『永日小品』1

背景
投稿者投稿者ぱったいいいね1お気に入り登録
プレイ回数461難易度(4.2) 3869打 長文 かな
『永日小品』より「元日」

関連タイピング

問題文

ふりがな非表示 ふりがな表示

(ぞうにをくって、しょさいにひきとると、しばらくしてさんよにんきた。いずれも)

雑煮を食って、書斎に引き取ると、しばらくして三四人来た。いずれも

(わかいおとこである。そのうちのひとりがふろっくをきている。きなれないせいか、)

若い男である。そのうちの一人がフロックを着ている。着なれないせいか、

(めるとんにたいしてみょうにえんりょするかたむきがある。あとのものはみなわふくで、かつ)

メルトンに対して妙に遠慮する傾がある。あとのものは皆和服で、かつ

(ふだんぎのままだからとんとしょうがつらしくない。このれんちゅうがふろっくをながめて、)

不断着のままだからとんと正月らしくない。この連中がフロックを眺めて、

(やあやあとひとつずついった。みんなおどろいたしょうこである。じぶんもいちばんあとで、)

やあやあと一ツずつ云った。みんな驚いた証拠である。自分も一番あとで、

(やあといった。ふろっくはしろいはんけちをだして、ようもないかおをふいた。)

やあと云った。フロックは白いハンケチを出して、用もない顔を拭いた。

(そうして、しきりにとそをのんだ。ほかのれんちゅうもおおいにぜんのものをつっついて)

そうして、しきりに屠蘇を飲んだ。ほかの連中も大いに膳のものを突ッついて

(いる。ところへきょしがくるまできた。これはくろいはおりにくろいもんつきをきて、)

いる。ところへ虚子が車で来た。これは黒い羽織に黒い紋付を着て、

(きわめてきゅうしきにきまっている。あなたはくろもんつきをもっていますが、やはりのうを)

極めて旧式にきまっている。あなたは黒紋付を持っていますが、やはり能を

(やるからそのひつようがあるんでしょうときいたら、きょしが、ええそうですと)

やるからその必要があるんでしょうと聞いたら、虚子が、ええそうですと

(こたえた。そうして、ひとつうたいませんかといいだした。)

答えた。そうして、一つ謡いませんかと云い出した。

(じぶんはうたってもようござんすとおうじた。それからふたりして)

自分は謡ってもようござんすと応じた。それから二人して

(とうぼくくというものをうたった。よほどいぜんにならっただけで、)

東北と云うものを謡った。よほど以前に習っただけで、

(ほとんどふくしゅうということをやらないから、ところどころはなはだあいまいである。その)

ほとんど復習と云う事をやらないから、ところどころはなはだ曖昧である。その

(うえ、われながらおぼつかないこえがでた。ようやくうたってしまうと、きいていたわかいれんちゅう)

上、我ながら覚束ない声が出た。ようやく謡ってしまうと、聞いていた若い連中

(が、もうしあわせたようにじぶんをまずいといいだした。なかにもふろっくは、あなたの)

が、申し合せたように自分をまずいと云い出した。中にもフロックは、あなたの

(こえはひょろひょろしているといった。このれんちゅうはがんらいうたいのうのじもこころえない)

声はひょろひょろしていると云った。この連中は元来謡いのうの字も心得ない

(ものどもである。だからきょしとじぶんのゆうれつはとてもわからないだろうとおもっていた。)

もの共である。だから虚子と自分の優劣はとても分らないだろうと思っていた。

(しかし、ひひょうをされてみると、しろうとでもりのとうぜんなところだからやむをえない。)

しかし、批評をされて見ると、素人でも理の当然なところだからやむをえない。

(ばかをいえというゆうきもでなかった。)

馬鹿を云えという勇気も出なかった。

など

(するときょしがきんらいつづみをならっているというはなしをはじめた。うたいのうのじもしらない)

すると虚子が近来鼓を習っているという話しを始めた。謡のうの字も知らない

(れんちゅうが、ひとつうってごらんなさい、ぜひおきかせなさいとしょもうしている。きょしは)

連中が、一つ打って御覧なさい、是非御聞かせなさいと所望している。虚子は

(じぶんに、じゃ、あなたうたってくださいといらいした。これははやしのなにものたるをしらない)

自分に、じゃ、あなた謡って下さいと依頼した。これは囃の何物たるを知らない

(じぶんにとっては、めいわくでもあったが、またざんしんというきょうみもあった。)

自分にとっては、迷惑でもあったが、また斬新という興味もあった。

(うたいましょうとひきうけた。きょしはしゃふをはしらしてつづみをとりよせた。つづみがくると、)

謡いましょうと引受けた。虚子は車夫を走らして鼓を取り寄せた。鼓がくると、

(だいどころからしちりんをもってこさして、かんかんいうすみびのうえでつづみのかわをあぶりはじめた。)

台所から七輪を持って来さして、かんかんいう炭火の上で鼓の皮を焙り始めた。

(みんなおどろいてみている。じぶんもこのもうれつなあぶりかたにはおどろいた。だいじょうぶですかと)

みんな驚いて見ている。自分もこの猛烈な焙りかたには驚いた。大丈夫ですかと

(たずねたら、ええだいじょうぶですとこたえながら、ゆびのさきではりきったかわのうえをかんと)

尋ねたら、ええ大丈夫ですと答えながら、指の先で張切った皮の上をかんと

(はじいた。ちょっとよいおとがした。もういいでしょうと、しちりんからおろして、つづみの)

弾いた。ちょっと好い音がした。もういいでしょうと、七輪からおろして、鼓の

(おをしめにかかった。もんぷくのおとこが、あかいおをいじくっているところがなんとなく)

緒を締めにかかった。紋服の男が、赤い緒をいじくっているところが何となく

(ひんがよい。こんどはみんなかんしんしてみている。)

品が好い。今度はみんな感心して見ている。

(きょしはやがてはおりをぬいだ。そうしてつづみをかいこんだ。じぶんはすこしまってくれと)

虚子はやがて羽織を脱いだ。そうして鼓を抱込んだ。自分は少し待ってくれと

(たのんだ。だいいちかれがどこいらでつづみをうつかけんとうがつかないからちょっとうちあわせを)

頼んだ。第一彼がどこいらで鼓を打つか見当がつかないからちょっと打ち合せを

(したい。きょしは、ここでかけごえをいくつかけて、ここでつづみをどううつから、)

したい。虚子は、ここで掛声をいくつかけて、ここで鼓をどう打つから、

(おやりなさいとねんごろにせつめいしてくれた。じぶんにはとてものみこめない。けれども)

おやりなさいと懇に説明してくれた。自分にはとても呑み込めない。けれども

(がてんのいくまでけんきゅうしていれば、にさんじかんはかかる。やむをえず、いいかげんに)

合点の行くまで研究していれば、二三時間はかかる。やむをえず、好い加減に

(りょうしょうした。そこではごろものきょくをうたいだした。はるがすみたなびきにけりとはんぎょうほどくる)

領承した。そこで羽衣の曲を謡い出した。春霞たなびきにけりと半行ほど来る

(うちに、どうもでがよくなかったとこうかいしはじめた。はなはだむせいりょくである。)

うちに、どうも出が好くなかったと後悔し始めた。はなはだ無勢力である。

(けれどもとちゅうからきゅうにふるいだしては、そうたいのちょうしがくずれるから、いびいんじゅん)

けれども途中から急に振るい出しては、総体の調子が崩れるから、萎靡因循

(のまま、すこしおしていくと、きょしがやにわにおおきなかけごえをかけて、つづみをかんと)

のまま、少し押して行くと、虚子がやにわに大きな掛声をかけて、鼓をかんと

(ひとつうった。)

一つ打った。

(じぶんはきょしがこうもうれつにこようとはゆめにもよきしていなかった。がんらいがゆうびな)

自分は虚子がこう猛烈に来ようとは夢にも予期していなかった。元来が優美な

(ゆうちょうなものとばかりかんがえていたかけごえは、まるでしんけんしょうぶのそれのようにじぶんの)

悠長なものとばかり考えていた掛声は、まるで真剣勝負のそれのように自分の

(こまくをうごかした。じぶんのうたいはこのかけごえでにさんどなみをうった。それがようやく)

鼓膜を動かした。自分の謡いはこの掛声で二三度波を打った。それがようやく

(しずまりかけたときに、きょしがまたはらいっぱいによこあいからおどかした。じぶんのこえは)

静まりかけた時に、虚子がまた腹いっぱいに横合から威嚇かした。自分の声は

(おどかされるたびによろよろする。そうしてちいさくなる。しばらくするときいて)

威嚇されるたびによろよろする。そうして小さくなる。しばらくすると聞いて

(いるものがくすくすわらいだした。じぶんもないしんからばかばかしくなった。そのとき)

いるものがくすくす笑い出した。自分も内心から馬鹿馬鹿しくなった。その時

(ふろっくがまっさきにたって、どっとふきだした。じぶんもちょうしにつれて、)

フロックが真先に立って、どっと吹き出した。自分も調子につれて、

(いっしょにふきだした。)

いっしょに吹き出した。

(それからさんざんなひひょうをうけた。なかにもふろっくのはもっともひにくであった。)

それからさんざんな批評を受けた。中にもフロックのはもっとも皮肉であった。

(きょしはびしょうしながら、しかたなしにじぶんのつづみに、じぶんのうたをあわせて、めでたく)

虚子は微笑しながら、仕方なしに自分の鼓に、自分の謡を合せて、めでたく

(うたいおさめた。やがて、まだまわらなければならないところがあるといって)

謡い納めた。やがて、まだ廻らなければならない所があると云って

(くるまにのってかえっていった。)

車に乗って帰って行った。

(あとからまたいろいろわかいものにひやかされた。さいくんまでいっしょに)

あとからまたいろいろ若いものに冷かされた。細君までいっしょに

(なっておっとをくさしたすえ、たかはまさんがつづみをおうちなさるとき、じゅばんのそでがぴらぴら)

なって夫を貶した末、高浜さんが鼓を御打ちなさる時、襦袢の袖がぴらぴら

(みえたが、たいへんよいいろだったとほめている。ふろっくはたちまちさんせいした。)

見えたが、大変好い色だったと賞めている。フロックはたちまち賛成した。

(じぶんはきょしのじゅばんのそでのいろも、そでのいろのぴらぴらするところも)

自分は虚子の襦袢の袖の色も、袖の色のぴらぴらするところも

(けっしてよいとはおもわない。)

けっして好いとは思わない。

問題文を全て表示 一部のみ表示 誤字・脱字等の報告

ぱったいのタイピング

オススメの新着タイピング

タイピング練習講座 ローマ字入力表 アプリケーションの使い方 よくある質問

人気ランキング

注目キーワード