芥川龍之介『尾生の信』
順位 | 名前 | スコア | 称号 | 打鍵/秒 | 正誤率 | 時間(秒) | 打鍵数 | ミス | 問題 | 日付 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | HAKU | 7667 | 神 | 7.8 | 97.5% | 454.1 | 3571 | 89 | 47 | 2024/11/16 |
2 | すもさん | 5721 | A | 5.9 | 96.0% | 617.7 | 3686 | 152 | 47 | 2024/11/11 |
3 | 夏の思ひに | 5460 | B++ | 5.6 | 97.2% | 632.9 | 3558 | 102 | 47 | 2024/11/07 |
4 | kei | 4752 | B | 4.9 | 96.2% | 722.6 | 3572 | 138 | 47 | 2024/11/17 |
5 | ねね | 4246 | C | 4.4 | 96.2% | 808.5 | 3574 | 141 | 47 | 2024/11/13 |
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問題文
(びせいははしのしたにたたずんで、さっきからおんなのくるのをまっている。みあげると、たかい)
尾生は橋の下に佇んで、さっきから女の来るのを待っている。見上げると、高い
(いしのきょうらんには、つたかずらがなかばはいかかって、ときどきそのあいだをとおりすぎるおうらいのひとの)
石の橋欄には、蔦蘿が半ば這いかかって、時々その間を通りすぎる往来の人の
(はくいのすそが、あざやかないりひにてらされながら、ゆうゆうとかぜにふかれていく。が、)
白衣の裾が、鮮やかな入日に照らされながら、悠々と風に吹かれて行く。が、
(おんなはいまだにこない。びせいはそっとくちぶえをならしながら、きがるくはしのしたのすを)
女は未だに来ない。尾生はそっと口笛を鳴しながら、気軽く橋の下の洲を
(みわたした。はしのしたのこうでいのすは、2つぼばかりのひろさをあまして、すぐにみずとつづいて)
見渡した。橋の下の黄泥の洲は、二坪ばかりの広さを剰して、すぐに水と続いて
(いる。みずぎわのあしのあいだには、おおかたかにのすみかであろう、いくつもまるいあながあって、)
いる。水際の蘆の間には、大方蟹の棲家であろう、いくつも円い穴があって、
(そこへなみがあたるたびに、たぶりというかすかなおとがきこえた。が、おんなはいまだに)
そこへ波が当る度に、たぶりと云うかすかな音が聞こえた。が、女は未だに
(こない。びせいはややまちどおしそうにみずぎわまでほをうつして、ふね1そうとおらないしずかな)
来ない。尾生はやや待遠しそうに水際まで歩を移して、舟一艘通らない静な
(かわすじをながめまわした。かわすじにはあおいあしが、すきまもなくひしひしとはえている。)
川筋を眺めまわした。川筋には青い蘆が、隙間もなくひしひしと生えている。
(のみならずそのあしのあいだには、ところどころにかわやなぎが、こんもりとまるくしげっている。だから)
のみならずその蘆の間には、所々に川楊が、こんもりと円く茂っている。だから
(そのあいだをぬうみずのおもても、かわはばのわりにはひろくみえない。ただ、おびほどのすんだ)
その間を縫う水の面も、川幅の割には広く見えない。ただ、帯ほどの済んだ
(みずが、きららのようなくものかげをたった1つめっきしながら、ひっそりとあしのなかに)
水が、雲母のような雲の影をたった一つ鍍金しながら、ひっそりと蘆の中に
(うねっている。が、おんなはいまだにこない。びせいはみずぎわからほをめぐらせて、こんどは)
うねっている。が、女は未だに来ない。尾生は水際から歩をめぐらせて、今度は
(ひろくもないすのうえを、あちらこちらとあるきながら、おもむろにぼしょくをくわえて)
広くもない洲の上を、あちらこちらと歩きながら、おもむろに暮色を加えて
(いく、あたりのしずかさにみみをかたむけた。はしのうえにはしばらくのあいだ、こうじんのあとを)
行く、あたりの静かさに耳を傾けた。橋の上にはしばらくの間、行人の跡を
(たったのであろう。くつのおとも、ひづめのおとも、あるいはまたくるまのおとも、そこからは)
絶ったのであろう。沓の音も、蹄の音も、あるいはまた車の音も、そこからは
(もうきこえてこない。かぜのおと、あしのおと、みずのおと、--それからどこかで)
もう聞えて来ない。風の音、蘆の音、水の音、――それからどこかで
(けたたましく、あおさぎのなくこえがした。とおもってたちどまると、いつかしおがさしだした)
けたたましく、蒼鷺の啼く声がした。と思って立止ると、いつか潮がさし出した
(とみえて、こうでいをあらうみずのいろが、さっきよりはまぢかにひかっている。が、おんなは)
と見えて、黄泥を洗う水の色が、さっきよりは間近に光っている。が、女は
(いまだにこない。びせいはけわしくまゆをひそめながら、はしのしたのうすぐらいすを、)
未だに来ない。尾生は険しく眉をひそめながら、橋の下のうす暗い洲を、
(いよいよあしばやにあるきはじめた。そのうちにかわのみずは、1すんずつ、1しゃくずつ、しだいに)
いよいよ足早に歩き始めた。その内に川の水は、一寸ずつ、一尺ずつ、次第に
(すのうえへあがってくる。どうじにまたかわからたちのぼるものにおいやみずのにおいも、つめたくはだに)
洲の上へ上って来る。同時にまた川から立昇る藻の匀や水の匀も、冷たく肌に
(まつわりだした。みあげると、もうはしのうえにはあざやかないりひのひかりがきえて、)
まつわり出した。見上げると、もう橋の上には鮮やかな入日の光が消えて、
(ただ、いしのきょうらんばかりが、ほのかにあおんだくれがたのそらを、くろぐろとただしくきりぬいて)
ただ、石の橋欄ばかりが、ほのかに青んだ暮方の空を、黒々と正しく切り抜いて
(いる。が、おんなはいまだにこない。びせいはとうとうたちすくんだ。かわのみずはもうくつを)
いる。が、女は未だに来ない。尾生はとうとう立ちすくんだ。川の水はもう沓を
(ぬらしながら、こうてつよりもひややかなひかりをたたえて、まんまんとはしのしたにひろがっている。)
濡しながら、鋼鉄よりも冷やかな光を湛えて、漫々と橋の下に広がっている。
(すると、ひざも、はらも、むねも、おそらくはけいこくをでないうちに、このこくはくなまんちょうのみずに)
すると、膝も、腹も、胸も、恐らくは頃刻を出ない内に、この酷薄な満潮の水に
(かくされてしまうのにそういあるまい。いや、そういううちにもみずかさはますますたかくなって、)
隠されてしまうのに相違あるまい。いや、そう云う内にも水嵩は益高くなって、
(いまではとうとうりょうはぎさえも、かわなみのしたにぼっしてしまった。が、おんなはいまだに)
今ではとうとう両脛さえも、川波の下に没してしまった。が、女は未だに
(こない。びせいはみずのなかにたったまま、まだいちるののぞみをたよりに、なんどもはしのそらへ)
来ない。尾生は水の中に立ったまま、まだ一縷の望を便りに、何度も橋の空へ
(めをやった。はらをひたしたみずのうえには、とうにそうぼうたるぼしょくがたちこめて、おちこちに)
眼をやった。腹を浸した水の上には、とうに蒼茫たる暮色が立ち罩めて、遠近に
(しげったあしややなぎも、さびしいはずれのおとばかりを、ぼんやりしたもやのなかからおくって)
茂った蘆や柳も、寂しい葉ずれの音ばかりを、ぼんやりした靄の中から送って
(くる。と、びせいのはなをかすめて、すずきらしいさかなが1ぴき、ひらりとしろいはらをひるがえした。)
来る。と、尾生の鼻を掠めて、鱸らしい魚が一匹、ひらりと白い腹を翻した。
(そのさかなのおどったそらにも、まばらながらもうほしのひかりがみえて、つたかずらのからんだきょうらんの)
その魚の躍った空にも、疎ながらもう星の光が見えて、蔦蘿のからんだ橋欄の
(かたちさえ、いちはやいよいやみのなかにまぎれている。が、おんなはいまだにこない。・・・・・・)
形さえ、いち早い宵暗の中に紛れている。が、女は未だに来ない。……
(--------)
――――――――
(やはん、つきのひかりが1せんのあしとやなぎとにあふれたとき、かわのみずとびふうとはしずかにささやきかわし)
夜半、月の光が一川の蘆と柳とに溢れた時、川の水と微風とは静に囁き交し
(ながら、はしのしたのびせいのしがいを、やさしくうみのほうへはこんでいった。が、びせいの)
ながら、橋の下の尾生の死骸を、やさしく海の方へ運んで行った。が、尾生の
(たましいは、さびしいてんしんのつきのひかりに、おもいこがれたせいかもしれない。ひそかにしがいを)
魂は、寂しい天心の月の光に、思い憧れたせいかも知れない。ひそかに死骸を
(ぬけだすと、ほのかにあかるんだそらのむこうへ、まるでみずのにおいやものにおいがおともなく)
抜け出すと、ほのかに明るんだ空の向うへ、まるで水の匀や藻の匀が音もなく
(かわからたちのぼるように、うらうらとたかくのぼってしまった。・・・・・・それからいくせんねんか)
川から立ち昇るように、うらうらと高く昇ってしまった。……それから幾千年か
(をへだてたのち、このたましいはむすうのるてんをけみして、またせいをじんかんにたくさなければ)
を隔てた後、この魂は無数の流転を閲して、また生を人間に託さなければ
(ならなくなった。それがこういうわたしにやどっているたましいなのである。だからわたしは)
ならなくなった。それがこう云う私に宿っている魂なのである。だから私は
(げんだいにうまれはしたが、なにひとついみのあるしごとができない。ひるもよるもまんぜんと)
現代に生れはしたが、何一つ意味のある仕事が出来ない。昼も夜も漫然と
(ゆめみがちなせいかつをおくりながら、ただ、なにかきたるべきふかしぎなものばかりを)
夢みがちな生活を送りながら、ただ、何か来るべき不可思議なものばかりを
(まっている。ちょうどあのびせいがはくぼのはしのしたで、えいきゅうにこないこいびとを)
待っている。ちょうどあの尾生が薄暮の橋の下で、永久に来ない恋人を
(いつまでもまちくらしたように。)
いつまでも待ち暮したように。