미스터트롯 임영웅 part①
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問題文
(いっせんきゅうひゃくきゅうじゅういちねんろくがつじゅうろくにちうまれかしゅのいむよんうんにじゅうはっさい。)
1991年6月16日生まれ歌手の林英雄28歳。
(さんじゅうだいからむすこをひとりでそだててきたははおや。ははがひとりになったとしがちかづくほど)
三十代から息子を一人で育ててきた母親。母が一人になった年が近づくほど
(きづくははのあい。ははもおいていく。げんきでいてください。おかあさんだいすきです。)
気付く母の愛。母も老いて行く。元気でいてください。お母さん大好きです。
(ははにささげてうたう。むすこのまごころにこたえるきんいろのつばさ。みすたーとろっとほんせんしんしゅつ。)
母に捧げて歌う。息子の真心に応える金色の翼。ミスタートロット本戦進出。
(げんえきぶのなかまたちたちあがりはくしゅ。やはりげんえきぶ。でだしからおーるはーと。)
現役部の仲間たち立ち上がり拍手。やはり現役部。出だしからオールハート。
(かんきわまってなみだをぬぐうかおあっぷ。ははにむかったまごころがつたえられたぶたい。)
感極まって涙をぬぐう顔アップ。母に向かった真心が伝えられた舞台。
(しんさいんのげんきょくしゃのさよんろくじゅうさんさいいっせんきゅうひゃくごじゅうななねんしがつふつかうまれ。)
審査員の原曲者盧士燕63歳1957年4月2日生まれ。
(せんさいなかんせいのだんせいばーじょんのぱれむ。きかれるおかあさんもここちよいでしょう。)
繊細な感性の男性バージョンのパレム。聞かれるお母さんも心地よいでしょう。
(このきょくをきいたしゅんかん、こころにぱっととどいた。しゅくふくのつうろとなりひとびとのきょうかんをえた。)
この曲を聞いた瞬間、心にパッと届いた。祝福の通路となり人々の共感を得た。
(ちゅうこうねんそうのふぁんのあいだでくちこみにのりうたのきょうしつでにんきのれぱーとりーとなった。)
中高年層のファンの間で口コミに乗り歌の教室で人気のレパートリーとなった。
(りふれいんがきくひとのこころにしみこむ。ちゅうていおんぼーかるがむねにこみあげてくる。)
リフレインが聞く人の心に染み込む。中低音ボーカルが胸に込み上げてくる。
(にせんじゅうよねんじゅういちがつにはっぴょう。いご、にせんじゅうごねんこのきょくがじょじょににんきをえた。)
2014年11月に発表。以後、2015年この曲が徐々に人気を得た。
(どうねんほうえいしたかんこくどらま「まま」にしようされ、さらにおおきなにんきをえた。)
同年放映した韓国ドラマ「ママ」に使用され、さらに大きな人気を得た。
(どらまは、このためにぎせいになったおやのすがたをえがいている。)
ドラマは、子のために犠牲になった親の姿を描いている。
(しょうがいをかぞくとしょくばのためにくろうし、ぎせいになったおやのせだいのさいげつのおもみ、)
生涯を家族と職場のために苦労し、犠牲になった親の世代の歳月の重み、
(こどくをなぐさめるうたのかしが、どらまのないようにまっちしひっとした。)
孤独を慰める歌の歌詞が、ドラマの内容にマッチしヒットした。
(さくし、さっきょくのきむじょんふぁん、うたははっぴょうされるとしゅうせいすることができない。)
作詞、作曲のキム・ジョンファン、歌は発表されると修正することができない。
(とてもこわいんです。こていしたうたをつくりたくなかった。のさよんがうたっても、)
とても怖いんです。固定した歌を作りたくなかった。盧士燕が歌っても、
(はずかしくないうたをあたえたかった。だから、のさよんとかしゅのいめーじといろ、)
恥ずかしくない歌を与えたかった。だから、盧士燕と歌手のイメージと色、
(これまでいきてきたかのじょのじんせいのはいけいをはあくするのにながいじかんをついやしました。)
これまで生きてきた彼女の人生の背景を把握するのに長い時間を費やしました。
(のさよんがいう。ねんれいとともに、もうおわりだなという、なにかわからない)
盧士燕が言う。年齢とともに、もう終わりだなという、何か分からない
(ゆううつかんにおちいってくる。そうするうちにわたしもみをむすぶじんせいになることが、ありうる)
憂鬱感に陥ってくる。そうするうちに私も実を結ぶ人生になることが、ありうる
(というかくしんをえた。そんなころに、このうたとであいました。)
という確信を得た。そんな頃に、この歌と出会いました。
(ちょうりょくをうしない、ほちょうきをはさんでうたいながら、こんなんもおおかった。しょうがいとかんがえたら)
聴力を失い、補聴器を挟んで歌いながら、困難も多かった。障害と考えたら
(かなしいけど、きこえないものは、きかない、というきもちで、のりこえていく。)
悲しいけど、聞こえないものは、聞かない、という気持ちで、乗り越えて行く。
(ひゃくさいじだいをいきながら、ねんれいがいけばおわる、というかんがえを、かえてあげたい。)
百歳時代を生きながら、年令がいけば終わる、という考えを、変えてあげたい。