未帰還の友に~(3)~ 太宰治

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プレイ回数124難易度(4.2) 60秒 長文 かな
青空文庫

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問題文

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(むかいきみはひとのしんせつがわからんひとだねさけなんかのみたかねえ)

向かい、「君は、人の親切がわからん人だね。酒なんか飲みたかねえ

(よばかものめといったまさにめちゃくちゃであるこれでぼく)

よ。ばかものめ。」と言った。まさに、めちゃ苦茶である。これで僕

(たちのれいのあくけいもだいなしになったというわけであった)

たちの、れいの悪計も台無しになったというわけであった。

(ぼくはそのよるぼくのいえへあそびにやってきたきみたちにむかってわれら)

僕は、その夜、僕の家へ遊びにやって来た君たちに向かって、われら

(のみっけいことごとくやぶれはてたことをほうこくししゃざいしたけだしぼくた)

の密計ことごとく敗れ果てたことを報告し、謝罪した。けだし、僕た

(ちのさくせんたるやかのきらていのえずめんをぬすまんとしてよんじゅうしちしじゅうのだい)

ちの策戦たるや、かの吉良邸の絵図面を盗まんとして四十七士中の第

(いちのびなんたるおかのきんざえもんがいろじかけのくにくのさくをもちいてせいこうした)

一の美男たる岡野金左衛門が、色仕掛けの苦肉の策を用いて成功した

(というこちにならいびなんとじしょうするきみにそのおかののやくをおしつけ)

という故智にならい、美男と自称する君にその岡野の役を押しつけ、

(かのきくやいっかをまよわせてそのどさくさにまぎれおおいにきくやのさけを)

かの菊屋一家を迷わせて、そのドサクサにまぎれ、大いに菊屋の酒を

(のもうというわるいりょうけんからでたところのものであったがしゅりょうおおいし)

飲もうという悪い量見から出たところのものであったが、首領の大石

(がへまをえんじてかのげんじつしゅぎしゃのおじさんのためにこっぱみじん)

が、ヘマを演じてかの現実主義者のおじさんのために木っ葉みじん

(のめにあったというわけであっただめだなあせんせいはときみは)

の目に遭ったというわけであった。「だめだなあ、先生は。」と君は

(さかんにぼくをけいべつするせんせいはとにかくそれではぼくのめんぼくはまる)

さかんに僕を軽蔑する。「先生はとにかく、それでは僕の面目はまる

(つぶれだなんのみるべきところもないやけざけでものむかと)

つぶれだ。何の見るべきところも無い。」「やけ酒でも飲むか。」と

(ぼくはたちあがるそのよるはみたかきっしょうじのおでんやすしやかふ)

僕は立ち上がる。その夜は、三鷹、吉祥寺のおでんや、すし屋、カフ

(ぇなどあちこちうろついてたのんでみてもどこにもさけがいってきもなか)

ェなど、あちこちうろついて頼んでみても、どこにも酒が一滴も無か

(たやはりきくやにいくよりほかはないすくなからずてれくさいおもい)

た。やはり、菊屋に行くより他は無い。少なからず、てれくさい思い

(であったがぼうこひょうかというようなすさんだいきおいできくやへおしか)

であったが、暴虎馮河というような、すさんだ勢いで、菊屋へ押しか

(けにこりともせずさけをたのんだそのよるぼくたちはおかみさんから)

け、にこりともせず酒をたのんだ。その夜、僕たちはおかみさんから

(いがいのこうぐうをたまわったこまるわねえなどといいながらもそっとおちょう)

意外の厚遇を賜った。困るわねえ、などと言いながらも、そっとお銚

など

(こをかえてくれるわれらやぶれかぶれのうちいれのぎしたちはかおをみ)

子をかえてくれる。われら破れかぶれの討入れの義士たちは、顔を見

(あわせてくしょうしたくぶはわざとおおごえでつるたくんきみはふだんから)

合せて、苦笑した。僕はわざと大声で、「鶴田君!君は、ふだんから

(どうもさけもなにものまずまじめすぎるよこんやはひとつのんでみ)

どうも、酒も何も飲まず、まじめ過ぎるよ。今夜は、ひとつのんでみ

(たまえこれもまたじんせいしゅぎょうのひとつだなどとおおざけのみのきみのきみにむか)

たまえ。これもまた人生修行の一つだ。」などと、大酒飲みの君に向

(っていうばからしいことであったがしかしあれもいまではなつかし)

って言う。馬鹿らしい事であったが、しかし、あれも今ではなつかし

(いおもいでになったぼくたちはずにのってそれからもしばしばきく)

い思い出になった。僕たちは、図に乗って、それからも、しばしば菊

(やをおそっておおざけをのんだきくやのおじさんはてんでもうえんだんなん)

屋を襲って大酒を飲んだ。菊屋のおじさんは、てんでもう、縁談なん

(てしんようしていないふうであったがしかしおかみさんはどうやら)

て信用していないふうであったが、しかし、おかみさんは、どうやら

(はんしんはんぎぐらいのかたむきをしめしていたようであったけれどもぼくたちの)

半信半疑ぐらいの傾きを示していたようであった。けれども僕たちの

(もくてきはきくやにおいておおいにさけをのむことにあるしたがってそのえんだんに)

目的は、菊屋に於いて大いに酒を飲む事にある。従ってその縁談に

(おいてははなはだふねっしんでありときたましつねんしていたりするしまつであった)

於いては甚だ不熱心であり、時たま失念していたりする始末であった

(きくやへいっておさけをねだるときだけなにせぼくはぜんけんをいたくされて)

。菊屋へ行ってお酒をねだる時だけ、「何せ僕は、全権を委託されて

(いるのだからなあぼくのせきにんたるやかるくないわけだよなどと)

いるのだからなあ。僕の責任たるや、軽くないわけだよ。」などと、

(とってつけたようにおもわせぶりのかんがいをもらしもっておかみさんの)

とってつけたように、思わせぶりの感慨をもらし、以ておかみさんの

(こころのどうようをきとしたものだがしかしそのいつわりのえんだんはそれ)

心の動揺を企図したものだが、しかし、そのいつわりの縁談はそれ

(いじょうぐたいかすることもなくそのうちにきみはそつぎょうとどうじにせんだいの)

以上、具体化することも無く、そのうちに君は、卒業と同時に仙台の

(ぶたいににゅうえいしておかのがいなくてはいかにおおいしちりゃくにたけたりと)

部隊に入営して、岡野がいなくては、いかに大石、智略にたけたりと

(ももはやきくやからさけをひきだすこうじつにきゅうしまたじっさいきくやに)

も、もはや菊屋から酒を引き出す口実に窮し、またじっさい菊屋に

(つづいてもさけがしだいにすくなくなってきゅうぎょうのひがつづきぼくはまたまたべつ)

於いても、酒が次第に少くなって休業の日が続き、僕は、またまた別

(なさけのみせをさがしださなければならなくなってきみとわかれていごは)

な酒の店を捜し出さなければならなくなって、君と別れて以後は、

(ほんのかぞえるほどしかきくやにいったことはなくそうしてやがてまったく)

ほんの数えるほどしか菊屋に行ったことはなく、そうして、やがて全く

(ごぶさたというかたちになったもうそれでおしまいとばかりぼくは)

御無沙汰という形になった。もう、それで、おしまいとばかり僕は

(おもっていたのだがそれからいちねんたちあのうえのこうえんのちゃてんでぼくた)

思っていたのだが、それから一年経ち、あの上野公園の茶店で、僕た

(ちはもうこれがえいえんのわかれになるかもしれないそのおわかれのさかずきをくみ)

ちはもうこれが永遠の別れになるかもしれないそのお別れの盃をくみ

(かわしとつぜんそこにきくやのはなしがとびでたのでぼくはぎょっとしたのだ)

かわし、突然そこに菊屋の話が飛び出たので、僕はぎょっとしたのだ

(そのひのきみのものがたるところによればきみがにゅうえいしていっしゅうかんめくら)

。その日の、君の物語るところに依れば、君が入営して一週間目くら

(いにもうはやきくかわまさこからのてがみがきみをみまったというそう)

いに、もうはや菊川マサ子からの手紙が、君を見舞ったという。そう

(いえばきみのさったあとぼくがほかのがくせいたちときくやにのみにいきその)

言えば、君の去った後、僕が他の学生たちと菊屋に飲みに行き、その

(ときおかみさんにきみのぶたいのあどれすなんかをきかれもせぬのに)

時、おかみさんに君の舞台のアドレスなんかを、聞かれもせぬのに、

(ただただおさけをさらにいっぽんのみたいばかりにかみにかいておしえてやった)

ただただお酒をさらに一本飲みたいばかりに紙に書いて教えてやった

(おぼえがあるきみはそのてがみにはへんじをださずにいたするとまたとお)

覚えがある。君はその手紙には返事を出さずにいた。するとまた、十

(かくらいたってさらにやさしいおみまいのことばをかきつらねたてがみがく)

かくらい経って、さらに優しいお見舞いの言葉を書き連ねた手紙が来

(るきみもこんどはへんじをだしたおりかえしむこうからさらにまた)

る。君も今度は返事を出した。折りかえし、向うから、さらにまた

(やさしいおみまいつまりきみたちはいつのまにやらくるしいなかに)

優しいお見舞い。つまり、君たちは、いつのまにやら、苦しい仲に

(なってしまっていたはくじょうしますとねときみはそのひうえの)

なってしまっていた。「白状しますとね。」と君は、その日、上野

(こうえんのちゃやでさかんにうぃすきいをあおりながらぼくははじめか)

公園の茶屋でさかんにウィスキイをあおりながら、「僕は、はじめか

(らあのひとをすきだったのですよおかのきんざえもんだのなんだのそんな)

ら、あの人を好きだったのですよ。岡野金左衛門だの何だの、そんな

(つまらないさくりゃくからではなくぼくははじめからあのひととならほんとう)

つまらない策略からではなく、僕は、はじめから、あの人となら本当

(にけっこんしてもいいとおもっていたのですよでもそれをせんせいにいう)

に結婚してもいいと思っていたのですよ。でも、それを先生に言う

(とせんせいにけいべつされやしないかとおもってだまっていたのですがね)

と、先生に軽蔑されやしないかと思って、黙っていたのですがね。」

(けいべつなんかしやしないさぼくはなぜだかひどくゆううつなきも)

「軽蔑なんか、しやしないさ。」僕は、なぜだか、ひどく憂鬱な気持

(であったけいべつするにきまっていますよせんせいはもうひとのれんあい)

であった。「軽蔑するにきまっていますよ。先生はもう、ひとの恋愛

(なんかいつでもあたまからちゃかしてしまうのだからきくやのほらあ)

なんか、いつでも頭から茶化してしまうのだから。菊屋の、ほら、あ

(のむすめもふたりがこんなてがみをこうかんしていることをせんせいにだけはしらせ)

の娘も、二人がこんな手紙を交換している事を、先生にだけは知らせ

(たくないとてがみにかいてよこしてこともあってぼくもそれにさんせいし)

たくない、と手紙に書いて寄こしたこともあって、僕もそれに賛成し

(てそれでいままでこのことはせんせいにはぜったいひみつということになってい)

て、それでいままで、この事は先生には絶対秘密という事になってい

(たのですがしかしぼくもこんどせんちへいってたいていまあしぬ)

たのですが、しかし、僕もこんど戦地へ行ってたいていまあ死ぬ

(ということになるだろうしずいぶんかんがえましたはんもんしたんだ。)

という事になるだろうし、ずいぶん考えました。はんもんしたんだ。

(そうしてぼくはあのむすめにたいしてやっぱりのおといわれなければな)

そうして僕は、あの娘に対して、やっぱり、ノオと言われなければな

(らぬたちばなのだとさとったのですのおというのはつらいですよ)

らぬ立場なのだと悟ったのです。ノオと言うのは、つらいですよ。

(ぼくはしかしさいごのてがみにのおといったこころをおににしてのおと)

僕は、しかし、最後の手紙に、ノオと言った。心を鬼にして、ノオと

(いったんだせんせいぼくはひとがかわりましたよれいこくむざんのてがみをかい)

言ったんだ。先生、僕は人が変わりましたよ。冷酷無残の手紙を書い

(てだしましたきのうあたりあのむすめのてもとにとどいているはずですが)

て出しました。きのうあたり、あの娘の手許にとどいている筈ですが

(ぼくはそのてがみにそもそものはじめからつまりぼくたちのれいの)

、僕はその手紙に、そもそものはじめから、つまり、僕たちのれいの

(あくけいのことからぜんぶあらいざらいかいておくってやったのですだいいっぽ)

悪計の事から、全部あらいざらい書いて送ってやったのです。第一歩

(からこのれんあいはふまじめなものだったうらむならせんせいをうらめ)

から、この恋愛は、不真面目なものだった。恨むなら、先生を恨め、

(とでもそれはひどいじゃないかまさかそんなせんせい)

と。」「でも、それはひどいじゃないか。」「まさか、そんな、先生

(をうらめとはかきませんがこのれんあいははじめからおわりまで)

を恨め、とは書きませんが、この恋愛は、はじめから終わりまで、

(でたらめだったのだとかいてやりましたしかしそんなきょくたん)

、でたらめだったのだと書いてやりました。」「しかし、そんな極端

(ないじめかたをしちゃかわいそうだいいえでもそれほどまでに)

ないじめ方をしちゃ、可哀想だ。」「いいえ、でも、それほどまでに

(つよくかかなくちゃだめなんですかのじょはかのじょはぼくのきかんをなんねんで)

強く書かなくちゃ駄目なんです。彼女は、彼女は、僕の帰還を何年で

(もまつといってよこしているのですからわるかったわるかった)

も待つ、と言って寄こしているのですから。」「悪かった、悪かった

(ほかにいいようのないきもちだったさんささやかなじ)

。」ほかに言いようの無い気持ちだった。~(3)~ ささやかな事

(けんかもしれないしかしこのじけんがとうじもまたいまもぼくを)

件かも知れない。しかし、この事件が、当時も、またいまも、僕を

(どんなにくるしめているかわからないすべてぼくのせきにんである)

どんなに苦しめているかわからない。すべて、僕の責任である。

(ぼくはあのひきみとわかれてそのかえりみちこうえんじのきくやにたちよった)

僕は、あの日、君と別れて、その帰り道、高円寺の菊屋に立ち寄った

(じつにもういちねんぶりくらいのほうもんであったおもてのとはしまっている)

。実にもう、一年振りくらいの訪問であった。表の戸は、しまっている。

(うらへまわったがだいどころのともしまっているきくやさんきくやさん)

裏へ廻ったが、台所の戸も、しまっている。「菊屋さん、菊屋さん。」

(とよんだがなんのへんじもないあきらめていえへかえったしかしどう)

と呼んだが、何の返事も無い。あきらめて家へ帰った。しかし、どう

(にもきがかりだぼくはそれからとうかほどたってまたこうえんじへいって)

にも気がかりだ。僕はそれから十日ほど経って、また高円寺へ行って

(みた。こんどはおもてのとがぞうさなくあいたけれどもなかにはみた)

みた。こんどは、表の戸が雑作なくあいた。けれども、中には、見た

(こともないろうばがひとりいただけであったあのおじさんはきく)

事も無い老婆が一人いただけであった。「あの、おじさんは?」「菊

(かわさんかええよんいつかまえみなさんいなかのほうへひきあげ)

川さんか?」「ええ。」「四、五日前、皆さん田舎のほうへ、引上げ

(ていきましたまえからそんなはなしがあったのですかいいえ)

て行きました。」「前から、そんな話があったのですか?」「いいえ

(きゅうにねにもつもだいぶぶんまだここにおいてありますわたしはその)

、急にね。荷物も大部分まだここに置いてあります。わたしは、その

(るすばんみたいなものでいなかはどこですさいたまのほうだ)

留守番みたいなもので。」「田舎は、どこです。」「埼玉のほうだ

(とかいっていましたそうかれらのあわただしいいじゅうはそれ)

とか言っていました。」「そう。」彼等のあわただしい移住は、それ

(はなにもぼくたちにかんけいしたことではないかもしれないけれどもしかし)

は何も僕たちに関係したことでは無いかも知れないけれども、しかし

(きみのそののおのてがみがぼくときみがうえのこうえんでべつさかずきをくみかわした)

、君のその「ノオ」の手紙が、僕と君が上野公園で別盃をくみかわした

(あのひのぜんごについたとしたらこのきくやいっかのいじゅうはそれからよん)

あの日の前後に着いたとしたら、この菊屋一家の移住は、それから四

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