未 本編 -17-
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問題文
(くりすますけーきがふたきれ。ししょうはのうてんからまっふたつにされた)
クリスマスケーキが二切れ。師匠は脳天から真っ二つにされた
(さんたくろーすがのはんぶんがのっかっているほうをとった。)
サンタクロースがの半分が乗っかっている方を取った。
(かたそうなさとうがしなので、きるかていでかなりどうたいがきじにめりこんでいる。)
硬そうな砂糖菓子なので、切る過程でかなり胴体が生地にめり込んでいる。
(それからししょうがこうちゃをいれてかんぱいをした。)
それから師匠が紅茶を淹れて乾杯をした。
(めりーくりすます。)
メリークリスマス。
(いまごろまちをはなやかにいろどっているであろう、あかとしろのにしょくとはえんどおい、)
今ごろ街を華やかに彩っているであろう、赤と白の二色とは縁遠い、
(じみなわしつのなかだったけれど、すこしだけきぶんがでた。)
地味な和室の中だったけれど、少しだけ気分が出た。
(すなおにひろこさんにかんしゃする。けーきをたべおわるとししょうはいった。)
素直に広子さんに感謝する。ケーキを食べ終わると師匠は言った。
(「さきにねろ」)
「さきに寝ろ」
(あさまでこうたいでばんをするから、と。)
朝まで交代で番をするから、と。
(とけいをみるとよるのくじだった。ししょうのあんではくじからひづけのかわった)
時計を見ると夜の九時だった。師匠の案では九時から日付の変わった
(しんやにじまでのごじかんがししょうのばん。そしてにじからあさろくじまでのよんじかんが)
深夜二時までの五時間が師匠の番。そして二時から朝六時までの四時間が
(ぼくのばんということだった。)
僕の番ということだった。
(「ぼくはべつにてつやでもいいですよ」)
「僕は別に徹夜でもいいですよ」
(そういってみたのだが、「ひとばんですむとはかぎらない。いいからさきにねろ」)
そう言ってみたのだが、「一晩で済むとは限らない。いいから先に寝ろ」
(とのおおせ。)
との仰せ。
(「わかりました。でもどうしてぼくのばんがろくじまでなんです」ときくと)
「わかりました。でもどうして僕の番が六時までなんです」と訊くと
(「ここはときのかねがなるっていってたろ」とかえされた。)
「ここは時の鐘が鳴るって言ってたろ」と返された。
(そういえば、ききこみをしていたときにおかみかだれかがそんなことを)
そういえば、訊き込みをしていた時に女将か誰かがそんなことを
(いっていたきがする。ちょすいちをみにいっているときにもそのかねのおとがなっていた。)
言っていた気がする。貯水池を見に行っている時にもその鐘の音が鳴っていた。
(いまのようなとけいのなかったじだいには、しょみんがじこくをしるために)
今のような時計のなかった時代には、庶民が時刻を知るために
(ときのかねとよばれるしくみがあった。てらやじんじゃのかねつきどうなどで)
時の鐘と呼ばれる仕組みがあった。寺や神社の鐘つき堂などで
(まいにちきまったじかんにかねがつかれるのだ。)
毎日決まった時間に鐘がつかれるのだ。
(あけむっつであればろっかい、ひるここのつであればきゅうかいというぐあいに。)
明け六つであれば六回、昼九つであれば九回という具合に。
(それをきいて、ひとびとはしごとやせいかつのくぎりとしていた。)
それを聴いて、人々は仕事や生活の区切りとしていた。
(たとえばひるにはっかいかねがつかれるひるやっつであればげんざいのごごにじごろをさすのだが、)
例えば昼に八回鐘が撞かれる昼八つであれば現在の午後二時ごろを指すのだが、
(そのかねをきくといちどしごとにきゅうけいをいれ、そのあいだにひろうかいふくのためのあまいものなどを)
その鐘を聴くと一度仕事に休憩を入れ、その間に疲労回復のための甘い物などを
(とるしゅうかんがあった。)
取る習慣があった。
(これがいまの「おやつ」ということばのごげんだそうだ。)
これが今の「おやつ」という言葉の語源だそうだ。
(このまつのきごうではくだんのわかみやじんじゃにときのかねがあり、いまもいちにちのうち)
この松ノ木郷ではくだんの若宮神社に時の鐘があり、今も一日のうち
(あけむっつ、ひるここのつ、くれむっつのけいさんど、ときをつげているのだそうだ。)
明け六つ、昼九つ、暮れ六つの計三度、時を告げているのだそうだ。
(それぞれあさろくじ、ひるのじゅうにじ、そしてゆうがたのろくじに。)
それぞれ朝六時、昼の十二時、そして夕方の六時に。
(そのかねのおとはこの「とかの」へもきこえてくる。)
その鐘の音はこの「とかの」へも聞こえてくる。
(「こういう、きょうかいをあらわしたものは、ふるいれいこんにはつよくえいきょうするはずだ」)
「こういう、境界を表したものは、古い霊魂には強く影響するはずだ」
(ししょうはいう。)
師匠は言う。
(ゆうぐれは「たそかれ」ともいい、むこうにいるのがだれなのかわからない、)
夕暮れは「誰そ彼」とも言い、向こうにいるのが誰なのか分からない、
(といううすぐらさを、そしてふあんなかんじをあらわしている。)
という薄暗さを、そして不安な感じを表している。
(そしてひがおちきってしまえばそこからはもうひとのせかいではなく、)
そして日が落ち切ってしまえばそこからはもう人の世界ではなく、
(ちみもうりょうやあっきのたぐいがかっぽするよるのせかいへとがらりとかわってしまうのだ。)
魑魅魍魎や悪鬼の類が闊歩する夜の世界へとがらりと変わってしまうのだ。
(おなじようによあけのころも「かはたれ」といい、むこうにたっているのが)
同じように夜明けのころも「彼は誰」と言い、向こうに立っているのが
(いったいだれなのかはんぜんとしない、というふあんさをあらわしている。)
いったい誰なのか判然としない、という不安さを表している。
(それはやはりよるにすまうひとならぬものたちのしはいするじかんと、)
それはやはり夜に住まう人ならぬものたちの支配する時間と、
(ひるにいきるにんげんたちのしはいするじかんとのきょうかいにいちするじかんたいなのだ。)
昼に生きる人間たちの支配する時間との境界に位置する時間帯なのだ。
(「にわとりのなきごえをみみにしてたいさんするおにのはなしをきいたことがあるだろう」)
「鶏の鳴き声を耳にして退散する鬼の話を聞いたことがあるだろう」
(それはにわとりのこえそのものにおびえたのではなく、よるとひるのきょうかいを)
それは鶏の声そのものに怯えたのではなく、夜と昼の境界を
(こえてしまったことをしっておにはにげだすのだ。)
超えてしまったことを知って鬼は逃げ出すのだ。
(あたたかいゆをとまりぎのなかにながし、むりやりめをさまさせてなきこえをあげさせ、)
暖かい湯を止まり木の中に流し、無理やり目を覚まさせて鳴き声を上げさせ、
(まだまだよるはあけないにもかかわらず、おにをたいさんさせてしまうはなしもあった。)
まだまだ夜は明けないにも関わらず、鬼を退散させてしまう話もあった。
(そのにわとりのこえのやくわりをはたすのが、このとちではあけむっつのかねというわけだ。)
その鶏の声の役割を果たすのが、この土地では明け六つの鐘というわけだ。
(「かねのなったあさろくじいこうはまずでないな。きょうあつめたもくげきだんでも、)
「鐘の鳴った朝六時以降はまず出ないな。今日集めた目撃団でも、
(くれむっつよりまえに「でた」というはなしはなかった」)
暮れ六つより前に「出た」という話はなかった」
(でるのはくれむっつから、あけむっつのあいだのじかん。)
出るのは暮れ六つから、明け六つの間の時間。
(つまり、とちのしゅうかんにこおうしたこふうなれいであるかのうせいがたかい。)
つまり、土地の習慣に呼応した古風な霊である可能性が高い。
(そういってししょうはばんじょうのつんでしまったじぶんのおうしょうをつめではじいた。)
そう言って師匠は盤上の詰んでしまった自分の王将を爪で弾いた。
(「とにかく、もうねろ。にじになったらおこしにいくから」)
「とにかく、もう寝ろ。二時になったら起こしに行くから」
(そういっておいだされたぼくはじぶんのへやにもどり、)
そう言って追い出された僕は自分の部屋に戻り、
(はみがきをしてからしかれていたふとんにもぐりこんだ。)
歯磨きをしてから敷かれていた布団に潜り込んだ。