津山事件 都井睦雄 遺書 巻ノ弐 「姉上様へ」
問題文
(ひじょうじきょくかの )
非常時局下の
(こくみんとしてあらゆるほうめんに)
国民としてあらゆる方面に
(ろうじゃくなんにょをとわずそれぞれの)
老若男女を問わずそれぞれの
(きぼうをいだきはつらつと)
希望をいだき溌剌と
(かつどうしているなかに)
活動している中に
(ぼくはひとりげんめつのひあいをいだき)
僕は一人幻滅の悲哀をいだき
(さびしくこのよをさっていきます。)
寂しく此の世を去っていきます。
(あねうえさまなにごともすこしもおはなしせずにしんでいくむつお、)
姉上様何事も少しも御話しせずに死んでいく睦雄、
(なにとぞおゆるしください)
何卒御許し下さい。
(じぶんもつよくただしくいきていかねば)
自分も強く正しく生きていかねば
(ならぬとはかんがえていかねばならぬとはかんがえていましたけれども)
ならぬとは考えて居ましたけれども
(ふちとおもわれるけっかくをやみおおきなちじょくをうけて、)
不治と思われる結核を病み大きな恥辱を受けて、
(くわうるにきんりんのれいこくあっぱくになき)
加うるに近隣の冷酷圧迫に泣き
(ついにいきていくきぼうをうしなってしまいました。)
遂に生きて行く希望を失ってしまいました。
(たったひとりのねえさんにも)
たった一人の姉さんにも
(せいぜんはせわになるばかりで)
生前は世話になるばかりで
(なにひとつおんがえしをせずに)
何一つ恩返しもせずに
(しんでいくこのぼくを)
死んでいく此の僕を
(どうかせめないで)
どうか責めないで
(ふこうなるものとしてなにとぞおゆるしください。)
不幸なるものとして何卒御許しください。
(ぼくもよほどひとりで)
僕もよほど一人で
(なにごともせずにしのうかとかんがえました)
何事もせずに死のうかと考えました
(けれどとるにとれぬうらみもあり)
けれど取るに取れぬ恨みもあり
(しゅういのもののあまりのしうちに)
周囲の者のあまりのしうちに
(ついにさつがいをけついしました。)
遂に殺害を決意しました。
(じょうきになってからの)
病気になってからの
(ぼくのこころははまったくさばくかてきちにいるようなかんじでした。)
僕の心は全く砂漠か敵地にいる様な感じでした。
(しゅういのものはみなおにのようなやつばかりで)
周囲の者は皆鬼の様なやつばかりで
(つらくあたるばかり)
つらくあたるばかり
(びょうきはわるくなるばかり、)
病気は悪くなるばかり、
(ぼくはよのれいこくに)
僕は世の冷酷に
(じぶんのふこうなうんめいに)
自分の不幸な運命に
(まいにちのようにないた。)
毎日の様に泣いた。
(なきかなしんで)
泣き悲しんで
(ぜつぼうのはて)
絶望の果
(ぼくはよのなかをのろい)
僕は世の中を呪い
(びょうきをのろいそうして)
病気を呪いそうして
(きんりんのおにのようなやつも)
近隣の鬼の様な奴も
(ぼくはついにかほどまでにつらくあたる)
僕は遂にかほどまでにつらくあたる
(きんりんのものにみをすててすこしではあるが)
近隣の者に身を捨てて少しではあるが
(ざいさんをかけて)
財産をかけて
(ふくしゅうをしてやろうとおもうようになった。)
復讐をしてやろうと思う様になった。
(それがはつびょうごいちねんはんもたっていたころでだろうか。)
それが発病後一年半もたっていた頃でだろうか。
(それいごのぼくはまったくふくしゅうにいきとると)
それ以後の僕は全く復讐に生きとると
(いってもさしささえない。)
言っても差し支えない。
(そうしていろいろとひとしれぬくしんをして)
そうしていろいろと人知れぬ苦心をして
(こんにちまでにいたったのだ。)
今日までに至ったのだ。
(もくてきのひがちかづいたのだ、)
目的の日が近づいたのだ、
(ぼくはふくしゅうをだんこうします。)
僕は復讐を断行します。
(けれどあとにのこるねえさんのことをおもうと)
けれど後に残る姉さんの事を思うと
(あれがひところしのきょうだいと)
あれが人殺しのきょうだいと
(せけんのつめたいめのむけれれることをおもうと、)
世間のつめたい目のむけられることを思うと、
(かんがえがにぶるようですが、)
考えがにぶる様ですが、
(しかしここまできてしまえば)
しかしここまで来てしまえば
(しかたがない、)
しかたがない、
(どうかねえさんおゆるしのほどを。)
どうか姉さん御ゆるしの程を。
(ぼくはじぶんがこのようなしにかたをしたら、)
僕は自分がこの様なな死方をしたら、
(そぼもながらえていますまいから、)
祖母も長らえて居ますまいから、
(ふびんながらおなじうんめいにつれてゆきます。)
ふ愍ながら同じ運命につれてゆきます。
(どうとくじょうからいえばだいざいでしょう。)
道徳上からいえば是は大罪でしょう。
(それでしごはねえさん、)
それで死後は姉さん、
(せんぞやふぼさまのほとけさまをまつってください。)
先祖や父母様の仏様を祭って下さい。
(そぼのしたいはくらみの)
祖母の死体は倉見の
(そふのそばにほうむってあげてください。)
祖父のそばに葬ってあげて下さい。
(ぼくもふぼのそばにゆきたいけれど、)
僕も父母のそばにゆきたいけれど、
(なにしろこんなことをおこなうのですから)
なにしろこんなことを行うのですから
(ねえさんのかんがえるようでよろしい。)
姉さんの考える様でよろしい。
(けれどもぼくはできればふぼのそばにゆきたい。)
けれども僕は出きれば父母のそばにゆきたい。
(そうしてめいどやらへいったら)
そうして冥土やらへいったら
(ふぼのへりでくらします。)
父母のへりでくらします。
(それからすこしのたやいえは)
それから少しの田や家は
(しかるべくしょぶんしてください。)
しかるべく処分して下さい。
(なおかんいほけんがふたつ、)
尚簡易保険が二つ、
(ごじゅうせんまいつきはいるやつがあるのですが、)
五十銭ずつ毎月はいるやつがあるのですが、
(もらえるようでしたらもらってください。おねがいします。)
もらえる様でしたらもらって下さい。おねがいします。
(ああぼくもしにたくないけれど、)
ああ僕も死にたくないけれど、
(いえのことをおもわぬではないけれど、)
家のことを思わぬではないけれど、
(このままいかしていたらどうせ)
このまま活かしていたらどうせ
(けっかくにやられるべきだろう。そうしたら、)
結核にやられるべきだろう。そうしたら、
(きんりんのおにのようなやつらはよろこぼうけれども)
近隣の鬼の様な奴等は喜ぼうけれども
(ぼくはとてもうかばれぬ。)
僕はとてもうかばれぬ。
(どうしてもかなりじょうぶでいるいまのまに、)
どうしてもかなり丈夫で居る今の間に、
(うらみをはらすべきです。)
恨みをはらすべきです。
(ふくしゅうふくしゅうすべきです。)
復讐々々すべきです。
(ではみぎしするにのぞみ)
では取急ぎ右死するに望み
(いっぴつかきおきます。)
一筆かきおきます。
(ぼくがこのようなおおごとをおこなったら、)
ぼくがこのような大事を行ったら、
(ねえさんはおどろかれることでしょう。)
姉さんはおどろかれる事でしょう。
(すみませんがどうかおゆるしください。)
すみませんがどうかおゆるし下さい。
(こういうことはにほんこっかのため、)
こう言うことは日本国家の為、
(ちかにいますふぼには)
地下に居ます父母には
(はなはだすまぬことではあるが)
甚だすまぬことではあるが
(しかたありません。にいさんにもよろしく。)
しかたありません。兄さんにもよろしく。
(ごがつじゅはちにち)
五月十八日
(おなじしんでもこれがせんし、)
おなじ死んでもこれが戦死、
(やはりじじょうはどうでも)
やはり事情はどうでも
(だいざいにんということになるでしょう。)
大罪人と言うことになるでしょう。
(どうかねえさんはびょうきをいちにちもはやくなおして)
どうか姉さんは病気を一日も早く治して
(つよくつよくこのよをいきてください、)
強く強く此の世を生きて下さい、
(ぼくはちかにてねえさんのたこうなるべきをつねにいのっています。)
僕は地下にて姉さんの多幸なるべきを常に祈って居ます。