椰子の実
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「椰子の実」(やしのみ)は、島崎藤村が明治時代に執筆した詩。昭和に入って曲が付けられた。
1900年(明治33年)6月の雑誌『新小説』に「海草」という総題で発表された誌の一遍で、1901年(明治34年)8月に刊行された詩集「落梅集」に収録されている。この詩は1898年(明治31年)の夏、1ヶ月半ほど伊良湖岬に滞在した柳田國男が恋路ヶ浜に流れ着いた椰子の実の話を藤村に語り、藤村がその話を元に創作したものである。
1936年(昭和11年)7月、日本放送協会大阪中央放送局で放送中だった『国民歌謡』の担当者が作曲家の大中寅二を訪問し、この詩に曲を付すよう依頼。7月9日には曲が完成した。
1900年(明治33年)6月の雑誌『新小説』に「海草」という総題で発表された誌の一遍で、1901年(明治34年)8月に刊行された詩集「落梅集」に収録されている。この詩は1898年(明治31年)の夏、1ヶ月半ほど伊良湖岬に滞在した柳田國男が恋路ヶ浜に流れ着いた椰子の実の話を藤村に語り、藤村がその話を元に創作したものである。
1936年(昭和11年)7月、日本放送協会大阪中央放送局で放送中だった『国民歌謡』の担当者が作曲家の大中寅二を訪問し、この詩に曲を付すよう依頼。7月9日には曲が完成した。
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問題文
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(なもしらぬとおきしまより)
名も知らぬ遠き島より
(ながれよるやしのみひとつ)
流れ寄る椰子の実一つ
(ふるさとの きしをはなれて)
故郷の 岸を離れて
(なんじはそも なみにいくつき)
汝はそも 波に幾月
(きゅうのきは なまいやしげれる)
旧の木は 生いや茂れる
(えだはなおかげ をやなせる)
枝はなお 影をやなせる
(われもまた なぎさをまくら)
われもまた 渚を枕
(ひとりみの うきねのたびぞ)
ひとり身の 浮寝の旅ぞ
(みをとりて むねにあつれば)
実をとりて 胸にあつれば
(あらたなり りゅうりのうい)
新たなり 流離の憂い
(うみのひの しずむをみれば)
海の日の 沈むを見れば
(たぎりおちつ いきょうのなみだ)
激り落つ 異郷の涙
(おもいやる やえのしおじお)
思いやる 八重の汐々
(いずれのひにか くににかえらん)
いずれの日にか 国に帰らん