ビジネス文書検定1級速度部門対策 その4
順位 | 名前 | スコア | 称号 | 打鍵/秒 | 正誤率 | 時間(秒) | 打鍵数 | ミス | 問題 | 日付 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | _y_n_v | 7133 | 王 | 7.3 | 96.6% | 192.6 | 1423 | 49 | 37 | 2024/11/06 |
2 | maro | 6586 | S+ | 6.8 | 96.4% | 212.7 | 1454 | 53 | 37 | 2024/10/31 |
3 | なんちゃん | 5515 | A | 5.6 | 97.7% | 251.1 | 1417 | 32 | 37 | 2024/12/17 |
4 | なり | 4590 | C++ | 4.9 | 92.6% | 285.4 | 1422 | 112 | 37 | 2024/10/07 |
5 | ブリキ | 4479 | C+ | 4.7 | 95.0% | 299.8 | 1417 | 74 | 37 | 2024/11/19 |
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問題文
(にほんにかやくがつたわったことにしょせつあるが、)
日本に火薬が伝わったことに諸説あるが、
(たしかなことは、)
確かなことは、
(たねがしまにぐうぜんながれついたぽるとがるじんにより、)
種子島に偶然流れ着いたポルトガル人により、
(てっぽうがつたえられた1543ねんだといわれている。)
鉄砲が伝えられた1543年だといわれている。
(にほんではじめてはなびをみたじんぶつはとくがわいえやすとされ、)
日本で初めて花火を見た人物は徳川家康とされ、
(1613ねんに、だてまさむねがみたというきろくもあるようだが、)
1613年に、伊達政宗が見たという記録もあるようだが、
(たしかではない。)
確かではない。
(いえやすがみたといわれるのは、)
家康が見たといわれるのは、
(うちあげはなびのようなものだったようで、)
打ち上げ花火のようなものだったようで、
(それをきに、しょうぐんけをはじめしょだいみょうのあいだでだいりゅうこうし、)
それを機に、将軍家をはじめ諸大名の間で大流行し、
(えどのちょうみんにまでひろがったことでだいりゅうこうした。)
江戸の町民にまで広がったことで大流行した。
(ところが、はなびがげんいんとなるかさいがなんどもはっせいした。)
ところが、花火が原因となる火災が何度も発生した。
(そして、ついにえどばくふは、)
そして、ついに江戸幕府は、
(はなびきんしれいをだしておおかわばたでのみきょかされるようになったが、)
花火禁止令を出して大川端でのみ許可されるようになったが、
(いちどひのついたりゅうこうはなかなかおさまらない。)
一度火のついた流行はなかなか収まらない。
(ばくふのきんしれいは、そのあと、)
幕府の禁止令は、その後、
(6かいもだされたが、1733ねん、)
6回も出されたが、1733年、
(しょうぐんよしむねはぜんねんのききんとあくびょうばらいのために、)
将軍吉宗は前年の飢饉と悪病払いのために、
(すいじんさいといういべんとをおおきなはししゅうへんでもよおし、)
水神債というイベントを大きな橋周辺で催し、
(だいだいてきにはなびをうちあげた。)
大々的に花火を打ち上げた。
(これが、りょうごくびらきのはじまりとなった。)
これが、両国開きの始まりとなった。
(りょうごくびらきのときに、)
両国開きの時に、
(はなびしをつとめたのがかぎや6だいめのやへえであった。)
花火師を務めたのが鍵屋6代目の弥兵衛であった。
(そのあと、かぎやにとくにうでのよい、)
その後、鍵屋に特に腕の良い、
(せいしちというなのでしがいた。)
清七という名の弟子がいた。
(かれはのれん(のれん)わけをしてもらうかたちで、)
彼は暖簾(のれん)わけをしてもらう形で、
(たまやをたちあげた。)
玉屋を立ち上げた。
(いこうたまやとかぎやは、りょうごくびらきできょうえんすることとなったのである。)
以降玉屋と鍵屋は、両国開きで共演することとなったのである。
(これが「たまやあ、かぎやあ」という、)
これが「たまやあ、かぎやあ」という、
(はなびがうちあげられるときのかけごえのゆらいとなった。)
花火が打ち上げられるときの掛け声の由来となった。
(しかし、たまやはそのあと、)
しかし、玉屋はその後、
(だいかさいをおこしたため、えどをついほうされて、)
大火災を起こしたため、江戸を追放されて、
(いちだいかぎりでだんぜつしてしまった。)
一代限りで断絶してしまった。
(りょうごくひらきはすいしつおせんなどのりゆうで、)
両国開きは水質汚染などの理由で、
(1961ねんにちゅうしされるが、)
1961年に中止されるが、
(そのあと、)
その後、
(とうきょうのめいぶつはなびたいかいとしてみごとにふっかつしたのだ。)
東京の名物花火大会として見事に復活したのだ。