羅生門抜粋

問題文
(「このかみをぬいてな、このかみをぬいてな、)
「この髪を抜いてな、この髪を抜いてな、
(かずらにしようとおもうたのじゃ。」)
鬘にしようと思うたのじゃ。」
(げにんは、ろうばのこたえがぞんがい、へいぼんなのにしつぼうした。)
下人は、老婆の答えが存外、平凡なのに失望した。
(そうしてしつぼうするとどうじに、またまえのぞうおが、)
そうして失望すると同時に、また前の憎悪が、
(ひややかなぶべつといっしょに、こころのなかにはいってきた。)
冷ややかな侮蔑と一緒に、心の中に入ってきた。
(すると、そのけしきが、せんぽうへもつうじたのであろう。)
すると、その気色が、先方へも通じたのであろう。
(ろうばは、かたてに、まだしがいのあたまからうばったながいぬけげをもったなり、)
老婆は、片手に、まだ死骸の頭から奪った長い抜け毛を持ったなり、
(ひきのつぶやくようなこえで、くちごもりながら、こんなことをいった。)
蟇のつぶやくような声で、口ごもりながら、こんな事を云った。
(「なるほどな、しにんのかみのけをぬくということは、なんぼうわるいことかもしれぬ。)
「成程な、死人の髪の毛を抜くと云う事は、何ぼう悪いことかも知れぬ。
(じゃが、ここにいるしにんどもは、みな、)
じゃが、ここにいる死人どもは、皆、
(そのくらいなことを、されてもいいにんげんばかりだぞよ。)
そのくらいな事を、されてもいい人間ばかりだぞよ。
(げんざい、わしがいま、かみをぬいたおんななどはな、)
現在、わしが今、髪を抜いた女などはな、
(へびをしすんばかりずつにきってほしたものを、)
蛇を四寸ばかりずつに切って干したものを、
(ほしうおだというて、たてわきのじんへうりにいんだわ。)
干魚だと云うて、太刀帯の陣へ売りに往んだわ。
(えやみにかかってしななんだら、いまでもうりにいんでいたことであろ。)
疫病にかかって死ななんだら、今でも売りに往んていたことであろ。
(それもよ、このおんなのうるほしうおは、あじがよいというて、)
それもよ、この女の売る干魚は、味がよいと云うて、
(たてわきどもが、かかさずさいりょうにかっていたそうな。)
太刀帯どもが、欠かさず菜料に買っていたそうな。
(わしは、このおんなのしたことがわるいとはおもうていぬ。)
わしは、この女のした事が悪いとは思うていぬ。
(せねば、がしするじゃて、しかたがなくすることじゃわいの。)
せねば、餓死するじゃて、仕方がなくする事じゃわいの。
(じゃて、そのしかたがないことを、よくしっていたこのおんなは、)
じゃて、その仕方がない事を、よく知っていたこの女は、
(おおかたわしのすることもおおめにみてくれるであろ。」)
大方わしのする事も大目に見てくれるであろ。」
(ろうばは、だいたいこんないみのことをいった。)
老婆は、大体こんな意味のことを云った。