芥川龍之介『春の夜』
順位 | 名前 | スコア | 称号 | 打鍵/秒 | 正誤率 | 時間(秒) | 打鍵数 | ミス | 問題 | 日付 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | すもさん | 5968 | A+ | 6.1 | 96.8% | 838.2 | 5170 | 167 | 74 | 2024/11/11 |
2 | ねね | 4250 | C+ | 4.3 | 97.4% | 1157.0 | 5050 | 132 | 74 | 2024/11/10 |
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問題文
(これはちかごろnさんというかんごふにきいたはなしである。nさんはなかなかきかぬ)
これは近頃Nさんと云う看護婦に聞いた話である。Nさんは中々利かぬ
(きらしい。いつもかわいたくちびるのかげにするどいけんしのみえるひとである。ぼくはとうじぼくの)
気らしい。いつも乾いた唇のかげに鋭い犬歯の見える人である。僕は当時僕の
(おとうとのてんちさきのやどやの2かいにだいちょうかたるをおこしてよこになっていた。げりは)
弟の転地先の宿屋の二階に大腸答児を起して横になっていた。下痢は
(1しゅうかんたってもとまるけしきはない。そこでがんらいはおとうとのためにそこにきていた)
一週間たってもとまる気色は無い。そこで元来は弟のためにそこに来ていた
(nさんにやっかいをかけることになったのである。あるさみだれのふりつづいたごご、)
Nさんに厄介をかけることになったのである。ある五月雨のふり続いた午後、
(nさんはゆきひらにかゆをにながら、いかにもむぞうさにそのはなしをした。)
Nさんは雪平に粥を煮ながら、いかにも無造作にその話をした。
(ばつばつばつ)
× × ×
(あるとしのはる、nさんはあるかんごふかいからうしごめののだといううちへゆくことに)
ある年の春、Nさんはある看護婦会から牛込の野田と云う家へ行くことに
(なった。のだといううちにはおとこしゅじんはいない。きりがみにしたおんないんきょが1り、よめいり)
なった。野田と云う家には男主人はいない。切り髪にした女隠居が一人、嫁入り
(まえのむすめが1り、そのまたむすめのおとうとが1り、--あとはじょちゅうのいるばかりである。)
前の娘が一人、そのまた娘の弟が一人、――あとは女中のいるばかりである。
(nさんはこのうちへいったとき、なにかみょうにきのめいるのをかんじた。それは1つには)
Nさんはこの家へ行った時、何か妙に気の滅入るのを感じた。それは一つには
(あねもおとうともはいけっかくにかかっていたためであろう。けれどもまた1つには4じょうはんの)
姉も弟も肺結核に罹っていたためであろう。けれどもまた一つには四畳半の
(はなれのかかえこんだ、とびいし1つうってないにわにとくさばかりしげっていたためで)
離れの抱えこんだ、飛び石一つ打ってない庭に木賊ばかり茂っていたためで
(ある。じっさいそのおびただしいとくさはnさんのことばにしたがえば、「ごまだけをうった)
ある。実際その夥しい木賊はNさんの言葉に従えば、「胡麻竹を打った
(ぬれえんさえつきあげるように」しげっていた。おんないんきょはむすめをゆきさんとよび、)
濡れ縁さえ突き上げるように」茂っていた。女隠居は娘を雪さんと呼び、
(むすこだけはせいたろうとよびすてにしていた。ゆきさんはきのかったおんなだったとみえ、)
息子だけは清太郎と呼び捨てにしていた。雪さんは気の勝った女だったと見え、
(ねつのこうていをはかるのにさえ、nさんのみたのではしょうちせずにいちいちけんおんきをすかして)
熱の高低を計るのにさえ、Nさんの見たのでは承知せずに一々検温器を透かして
(みたそうである。せいたろうはゆきさんとははんたいにnさんにせわをやかせたことは)
見たそうである。清太郎は雪さんとは反対にNさんに世話を焼かせたことは
(ない。なんでもいうなりになるばかりか、nさんにものをいうときにはかおをあかめたり)
ない。何でも言うなりになるばかりか、Nさんにものを言う時には顔を赤めたり
(するくらいである。おんないんきょはこういうせいたろうよりもゆきさんをだいじにしていた)
するくらいである。女隠居はこう云う清太郎よりも雪さんを大事にしていた
(らしい。そのくせきのおもいのはゆきさんよりもむしろせいたろうだった。「あたしは)
らしい。その癖気の重いのは雪さんよりもむしろ清太郎だった。「あたしは
(そんないくじなしにそだてたおぼえはないんだがね。」おんないんきょははなれへくるたびに)
そんな意気地なしに育てた覚えはないんだがね。」女隠居は離れへ来る度に
((せいたろうははなれにとこについていた。)いつもつけつけとくちこごとをいった。が、)
(清太郎は離れに床に就いていた。)いつもつけつけと口小言を言った。が、
(21になるせいたろうはめったにくちごたえもしたこともない。ただあおむけになった)
二十一になる清太郎は滅多に口答えもしたこともない。ただ仰向けになった
(まま、たいていはじっとめをとじている。そのまたかおもすきとおるようにしろい。)
まま、たいていはじっと目を閉じている。そのまた顔も透きとおるように白い。
(nさんはひょうのうをとりかえながら、ときどきそのほおのあたりににわいっぱいのとくさのかげが)
Nさんは氷嚢を取り換えながら、時々その頬のあたりに庭一ぱいの木賊の影が
(うつるようにかんじたということである。あるばんの10じまえに、nさんはこのうちから)
映るように感じたと云うことである。ある晩の十時前に、Nさんはこの家から
(23ちょうはなれた、ひのおおいまちへこおりをかいにいった。そのかえりにひとどおりのすくないやしき)
二三町離れた、灯の多い町へ氷を買いに行った。その帰りに人通りの少ない屋敷
(つづきののぼりざかへかかると、だれか1りぶらさがるようにうしろからnさんにだき)
続きの登り坂へかかると、誰か一人ぶらさがるように後ろからNさんに抱き
(ついたものがある。nさんはもちろんびっくりした。が、そのうえにもおどろいたことには)
ついたものがある。Nさんは勿論びっくりした。が、その上にも驚いたことには
(おもわずたじたじとなりながら、かたごしにあいてをふりかえると、やみのなかにもちらりと)
思わずたじたじとなりながら、肩越しに相手をふり返ると、闇の中にもちらりと
(みえたかおがせいたろうとすこしもかわらないことである。いや、かわらないのはかおばかり)
見えた顔が清太郎と少しも変らないことである。いや、変らないのは顔ばかり
(ではない。5ぶがりにかったあたまでも、こんがすりらしいきものでも、ほとんどせいたろうと)
ではない。五分刈りに刈った頭でも、紺飛白らしい着物でも、ほとんど清太郎と
(そっくりである。しかしおとといもかっけつしたかんじゃのせいたろうがでてくるはずは)
そっくりである。しかしおとといも喀血した患者の清太郎が出て来るはずは
(ない。いわんやそんなまねをしたりするはずはない。「ねえさん、おかねをおくれ)
ない。況やそんな真似をしたりするはずはない。「姐さん、お金をおくれ
(よう。」そのしょうねんはやはりだきついたまま、あまえるようにこうこえをかけた。その)
よう。」その少年はやはり抱きついたまま、甘えるようにこう声をかけた。その
(こえもまたふしぎにもせいたろうのこえではないかとおもうくらいである。きじょうなnさんは)
声もまた不思議にも清太郎の声ではないかと思うくらいである。気丈なNさんは
(ひだりのてにしっかりあいてのてをおさえながら、「なんです、しつれいな。あたしはこの)
左の手にしっかり相手の手を抑えながら、「何です、失礼な。あたしはこの
(やしきのものですから、そんなことをおしなさると、もんばんのじいやさんをよびます)
屋敷のものですから、そんなことをおしなさると、門番の爺やさんを呼びます
(よ」といった。けれどもあいてはあいかわらず「おかねをおくれよう」とくりかえしている。)
よ」と言った。けれども相手は不相変「お金をおくれよう」と繰り返している。
(nさんはじりじりひきもどされながら、もう1どこのしょうねんをふりかえった。こんども)
Nさんはじりじり引き戻されながら、もう一度この少年をふり返った。今度も
(またあいてのめはなだちはたしかに「はにかみや」のせいたろうである。nさんはきゅうに)
また相手の目鼻立ちは確かに「はにかみや」の清太郎である。Nさんは急に
(ぶきみになり、おさえていたてをゆるめずにできるだけおおきいこえをだした。)
無気味になり、抑えていた手を緩めずに出来るだけ大きい声を出した。
(「じいやさん、きてください!」あいてはnさんのこえといっしょに、おさえられていたてを)
「爺やさん、来て下さい!」相手はNさんの声と一しょに、抑えられていた手を
(ふりもぎろうとした。どうじにまたnさんもひだりのてをはなした。それからあいてが)
振りもぎろうとした。同時にまたNさんも左の手を離した。それから相手が
(よろよろするまにいっしょうけんめいにはしりだした。nさんはいきをきらせながら、(あとに)
よろよろする間に一生懸命に走り出した。Nさんは息を切らせながら、(後に
(なってきがついてみると、ふろしきにつつんだなんぎんかのこおりをしっかりむねにあてていた)
なって気がついて見ると、風呂敷に包んだ何斤かの氷をしっかり胸に当てていた
(そうである。)のだのうちのげんかんへはしりこんだ。うちのなかはもちろんひっそりしている。)
そうである。)野田の家の玄関へ走りこんだ。家の中は勿論ひっそりしている。
(nさんはちゃのまへかおをだしながら、ゆうかんをひろげていたおんないんきょにちょっとまの)
Nさんは茶の間へ顔を出しながら、夕刊をひろげていた女隠居にちょっと間の
(わるいおもいをした。「nさん、あなた、どうなすった?」おんないんきょはnさんを)
悪い思いをした。「Nさん、あなた、どうなすった?」女隠居はNさんを
(みると、ほとんどなじるようにこういった。それはなにもけたたましいあしおとにおどろいた)
見ると、ほとんど詰るようにこう言った。それは何もけたたましい足音に驚いた
(ためばかりではない。じっさいまたnさんはわらってはいても、からだのふるえるのは)
ためばかりではない。実際またNさんは笑ってはいても、体の震えるのは
(とまらなかったからである。「いえ、いまそこのさかへくると、いたずらをしたひとが)
止まらなかったからである。「いえ、今そこの坂へ来ると、いたずらをした人が
(あったものですから、・・・・・・」「あなたに?」「ええ、うしろからかじりついて、)
あったものですから、……」「あなたに?」「ええ、後からかじりついて、
(「ねえさん、おかねをおくれよう」っていって、・・・・・・」「ああ、そういえばこの)
『姐さん、お金をおくれよう』って言って、……」「ああ、そう言えばこの
(かいわいにはこぼりとかいうふりょうしょうねんがあってね、・・・・・・」するとつぎのまからこえを)
界隈には小堀とか云う不良少年があってね、……」すると次の間から声を
(かけたのはやはりとこについているゆきさんである。しかもそれはnさんにはもちろん、)
かけたのはやはり床についている雪さんである。しかもそれはNさんには勿論、
(おんないんきょにもいがいだったらしい、みょうにけんのあることばだった。「おかあさま、すこししずかに)
女隠居にも意外だったらしい、妙に険のある言葉だった。「お母様、少し静かに
(してちょうだい。」nさんはこういうゆきさんのことばにかるいはんかん--というよりもむしろ)
して頂戴。」Nさんはこう云う雪さんの言葉に軽い反感――と云うよりもむしろ
(ぶべつをかんじながら、そのきかいにちゃのまをたっていった。が、せいたろうににた)
侮蔑を感じながら、その機会に茶の間を立って行った。が、清太郎に似た
(ふりょうしょうねんのかおはいまだにめのまえにのこっている。いや、ふりょうしょうねんのかおではない。ただ)
不良少年の顔は未だに目の前に残っている。いや、不良少年の顔ではない。ただ
(どこかりんかくのぼやけたせいたろうじしんのかおである。5ふんばかりたったのち、nさんは)
どこか輪郭のぼやけた清太郎自身の顔である。五分ばかりたった後、Nさんは
(またぬれえんをまわり、はなれひょうのうをはこんでいった。せいたろうはそこにいないかも)
また濡れ縁をまわり、離れ氷嚢を運んで行った。清太郎はそこにいないかも
(しれない、すくなくともしんでいるのではないか?--そんなきもnさんには)
知れない、少くとも死んでいるのではないか? ――そんな気もNさんには
(しないではなかった。が、はなれへいってみると、せいたろうはうすぐらいでんとうのしたに)
しないではなかった。が、離れへ行って見ると、清太郎は薄暗い電燈の下に
(しずかにひとりねむっている。かおもまたあいかわらずすきとおるようにしろい。ちょうどにわに)
静かにひとり眠っている。顔もまた不相変透きとおるように白い。ちょうど庭に
(いっぱいにのびたとくさのかげのうつっているように。「ひょうのうをおとりかえ)
一ぱいに伸びた木賊の影の映っているように。「氷嚢をお取り換え
(いたしましょう。」nさんはこういいかけながら、うしろがきになって)
致しましょう。」Nさんはこう言いかけながら、後ろが気になって
(ならなかった。)
ならなかった。
(ばつばつばつ)
× × ×
(ぼくはこのはなしのおわったとき、nさんのかおをながめたままたしょうあくいのあることばをだした。)
僕はこの話の終った時、Nさんの顔を眺めたまま多少悪意のある言葉を出した。
(「せいたろう?--ですね。あなたはそのひとがすきだったんでしょう?」「ええ、)
「清太郎? ――ですね。あなたはその人が好きだったんでしょう?」「ええ、
(すきでございました。」nさんはぼくのよそうしたよりもはるかにさっぱりとへんじを)
好きでございました。」Nさんは僕の予想したよりも遥かにさっぱりと返事を
(した。)
した。