夏目漱石「こころ」2-20

こっちゃん様が(上)の方を上げて下さっていたものの続きでございます。
タイピングを投稿するのは初めてですので、誤字脱字等ありましたらご連絡何卒宜しくお願い致します。
次:https://typing.twi1.me/game/367186
こっちゃん様による(上)
https://typing.twi1.me/profile/userId/86231
順位 | 名前 | スコア | 称号 | 打鍵/秒 | 正誤率 | 時間(秒) | 打鍵数 | ミス | 問題 | 日付 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | ko | 3604 | D+ | 4.1 | 88.3% | 383.1 | 1590 | 209 | 28 | 2025/09/03 |
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問題文
(「おとうさんは、まだなおるきでいるようだな」とあにがわたくしにいった。)
「御父さんは、まだ治る気でいるようだな」と兄が私に云った。
(じっさいあにのいうとおりにみえるところもないではなかった。)
実際兄の云う通りに見えるところもないではなかった。
(きんじょのものがみまいにくると、ちちはかならずあうといってしょうちしなかった。)
近所のものが見舞にくると、父は必ず会うと云って承知しなかった。
(あえばきっと、わたくしのそつぎょういわいによぶことができなかったのをざんねんがった。)
会えばきっと、私の卒業祝いに呼ぶ事が出来なかったのを残念がった。
(そのかわりじぶんのびょうきがなおったらというようなこともときどきつけくわえた。)
その代り自分の病気が治ったらというような事も時々付け加えた。
(「おまえのそつぎょういわいはやめになってけっこうだ。おれのときにはよわったからね」)
「御前の卒業祝いは已めになって結構だ。おれの時には弱ったからね」
(とあにはわたくしのきおくをつっついた。)
と兄は私の記憶を突ッついた。
(わたくしはあるこーるにあおられたそのときのらんざつなありさまをおもいだしてくしょうした。)
私はアルコールに煽られたその時の乱雑な有様を想い出して苦笑した。
(のむものやくうものをしいてまわるちちのたいども、にがにがしくわたくしのめにうつった。)
飲むものや食うものを強いて廻る父の態度も、にがにがしく私の眼に映った。
(わたくしたちはそれほどなかのいいきょうだいではなかった。)
私達はそれ程仲の好い兄弟ではなかった。
(ちさいうちはよくけんかをして、としのすくないわたくしのほうがいつでもなかされた。)
小さいうちは好く喧嘩をして、年の少ない私の方がいつでも泣かされた。
(がっこうへはいってからのせんもんのそういも、まったくせいかくのそういからでていた。)
学校へ這入ってからの専門の相違も、全く性格の相違から出ていた。
(だいがくにいるじぶんのわたくしは、)
大学にいる時分の私は、
(ことにせんせいにせっしょくしたわたくしは、とおくからあにをながめて、つねにどうぶつてきだとおもっていた。)
ことに先生に接触した私は、遠くから兄を眺めて、常に動物的だと思っていた。
(わたくしはながくあににあわなかったので、またかけへだたったとおくにいたので、)
私は長く兄に会わなかったので、又懸け隔った遠くに居たので、
(ときからいってもきょりからいっても、あにはいつでもわたくしにはちかくなかったのである。)
時からいっても距離からいっても、兄はいつでも私には近くなかったのである。
(それでもひさしぶりにこうおちあってみると、)
それでも久し振にこう落ち合ってみると、
(きょうだいのやさしいこころもちがどこからかしぜんにわいてでた。)
兄弟の優しい心持が何処からか自然に湧いて出た。
(ばあいがばあいなのもそのおおきなげんいんになっていた。)
場合が場合なのもその大きな源因になっていた。
(ふたりにきょうつうなちち、そのちちのしのうとしているまくらもとで、)
二人に共通な父、その父の死のうとしている枕元で、
(あにとわたくしはあくしゅしたのであった。)
兄と私は握手したのであった。
(「おまえこれからどうする」とあにはきいた。)
「御前これからどうする」と兄は聞いた。
(わたくしはまたまったくけんとうのちがったしつもんをあににかけた。)
私は又全く見当の違った質問を兄に掛けた。
(「いったいうちのざいさんはどうなってるんだろう」)
「一体家の財産はどうなってるんだろう」
(「おれはしらない。おとうさんはまだなんともいわないから。)
「おれは知らない。御父さんはまだ何とも云わないから。
(しかしざいさんっていったところでかねとしてはたかのしれたものだろう」)
然し財産って云ったところで金としては高の知れたものだろう」
(はははまたせんせいのへんじのくるのをくにしていた。)
母は又先生の返事の来るのを苦にしていた。
(「まだてがみはこないかい」とわたくしをせめた。)
「まだ手紙は来ないかい」と私を責めた。