芥川龍之介『古千屋』

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大阪夏の陣で討ち死した塙団右衛門直之の首実検をめぐる短編小説。
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1 すもさん 5143 B+ 5.5 93.1% 1174.9 6520 477 86 2024/11/02

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問題文

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(いち)

(かしいのたたかいのあったのはげんながんねんしがつにじゅうくにちだった。おおさかぜいのなかでもなを)

樫井の戦いのあったのは元和元年四月二十九日だった。大阪勢の中でも名を

(しられたばんだんえもんなおゆき、たんなわろくろうびょうえしげまさらはいずれもこのたたかいのために)

知られた塙団右衛門直之、淡輪六郎兵衛重政等はいずれもこの戦いのために

(うちしした。ことにばんだんえもんなおゆきはきんのごへいのさしものにじゅうもんじのやりを)

打ち死した。殊に塙団右衛門直之は金の御幣の指し物に十文字の槍を

(ふりかざし、やりのつかのおれるまでたたかったのち、かしいのまちのなかにうちしした。)

ふりかざし、槍の柄の折れるまで戦った後、樫井の町の中に打ち死した。

(しがつさんじゅうにちのひつじのこく、かれらのぐんぜいをうちやぶったあさのたじまのかみながあきらはおおごしょ)

四月三十日の未の刻、彼等の軍勢を打ち破った浅野但馬守長晟は大御所

(とくがわいえやすにたたかいのしょうりをほうじたうえ、なおゆきのくびをけんじょうした。(いえやすは)

徳川家康に戦いの勝利を報じた上、直之の首を献上した。(家康は

(しがつじゅうななにちいらい、にじょうのしろにとどまっていた。それはしょうぐんひでただのえどから)

四月十七日以来、二条の城にとどまっていた。それは将軍秀忠の江戸から

(じょうらくするのをまったのち、おおさかのしろをせめるためだった。)このつかいにたったのは)

上洛するのを待った後、大阪の城をせめるためだった。)この使に立ったのは

(ながあきらのけらい、せきそうべえ、てらかわさまのすけのふたりだった。いえやすはほんださどのかみまさずみに)

長晟の家来、関宗兵衛、寺川左馬助の二人だった。家康は本多佐渡守正純に

(めいじ、なおゆきのくびをじっけんしようとした。まさずみはつぎのまにしりぞいてしずかにくびおけのふたを)

命じ、直之の首を実検しようとした。正純は次ぎの間に退いて静に首桶の蓋を

(とり、なおゆきのくびをないけんした。それからふたのうえにまんじをかき、さらにまたやのねを)

とり、直之の首を内見した。それから蓋の上に卍を書き、さらにまた矢の根を

(ふせたのち、こういえやすにへんじをした。「なおゆきのくびはしょちゅうのおりから、ほおたれくびに)

伏せた後、こう家康に返事をした。「直之の首は暑中の折から、頬たれ首に

(なっております。したがってしゅうきもはなはだしゅうございますゆえ、ごけんぶんはいかがで)

なっております。従って臭気も甚だしゅうございますゆえ、御検分はいかがで

(ございましょうか?」しかしいえやすはしょうちしなかった。「だれもしんだうえはかわりは)

ございましょうか?」しかし家康は承知しなかった。「誰も死んだ上は変りは

(ない。とにかくこれへもってまいるように。」まさずみはまたつぎのまへしりぞき、ほろを)

ない。とにかくこれへ持って参るように。」正純はまた次ぎの間へ退き、母布を

(かけたくびおけをまえにいつまでもじっとすわっていた。「はようせぬか。」いえやすはつぎの)

かけた首桶を前にいつまでもじっと坐っていた。「早うせぬか。」家康は次ぎの

(まへこえをかけた。えんしゅうよこすかのかちのものだったばんだんえもんなおゆきはいつかてんかに)

間へ声をかけた。遠州横須賀の徒士のものだった塙団右衛門直之はいつか天下に

(なをしられたものしのひとりにかぞえられていた。のみならずいえやすのしょうおまんのかたも)

名を知られた物師の一人に数えられていた。のみならず家康の妾お万の方も

(かのじょのうんだよりのぶのためにいちじはかれにとしごとににひゃくりょうのきんをごうりょくしていた。)

彼女の生んだ頼宣のために一時は彼に年ごとに二百両の金を合力していた。

など

(さいごになおゆきはぶげいのほかにもだいりゅうおしょうのえかにさんじていちじふりゅうのみちをおさめて)

最後に直之は武芸のほかにも大竜和尚の会下に参じて一字不立の道を修めて

(いた。いえやすのこういうなおゆきのくびをじっけんしたいとおもったのもかならずしもぐうぜんでは)

いた。家康のこういう直之の首を実検したいと思ったのも必ずしも偶然では

(ないのだった。・・・・・・しかしまさずみはへんじをせずに、やはりつぎのまにひかえていた)

ないのだった。……しかし正純は返事をせずに、やはり次ぎの間に控えていた

(なるせはいとしょうまさなりやどいおおいのかみとしかつへとわずがたりにはなしかけた。「とかくひとと)

成瀬隼人正正成や土井大炊頭利勝へ問わず語りに話しかけた。「とかく人と

(もうすものはとしをとるにしたがってじょうばかりこわくなるものときいております。)

申すものは年をとるに従って情ばかり剛くなるものと聞いております。

(おおごしょほどのゆみとりもやはりこれだけはしもじものものとすこしもおかわりなさりませぬ。)

大御所ほどの弓取もやはりこれだけは下々のものと少しもお変りなさりませぬ。

(まさずみもゆみやのこじつだけはいささかわきまえたつもりでおります。なおゆきのくびは)

正純も弓矢の故実だけは聊かわきまえたつもりでおります。直之の首は

(ひとつくびであり、めをみひらいておればこそ、ごじっけんをおことわりもうしあげました。)

一つ首であり、目を見開いておればこそ、御実検をお断り申し上げました。

(それをしいておめどおりへもってまいれとぎょいなさるのはそのよいしょうこでは)

それを強いてお目通りへ持って参れと御意なさるのはその好い証拠では

(ございませぬか?」いえやすはかちょうのふすまごしにまさずみのことばをきいたのち、もちろん)

ございまぬか?」家康は花鳥の襖越しに正純の言葉を聞いた後、もちろん

(にどとなおゆきのくびをじっけんしようとはいわなかった。)

二度と直之の首を実検しようとは言わなかった。

(に)

(するとおなじさんじゅうにちのよ、いいかもんのかみなおたかのじんやにめしつかいになっていたおんながひとり)

すると同じ三十日の夜、井伊掃部頭直孝の陣屋に召し使いになっていた女が一人

(にわかにきのくるったようにさけびだした。かのじょはやっとさんじゅうをこした、こちやという)

俄に気の狂ったように叫び出した。彼女はやっと三十を越した、古千屋という

(なのおんなだった。「ばんだんえもんほどのさむらいのくびもおおごしょのじっけんにはそなえおらぬか?)

名の女だった。「塙団右衛門ほどの侍の首も大御所の実検には具えおらぬか?

(それがしもひとてのたいしょうだったものを。こういうはずかしめをうけたうえはかならずたたりをせずには)

某も一手の大将だったものを。こういう辱しめを受けた上は必ず祟りをせずには

(おかぬぞ。・・・・・・」こちやはつづけさまにさけびながら、そのたびにくうちゅうへおどり)

おかぬぞ。……」古千屋はつづけさまに叫びながら、その度に空中へ踊り

(あがろうとした。それはまたさゆうのなんにょたちのちからもほとんどおさえることのできない)

上ろうとした。それはまた左右の男女たちの力もほとんど抑えることの出来ない

(ものだった。すさまじいこちやのさけびごえはもちろん、かれらのかのじょをひきすえようとする)

ものだった。凄じい古千屋の叫び声はもちろん、彼等の彼女を引据えようとする

(さわぎもひとかたならないのにちがいなかった。いいのじんやのさわがしいことは)

騒ぎも一かたならないのに違いなかった。井伊の陣屋の騒がしいことは

(おのずからとくがわいえやすのみみにもはいらないわけにはゆかなかった。のみならずなおたかは)

おのずから徳川家康の耳にもはいらない訣には行かなかった。のみならず直孝は

(いえやすにえっし、こちやになおゆきのあくりょうののりうつったためにだれもみなおそれていることを)

家康に謁し、古千屋に直之の悪霊の乗り移ったために誰も皆恐れていることを

(はなした。「なおゆきのうらむのもふしぎはない。ではさっそくじっけんしよう。」いえやすは)

話した。「直之の怨むのも不思議はない。では早速実検しよう。」家康は

(おおろうそくのひかりのなかにこうきっぱりことばをくだした。よふけのにじょうのしろのいまになおゆきの)

大蝋燭の光の中にこうきっぱり言葉を下した。夜ふけの二条の城の居間に直之の

(くびをじっけんするのはひるまよりもかえってものものしかった。いえやすはちゃいろのはおりをき、)

首を実検するのは昼間よりも反ってものものしかった。家康は茶色の羽織を着、

(したくくりのはかまをつけたまま、しきどおりになおゆきのくびをじっけんした。そのまたくびのさゆうには)

下括りの袴をつけたまま、式通りに直之の首を実検した。そのまた首の左右には

(ぐそくをつけたはたもとがふたりいずれもたちのつかにてをかけ、いえやすのじっけんするあいだは)

具足をつけた旗本が二人いずれも太刀の柄に手をかけ、家康の実検する間は

(じっとくびへめをそそいでいた。なおゆきのくびはほおたれくびではなかった。が、しゃくどういろを)

じっと首へ目を注いでいた。直之の首は頬たれ首ではなかった。が、赤銅色を

(おびたうえ、ほんだまさずみのいったようにおおきいりょうめをみひらいていた。「これで)

帯びた上、本多正純のいったように大きい両眼を見開いていた。「これで

(ばんだんえもんもさだめしほんもうでございましょう。」はたもとのひとり、--よこたじんえもんは)

塙団右衛門も定めし本望でございましょう。」旗本の一人、--横田甚右衛門は

(こういっていえやすにいちれいした。しかしいえやすはうなずいたぎり、なんともこのことばにこたえ)

こう言って家康に一礼した。しかし家康は頷いたぎり、何ともこの言葉に答え

(なかった。のみならずなおたかをよびよせると、かれのみみへくちをつけるようにし、)

なかった。のみならず直孝を呼び寄せると、彼の耳へ口をつけるようにし、

(「そのおんなのすじょうだけはしらべておけよ」とこごえにかれにめいれいした。)

「その女の素姓だけは検べておけよ」と小声に彼に命令した。

(さん)

(いえやすのじっけんをすましたはなしはもちろんいいのじんやにもつたわってこずには)

家康の実検をすました話はもちろん井伊の陣屋にも伝わって来ずには

(いなかった。こちやはこのはなしをみみにすると、「ほんもう、ほんもう」とこえをあげ、)

いなかった。古千屋はこの話を耳にすると、「本望、本望」と声をあげ、

(しばらくびしょうをうかべていた。それからいかにもつかれはてたようにふかいねむりに)

しばらく微笑を浮かべていた。それからいかにも疲れはてたように深い眠りに

(しずんでいった。いいのじんやのなんにょたちはやっとあんどのおもいをした。じっさいこちやの)

沈んで行った。井伊の陣屋の男女たちはやっと安堵の思いをした。実際古千屋の

(おとこのようにふといこえにののしりたてるのはきみのわるいものだったのにちがいなかった。)

男のように太い声に罵り立てるのは気味の悪いものだったのに違いなかった。

(そのうちによはあけていった。なおたかはさっそくこちやをめし、かのじょのすじょうをたずねて)

そのうちに夜は明けて行った。直孝は早速古千屋を召し、彼女の素姓を尋ねて

(みることにした。かのじょはこういうじんやにいるにはあまりにかぼそいおんなだった。ことに)

見ることにした。彼女はこういう陣屋にいるには余りにか細い女だった。殊に

(かたのおちているのはものあわれよりもむしろいたいたしかった。「そちはどこで)

肩の落ちているのはもの哀れよりもむしろ痛々しかった。「そちはどこで

(うまれたな?」「げいしゅうひろしまのごじょうかでございます。」なおたかはじっとこちやを)

産れたな?」「芸州広島の御城下でございます。」直孝はじっと古千屋を

(みつめ、こういうもんどうをかさねたのち、おもむろにさいごのといをくだした。「そちはばんの)

見つめ、こういう問答を重ねた後、徐に最後の問を下した。「そちは塙の

(ゆかりのものであろうな?」こちやははっとしたらしかった。が、ちょっと)

ゆかりのものであろうな?」古千屋ははっとしたらしかった。が、ちょっと

(ためらったのち、ぞんがいはっきりへんじをした。「はい。おはずかしゅうございますが)

ためらった後、存外はっきり返事をした。「はい。お羞しゅうございますが

(・・・・・・」なおゆきはこちやのはなしによれば、かのじょにこをひとりうませていた。「その)

……」直之は古千屋の話によれば、彼女に子を一人生ませていた。「その

(せいでございましょうか、さくやもごじっけんくださらぬときき、おんなながらもむねんに)

せいでございましょうか、昨夜も御実検下さらぬと聞き、女ながらも無念に

(ぞんじますと、いつかしょうきをうしないましたとみえ、なにやらくちばしったようにうけたまわって)

存じますと、いつか正気を失いましたと見え、何やら口走ったように承わって

(おります。もとよりわたくしのいちぞんにはおぼえのないことばかりでございますが。)

おります。もとよりわたくしの一存には覚えのないことばかりでございますが。

(・・・・・・」こちやはりょうてをついたまま、あきらかにこうふんしているらしかった。それはまた)

……」古千屋は両手をついたまま、明かに興奮しているらしかった。それはまた

(かのじょのやつれたすがたにちょうどあさひにかがやいているうすらひにちかいものをあたえていた。)

彼女のやつれた姿にちょうど朝日に輝いている薄ら氷に近いものを与えていた。

(「よい。よい。もうさがってきゅうそくせい。」なおたかはこちやをしりぞけたのち、もういちど)

「善い。善い。もう下って休息せい。」直孝は古千屋を退けた後、もう一度

(いえやすのめどおりへで、いちいちかのじょのみのうえをはなした。「やはりばんだんえもんにゆかりの)

家康の目通りへ出、一々彼女の身の上を話した。「やはり塙団右衛門にゆかりの

(あるものでございました。」いえやすははじめてびしょうした。じんせいはかれにはとうかいどうの)

あるものでございました。」家康は初めて微笑した。人生は彼には東海道の

(ちずのようにあきらかだった。いえやすはこちやのきょうらんのなかにもいつかじんせいのかれに)

地図のように明かだった。家康は古千屋の狂乱の中にもいつか人生の彼に

(おしえた、なにごとにもひょうりのあるというじじつをかんじないわけにはゆかなかった。この)

教えた、何ごとにも表裏のあるという事実を感じない訣には行かなかった。この

(すいそくはこんどもななじゅっさいをこしたかれのけいけんにがっしていた。・・・・・・「さもあろう。」)

推測は今度も七十歳を越した彼の経験に合していた。……「さもあろう。」

(「あのおんなはいかがいたしましょう?」「よいわ、やはりめしつかっておけ。」なおたかは)

「あの女はいかがいたしましょう?」「善いわ、やはり召使っておけ。」直孝は

(ややいらだたしげだった。「けれどもかみをあざむきましたつみは・・・・・・」いえやすはしばらく)

やや苛立たしげだった。「けれども上を欺きました罪は……」家康はしばらく

(だまっていた。が、かれのこころのめはじんせいのそこにあるあんこくに--そのまたあんこくのなかに)

だまっていた。が、彼の心の目は人生の底にある闇黒に--そのまた闇黒の中に

(いるいろいろのかいぶつにむかっていた。「わたくしのいちぞんにとりはからいましても、)

いるいろいろの怪物に向っていた。「わたくしの一存にとり計らいましても、

(よろしいものでございましょうか?」「うむ、かみをあざむいた・・・・・・」それはじっさい)

よろしいものでございましょうか?」「うむ、上を欺いた……」それは実際

(なおたかにはうたがうよちなどのないことだった。しかしいえやすはいつのまにかひといちばい)

直孝には疑う余地などのないことだった。しかし家康はいつの間にか人一倍

(おおきいめをしたまま、なにかてきぜいにでもむかいあったようにこうどうどうとへんじをした。)

大きい目をしたまま、何か敵勢にでも向い合ったようにこう堂々と返事をした。

(--「いや、おれはあざむかれはせぬ。」)

--「いや、おれは欺かれはせぬ。」

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