ジャーナリング 5/28

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問題文
(めをとじる。すると、おわりのないようにおもえたみちが、)
目を閉じる。すると、終わりのないように思えた道が、
(れんぞくではなく、こまかいだんぺんにわかれてかんじられるようになった。)
連続ではなく、細かい断片に分かれて感じられるようになった。
(いたくないところ、すこしいたいところ、)
痛くないところ、少し痛いところ、
(すごくいたいところがこうごにあらわれる。)
すごく痛いところが交互に現れる。
(それは、びるのもちぬしによってせいびされたぶぶんと)
それは、ビルの持ち主によって整備された部分と
(こうきょうどうろのぶぶんがこうさくしているから。)
公共道路の部分が交錯しているから。
(あしのうらではっきりとはんべつできないまんほーるのもよう)
足の裏ではっきりと判別できないマンホールの模様
(なぜたいらにつくられていないのだろう?)
なぜ平らに作られていないのだろう?
(びかんいがいに、まさつりょくやきょうどをたかめるためだときいたことがある)
美観以外に、 摩擦力や強度を高めるためだと聞いたことがある
(てんじぶろっくもまざっている。)
点字ブロックも混ざっている。
(かんせんどうろのほそうはいしのようで、いちばんいたい。)
幹線道路の舗装は石のようで、一番痛い。
(たてもののまえにあるせいびされたすろーぷはいちばんここちよい。)
建物の前にある整備されたスロープは一番心地よい。
(「ろじょうきつえんきんし」とかかれたさいんは、みじかいきゅうけいのよう。)
「路上喫煙禁止」と書かれたサインは、短い休憩のよう。
(あしとまちのきょりがいちばんちかいはずなのに、これまでなんびゃっかいもめでかんさつしてきたみちが、)
足と街の距離が一番近いはずなのに、これまで何百回も目で観察してきた道が、
(あしでかんじるとまるではじめだった。)
足で感じるとまるで初めだった。
(しかくをへらし、しょっかくをふやすことで、)
視覚を減らし、触覚を増やすことで、
(せかいのはだざわりはまったくかわってしまった。)
世界の肌触りはまったく変わってしまった。
(よる8じごろ、ひるのじしゅうをおえてとしょかんをでたわたしは、)
夜8時ごろ、昼の自習を終えて図書館を出た私は、
(かえりみちでゆうしょくをさがしていた。)
帰り道で夕食を探していた。
(としょかんのかいだんをおりるとき、)
図書館の階段を降りるとき、
(ふいにかつかれーがたべたいというよくぼうがうかんできた。)
不意にカツカレーが食べたいという欲望が浮かんできた。
(でも、そのじかんにまだえいぎょうしているのは、)
でも、その時間にまだ営業しているのは、
(ぼりゅーむはあるがあじはへいぼんで、)
ボリュームはあるが味は平凡で、
(やさいもほとんどないあのいっけんしかなかった。)
野菜もほとんどないあの一軒しかなかった。
(「かつかれーがたべたい」というきもちはいぜんとして)
「カツカレーが食べたい」という気持ちは依然として
(あたまのなかにいすわっていたが、)
頭の中に居座っていたが、
(「でもこのみせのはたべたくない」というきもちと)
「でもこの店のは食べたくない」という気持ちと
(ちょうどつりあうようにきっこうしていた。)
ちょうど釣り合うように拮抗していた。
(どちらにもむりにけっちゃくをつけず、)
どちらにも無理に決着をつけず、
(ただしずかに、みせのまえをとおりすぎた。)
ただ静かに、店の前を通り過ぎた。
(ないしんにすこしだけがっかりした。)
内心に少しだけがっかりした。
(いつもなら、こういうかんじょうを「こどくのせいかもしれない」とかんがえていたが、)
いつもなら、こういう感情を「孤独のせいかもしれない」 と考えていたが、
(こんかいはそれよりもしんたいのつかれとしょくじにたいするせつじつなようきゅうのほうが、)
今回はそれよりも身体の疲れと食事に対する切実な要求のほうが、
(はるかにせっとくりょくがあった。)
はるかに説得力があった。
(「つかれているんだから、あせらずゆっくりえらんでもいい」とおもいなおし、)
「疲れているんだから、焦らずゆっくり選んでもいい」と思い直し、
(ながいれつができていたらーめんやはすきっぷして、)
長い列ができていたラーメン屋は スキップして、
(いつものplanbのれすとらんにむかった。)
いつもの Plan B のレストランに向かった。
(そこはちきんかつのようなあたまからはなれないあじではない)
そこはチキンカツのような頭から離れない味ではない
(かもしれないけど、えいようばらんすがよくて、)
かもしれないけど、栄養バランスがよくて、
(しんたいがすっとうけいれてくれるかんじがした。)
身体がすっと受け入れてくれる感じがした。
(ふしぎと、そのしゅんかんにはもうまよいもふあんもなく、)
不思議と、その瞬間にはもう迷いも不安もなく、
(からだもこころもすっとそのせんたくをうけいれていた。)
体も心もすっとその選択を受け入れていた。