『伝習録』〈現代語訳〉2

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維新の志士の行動哲学とは
明代の大儒学者王陽明。
当時の知識階級の玩具と成り下がりつつあった儒教に実践と行動に重きを置き、心の効用を説きました。
この陽明学は日本では、江戸後期の武士や維新の志士の行動哲学でもありました。
その後、明治時代には明治男、戦前の帝国軍人にも引き継がれていましたが、戦後にはなぜか危険思想として避けられてしまうようになりました。
現代では政財界に信望者が多く、一部講演なども行われているようです。
ここでは、「良知の学」がふんわり意訳してあります。
詳しくは大家の翻訳を参照してください。

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問題文

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(わたしはまことにてんのれいゆうによって、はからずもりょうちのがくをしるにおよび、)

私はまことに天の霊佑によって、はからずも良知の学を知るに及び、

僕誠に天之霊に頼りて、偶々良知の学を見る有り。

(これによらぬかぎりてんかにちへいはありえないとかくしんするにいたった。)

これによらぬかぎり天下に治平はありえないと確信するに至った。

以為えらく必ず此に由りて而して後に天下は得て治む可しと、

(そこでつねにたみのこのようなだらくにおもいをはせては、ふかくこれにこころをいため、)

そこで常に民のこのような堕落に思いを馳せては、深くこれに心を痛め、

是を以て斯の民の陥溺を念う毎に、即ち之がために戚然として心を痛ましめ、

(みのふしょうをわすれて、このがくによってこれをきゅうさいしようとおもうが、)

身の不肖を忘れて、この学によって此れを救済しようと思うが、

其の身の不肖を忘れて、之を以って之を救わんと思う。

(これはみのほどをわきまえぬことといわざるをえない。)

これは身の程を弁えぬ事と言わざるを得ない。

亦、自ら其の量を知らざる者なり、

(それかあらぬか、てんかのひとは、わたしのこのありさまをみて、)

それかあらぬか、天下の人は、私のこの有様を見て、

(こもごもにひなんちょうしょうをまじえてはいせきをくわえ、)

こもごもに非難嘲笑を交えて排斥を加え、

天下の人、其の是の若くなるを見て遂に相与に非笑し、之を詆斥し、

(しんしんそうしつのきょうじんにみたてるようにさえなった。)

心身喪失の狂人に見立てるようにさえなった。

以為えらくは此れ狂を病み心を喪う人のみ、と。

(ああ、しかしそれがなんだというのか。)

嗚呼、しかしそれが何だというのか。

嗚呼、是れ奚ぞ恤うるに足らんや、

(いまもし、まことにごうきかつえいまいなどうしをえることができ、)

今もし、誠に豪毅かつ英邁な同志を得ることができ、

今、誠に豪傑同志の士を得て、

(ちからをあわせ、ともどもにりょうちのがくをてんかにあきらかにする。)

力を合わせ、共々に良知の学を天下に明らかにする。

扶持匡翼して、共に良知の学を天下に明らかにし、

(そしててんかのひとびとにそのりょうちをはっきすることをじかくさせ、)

そして天下の人々にその良知を発揮することを自覚させ、

天下の人をして皆自らその良知を致すことを知らしめ、

(ひとびとがあいともにそのせいかつをやすんじ、さらにはじがじりのびょうへいをすてさり、)

人々が相共にその生活を安んじ、さらには自我自利の病弊を捨て去り、

以って相安んじ相養いて、その自私自利の蔽を去り、

(ひとをねたみひとにかつことしかおもわぬあくしゅうをいっそうする。)

人を妬み人に勝つことしか思わぬ悪習を一掃する。

讒妬勝忿の習を一洗して

(このようにそこにだいどうがじつげんしたならば、)

このようにそこに大同が実現したならば、

以って大同に済さしめば、

(わたしのきょうびょうなどは、きれいさっぱりとなおってしまい、)

私の狂病などは、きれいさっぱりと治ってしまい、

即ち僕の狂病は固より将に脱然として以って癒えて、

(しんしんそうしつのかんからもえいきゅうにかいほうされるにちがいない。)

心神喪失の患からも永久に開放されるに違いない。

終に喪心の患いを免るべし、

(これはなんときんかいなことではないか。)

これは何と欣快なことではないか。

豈に快ならずや。

(おもうにりょうちとは、なによりもてんりがしぜんれいみょうにはつげんしたものであり、)

思うに良知とは、何よりも天理が自然霊妙に発現したものであり、

良知は只これ一箇の天理、自然に明覚発見する処。

(しんせいのそくだつこそがそのほんたいなのだ。)

真誠の惻恒こそがその本体なのだ。

只これ一箇の真誠惻恒、便ちこれ他の本体。

など

(したがって、このりょうちのしんせいのそくだつをはっきしておやにつかえれば、)

従って、この良知の真誠の惻恒を発揮して親に事えれば、

故にこの良知の真誠惻恒を致して、以って親に事うることは

(それがそのままこうであり、それをはっきしてあににしたがえば、それがていである。)

それがそのまま孝であり、それを発揮して兄に従がえば、それが悌である。

便ち是れ孝、この真誠惻恒を致して、以って兄に従がうことは便ち是れ弟、

(これをはっきしてきみにつかえれば、それがちゅうになるのだ。)

これを発揮して君に事えれば、それが忠になるのだ。

この良知の真誠惻恒を致して、以って君に事うることは便ち是れ忠、

(それはいつなるりょうち、いつなるしんせいのそくだつであるのみなのだ。)

それは一なる良知、一なる真誠の惻恒であるのみなのだ。

只だ是れ一箇の良知は、一箇の真誠惻恒なり。

(りょうちはほんらい、ただひとつのものである。)

良知は本来、ただ一つのものである。

良知は只だ是れ一箇にして、

(ただひとつのものでありながら、)

ただ一つのものでありながら、

然れどもその発見流行の処は、

(しかもそこにぞうげんのよちのないけいちょうこうはくのさがあるのだ。)

しかもそこに増減の余地のない軽重厚薄の差があるのだ。

却って自ら軽重厚薄ありて豪髪も増減すべからざる者あり、

(もし、そこにぞうげんのよちで、またしゃくようのようがあったとすれば、)

もし、そこに増減の余地で、また借用の要があったとすれば、

もし増減すべく、もし仮借すべければ、

(それはもはやしんせいそくだつのほんたいでもなんでもない。)

それはもはや真誠惻恒の本体でも何でもない。

即ち巳(すで)にその真誠惻恒の本体にはらず、

(これこそがりょうちのれいみょうなはたらきであり、)

これこそが良知の霊妙な働きであり、

これ良知の妙用、

(このゆえにりょうちにはていたいがなく、きゅうじんすることもないのだ。そして)

このゆえに良知には定体がなく、窮尽することもないのだ。そして

方体なく窮尽なく、

(「おおきいことについていえば、)

「大きいことについて謂えば、

大を語れば

(てんかのなにものをもってしてもこれをのせきれず、)

天下の何ものを以てしてもこれを載せきれず、

天下も能く載するなく、

(ちいさいことについていえば、)

小さいことについて謂えば、

小を語れば

(てんかのなにものをもってしてもこれいじょうにわかちえない」)

天下の何ものを以てしてもこれ以上に分かちえない」

天下も能く破るなき

(ということになるのだ。)

ということになるのだ。

ものなり。

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