村正病 蒐集物覚書帳目録第〇〇八六番 その1

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1 ボアソナード刑法 7004 7.3 95.4% 1115.1 8204 393 100 2026/06/01

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(むらまさびょうしゅうしゅうぶつおぼえがきちょうもくろくだいはちじゅうろくばん) 村正病蒐集物覚書帳目録第〇〇八六番 (せんごひゃくななじゅうさんねんしちがつほそく。あんさつしあけちみつひでがはっけん。むらまさびょうはせんごくじ) 一五七三年七月捕捉。按察司"明智光秀"が発見。村正病は戦国時 (だいとうじ、にほんぜんどにまんえんしていたがあけちのじんりょくによりひがいはさいしょうげんにおさえられた) 代当時、日本全土に蔓延していたが明智の尽力により被害は最小限に抑えられた (。とうじのけんぎしりょうのおおくがうしなわれているためむらまさびょうのしょうさいなしょうじょうはあきらかにな) 。当時の研儀資料の多くが失われているため村正病の詳細な症状は明らかにな (っていないものの、あけちはふくすうのみっしょやしゅきにてむらまさびょうにかんするきじゅつをのこしてお) っていないものの、明智は複数の密書や手記にて村正病に関する記述を残してお (り、「りかんしゃのふきんでなにものかがさっしょうされると、りかんしゃのしこうのうりょくがいちじるしくていかし) り、「罹患者の付近で何者かが殺傷されると、罹患者の思考能力が著しく低下し (きょうぼうかする。」というものであるとせつめいされている。むらまさびょうのらいれきについてはふ) 凶暴化する。」というものであると説明されている。村正病の来歴については不 (めいなてんがおおいが、あけちはきりすときょうのせんきょうしにまぎれてにゅうこくしたかいしんきょうとよば) 明な点が多いが、明智はキリスト教の宣教師に紛れて入国した"壊神教"と呼ば (れるしゅうきょうだんたいにもたらされたやくさいであるとけつろんづけており、このしゅうしゅうぶつをめぐってとう) れる宗教団体に齎された厄災であると結論付けており、この蒐集物を巡って当 (いんとかいしんきょうはたいりつしていた。このしゅうきょうだんたいはじゅうごせいきとうじのこわれたるきょうかい) 院と壊神教は対立していた。この宗教団体は十五世紀当時の"壊れたる教会" (けいのぶんぱ、あるいはもほうだんたいであるとおもわれる。げんだいではとういんがかんり・はあくしてい) 系の分派、或いは模倣団体であると思われる。現代では当院が管理・把握してい (るしゅうしゅうぶついがいにむらまさびょうはそんざいせず、むらまさびょうはじじつじょうこんぜつされている。げん) る蒐集物以外に村正病は存在せず、村正病は事実上根絶されている。現 (だいでもなぞがおおいむらまさびょうではあるが、あけちはふくすうのむらまさびょうにかんするぶんしょをのこしてい) 代でも謎が多い村正病ではあるが、明智は複数の村正病に関する文書を残してい (る。いかのぶんしょぐんは、あけちがむらまさびょうについてあんさつしたさいにほんいんへそうふしたほうこく) る。以下の文書群は、明智が村正病について按察した際に本院へ送付した報告 (みっしょやあけちほんにんのしゅきのばっすいであり、かどくせいのためにいちぶげんだいごやくされている。) 密書や明智本人の手記の抜粋であり、可読性のために一部現代語訳されている。 (げんぶんおよびすべてのしりょうはてんぷぶんしょぐんをさんしょうのこと。) 原文及びすべての資料は添付文書群を参照のこと。 (あけちからしゅうしゅういんほんいんへそうふされたみっしょ1 あしかがよしあきをりようすることで、あしかがとお) 明智から蒐集院本院へ送付された密書1 足利義昭を利用することで、足利と織 (だへのりょうぞくというつごうのよいかたちでおだにせっきんすることにせいこうした。みよしのこうけいしゃ) 田への両属という都合の良い形で織田に接近することに成功した。三好の後継者 (あらそいにおだをまきこむかたちになり、しょうしょうてあらであったとはんせいするところもあるがぶ) 争いに織田を巻き込む形になり、少々手荒であったと反省するところもあるが無 (じにおだにとりいることができたのはしゅうかくだった。よしあきのじょうらくがすめばよしあきはお) 事に織田に取り入ることができたのは収穫だった。義昭の上洛が済めば義昭は織
など
(だのけんりょくをはいけいにしょうぐんへ、のぶながはそのこうけんにんとなるのだが、のぶながにそのようなけん) 田の権力を背景に将軍へ、信長はその後見人となるのだが、信長にそのような権 (いがあたえられるのはひだねのくすぶりをかんじる。さんにんしゅうやあわみよしのどうこうとともにきをくば) 威が与えられるのは火種の燻りを感じる。三人衆や阿波三好の同行と共に気を配 (るひつようがあるとおもわれる。ほんいんからのじょうほうどおり、このいっしょくそくはつのきんちょうのかげで、) る必要があると思われる。本院からの情報通り、この一触即発の緊張の陰で、 (のぶながをたずねてえっけんをねがうがいこくじんがおだりょうをでいりしているようだ。きりすときょうな) 信長を訪ねて謁見を願う外国人が織田領を出入りしているようだ。キリスト教な (るいこくのしゅうきょうのふきょうをもくてきとしているらしく、のぶながもこのしゅうきょうにきょうみをしめしてい) る異国の宗教の布教を目的としているらしく、信長もこの宗教に興味を示してい (る。いまのところのぶながはいちおうけいかいしているようで、えっけんはじつげんしていないがちゅういを) る。今のところ信長は一応警戒しているようで、謁見は実現していないが注意を (はらうひつようをかんじる。なにかうごきがあったらおってれんらくする。(えいろくじゅういちねん)) 払う必要を感じる。何か動きがあったら追って連絡する。(永禄十一年) (おだのぶながは、ちちののぶひでがしきょするさい「いのればすくわれる」とといたそうりょにめいをさつがい) 織田信長は、父の信秀が死去する際「祈れば救われる」と説いた僧侶二名を殺害 (しており、しゅうしゅういんほんいんよりようちゅういのあつかいをうけていた。あけはこのじてんでなぞのしゅう) しており、蒐集院本院より要注意の扱いを受けていた。明智はこの時点で謎の宗 (きょうだんたいのそんざいをもくげきしており、よちょうをかんじとっていたとおもわれる。しかし、みよし) 教団体の存在を目撃しており、予兆を感じ取っていたと思われる。しかし、三好 (けのこうけいしゃあらそいのあとしょりにおわれ、しゅうきょうだんたいのこうどうのついせきにはせいこうしていなか) 家の後継者争いの後処理に追われ、宗教団体の行動の追跡には成功していなか (った。) った。 (あけちからしゅうしゅういんほんいんへそうふされたみっしょ2 きょうでのできごとであるゆえにすでにみみにはい) 明智から蒐集院本院へ送付された密書2 京での出来事である故に既に耳に入 (っているとおもわれるが、よしあきのじょうらくご、かりのごしょとしていたほんこくじのけいごちゅうにみ) っていると思われるが、義昭の上洛後、仮の御所としていた本圀寺の警護中に三 (よしさんにんしゅうひきいるやくいちまんよりきゅうしゅうをうけた。こちらがたはにせんていどのてぜいであり、) 好三人衆率いる約一万より急襲を受けた。こちら方は二千程度の手勢であり、 (ほんこくじのこうぞうはけんごとはいえず、かんらくをかくごしたもののとつじょはっせいしたいじょうげんしょうと) 本圀寺の構造は堅固とはいえず、陥落を覚悟したものの突如発生した異常現象と (おもわれるじしょうによりすくわれることとなった。せいもんにさっとうするみよしのぐんぜいによりへい) 思われる事象により救われることとなった。正門に殺到する三好の軍勢により兵 (そつがいちめいあやめられると、わかさくにしゅうとしてほんこくじぼうえいにくわわったやまがたげんないとうのや) 卒が一名殺められると、若狭国衆として本圀寺防衛に加わった山県源内と宇野弥 (しちというにめいのおとこがとつじょとしてげきこう。ぶゆうあるゆうしであるとはききおよんでいたも) 七という二名の男が突如として激昂。武勇ある勇士であるとは聞き及んでいたも (のの、そのげきこうっぷりはいささかいようであった。このにめいのかつやくぶりはあまりにめざ) のの、その激昂っぷりは聊か異様であった。この二名の活躍ぶりはあまりに目覚 (ましく、はんこくももたずにかんらくするかとおもわれたほんこくじはこのひついにかんらくせず、) ましく、半刻も持たずに陥落するかと思われた本圀寺はこの日ついに陥落せず、 (よくあさとくちゃくしたおだのえんぐんによりみよしぐんいちまんはてったい。そのあともおだはついげきをおこないみ) 翌朝特着した織田の援軍により三好軍一万は撤退。その後も織田は追撃を行い三 (よしさんにんしゅうははいそうとあいなった。わたしこじんのしょかんをこんきょとするためしのびないが、てきに) 好三人衆は敗走とあいなった。私個人の所感を根拠とするため忍びないが、敵に (ほういされしきがみるみるうちにげらくしていたあのげんばで、あのにめいのいようなげきこうの) 包囲され士気がみるみる内に下落していたあの現場で、あの二名の異様な激昂の (ふかしぎさはひつぜつにつくしがたい。ふたりをこうそくしほんいんへおくるゆえ、けんぎへかけてい) 不可思議さは筆舌に尽くしがたい。二人を拘束し本院へ送る故、研儀へ掛けてい (ただきたくおもう。ついしん のぶなががよしあきのこうどうにせいげんをかけ、かいらいとしようとこころみて) ただきたく思う。追伸 信長が義昭の行動に制限を掛け、傀儡としようと試みて (おり、りょうめいのかんけいはひやくてきにあっかしている。たいするよしあきもしょせいりょくへみっしょをそうふし) おり、両名の関係は飛躍的に悪化している。対する義昭も諸勢力へ密書を送付し (ているとおもわれ、ばあいによってはぶりょくてきしょうとつにはってんするかのうせいがある。ほんいんのほう) ていると思われ、場合によっては武力的衝突に発展する可能性がある。本院の方 (でもちょうていをつうじ、よしあきのたづなをにぎるなどとうぜんのじたいにそなえるようよろしくねがう。) でも朝廷を通じ、義昭の手綱を握るなど当然の事態に備えるようよろしく願う。 ((えいろくじゅうにねん)) (永禄十二年) (あけちからしゅうしゅういんほんいんへそうふされたみっしょ3 れいのきりすときょうとかいうしゅうきょうにうごき) 明智から蒐集院本院へ送付された密書3 例のキリスト教とかいう宗教に動き (あり。るいすふろいすというがいこくじんが、にじょうじょうけんせつのためきょうにおとずれていたのぶながの) あり。ルイスフロイスという外国人が、二条城建設のため京に訪れていた信長の (もとへおしかけるようにすいさんしせっしょく。2かげつごをめどにりょうないでのふきょうをきょかした。のぶ) 元へ押しかける様に推参し接触。2か月後を目途に領内での布教を許可した。信 (なががせいようこくとのがいこうにてりえきをえようとしているのはあきらかであり、そのために) 長が西洋国との外交にて利益を得ようとしているのは明らかであり、そのために (がいこくのしゅうきょうをひきいれるこういはとうていかんかできないものである。しんぶつをあしげにする) 外国の宗教を引き入れる行為は到底看過できないものである。神仏を足蹴にする (ようなおおうつけものがぜつだいなけんりょくをえて、そのぶりょくをはいけいにがいこくのしゅうきょうせいりょくが) ような大うつけ者が絶大な権力を得て、その武力を背景に外国の宗教勢力が (ひのもとにのさばるようなじたいはなんとしてもさけねばならず、とぶとりをおとすいきおい) 日の本にのさばる様な事態はなんとしても避けねばならず、飛ぶ鳥を落とす勢い (ののぶながをはやいだんかいでしっついさせるひつようがある。しゅうしゅういんほんいんはちょうていをつうじ、よし) の信長を早い段階で失墜させる必要がある。蒐集院本院は朝廷を通じ、義昭から (あきからしょだいみょうへはたらきかけることで、のぶながとうばつのためのかんいどうめいをつくるようだしんいただ) 諸大名へ働きかけることで、信長討伐のための簡易同盟を作るよう打診頂 (きたくぞんじる。(えいろくじゅうにねん)) きたく存じる。(永禄十二年) (しゅうしゅういんほんいんからあけちへそうふされたみっしょ1 あけちどの ひびのふんれいごくろう。ほういもうが) 蒐集院本院から明智へ送付された密書1 明智殿 日々の奮励ご苦労。包囲網が (かんせいしつつあり、しょだいみょうがうらでれんけいしているなか、あさくらがおもてだってのぶながのじょうらく) 完成しつつあり、諸大名が裏で連携している中、朝倉が表立って信長の上洛 (めいれいをむししてしまったのはごさんでした。さらにごさんだったのはあざいがあさくらとのぎ) 命令を無視してしまったのは誤算でした。更に誤算だったのは浅井が朝倉との義 (りのため、のぶながとのどうめいをはきしかねがさきにておだのぐんぜいをげきはしてしまったこと) 理のため、信長との同盟を破棄し金ヶ崎にて織田の軍勢を撃破してしまったこと (です。さらにさらにごさんだったのはあねがわにてあさくらあざいりょうしがのぶながにかんぜんふんさいされてし) です。更に更に誤算だったのは姉川にて朝倉浅井両氏が信長に完全粉砕されてし (まったことです。ほういもうにほころびがしょうじており、でばなをくじかれています。あさくらあざ) まったことです。包囲網に綻びが生じており、出鼻をくじかれています。朝倉浅 (いりょうしとそのぐんぜいはえんりゃくじでかくまいました。のぶながというおとこ、ひょうばんどおりかみやほとけ) 井両氏とその軍勢は延暦寺で匿いました。信長という男、評判通り神や仏 (なぞおかまいなしといったところでしょうか、えんりゃくじをどうどうとほういしているようで) なぞお構いなしといったところでしょうか、延暦寺を堂々と包囲しているようで (す。しかしこのきゅうちにたいして、かねてよりのぶながとたいりつしているみよしさんにんしゅうがえんごを) す。しかしこの窮地に対して、予てより信長と対立している三好三人衆が援護を (おこなっているようで、のぶながのきをそらしてくれています。さらにほんがんじのほうしゅ、けん) 行っているようで、信長の気を反らしてくれています。さらに本願寺の法主、顕 (にょもいせのいっこうしゅうへはたらきかけてだいきぼなぶそうほうきをおこなってくれています。しょうしょうよ) 如も伊勢の一向衆へ働きかけて大規模な武装蜂起を行ってくれています。少々予 (ていはくるいましたがのぶながをけすことはふかのうではないでしょう。あけちどのがこのきゅう) 定は狂いましたが信長を消すことは不可能ではないでしょう。明智殿がこの急 (てんかいにおいていたばさみのやくをかってくれており、ほんいんとしてもたいへんたすかっています) 展開において板挟みの役をかってくれており、本院としても大変助かっています (。こんごもはげんでください。ついしん あけちどのがいぜんけんぎのいらいをかけたにめいですが、) 。今後も励んでください。追伸 明智殿が以前研儀の依頼をかけた二名ですが、 (けんぎけっかがでました。けっかからいいますとにめいののうずいからてつでできたくものよう) 研儀結果がでました。結果から言いますと二名の脳髄から鉄でできた蜘蛛のよう (なきかいじかけのむしがはっけんされました。くわしくはつぎにほんいんをおとずれたさいにせつめいします) な機械仕掛けの虫が発見されました。詳しくは次に本院を訪れた際に説明します (。おまちしています。(げんきがんねん)) 。お待ちしています。(元亀元年) (このじてんでむらまさびょうははっけんされていなかったとされているが、あけちがそうぐうしたやまがた) この時点で村正病は発見されていなかったとされているが、明智が遭遇した山県 (げんないとうのやしちがさいしょのむらまさびょうりかんしゃであるとかんがえられる。とうじのけんぎしりょうはざい) 源内と宇野弥七が最初の村正病罹患者であると考えられる。当時の研儀資料は財 (だんとのがっぺいおよびとういんのないぶぶんれつによりふんしつしており、かくにんすることができない。) 団との合併及び当院の内部分裂により紛失しており、確認することが出来ない。 (このころ、かいしんきょうはきりすときょうをかたりむらまさびょうのるふをおこなっていたが、そのこうどうり) この頃、壊神教はキリスト教を騙り村正病の流布を行っていたが、その行動理 (ゆうにはしょせつある。なかでもゆうりょくなせつとされているのが、むらまさびょうをりようしせんらんをゆうはつ) 由には諸説ある。中でも有力な説とされているのが、村正病を利用し戦乱を誘発 (させることでしょこくのせいじをふあんていにさせ、ふきょうのおこないやすいじばんをつくることに) させることで諸国の政治を不安定にさせ、布教の行いやすい地盤をつくることに (あったとするせつである。じじつ、かくちでのせんとうこういがながびき、おだけのようにがいこう) あったとする説である。事実、各地での戦闘行為が長引き、織田家のように外交 (しゅだんとしてしょだいみょうにとりいるけーすがおおくかくにんされた。なかでもぶんごこくのおおともけは) 手段として諸大名に取り入るケースが多く確認された。中でも豊後国の大友家は (、とうしょはがいこうしゅだんとしてとりいれたはずのかいしんきょうにとうしゅのよししげがしんすいし、かしんだん) 、当初は外交手段として取り入れた筈の壊神教に当主の義鎮が心酔し、家臣団 (にかいしゅうをせまったというきろくがのこされている。このためかげんざいのおおいたけんしゅうへんでは、) に改宗を迫ったという記録が残されている。このためか現在の大分県周辺では、 (げんだいでもかいしんきょうにまつわるしゅうしゅうぶつがおおくはっけんされている。あけちはいわゆるのぶながほう) 現代でも壊神教に纏わる蒐集物が多く発見されている。明智は所謂信長包 (いもうのこうぼうのさいちゅうもむらまさびょうにかんするほうこくをふくすうしゅうしゅういんほんいんへそうふして) 囲網の攻防の最中も村正病に関する報告を複数蒐集院本院へ送付して (いる。そのないようによるとねんだいがすすむにつれてきわまるせんごくじだいのこんめいにひれいするよ) いる。その内容によると年代が進むにつれて極まる戦国時代の混迷に比例するよ (うに、しゅうしゅうぶつのかんそくけんすうがふえているのがかくにんできる。ねんだいがすすむにつれてむらまさ) うに、蒐集物の観測件数が増えているのが確認できる。年代が進むにつれて村正 (びょうのかいりょうがおこなわれているとおもわれるぶぶんにもちゅうもくしたい。) 病の改良がおこなわれていると思われる部分にも注目したい。 (あけちからしゅうしゅういんほんいんへそうふされたみっしょ4 のぶながのこうどうにはぎもんしかない。えちぜんが) 明智から蒐集院本院へ送付された密書4 信長の行動には疑問しかない。越前が (ふゆにとざされてったいできなくなることをきにしたあさくらにたいし、ぜつみょうなまでこうわをも) 冬に閉ざされ撤退できなくなることを気にした朝倉に対し、絶妙な間で講和を持 (ちかけるところにはぐんりゃくけとしてのさいをかんじるが、そのあとのいっこうしゅうへのこうげきや) ちかけるところには軍略家としての才を感じるが、そのあとの一向衆への攻撃や (ひえいざんやきうちはただのぎゃくさつとひょうかせざるえない。てきのとうこうをみとめずみずからにかみ) 比叡山焼き討ちはただの虐殺と評価せざる得ない。敵の投降を認めず自らに噛み (ついたはらいせといわんばかりにぎゃくさつ、けっかとしてやけになったてきにすてがまりの) ついた腹いせと言わんばかりに虐殺、結果としてヤケになった敵に捨てがまりの (とつげきをくらい、いらぬそんがいをぐんにだしているさまをよくきくようになった。なによ) 突撃を食らい、いらぬ損害を軍に出している様をよく聞くようになった。なによ (りひえいざんはひどすぎる、おんなやこどもまでみなごろしにするとはまさにきちくのしょぎょう。いな、たとえ) り比叡山は酷すぎる、女や子供まで皆殺しにするとは正に鬼畜の所業。否、例え (ほんとうにきちくであったとしてもみんちゅうをかんがえたらじっこうできるようなものではない。) 本当に鬼畜であったとしても民忠を考えたら実行できるようなものではない。
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