◆大鏡 肝試し(道長の豪胆)【古典B】◆
古典Bより大鏡 肝試し(道長の豪胆)の本文タイピング!
タイピング内容は、文字の読み方をタイピングしてください!
例)おはします→おはします ohasimasu
けむ→けん kenn
なむ→なん nann
給ふ→給う tamou
古典の中で大鏡 肝試し(道長の豪胆)は私が好きな物語です!
是非チャレンジしてみて下さい!
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問題文
(さるべきひとは、とうよりみこころだましいのたけく、)
さるべき人は、疾うより御心魂の猛く、
将来偉くおなりになるはずの人は、若い時からご胆力が強く、
(おおんまもりもこはきなめりとおぼえはべるは。)
御守りもこはきなめりとおぼえ侍るは。
神仏のご加護も堅固であるようだと思われますなあ。
(かざんいんのおおんときに、さつきしもつやみに、さみだれもすぎて、)
花山院の御時に、五月下つ闇に、五月雨も過ぎて、
花山院のご在位中に、五月下旬の闇夜に、五月雨の季節も過ぎたのに、
(いとおどろおどろしくかきたれあめのふるよ、)
いとおどろおどろしくかき垂れ雨の降る夜、
たいそう気持ち悪くざあざあ雨が降る夜、
(みかど、そうぞうしとやおぼしめしけん、)
帝、さうざうしとや思し召しけむ、
帝は、もの足りなくて寂しいことだとお思いになったのだろうか、
(てんじょうにいでさせおはしまして、あそびおはしましけるに、)
殿上に出でさせおはしまして、遊びおはしましけるに、
清涼殿の殿上の間にお出ましになって、楽しんでいらっしゃったが、
(ひとびと、ものがたりもうしなどしたもうて、)
人々、物語申しなどし給うて、
人々が、あれこれの話題をお話し申し上げなどなさって、
(むかしおそろしかりけることどもなどにもうしなりたまえるに、)
昔恐ろしかりけることどもなどに申しなり給へるに、
昔の恐ろしかった話などに移って参りました折、
(こよいこそいとむつかしげなるよなめれ。)
「今宵こそいとむつかしげなる夜なめれ。
(帝は)「今夜はひどく不気味な感じの夜であるようだ。
(かくひとがちなるだに、けしきおぼゆ。)
かく人がちなるだに、気色おぼゆ。
このように人が大勢いるところさえ、不気味な感じがする。
(まして、ものはなれたるところなど、いかならん。)
まして、もの離れたる所など、いかならむ。
まして、遠く離れた(人気の無い)所などは、どんな具合だろう。
(さあらんところにひとりいなんや。とおおせられけるに、)
さあらむ所に一人往なむや。」と仰せられけるに、
そのような所に一人で行けるだろうか。」と仰せになったところが、
(えまからじ。とのみもうしたまいけるを、にゅうどうどのは)
「えまからじ。」とのみ申し給ひけるを、入道殿は、
「とても参れないでしょう。」とお答え申し上げるばかりでしたのに、道長は、
(いづくなりともまかりなん。ともうしたまいければ、)
「いづくなりともまかりなむ。」と申し給ひければ、
「どこであっても必ず参りましょう。」と申し上げなさいまたので、
(さるところおはしますみかどにて、いときょうあることなり。)
さるところおはします帝にて、「いと興あることなり。
そうしたことをお興じになるご性格の帝ですから、「たいへん面白いことだ。
(さらば、いけ。みちたかはぶらくいん、みちかねはじじゅうでんのぬりごめ、)
さらば、行け。道隆は豊楽院、道兼は仁寿殿の塗籠、
それでは、行け。道隆は豊楽院、道兼は仁寿殿の塗籠、
(みちながはだいごくでんへいけ。とおおせられければ、)
道長は大極殿へ行け。」と仰せられければ、
道長は大極殿へ行け。」とお命じになりましたので、
(よそのきんだちは、びんなきことをもそうしてけるかなとおもう。)
よその君達は、便なきことをも奏してけるかなと思ふ。
他の君達は、「つまらぬことを申し上げたものだなあ。」と思っている。
(また、うけたまわらせたまえるとのばらは、みけしきかわりて、)
また、承らせ給へる殿ばらは、御気色変はりて、
一方、勅命をお受けになった道隆・道兼公は、お顔の色が変わって、
(やくなしとおぼしたるに、にゅうどうどのは、)
益なしと思したるに、入道殿は、
困ったなあとお思いになったが、道長は、
(つゆさるみけしきもなくて、わたしのずさをばぐしさぶらわじ。)
つゆさる御気色もなくて、「私の従者をば具し候はじ。
少しもそんなご様子もなくて、「私個人の家来などは連れて行きますまい。
(このじんのきちじょうまれ、たきぐちまれ、ひとりを、)
この陣の吉上まれ、滝口まれ、一人を、
この近衛府の詰所の下役人でも、滝口の武者でも良い、誰か一人に、
(しょうけいもんまでおくれ。とおおせごとたべ。)
『昭慶門まで送れ。』と仰せ言賜べ。
『大極殿の入口近くの昭慶門まで送れ。』と勅命をお下しください。
(それよりうちには、ひとりいりはべらん。ともうしたまえば、)
それより内には、一人入り侍らむ。」と申し給へば、
そこから内へは、一人で入りましょう。」と申し上げられた。
(しょうなきこと。とおおせらるるに、)
「証なきこと。」と仰せらるるに、
そこで(帝が)「(本当に行ったかどうか)証拠がないよ。」と仰せになると、
(げに。とて、)
「げに。」とて、
(道長公は)「なるほど、そのとおりだ。」とおっしゃって、
(おおんてばこにおかせたまえるこがたなましてたちたまいぬ。)
御手箱に置かせ給へる小刀申して立ち給ひぬ。
御手箱に入れておいでになっていた小刀をお借りしてお出かけになった。
(いまふたところも、にがむにがむおのおのおはそうじぬ。)
いま二所も、苦む苦むおのおのおはさうじぬ。
もうお二方も、いやいやながらそれぞれお出かけになった。
(ねよつ。とそうして、)
「子四つ。」と奏して、
「子四つ〔午前零時半ごろ〕。」と時を奏上してから、
(かくおおせられぎするほどに、)
かく仰せられ議するほどに、
こういう仰せがあって話し合ううちに(時が経って)、
(うしにもなりにけん。)
丑にもなりにけむ。
(出発は)丑の刻〔午前二時ごろ〕にもなったでしょう。
(みちたかはうえもんのじんよりいでよ。みちながはしょうめいもんよりいでよ。と、)
「道隆は右衛門の陣より出でよ。道長は承明門より出でよ。」と、
「道隆は右衛門府の詰所から出よ。道長は承明門から出よ。」と、
(それをさえわかたせたまえば、しかおはしましあえるに、)
それをさへ分かたせ給へば、しかおはしまし合へるに、
道筋までも別になさいましたので、指示通り三人はお出かけになりましたが…
(なかのかんぱくどの、じんまでねんじて、おはしましたるに、)
中の関白殿、陣まで念じておはしましたるに、
道隆は、右衛門府の詰所まで我慢していらっしゃったものの、
(えんのまつばらのほどに、そのものともなきこえどもきこゆるに、)
宴の松原のほどに、そのものともなき声どもの聞こゆるに、
宴の松原の辺りで、何ともわからない声々が聞こえるので、
(ずちなくてかえりたまう。あわたどのは、)
術なくて帰り給ふ。粟田殿は、
どうしようもなくてお帰りになる。道兼は、
(ろだいのとまで、わななくわななくおはしたるに、)
露台の外まで、わななくわななくおはしたるに、
露台の外まで、ぶるぶる震えながらいらっしゃったが、
(じじゅうでんのひんがしおもてのみぎりのほどに、)
仁寿殿の東面の砌のほどに、
仁寿殿の東側の軒下の石畳辺りで、
(のきとひとしきひとのあるようにみえたまいければ、)
軒とひとしき人のあるやうに見え給ひければ、
軒と同じくらいの高さの巨人がいるようにお見えになったので、
(ものもおぼえで、みのさぶらわばこそ、)
ものもおぼえで、「身の候はばこそ、
無我夢中で、「この身が無事でございましたらこそ、
(おおせごともうけたまわらめ。とて、おのおのたちかえりまいりたまえれば、)
仰せ言も承らめ。」とて、おのおの立ち帰り参り給へれば、
ご命令も承りましょう。」と言って、各々お戻りになりましたので、
(おおんおうぎをたたきてわらわせたまうに、)
御扇をたたきて笑はせ給ふに、
(帝は)御扇をたたいてお笑いになりましたが、
(にゅうどうどのはいとひさしくみえさせたまわぬを、)
入道殿はいと久しく見えさせ給はぬを、
道長はずいぶん長くお見えにならないので、
(いかがとおぼしめすほどにぞ、いとさりげなく、)
いかがと思し召すほどにぞ、いとさりげなく、
どうしたのかなと思っていらっしゃる折も折、全く平然と、
(ことにもあらずげにて、まいらせたまえる。)
ことにもあらずげにて、参らせ給へる。
何でもないという様子で(道長公は)ご帰参になった。
(いかにいかに。ととわせたまえば、いとのどやかに、)
「いかにいかに。」と問はせ給へば、いとのどやかに、
「どうだったか、どうだったか。」とご下問なると、まことに落ち着いて、
(おおんかたなに、けずられたるものをとりぐしてたてまつらせたまうに、)
御刀に、削られたる物を取り具して奉らせ給ふに、
御刀に削り取りなさったものを添えて(帝に)お差し上げになるので、
(こはなんぞ。とおおせらるれば、)
「こは何ぞ。」と仰せらるれば、
「これは何だ。」と(帝が)お尋ねになると、
(ただにてかえりまいりてはべらんは、しょうさぶらうまじきにより、)
「ただにて帰り参りて侍らむは、証候ふまじきにより、」
「何も持たずに帰参いたしましたら、証拠がございますまいと思いましたので、
(たかみくらのみなみおもてのはしらのもとをけずりてさぶらうなり。と、)
高御座の南面の柱のもとを削りて候ふなり。」と、
大極殿中央の高御座の南側の柱の下のほうを削っているのです。」と、
(つれなくもうしたもうに、いとあさましくおぼしめさる。)
つれなく申し給ふに、いとあさましく思し召さる。
平然と申し上げなさいましたので、たいそう驚きあきれた事とお思いになる。
(こととのたちのみけしきは、いかにもなおなおらで、)
異殿たちの御気色は、いかにもなほ直らで、
他の二人の殿方のお顔色は、何としてもやはり常の様子に直らず、
(このとののかくてまいりたまえるを、)
この殿のかくて参り給へるを、
この道長公がこうしてご帰参になったのを、
(みかどよりはじめかんじののしられたまえど、)
帝よりはじめ感じののしられ給へど、
帝をはじめ人々が驚嘆の声をあげてほめそやしていらっしゃるけれども、
(うらやましきにや、またいかなるにか、)
うらやましきにや、またいかなるにか、
(この二人は)羨ましいのか、それともどんなお気持ちなのか、
(ものもいわでぞさぶらいたまいける。)
ものも言はでぞ候ひ給ひける。
一言も口を開かずに控えていらっしゃった。
(なお、うたがわしくおぼしめされければ、つとめて、)
なほ、疑はしく思し召されければ、つとめて、
(帝は)それでもやはり疑わしくお思いになったので、翌朝、
(くろうどして、けずりくずをつがわしてみよ。)
「蔵人して、削り屑をつがはしてみよ。」
「蔵人に命じて、(道長の持ち帰った)削り壺を(柱に)あてがわせてみよ。」
(とおおせごとありければ、もていきておしつけてみとうびけるに、)
と仰せ言ありければ、持て行きて押しつけて見たうびけるに、
と仰せ言がございましたので、持って行き(柱に)押しつけて見られたところ、
(つゆたがはざりけり。そのけずりあとは、いとけざやかにてはべめり。)
つゆたがはざりけり。その削り跡は、いとけざやかにて侍めり。
少しも違いませんでした。その削り跡は、とても鮮明であるようです。
(すえのよにも、みるひとは、なおあさましきことにぞもうししかし。)
末の世にも、見る人は、なほあさましきことにぞ申ししかし。
後世になっても、柱を見る人は、やはり驚嘆すべき事だと申したものでしたよ。