芥川龍之介『尼提』

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舎衛城の除ふん人の尼提と沙門との縁の短編小説。

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問題文

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(しゃえいじょうはじんこうのおおいみやこである。が、しろのめんせきはじんこうのおおいわりにひろくはない。)

舎衛城は人口の多い都である。が、城の面積は人口の多い割に広くはない。

(したがってまたしこんもおおくはない。じょうちゅうのひとびとはそのためにたいていはわざわざ)

従ってまた厠溷も多くはない。城中の人々はそのためにたいていはわざわざ

(じょうがいへで、だいしょうべんをすることにきめている。ただばらもんやせっていりだけはべんきの)

城外へ出、大小便をすることに定めている。ただ波羅門や刹帝利だけは便器の

(なかにようをたし、とくにあしをろうすることをしない。しかしこのべんきのなかのふんにょうも)

中に用を足し、特に足を労することをしない。しかしこの便器の中の糞尿も

(どうにかしまつをつけなければならぬ。そのしまつをつけるのがじょふんにんとよばれる)

どうにか始末をつけなければならぬ。その始末をつけるのが除糞人と呼ばれる

(ひとびとである。もうかみのきばみかけたにだいはこういうじょふんにんの1りである。)

人々である。もう髪の黄ばみかけた尼提はこう言う除糞人の一人である。

(しゃえいじょうのなかでももっともまずしい、どうじにもっともしんしんのしょうじょうにえんのとおいひとびとの)

舎衛城の中でも最も貧しい、同時に最も心身の清浄に縁の遠い人々の

(1りである。あるひのごご、にだいはいつものようにしょけのふんにょうをおおきいがきの)

一人である。ある日の午後、尼提はいつものように諸家の糞尿を大きい瓦器の

(なかにあつめ、そのまたがきをせにおったまま、いろいろのみせののきをならべた、)

中に集め、そのまた瓦器を背に負ったまま、いろいろの店の軒を並べた、

(せまくるしいみちをあるいていた。するとむこうからあるいてきたのははちをもった1りの)

狭苦しい路を歩いていた。すると向うから歩いて来たのは鉢を持った一人の

(しゃもんである。にだいはこのしゃもんをみるがはやいか、これはたいへんなひとにであったと)

沙門である。尼提はこの沙門を見るが早いか、これは大変な人に出会ったと

(おもった。しゃもんはちょっとみたところではあたりまえのひととかわりはない。が、その)

思った。沙門はちょっと見たところでは当り前の人と変りはない。が、その

(みけんのびゃくごうやせいこんしょくのめをしっているものにはたしかにぎおんしょうじゃにいるしゃかにょらいに)

眉間の白毫や青紺色の目を知っているものには確かに祇園精舎にいる釈迦如来に

(ちがいなかったからである。しゃかにょらいはもちろんさんがいろくどうのきょうしゅ、じっぽうさいしょう、)

違いなかったからである。釈迦如来は勿論三界六道の教主、十方最勝、

(こうみょうむげ、おくおくしゅじょうびょうどういんどうののうげである。けれどもそのなにものたるかはにだいの)

光明無礙、億々衆生平等引導の能化である。けれどもその何ものたるかは尼提の

(しっているところではない。ただかれのしっているのはこのしゃえこくのはしのくおうさえ)

知っているところではない。ただ彼の知っているのはこの舎衛国の波斯匿王さえ

(にょらいのまえにはしんかのようにらいはいするということだけである。あるいはまたなだかい)

如来の前には臣下のように礼拝すると言うことだけである。あるいはまた名高い

(きゅうこどくちょうじゃもぎおんしょうじゃをつくるためにぎだどうじのえんえんをかったときにはおうごんをちに)

給孤独長者も祇園精舎を造るために祇陀童子の園苑を買った時には黄金を地に

(しいたということだけである。にだいはこういうにょらいのまえにふんきをせおった)

布いたと言うことだけである。尼提はこう言う如来の前に糞器を背負った

(かれじしんをはじ、まんがいちにもぶれいのないようにそうこうとほかのみちへまがってしまった。)

彼自身を羞じ、万が一にも無礼のないように倉皇と他の路へ曲ってしまった。

など

(しかしにょらいはそのまえににだいのすがたをみつけていた。のみならずかれがほかのみちへまがって)

しかし如来はその前に尼提の姿を見つけていた。のみならず彼が他の路へ曲って

(いったどうきをもみつけていた。そのどうきがおもわずにょらいのほおのびしょうをただよわせたのは)

行った動機をも見つけていた。その動機が思わず如来の頬の微笑を漂わせたのは

(もちろんである。びしょうを?--いや、かならずしも「びしょうを」ではない。むちぐまいの)

勿論である。微笑を?――いや、必ずしも「微笑を」ではない。無智愚昧の

(しゅじょうにたいする、うみよりもふかいれんびんのじょうはそのせいこんしょくのめのなかにも1てきのなみださえ)

衆生に対する、海よりも深い憐憫の情はその青紺色の目の中にも一滴の涙さえ

(うかべさせたのである。こういうだいじひしんをうごかしたにょらいはたちまちへいぜいの)

浮べさせたのである。こう言う大慈悲心を動かした如来はたちまち平生の

(じんつうりきにより、このとしをとったじょふんにんをもでしのかずにくわえようとけっしんした。)

神通力により、この年をとった除糞人をも弟子の数に加えようと決心した。

(にだいのこんどまがったのもやはりまえのようにせまいみちである。かれはうしろをふりかえって)

尼提の今度曲ったのもやはり前のように狭い路である。彼は後を振り返って

(にょらいのこないのをたしかめたうえ、はじめてほっとひといきした。にょらいはまかだこくのおうじで)

如来の来ないのを確かめた上、始めてほっと一息した。如来は摩迦陀国の王子で

(あり、にょらいのでしたちもたいていはみぶんのたかいひとびとである。ざいごうのふかいかれなどは)

あり、如来の弟子たちもたいていは身分の高い人々である。罪業の深い彼などは

(みだりにしせきすることをさけなければならぬ。しかしいまはさいわいにもぶじににょらいの)

妄りに咫尺することを避けなければならぬ。しかし今は幸いにも無事に如来の

(めをくらませ、--にだいははっとしてたちどまった。にょらいはいつかかれのむこうに)

目を晦ませ、――尼提ははっとして立ちどまった。如来はいつか彼の向うに

(いげんのあるびしょうをうかべたまま、あんしょうとこちらへあるいている。にだいはふんきの)

威厳のある微笑を浮べたまま、安庠とこちらへ歩いている。尼提は糞器の

(おもいのをいとわず、もう1どほかのみちへまがっていった。にょらいがかれのめんぜんへすがたを)

重いのを厭わず、もう一度他の路へ曲って行った。如来が彼の面前へ姿を

(あらわしたのはふかしぎである。が、あるいはいっこくもはやくぎおんしょうじゃへかえるために)

現したのは不可思議である。が、あるいは一刻も早く祇園精舎へ帰るために

(ぬけみちかなにかしたのかもしれない。かれはこんどもとっさのあいだににょらいのこんじんに)

ぬけ道か何かしたのかも知れない。彼は今度も咄嗟の間に如来の金身に

(ちかづかずにすんだ。それだけはせめてものしあわせである。けれどもにだいはこう)

近づかずにすんだ。それだけはせめてもの仕合せである。けれども尼提はこう

(おもったとき、またにょらいのむこうからあるいてくるのにびっくりした。みたびめににだいのまがった)

思った時、また如来の向うから歩いて来るのに喫驚した。三度目に尼提の曲った

(みちにもにょらいはゆうゆうとあるいている。4たびめににだいのまがったみちにもにょらいはししおうの)

路にも如来は悠々と歩いている。四たび目に尼提の曲った道にも如来は獅子王の

(ようにあるいている。5たびめににだいのまがったみちにも、--にだいはせまいみちを7たび)

ように歩いている。五たび目に尼提の曲った路にも、――尼提は狭い路を七たび

(まがり、7たびともにょらいのあるいてくるのにであった。ことに7たびめにまがったのは)

曲り、七たびとも如来の歩いて来るのに出会った。殊に七たび目に曲ったのは

(もうにげみちのないふくろみちである。にょらいはかれのろうばいするのをみると、みちのまんなかに)

もう逃げ道のない袋路である。如来は彼の狼狽するのを見ると、路のまん中に

(たたずんだなり、おもむろにかれをさしまねいた。「そのゆびせんちょうにして、つめはしゃくどうのごとく、)

佇んだなり、徐ろに彼をさし招いた。「その指繊長にして、爪は赤銅のごとく、

(たなごころはれんげににたる」てをあげて「おそれるな」といういみをしめしたのである。が、)

掌は蓮華に似たる」手を挙げて「恐れるな」と言う意味を示したのである。が、

(にだいはいよいよおどろき、とうとうがきをとりおとした。「まことにおそれいりますが、)

尼提はいよいよ驚き、とうとう瓦器をとり落した。「まことに恐れ入りますが、

(どうかここをおとおしくださいまし。」しんたいともにきわまったにだいはふんじゅうのなかにひざまずいた)

どうかここをお通し下さいまし。」進退共に窮まった尼提は糞汁の中に跪いた

(まま、こうにょらいにたんがんした。しかしにょらいはあいかわらずいげんのあるびしょうをたたえながら、)

まま、こう如来に歎願した。しかし如来は不相変威厳のある微笑を湛えながら、

(しずかにかれのかおをみおろしている。「にだいよ、おまえもわたしのようにしゅっけせぬか!」)

静かに彼の顔を見下している。「尼提よ、お前もわたしのように出家せぬか!」

(にょらいがらいおんによびかけたとき、にだいはとほうにくれたあまり、がっしょうしてにょらいをみあげて)

如来が雷音に呼びかけた時、尼提は途方に暮れた余り、合掌して如来を見上げて

(いた。「わたくしはいやしいものでございまする。とうていあなたさまのおでしたち)

いた。「わたくしは賤しいものでございまする。とうていあなた様のお弟子たち

(などとごいっしょにおることはできませぬ。」「いやいや、ぶっぽうのきせんを)

などと御一しょにおることは出来ませぬ。」「いやいや、仏法の貴賤を

(わかたぬのはたとえばみょうかのだいしょうこうおをやきつくしてしまうのとかわりはない。・・・・・・」)

分たぬのはたとえば猛火の大小好悪を焼き尽してしまうのと変りはない。……」

(それから、--それからにょらいのげをといたことはきょうもんにかいてあるとおりである。)

それから、――それから如来の偈を説いたことは経文に書いてある通りである。

(はんつきばかりたったのち、ぎおんしょうじゃにまいったきゅうこどくちょうじゃはたけやばしょうのなかのみちを)

半月ばかりたった後、祇園精舎に参った給孤独長者は竹や芭蕉の中の路を

(にだいが1りあるいてくるのにであった。かれのすがたはぶつでしになっても、あまり)

尼提が一人歩いて来るのに出会った。彼の姿は仏弟子になっても、余り

(じょふんにんだったときとかわっていない。が、かれのあたまだけはとうにかみのけをおとしている。)

除糞人だった時と変っていない。が、彼の頭だけはとうに髪の毛を落している。

(にだいはちょうじゃのくるのをみると、みちばたにたちどまってがっしょうした。「にだいよ。)

尼提は長者の来るのを見ると、路ばたに立ちどまって合掌した。「尼提よ。

(おまえはしあわせものだ。1たびにょらいのおでしとなれば、えいきゅうにじょうじをおどりこえて)

お前は仕合せものだ。一たび如来のお弟子となれば、永久に生死を躍り越えて

(じょうじゃっこうどにあそぶことができるぞ。」にだいはこういうちょうじゃのことばにいよいよいんぎんに)

常寂光土に遊ぶことが出来るぞ。」尼提はこう言う長者の言葉にいよいよ慇懃に

(へんじをした。「ちょうじゃよ。それはわたくしがわるかったわけではございませぬ。ただ)

返事をした。「長者よ。それはわたくしが悪かった訣ではございませぬ。ただ

(どのみちへまがっても、かならずそのみちへおいでになったにょらいがおわるかったので)

どの路へ曲っても、必ずその路へお出になった如来がお悪かったので

(ございまする。」しかしにだいはきょうもんによれば、いっしんにちょうほうをつづけたのち、ついに)

ございまする。」しかし尼提は経文によれば、一心に聴法をつづけた後、ついに

(しょかをえたということである。)

初果を得たと言うことである。

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