ない性分なので、

(そういうばあいには、いつもぜんりょうなにんげんのようにおもわれるのであるが、)

そういう場合には、いつも善良な人間のように思われるのであるが、

(しょうきょくてきなたいどのせいでごうまんなにんげんとしてごかいされることがあるのだ。)

消極的な態度のせいで傲慢な人間として誤解されることがあるのだ。

(しかしわたしたちいちぞくのあいだでは、それがとうぜんすぎるほどとうぜんのせいかくとされている。)

しかし私達一族の間では、それが当然過ぎるほど当然の性格とされている。

(だれもそれについてぎわくをいだくようなことはないのだ。)

誰もそれについて疑惑を抱くようなことは無いのだ。

(いとこどうしがちんもくをはさんでご、ろくじかんもたいざすることがある。)

いとこ同士が沈黙をはさんで五、六時間も対座することがある。

(おじとおいはおなじいえにすんでいながら、にしゅうかんもさんしゅうかんもくちをきかずに)

叔父と甥は同じ家に住んでいながら、二週間も三週間も口をきかずに

(すごすようなことも、けっしてめずらしいことではない。)

過ごすようなことも、決して珍しいことではない。

(だがやはり、おじはおいにたいして、おじとしてのきわめていっぱんてきなあいじょうを)

だがやはり、叔父は甥に対して、叔父としてのきわめて一般的な愛情を

(いだいているのだ。じぶんがよんでみておもしろいほんであれば、)

抱いているのだ。自分が読んでみて面白い本であれば、

など

(それをわたしのつくえのうえにのせておいてくれた。)

それを私の机の上に載せておいてくれた。

(ふるいうでどけいがじぶんにはふようなものになってくると、やはり、)

古い腕時計が自分には不用なものになって来ると、やはり、

(いつのまにかわたしのつくえのうえにのせておいてくれるのであった。)

いつの間にか私の机の上に載せておいてくれるのであった。

(そしておじはただそれだけで、べつに「おもしろいほんだろう」とも)

そして叔父はただそれだけで、別に「面白い本だろう」とも

(「おもいのほかじかんがせいかくだろう」ともきくわけではない。)

「思いのほか時間が正確だろう」とも聞く訳ではない。

(わたしのほうからもまた、それにたいして「ありがとう」とも「おもしろかった」とも)

私の方からもまた、それに対して「ありがとう」とも「面白かった」とも

(いったことはないのだ。けれども、おじがびょうきでにゅういんをすれば、)

言ったことは無いのだ。けれども、叔父が病気で入院をすれば、

(わたしはやはりまいにちそのびょういんへでかけていった。)

私はやはり毎日その病院へ出かけて行った。

(しかし「どんなぐあいですか」というようなことを、いったことはなかった。)

しかし「どんな具合ですか」というようなことを、言ったことは無かった。

(ただそのべっどのよこにすわりつづけていては、かえってくるだけであった。)

ただそのベッドの横に座り続けていては、帰って来るだけであった。

(おじもまた、わたしがいってやらないとひどくさびしがるくせに、)

叔父もまた、私が行ってやらないとひどく寂しがるくせに、

(けっして「ありがとう」といったこともなければ、)

決して「ありがとう」と言ったこともなければ、

(「もうかえるのか」といったこともないのだった。)

「もう帰るのか」と言ったことも無いのだった。

(わたしたちのこういうせいかくは、わたしのつまをひどくおどろかした。)

私達のこういう性格は、私の妻をひどく驚かした。

(つまがとくべつおしゃべりなおんなだからではない。しんこんとうじのわたしは、)

妻が特別おしゃべりな女だからではない。新婚当時の私は、

(つまからことばをかけられると、かおをあかくして、どもりどもりそれにこたえる)

妻から言葉をかけられると、顔を赤くして、どもりどもりそれに答える

(ようなにんげんであったからだ。しかし、まもなくつまがわたしのせいかくになれた。)

ような人間であったからだ。しかし、まもなく妻が私の性格に慣れた。

(つまはけれども、わたしたちいちぞくのこのせいかくには、)

妻はけれども、私達一族のこの性格には、

(そのあともしばしばおどろかされるのであった。いちばんひどかったのは、)

そのあともしばしば驚かされるのであった。一番ひどかったのは、

(いなかのおじである。じぶんのむすこがいなかのちゅうがっこうをそつぎょうして、)

田舎の伯父である。自分の息子が田舎の中学校を卒業して、

(とうきょうのしりつだいがくへはいることになったので、)

東京の私立大学へ入ることになったので、

(わたしのいえにむすこをあずけたというわけなのだが、むすこをつれてきて、)

私の家に息子を預けたという訳なのだが、息子を連れて来て、

(べつに「おいてもらえるか」とか「たのむ」ともいわずに、)

別に「置いてもらえるか」とか「頼む」とも言わずに、

(なにかくちのなかで「ひびやこうえんとあこうろうしのはかとを、みにいったら)

なにか口の中で「日比谷公園とあこうろうしの墓とを、見にいったら

(いいのだろうな」というようなことを、ぼそぼそといっただけで)

いいのだろうな」というようなことを、ぼそぼそと言っただけで

(かえっていった。もっともそのまえにわたしのちちから、いとこのたかしは)

帰っていった。もっともその前に私の父から、いとこのタカシは

(しょせいがわりにもなるだろうからおいてやってはどうか)

書生がわりにもなるだろうから置いてやってはどうか

(というてがみがあったので、わたしたちはかんげいしておいてやるいみのてがみを)

という手紙があったので、私達は歓迎して置いてやる意味の手紙を

(おじへかいたのではあったが、それにしても、ただあたまをさげるだけで)

伯父へ書いたのではあったが、それにしても、ただ頭を下げるだけで

(ひとこともあいさつのことばをくちにしないおじのたいどを、つまはひどくおどろいたらしかった。)

一言も挨拶の言葉を口にしない伯父の態度を、妻はひどく驚いたらしかった。

(いなかからもってきたみやげものなども、うなりでもするかのように、)

田舎から持って来た土産物なども、うなりでもするかのように、

(これとか、ほらというようなことをくちのなかでいっただけで、)

コレとか、ホラというようなことを口の中で言っただけで、

(べつにそれについてせつめいなどはしなかった。だからつまは、)

別にそれについて説明などはしなかった。だから妻は、

(「まったくことばをはっすることができないというわけではないんですもの、)

「まったく言葉を発することができないという訳では無いんですもの、

(どうやってたべるかぐらい、ちょっとひとことおしえてくださるといいのに」)

どうやって食べるかぐらい、ちょっと一言教えて下さるといいのに」

(というのであった。いとこのたかしもまた、いじょうなほどちんもくかで、)

と言うのであった。いとこのタカシもまた、異常なほど沈黙家で、

(さいしょの「ではどうぞおねがいいたします」というあいさつさえ)

最初の「ではどうぞお願いいたします」という挨拶さえ

(いうことができなかったほどだ。そしてあさになると、)

言うことが出来なかったほどだ。そして朝になると、

(だれへあいさつするということもなく、ごそごそとがっこうへでかけていって、)

誰へ挨拶するということもなく、ごそごそと学校へ出かけて行って、

(ゆうがたになるといつのまにかじぶんのへやへかえっているというふうであった。)

夕方になるといつの間にか自分の部屋へ帰っているという風であった。

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