おまえは本当に幸せか?|ヘルマン・ヘッセ
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問題文
(「おまえはほんとうにしあわせか?」というといが、わたしのこころにとつぜんしゃぼんだまのよう)
「おまえはほんとうに幸せか?」という問いが、私の心に突然シャボン玉のよう
(にふくらんだ。そうだ、もちろんだ。だが、ちょっとまて、いや、ほんとう)
にふくらんだ。そうだ、もちろんだ。だが、ちょっと待て、いや、ほんとう
(にそんなにしあわせなのだろうかそうではない。けれど、わたしはまずよ)
にそんなに幸せなのだろうかそうではない。けれど、わたしはまずよ
(くかんがえてみなければならない。そしてわたしはかんがえているうちに、わたしたちはこう)
く考えてみなければならない。 そして私は考えているうちに、私たちは幸
(ふくというものをもんだいにしてはいけないのだということにきがつく。こうふくなど)
福というものを問題にしてはいけないのだということに気がつく。幸福など
(もちろんなにものでもない。ひとつのことば、むいみなことばなのだ。ほかのこ)
もちろん何ものでもない。ひとつの言葉、無意味な言葉なのだ。ほかのこ
(とのほうがたいせつなのだ。よくかんがえているうちに、このといはかわってしまう。)
とのほうが大切なのだ。よく考えているうちに、この問いは変わってしまう。
(そしてとつぜんわたしは、わたしのもっともうれしいひだって!しょうしせんばんだ。わたしのきおくの)
そして突然私は、私の最もうれしい日だって! 笑止千万だ。私の記憶の
(なかで、けっこうな、ほんものの、すばらしいしゅんかんがかきとめられているところに)
中で、けっこうな、本物の、すばらしい瞬間が書きとめられているところに
(は、このようなしゅんかんはじゅうもひゃくも、ひゃくよりもはるかにたくさんめじろおしにならん)
は、このような瞬間は十も百も、百よりもはるかにたくさん目白押しに並ん
(でいて、どれももうしぶんがなく、くもりのないよろこびにあふれており、どれも)
でいて、どれも申し分がなく、曇りのないよろこびにあふれており、どれも
(ほかのしゅんかんとおなじようにうつくしく、どれひとつとしてほかのものとおなじものはない・・・)
他の瞬間と同じように美しく、どれひとつとして他のものと同じものはない…
(おもいだせばはてしがない。どんなにおおくのたいようがわたしをこがしてくれたか、)
思い出せば果てしがない。どんなに多くの太陽が私を焦がしてくれたか、
(どんなにたくさんのかわやたいががわたしのからだをひやしてくれたか、どんなにおお)
どんなにたくさんの川や大河が私の身体を冷やしてくれたか、どんなに多
(くのみちがわたしをはこび、おがわがわたしとともにあそんでくれたか!あおいそらや、わすれが)
くの道が私を運び、小川が私とともに遊んでくれたか! 青い空や、忘れが
(たいほどいきいきとしてこのましいにんげんのめを、わたしはどれほどのぞきこんだ)
たいほど生き生きとして好ましい人間の眼を、私はどれほどのぞきこんだ
(ことか、どんなにたくさんのどうぶつをあいし、さそいよせたか!これらのしゅんかんはど)
ことか、どんなにたくさんの動物を愛し、誘い寄せたか! これらの瞬間はど
(れも、ほかのしゅんかんよりすばらしい。そしてわたしが、このわいんのさかずきをゆっくりの)
れも、他の瞬間よりすばらしい。そして私が、このワインの杯をゆっくり飲
(みほし、おんがくにききいり、そしてこのましいおもいでにひたっているこのげんざい)
み干し、音楽に聞き入り、そして好ましい思い出にひたっているこの現在
(のしゅんかん、このげんざいのひとときも、けっしてわるくはない。)
の瞬間、この現在のひとときも、決して悪くはない。
(おお、そうではない!わたしはむそうしつづける。すると、みよ、たいけんのうみのなかか)
おお、そうではない! 私は夢想しつづける。すると、見よ、体験の海の中か
(らべつのじょうけいがうかびあがってくるではないか。くるしみのときが、かなし)
ら別の情景が浮かび上がってくるではないか。苦しみの時が、悲し
(みのひびが、くつじょくとこうかいのひびが、はいぼくのしゅんかん、しをまぢかにかんじたしゅんかん)
みの日々が、屈辱と後悔の日々が、敗北の瞬間、死を間近に感じた瞬間
(、おそろしいしゅんかんが。わすれられないはつこいがあざむかれ、くもんしながらしのうとし)
、恐ろしい瞬間が。忘れられない初恋が欺かれ、苦悶しながら死のうとし
(たあのひを、ふたたびありありとおもいだす。ひとりのつかいのひとがきて、あい)
たあの日を、ふたたびありありと思い出す。ひとりの使いの人が来て、あい
(さつをし、おかねをようきゅうし、とおいふるさとでははがしんだというしらせをおいて)
さつをし、お金を要求し、遠いふるさとで母が死んだという知らせを置いて
(いったひをおもいだす。わかいころのともが、よっぱらってわたしをばとうしたあのよるを)
いった日を思い出す。若いころの友が、酔っ払って私を罵倒したあの夜を
(おもいだす。わたしのふぁいるにしとねついのこもったろんぶんがあふれるほどつまっ)
思い出す。私のファイルに詩と熱意のこもった論文があふれるほどつまっ
(ているのに、ぱんをいっこかうすうぺにひをどうしててにいれたらよいかわから)
ているのに、パンを一個買う数ペニヒをどうして手に入れたらよいかわから
(なかったひびを。わたしのあいするゆうじんたちがくるしみ、ぜつぼうしているのをみな)
なかった日々を。私の愛する友人たちが苦しみ、絶望しているのを見な
(がら、そのかたわらにたって、じぶんもくるしみ、ともをたすけることもなぐさめることも)
がら、そのかたわらに立って、自分も苦しみ、友を助けることも慰めることも
(、そのくるしみをやわらげることもできなかったおおくのじきを。)
、その苦しみを和らげることもできなかった多くの時期を。
(そしてかねもちで、わたしのせいさつよだつのけんをにぎっていたひとびとのまえにたって、かれ)
そして金持ちで、私の生殺与奪の権を握っていた人びとの前に立って、彼
(らのぶじょくのことばをきき、ふるえながらにぎりしめたこぶしをかくさなければならなか)
らの侮辱の言葉を聞き、震えながら握りしめた拳を隠さなければならなか
(ったいくつものしゅんかんを。うわぎの、ぶざまにつくろわれたかしょをずっとてでかくし)
ったいくつもの瞬間を。上着の、ぶざまに繕われた箇所をずっと手で隠し
(つづけていたぱーてぃーを。ねむれずによこたわり、このせいかつをなんのためにつづ)
つづけていたパーティーを。眠れずに横たわり、この生活を何のために続
(けてゆくのかわからなくなったすべてのよるを。そして、こころのなかでみじめで)
けてゆくのかわからなくなったすべての夜を。そして、心の中でみじめで
(かなしいおもいをしながら、のみやのてーぶるでみんなといっしょにわらい、おど)
悲しい思いをしながら、飲み屋のテーブルでみんなといっしょに笑い、おど
(けてようきなふりをしたあのすべてのよるを。かなうのぞみのないこいをしたじ)
けて陽気なふりをしたあのすべての夜を。かなう望みのない恋をした時
(きを、またもやはじめたしごとにしっぱいし、りそうをみうしない、こころみもざせつしたとき)
期を、またもや始めた仕事に失敗し、理想を見失い、試みも挫折したとき
(、かみへのしんこうをなくし、じぶんじしんをあざわらったじきを。)
、神への信仰をなくし、自分自身を嘲った時期を。
(これもはてしがない!しかしこれらのひとときのどれをすててしまい、どれ)
これも果てしがない! しかしこれらのひとときのどれを捨ててしまい、どれ
(をけしてしまい、わすれてしまいたいとおもうだろうか?どれも、どれひとつと)
を消してしまい、忘れてしまいたいと思うだろうか? どれも、どれひとつと
(して、いちばんつらいしゅんかんさえわすれたくない。)
して、一番つらい瞬間さえ忘れたくない。
(・・・わたしはいまこのひとときにわたしにおとずれたなんびゃくものおもいでをむそうしながら、ざっ)
…私は今このひとときに私に訪れた何百もの思い出を夢想しながら、ざっ
(とながめてみる。こんなにたくさんのひび、とてもたくさんのゆうべを、とてもた)
と眺めてみる。こんなにたくさんの日々、とてもたくさんの夕べを、とてもた
(くさんのひとときを、とてもたくさんのよるをそしてそれらぜんぶをいっしょ)
くさんのひとときを、とてもたくさんの夜をそしてそれら全部をいっしょ
(にしても、わたしのしょうがいのじゅうぶんのいちにもたっしないのである。ほかのものはどこ)
にしても、私の生涯の十分の一にも達しないのである。ほかのものはどこ
(へいったのだろう?わたしがひとつもおもいださず、けっしてめをさましてわたしをみ)
へ行ったのだろう? 私がひとつも思い出さず、決して目を覚まして私を見
(つめることのないあのなんぜんものひ、なんぜんものゆうべ、なんびゃくまんものしゅんかんは?や)
つめることのないあの何千もの日、何千もの夕べ、何百万もの瞬間は? や
(ってきてはとおりすぎ、きえてしまって、とりもどすことができないのだ!)
ってきては通り過ぎ、消えてしまって、取り戻すことができないのだ!
(そしてきょうのゆうべは?このゆうべはどこへいってしまうのだろう?このゆう)
そして今日の夕べは? この夕べはどこへ行ってしまうのだろう? この夕
(べは、いつかいちどめをさまし、わたしのこころにはっきりとよみがえり、おおごえでせつ)
べは、いつか一度目を覚まし、私の心にはっきりとよみがえり、大声で切
(せつと、「すぎてしまったあのときをおもいだせ」とよびかけることがあるのだろ)
々と、「過ぎてしまったあのときを思い出せ」と呼びかけることがあるのだろ
(うか?そうはおもわない。このしゅんかんは、あしたかあさってにはかこのものとなり)
うか? そうは思わない。この瞬間は、明日か明後日には過去のものとなり
(、しんでしまって、けっしてもどってくることはないのだとわたしはおもう。そしてわたし)
、死んでしまって、決して戻ってくることはないのだと私は思う。そして私
(がきょうなにもしごとをせず、どりょくをせず、ほんのわずかにせよしごとをしてなに)
が今日何も仕事をせず、努力をせず、ほんのわずかにせよ仕事をして何
(かをなしとげることがなかったなら、このいちにちはすべて、このきょうというひ)
かをなしとげることがなかったなら、この一日はすべて、この今日という日
(はあしたかあさってにはすくうすべもなくそこなしのしんえんにしずみ、なにひとつとして)
は明日か明後日には救うすべもなく底なしの深淵に沈み、何ひとつとして
(わたしのこころにのこらない、たくさんのほうむられてしまったひびのなかまいりをするのだ。)
私の心に残らない、たくさんの葬られてしまった日々の仲間入りをするのだ。
(まじんがうんめいをあやつっているために、いっぽうてきなはげしいじょうねつにかられて、もうもくに)
魔人が運命を操っているために、一方的な激しい情熱にかられて、盲目に
(、れっかのようにもえあがりながらけっしてやすむことなく、じんせいをばくしんするせい)
、烈火のように燃えあがりながら決して休むことなく、人生を驀進する性
(かくにうまれついているひとはべつとして、だれでもはやいうちに、あらゆるぎじゅつの)
格に生まれついている人はべつとして、誰でも早いうちに、あらゆる技術の
(うちのさいこうのぎげいであるついおくのぎじゅつをみがくことはよいことだろう。ものごとを)
うちの最高の技芸である追憶の技術を磨くことはよいことだろう。物ごとを
(たのしみあじわうのうりょくと、ついおくののうりょくとはひょうりいったいをなすものだ。たのしむとい)
楽しみ味わう能力と、追憶の能力とは表裏一体をなすものだ。楽しむとい
(うことは、ひとつのかじつから、そのかんびなしるをあますところなくしぼりつくすよ)
うことは、ひとつの果実から、その甘美な汁をあますところなく絞りつくすよ
(うなものだ。そしてかいそうとは、いちどたのしんだことがらをほぞんするだけでなく)
うなものだ。そして回想とは、一度楽しんだことがらを保存するだけでなく
(、それをかいそうするたびにますますじゅんすいなかたちにねりあげることをいみする。)
、それを回想するたびにますます純粋な形に練りあげることを意味する。
(わたしたちはみな、そういうことをむいしきのうちにやっているのだ。こどもじだいの)
私たちはみな、そういうことを無意識のうちにやっているのだ。子供時代の
(ことをおもいだすとき、わたしたちはこんらんした、たくさんのささいなじけんをおもいう)
ことを思い出すとき、私たちは混乱した、たくさんのささいな事件を思い浮
(かべるのではない。げんえいとなってしまったこどもじだいのおもいでが、わたしたちの)
かべるのではない。幻影となってしまった子供時代の思い出が、私たちの
(ずじょうに、わたしたちをこのうえもなくしあわせなおもいでみたすあおぞらをひろげ、むすうのうつく)
頭上に、私たちをこの上もなく幸せな思いで満たす青空を広げ、無数の美
(しいじぶつのついそうをこんごうして、ことばではいいつくせないよろこびをわたしたちに)
しい事物の追想を混合して、言葉では言い尽くせないよろこびを私たちに
(あたえるのだ。)
与えるのだ。
(このようにかいそうは、とおくすぎさったひびのよろこびをふたたびあじわわせて)
このように回想は、遠く過ぎ去った日々のよろこびをふたたび味わわせて
(くれるだけでなく、どのひをもこうふくのしょうちょうに、わたしたちのあこがれのもくひょうに)
くれるだけでなく、どの日をも幸福の象徴に、私たちのあこがれの目標に
(、そしてらくえんにまでたかめることによって、くりかえしあらたにたのしみあじわうこと)
、そして楽園にまで高めることによって、くりかえし新たに楽しみ味わうこと
(をおしえてくれるのだ。かいそうが、どんなにおおくのなりのよろこびや、ほのぼのと)
を教えてくれるのだ。回想が、どんなに多くの成のよろこびや、ほのぼのと
(するおもいや、かがやかしいかんじょうを、みじかいじかんにいっきょにつめこむことができるか)
する思いや、輝かしい感情を、短い時間に一挙に詰め込むことができるか
(をしったひとは、これからはまいにちのあたらしいさまざまなたまものをできるだけじゅんすい)
を知った人は、これからは毎日の新しいさまざまな賜物をできるだけ純粋
(にうけとりたいとおもうようになるだろう。そしてかれは、くるしみにもずっとうま)
に受け取りたいと思うようになるだろう。そして彼は、苦しみにもずっとうま
(くたいしょできるようになるだろう。かれはひとつのおおきなくるしみをたのしみとまっ)
く対処できるようになるだろう。彼はひとつの大きな苦しみを楽しみとまっ
(たくおなじようにじゅんすいに、そしてしんけんにあじわうことをこころみるだろう。くらいひび)
たく同じように純粋に、そして真剣に味わうことを試みるだろう。暗い日々
(のおもいでもまた、うつくしくしんせいなざいさんのひとつであることをしっているからだ。)
の思い出もまた、美しく神聖な財産のひとつであることを知っているからだ。