南洲翁遺訓〈現代語訳〉4~6
詳しくは大家の翻訳を参照してください。
前半の「1~20」は、主に為政者(上に立つ者)としての訓えが説かれ、
後半の「21~41」は、主に個人の修身についての訓えが説かれています。
個人的には後半の「21~」進めるのがお勧めです。
ローマ字欄に原文を記載してあります。
盛和塾関係の方に是非おすすめです。
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問題文
(ばんみんのうえにたつものというのは、つねにおのれのこころをつつしみひかえめにしてひんこうをただしくし、)
万民の上に立つ者というのは、常に己の心を慎み控えめにして品行を正しくし、
萬民の上に位する者、己れを愼み、品行を正くし、
(ごうまんなたいどをつねにいましめ、ぜいたくをせずせっけんにつとめ、しょくむしめいにまいしんする。)
傲慢な態度を常に戒め、贅沢をせず節倹に勉め、職務使命に邁進する。
驕奢を戒め、節儉を勉め、職事に勤勞して
(こうしてみんしゅうのてほんとなるべきもので、そのうえでみんしゅうのきんろう・せいかつをかんしゃし、)
こうして民衆の手本となるべきもので、その上で民衆の勤労・生活を感謝し、
人民の標準となり、下民其の勤勞を
(またもうしわけなくおもうくらいでなければせいれいはおこなわれがたいものである。)
また申し訳なく思う位でなければ政令は行われ難いものである。
氣の毒に思ふ樣ならでは、政令は行はれ難し。
(ところがこんにち、まだいしんそうぎょうのはじめだというのに、)
ところが今日、まだ維新創業の初めだというのに、
然るに草創の始に立ちながら、
(うえにたつものがごうかないえにすみ、りっぱなようふくをきてうつくしいめかけをかこい、)
上に立つ者が豪華な家に住み、立派な洋服を着て美しい妾をかこい、
家屋を飾り、衣服を文り、美妾を抱へ、
(そしてじしんのざいさんをふやすようなことばかりをかんがえるざまならば、)
そして自身の財産を増やすような事ばかりを考えるざまならば、
蓄財を謀りなば、
(このいしんのたいぎょうは、なかばにしてなしとげられなくなってしまうだろう。)
この維新の大業は、半ばにして成し遂げられなくなってしまうだろう。
維新の功業は遂げられ間敷也。
(このごにおよぶとぼしん(めいじいしん)のせいぎのたたかいも、)
この期に及ぶと戊辰(明治維新)の正義の戦いも、
今と成りては、戊辰の義戰も
(ばんみんのためでなくしりしよく、ただしふくをこやすけっかとなってしまう。)
万民の為でなく私利私欲、ただ私腹をこやす結果となってしまう。
偏へに私を營みたる姿に成り行き、
(こんなことではこのくににたいし、せんししたものにたいしまことにめんぼくのないことだ、といって、)
こんなことではこの国に対し、戦死した者に対し誠に面目のない事だ、
天下に對し戰死者に對して面目無きぞとて、
(なんしゅうおうはしきりになみだをながされた。)
と言って南洲翁はしきりに涙を流された。
頻りに涙を催されける。
(なんしゅうおうはあるとき)
南洲翁はある時
或る時
(「なんどもなんどもつらいことやくるしいことがあったあとにして、)
「何度も何度も辛い事や苦しい事があった後にして、
「幾歴辛酸志始堅。
(こころざしというものははじめてかたくさだまるものである。)
志というものは始めて堅く定まるものである。
幾歴辛酸志始堅。
(かたいこころざしをもったしんのだんしはしゅぎょくとなってくだけちるとも、)
堅い志を持った真の男子は珠玉となって砕け散るとも、
丈夫玉碎愧甎全。
(こころざしをすて、まるでただのかわらのようになってながいきすることをはじとする。)
志を棄て、まるでただの瓦のようになって長生きすることを恥とする。
丈夫玉碎愧甎全。
(わたしにはわがやにのこしておくべきおしえがあるが、ひとはそれをしっているであろうか。)
私には我家に残しておくべき訓えがあるが、人はそれを知っているであろうか。
一家ノ遺事人知否。
(それは「しそんのためによいたをかわない」、すなわちざいさんをのこさないということだ。)
それは「子孫の為に良い田を買わない」、すなわち財産を残さないという事だ。
不下爲兒孫買美田。」
(というしちごんぜっくのかんしをしめされた。)
という七言絶句の漢詩を示された。
との七絶を示されて、
(そして、もしわたしがこのことばにたがうようなことがあったら、)
そして、もし私がこの言葉に違うような事があったら、
若し此の言に違ひなば、
(さいごうはいうこととじっこうすることとがはんたいではないか、)
西郷は言う事と実行する事とが反対ではないか、
西郷は言行反したるとて
(といってみかぎってかまわない、とおっしゃった。)
といって見限って構わない、と仰った。
見限られよと申されける。
(じんざいをさいようするとき、)
人材を採用する時、
人材を採用するに、
(ゆうしゅうなじんぶつ(くんし)とふつうのひと(しょうじん)をきびしくせんべつしすぎると、)
優秀な人物(君子)と普通の人(小人)を厳しく選別し過ぎると、
君子小人の辨酷に過ぐる時は
(かえってもんだいをひきおこすこともある。)
却って問題を引起すこともある。
却て害を引起すもの也。
(それはなぜかというと、)
それは何故かというと、
其故は、
(このよがはじまっていらい、よのなかのじゅうにんのうちしち、はちにんまではしょうじんであるから、)
この世が始まって以来、世の中の十人のうち七、八人までは小人であるから、
開闢以來世上一般十に七八は小人なれば、
(このようなしょうじんのつごうやこうどうへきをよくはあくし、)
このような小人の都合や行動僻をよく把握し、
能く小人の情を察し、
(それぞれのちょうしょをとりいれてそのてきしょくにもちい、)
それぞれの長所を取り入れてその適職に用い、
其長所を取り之を小職に用ひ、
(そのじんざいとしてのさいのうやぎのうをじゅうぶんはっきさせることがじゅうようなのである。)
その人材としての才能や技能を十分発揮させる事が重要なのである。
其材藝を盡さしむる也。
(ふじたとうこせんせいがおっしゃるには、)
藤田東湖先生が仰るには、
東湖先生申されしは
(「しょうじんはさいのうとぎのうがあってしようするにはかなうものであるから、)
「小人は才能と技能があって使用するにはかなうものであるから、
「小人程才藝有りて用便なれば、
(これはぜひとりたててしごとをさせるべきである。)
これはぜひ取り立てて仕事をさせるべきである。
用ひざればならぬもの也。
(しかし、そのしょうじんをうわやくにしてじゅうようなしょくにつかせると、)
しかし、その小人を上役にして重要な職に就かせると、
去りとて長官に居ゑ重職を授くれば、
(かならずくにをひっくりかえすようなことをしてしまうので、)
必ず国をひっくり返すような事をしてしまうので、
必ず邦家を覆すものゆゑ、
(けっしてうわやくにひきたててはならない」と。)
決して上役に引き立ててはならない」と。
決して上には立てられぬものぞ」と也。