未帰還の友に~(1)~ 太宰治

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問題文
(きみがだいがくをでてそれからこきょうのせんだいのぶたいににゅうえいしたのはあれはたいへいよう)
君が大学を出てそれから故郷の仙台の舞台に入営したのは、あれは太平洋
(せんそうのはじまったよくとししょうわじゅうしちねんのはるではなかったかしらそれからいちねん)
戦争の始まった翌年、昭和十七年の春ではなかったかしら。それから一年
(たってしょうわじゅうはちねんのそうしゅんにあすごじ うえのつくという)
経って、昭和十八年の早春に、アス五ジ ウエノツクという
(きみからのでんぽうをうけとった)
君からの電報を受け取った。
(あれはさんがつのはじめごろではなかったかしら)
あれは、三月の初め頃ではなかったかしら。
(なにせまだひどくさむかった)
何せまだ、ひどく寒いかった。
(ぼくはくらいうちからおきてうえのえきへゆき)
僕は暗いうちから起きて、上野駅へ行き、
(かいさつぐちのまえにうずくまってきみもいよいよせんちへいくことになった)
改札口の前にうずくまって、君もいよいよ戦地へ行く事になった
(のだとひそかにすいていしていた)
のだとひそかに推定していた。
(えんりょぶかくてりちぎなきみがこんなでんぽうをぼくにうってよこすのは)
遠慮深くて律儀な君が、こんな電報を僕に打って寄こすのは
(よほどのことであろう)
よほどの事であろう
(せんちへでかけるとちゅううえのえきにげしゃして)
戦地へ出かける途中、上野駅に下車して、
(そこでたしょうのきゅうけいのじかんがあるからそれをりようし)
そこで多少の休憩の時間があるからそれを利用し、
(ぼくとのもうというさんだんにちがいないとぼくはけんさつしていたのである)
僕と飲もうという算段に違いないと僕は賢察していたのである。
(もうそのころにほんではさけがそろそろなくなりかけていて)
もうその頃、日本では、酒がそろそろ無くなりかけていて、
(さかばのまえにぎょうれつをつくってごごごじのかいてんをまち)
酒場の前に行列を作って午後五時の開店を待ち、
(さかばのますたあにおおいにあいそをいいながら)
酒場のマスタアに大いにあいそを言いながら、
(やっとはんごうかいちごうのさけにありつけるというありさま)
やっと半合か一合の酒にありつけるという有様
(であったけれどもぼくにはきっしょうじにいっけんしたしく)
であった。けれども僕には、吉祥寺に一軒、親しく
(しているすたんどばあがあってすこしはむりもきくのでじつは)
しているスタンドバアがあって、少しは無理もきくので、実は
(そのぜんじつそこのおばさんにぼくのしんゆうがこんどせんち)
その前日そこのおばさんに、「僕の親友がこんど戦地
(へいくことになったらしくあしたのあさはやくうえのへついて)
へ行く事になったらしく、あしたの朝早く上野へついて、
(それからなんじかんのよゆうがあるかわからないけれども)
それから何時間の余裕があるかわからないけれども、
(とにかくここへつれてくるつもりだからおさけとそれから)
とにかくここへ連れてくるつもりだから、お酒とそれから
(なにかあたたかいたべものをよういしておいてくれたのむ)
何か温かい食べ物を用意しておいてくれ、たのむ!」
(といってしょうだくさせた)
と言って、承諾させた。
(きみとあったらすぐにものもいわずにそのきっしょうじの)
君と逢ったらすぐに、ものも言わずにその吉祥寺の
(すたんどにひっぱっていくつもりでいたのだがしかしきみの)
スタンドに引っぱって行くつもりでいたのだが、しかし、君の
(きしゃはずいぶんおくれたさんじかんもおくれた)
汽車は、ずいぶん遅れた。三時間も遅れた。
(ぼくはかいさつぐちのところでとんびのりょうそでを)
僕は改札口のところで、トンビの両袖を
(かさねてしゃがみきみをまっておいたのだがないしん)
重ねてしゃがみ、君を待っていたのだが、内心、
(きがきでなかったきみのきしゃがいちじかんおくれると)
気が気でなかった。君の汽車が一時間おくれると、
(いちじかんだけきみとのむじかんがすくなくなるわけである)
一時間だけ君と飲む時間が少なくなるわけである。
(それがさんじかんいじょうもおくれたのだからじつにひじょうなだげきであるそれにどうも)
それが三時間以上も遅れたのだから、実に非常な打撃である。それにどうも、
(ひどくさむいそのころとうきょうではまだくうしゅうはなかったがしかしすでにぼうくうふくそう)
ひどく寒い。そのころ東京では、まだ空襲は無かったが、しかし既に防空服装
(というものがりゅうこうしていてぼくのようにわふくのきながしにとんびをひっかけている)
というものが流行していて、僕のように和服の着流しにトンビをひっかけている
(ものはほとんどなかったわふくのきながしでこんくりーとのたたきにうずくまっていると)
者は、ほとんど無かった。和服の着流しでコンクリートのたたきに蹲っていると
(すそのほうかられいきがはいあがってきてぞくぞくさむくやりきれなかったご)
、裾のほうから冷気が這いあがって来て、ぞくぞく寒く、やりきれなかった。午
(ぜんくじちかくなってきみたちのきしゃがついたきみはひとりでなかった)
前九時近くなって、君たちの汽車が着いた。君は、ひとりで無かった。これは僕
(ざっざっざっというぐんくつのひびきとともにきみたちかんぶこうほせいににひゃくめいくらいがよんれつ)
ざッざッざッという軍靴の響きと共に、君たち幹部候補生に二百名くらいが四列
(じゅうたいでかいさつぐちへやってきたぼくはかいさつぐちのそばでつまさきだちきみをさがしたきみがぼくを)
縦隊で改札口へやって来た。僕は改札口の傍で爪先立ち、君を捜した。君が僕を
(みつけたのとぼくがきみをみつけたのとほとんどどうじくらいであったようだ)
見つけたのと、僕が君を見つけたのと、ほとんど同時くらいであったようだ。
(ややというぐあいになりきみはぐんりつもくそもるものかとばかりに)
「や。」「や。」という具合になり、君は軍律もクソもあるものか、とばかりに
(れつからぬけてぼくのほうにはしりよりおまたせしますたどうすてもあいた)
列から抜けて、僕のほうに走り寄り、「お待たせしまスた。どうスても、逢いた
(くてあったのでねといったぼくはきみがしばらくこきょうのぶたいにいるうちに)
くてあったのでね。」と言った。僕は君がしばらく故郷の舞台にいるうちに、
(ひどくとうほくなまりのつよくなったのにおどろきかつはあきれたざっざっざっとれつはぼくの)
ひどく東北訛りの強くなったのに驚き、かつは呆れた。ざッざッざッと列は僕の
(めまえをつうかするきみはそのれつにはまるでむかんしんのようにやたらにしゃべる)
眼前を通過する。君はその列にはまるで無関心のように、やたらにしゃべる。
(それはきみがぼくにあったらまずどのようなことをいってきみじしんのしんぽをみとめさせ)
それは君が、僕に逢ったらまずどのような事を言って君自身の進歩をみとめさせ
(てやろうかときしゃのなかでかんがえにかんがえてきたことにちがいない)
てやろうかと、汽車の中で考えに考えて来た事に違いない。
(せいかつというのはつまりなんですねあれはなんでもないことですねぼくは)
「生活というのは、つまり,何ですね,あれは,何でも無い事ですね。僕は、
(がっこうにいたころはせいかつというものがやたらにこわくていけませんでしたが)
学校にいた頃は、生活というものが、やたらにこわくて、いけませんでしたが、
(しかすなんでもないものであったですねぐんたいだってせいかつですからねせいかつとい)
しかス、何でも無いものであったですね。軍隊だって生活ですからね。生活とい
(うのはつまりなんのことはないしんぺんのものとのつきあいですよそれだけのもの)
うのは、つまり、何のことは無い,身辺の者との附合いですよ。それだけのもの
(であったですねぐんたいなんてのはつまらないがしかすぼくはこのいちねんかんに)
であったですね。軍隊なんてのは、つまらないが,しかス、僕はこの一年間に
(おいてせいかつのじしんをえたですねれつはどんどんつうかするぼくはきがきでない)
於いて、生活の自信を得たですね。」列はどんどん通過する。僕は気が気でない
(おいだいじょうぶかとぼくはこごえでちゅういをあたえたなにかまいません)
「おい、だいじょうぶか。」と僕は小声で注意を与えた。「なに、かまいません
(ときみはそのれつのほうにはふりむきもせずぼくはいまのおといえるよう)
。」と君は、その列のほうには振り向きもせず、「僕はいま、ノオと言えるよう
(になったですねせいかつじんのつよさというのははっきりのおといえるゆうきです)
になったですね。生活人の強さというのは、はっきり、ノオと言える勇気です
(ねぼくはそうおもいますよしんぺんのものとのつきあいにおいてのおというべきときに)
ね。僕は、そう思いますよ。身辺の者との附合いに於いて、ノオと言うべき時に
(はっきりのおというこれができたときにぼくはせいかつというものにじしんをえたで)
、はっきりノオと言う。これが出来た時に、僕は生活というものに自信を得たで
(すねせんせいなんかはいまだにのおといえないでしょうきっとまだいえませ)
すね。先生なんかは、未だにノオと言えないでしょう?きっと、まだ。言えませ
(んよのおのおとぼくはいってせいかつろんはあとまわしにしてそれよりも)
んよ。」「ノオ、ノオ。」と僕は言って、「生活論は後回しにして、それよりも
(きみきみのしんぺんのものはもうむこうへいってしまったよ)
君、君の身辺の者はもう向こうへ行ってしまったよ。」「相変わらず先生は臆病
(だなおちつきというものがないあのしんぺんのものたちはえきのまえでかいさんになって)
だな。落ち着きというものが無い。あの身辺の者たちは、駅の前で解散になって
(それからちょうしょくということになるのですよあちょっとここでまっていてください)
それから朝食という事になるのですよ。あ、ちょっとここで待っていてください
(といってはしりかけまたひきかえしいいですかここにいてくださ)
ださい。」と言って、走りかけ、また引き返し、いいですか。ここにいてくださ
(いよすぐにかえってきますからきみはどいういういみかむらさきのふくろにはいったきみの)
いよ。すぐに帰ってきますから。」君はどう言う意味か、紫の袋に入った君の
(ぐんとうをぼくにあずけてはしりさったぼくはまごつきながらもそのぐんとうをみぎてに)
軍刀を僕に預けて、走り去った。僕は、まごつきながらも、その軍刀を右手に
(もってきみをまったしばらくしてきみはたけのかわにつつまれたおべんとうをふたつにかかえて)
持って君を待った。しばらくして君は、竹の皮に包まれたお弁当を二つに抱えて
(ざんねんですああざんねんだじかんがないんですよもうなんじかんもないのか)
「残念です。嗚呼、残念だ。時間がないんですよ、もう。」「何時間もないのか
(もうすぐかとぼくはきみのいわゆるおちつきのないところをはっきしたじゅういち)
?もう、すぐか?」と僕は、君の所謂落ち着きのないところを発揮した.「十一
(じさんじゅっぷんまでそれまでにえきまえにしゅうごうしてすぐしゅっぱつだそうです)
時三十分まで。それまでに、駅前に集合して、すぐ出発だそうです。」
(いまなんじだきみのおろかなせんせいはこのじゅうごろくねんかんとけいというものをもった)
「今何時だ。」君の愚かな先生は、この十五、六年間、時計というものを持った
(ことがないとけいをきらいなのではなくとけいのほうでこのせんせいをきらいらしいのであ)
事が無い。時計を嫌いなのではなく、時計のほうでこの先生を嫌いらしいのであ
(るとけいにかぎらずたいていのかざいはせんせいをきらってよりつかないぐあいである)
る。時計に限らず、たいていの家財は、先生を嫌って寄り附かない具合である。
(きみはきみのうでどけいをみてじこくをほうこくしたじゅうじさんじゅっぷんまでもうさんじかんくら)
君は、君の腕時計を見て、時刻を報告した。十一時三十分まで、もう三時間くら
(いしかないぼくはきみをきっしょうじのすたんどばあにひっぱっていくことをだんねん)
いしか無い。僕は、君を吉祥寺のスタンドばあに引っ張っていくことを、断念
(しなければいけなかったうえのからきっしょうじまでしょうせんでいちじかんかかるそう)
しなければいけなかった。上野から吉祥寺まで、省線でいちじかんかかる。そう
(するとおうふくだけですでににじかんをひしょうすることになるあといちじかんんそれもおちつき)
すると、往復だけで既に二時間を費消する事になる。後一時間。それも落ち着き
(のないたえずとけいばかりきにしていなければならぬいちじかんであるいみない)
の無い、絶えず時計ばかり気にしていなければならぬ一時間である。意味無い、
(とぼくはあきらめたこうえんでもさんぽするかなきべそをかくようなきもちであ)
と僕はあきらめた。「公園でも散歩するか。」泣きべそをかくような気持であ
(ったぼくはいまでもそうだがこんなときにはおまつりにつれていかれずいえにひとり)
った。僕は今でもそうだが、こんな時には、お祭りに連れていかれず、家に一人
(のこされたこどもみたいなてんをうらみちをのろうようなどうにもかなわないさびしさに)
残された子供みたいな、天を恨み、地を呪うような、どうにも敵わない寂しさに
(おそわれるのだわがみのふこうなどというおおげさなしばいがかったことばをじょうだん)
襲われるのだ。我が身の不幸、などという大袈裟な芝居がかった言葉を、冗談
(でなくおもいうかべたりするのであるしかしきみはへいきで)
でなく思い浮かべたりするのである。しかし、君は平気で、
(まいりましょうというぼくはきみにぐんというをてわたしどうもこのひもはしゅみが)
「まいりましょう。」という。僕は君に軍刀を手渡し、「どうもこの紐は趣味が
(わるいねといったぐんとうのむらさきのふくろにはまっかなふといひとぎぬのひもがぐるぐるまき)
悪いね。」と言った。軍刀の紫の袋には、真赤な太い人絹のひもがぐるぐる巻き
(つけられそうしてそのひものはしにはごていねいにおおきいふさなどがつけられてある)
つけられ、そうして、その紐の端には御叮嚀に大きい総などが附けられてある。
(せんせいにはまだいろけがあるんですねはずかしかったですかすこし)
「先生には、まだ色気があるんですね。恥ずかしかったですか?」「すこし、
(はずかしかったそんなにみえぼうではへいたいになれませんよぼくたちはえき)
恥ずかしかった。」「そんなに見栄坊では、兵隊になれませんよ。」僕たちは駅
(からでてうえのこうえんにむかったへいたいだってみえぼうさしゅみのきわめてわるいみえ)
から出て上野公園に向かった。「兵隊だって見栄坊さ。趣味の極めて悪い見栄
(ぼうさていこくしゅぎのしんりゃくとかなんとかというりゆうからでなくともぼくはほんのうてきに)
坊さ。」帝国主義の侵略とかなんとかという理由からでなくとも、僕は本能的に
(あるいはにくたいてきにへいたいがきらいであったあるゆうじんからふくえきちゅうはるすたくのせわ)
或いは肉体的に兵隊がきらいであった。或る友人から「服役中は留守宅の世話
(うんぬんというてがみをもらいそのふくえきということばがちょうえきにでもふくしている)
云々」という手紙をもらい、その「服役」という言葉が、懲役にでも服している
(ようないんざんなかんじがしてこれはふくえきちゅうのまちがいではなかろうかとおもって)
ような陰惨な感じがして、これは「服役中」の間違いではなかろうかと思って、
(ひとにたずねてみたがやはりそれはふくえきというのがただしいいいならわしになって)
人に尋ねてみたが、やはりそれは「服役」というのが正しい言い習わしになって
(いるときかされうんざりしたことがあるさけをのみたいねとぼくはこうえん)
いると聞かされ、ウンザリした事がある。「酒を飲みたいね。」と僕は、公園
(のいしだんをのぼりながらひくくひとりごとのようにいったそれもわるいしゅみでしょう)
の石段を登りながら、低く独り言のように言った。「それも、悪い趣味でしょう
(しかしすくなくともみばえではないみばえでさけをのむひとなんかない)
。」「しかし、少なくとも、見栄えではない。見栄えで酒を飲む人なんかない
(ぼくはこうえんのなんしゅうのどうぞうのちかくのちゃてんにはいってさけはないかときいてみた)
。」僕は公園の南洲の銅像の近くの茶店にはいって、酒はないかと聞いてみた。