芥川龍之介『女体』

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投稿者投稿者由佳梨いいね2お気に入り登録1
プレイ回数1290難易度(5.0) 2400打 長文
虱の姿になって細君の姿を微細に覗き眺める小説小品。
順位 名前 スコア 称号 打鍵/秒 正誤率 時間(秒) 打鍵数 ミス 問題 日付
1 sai 8022 8.2 96.8% 289.3 2398 77 31 2024/11/09
2 YUNICO 7638 7.9 95.7% 305.8 2445 109 31 2024/11/10
3 すもさん 5992 A+ 6.2 96.6% 397.5 2467 85 31 2024/11/06
4 もっちゃん先生 4720 C++ 4.9 95.5% 484.7 2399 111 31 2024/11/09
5 kei 4703 C++ 4.8 96.4% 490.5 2396 89 31 2024/11/07

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問題文

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(ようぼうというしなじんが、あるなつのよる、あまりむしあついのにめがさめて、ほおづえを)

楊某と云う支那人が、ある夏の夜、あまり蒸暑いのに眼がさめて、頬杖を

(つきながらはらんばいになって、とりとめのないもうぞうにふけっていると、ふと1ぴきの)

つきながら腹んばいになって、とりとめのない妄想に耽っていると、ふと一匹の

(しらみがねどこのふちをはっているのにきがついた。へやのなかにともした、うすぐらいひの)

虱が寝床の縁を這っているのに気がついた。部屋の中にともした、うす暗い灯の

(ひかりで、しらみはちいさなせなかをぎんのこなのようにひからせながら、となりにねているさいくんのかたを)

光で、虱は小さな背中を銀の粉のように光らせながら、隣に寝ている細君の肩を

(めがけて、もずもずはっていくらしい。さいくんは、はだかのまま、さっきからようのほうへ)

目がけて、もずもず這って行くらしい。細君は、裸のまま、さっきから楊の方へ

(かおをむけて、やすらかなねいきをたてているのである。ようは、そのしらみののろくさい)

顔を向けて、安らかな寝息を立てているのである。楊は、その虱ののろくさい

(あゆみをながめながら、こんなむしのせかいはどんなだろうとおもった。じぶんが2そくか)

歩みを眺めながら、こんな虫の世界はどんなだろうと思った。自分が二足か

(3そくでいけるところも、しらみには1じかんもかからなければ、あるけない。しかもその)

三足で行ける所も、虱には一時間もかからなければ、歩けない。しかもその

(あるきまわるところが、せいぜいねどこのうえだけである。じぶんもしらみにうまれたら、さぞ)

歩きまわる所が、せいぜい寝床の上だけである。自分も虱に生れたら、さぞ

(たいくつだったことであろう。・・・・・・そんなことをまんぜんとかんがえているなかに、ようのいしきは)

退屈だった事であろう。……そんな事を漫然と考えている中に、楊の意識は

(しだいにおぼろげになってきた。もちろんゆめではない。そうかといってまた、うつつでもない。)

次第に朧げになって来た。勿論夢ではない。そうかと云ってまた、現でもない。

(ただ、みょうにこうこつたるこころもちのそこへ、しずむともなくしずんでいくのである。それが)

ただ、妙に恍惚たる心もちの底へ、沈むともなく沈んで行くのである。それが

(やがて、はっとめがさめたようなきにかえったとおもうと、いつかようのたましいはあのしらみの)

やがて、はっと眼がさめたような気に帰ったと思うと、いつか楊の魂はあの虱の

(からだへはいって、あせくさいねどこのうえを、ぜんぜんぜんとしてあるいている。ようはあまりにことが)

体へはいって、汗臭い寝床の上を、蠕々然として歩いている。楊は余りに事が

(いがいなので、おもわずぼうぜんとたちすくんだ。が、かれをおどろかしたのは、ひとりそれ)

意外なので、思わず茫然と立ちすくんだ。が、彼を驚かしたのは、独りそれ

(ばかりではない。--かれのゆくてには、いちざのたかいやまがあった。それがまた)

ばかりではない。――彼の行く手には、一座の高い山があった。それがまた

(おのずからなまるみをあたたかくだいて、めのとどかないうえのほうから、めのさきのねどこのうえまで、)

自らな円みを暖く抱いて、眼のとどかない上の方から、眼の先の寝床の上まで、

(おおきなしょうにゅうせきのようにたれさがっている。そのねどこについているぶぶんは、なかに)

大きな鍾乳石のように垂れ下っている。その寝床についている部分は、中に

(かきをぞうしているかとおもうほど、うすあかいざくろのみのかたちをつくっているが、そこを)

火気を蔵しているかと思うほど、うす赤い柘榴の実の形を造っているが、そこを

(のぞいては、やま1えん、どこをみてもしろくないところはない。そのしろさがまた、ぎょうしの)

除いては、山一円、どこを見ても白くない所はない。その白さがまた、凝脂の

など

(ようなやわらかみのある、なめらかないろのしろさで、さんぷくのなだらかなくぼみでさえ、ちょうど)

ような柔らかみのある、滑な色の白さで、山腹のなだらかなくぼみでさえ、丁度

(ゆきにさすつきのひかりのような、かすかにあおいかげをたたえているだけである。ましてひかりを)

雪にさす月の光のような、かすかに青い影を湛えているだけである。まして光を

(うけているぶぶんは、とけるようなべっこういろのこうたくをおびて、どこのさんみゃくにも)

うけている部分は、融けるような鼈甲色の光沢を帯びて、どこの山脈にも

(みられない、うつくしいゆみなりのきょくせんを、はるかなてんさいにえがいている。・・・・・・ようはきょうたんの)

見られない、美しい弓なりの曲線を、遥な天際に描いている。……楊は驚嘆の

(めをみひらいて、このうつくしいやまのすがたをながめた。が、そのやまがかれのさいくんのちちの)

眼を見開いて、この美しい山の姿を眺めた。が、その山が彼の細君の乳の

(1つだということをしったときに、かれのおどろきははたしてどれくらいだったことであろう。)

一つだと云う事を知った時に、彼の驚きは果してどれくらいだった事であろう。

(かれは、あいもにくしみも、ないしまたせいよくもわすれて、このぞうげのやまのような、きょだいな)

彼は、愛も憎みも、乃至また性よくも忘れて、この象牙の山のような、巨大な

(ちぶさをみまもった。そうして、きょうたんのあまり、ねどこのあせくさいにおいもわすれたのか、)

乳房を見守った。そうして、驚嘆の余り、寝床の汗臭い匂も忘れたのか、

(いつまでもこりかたまったようにうごかなかった。--ようは、しらみになってはじめて、)

いつまでも凝固まったように動かなかった。――楊は、虱になって始めて、

(さいくんのにくたいのうつくしさを、にょじつにかんずることができたのである。しかし、げいじゅつのしに)

細君の肉体の美しさを、如実に観ずる事が出来たのである。しかし、芸術の士に

(とって、しらみのごとくみるべきものは、ひとりにょたいのうつくしさばかりではない。)

とって、虱の如く見る可きものは、独り女体の美しさばかりではない。

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