南洲翁遺訓〈現代語訳〉30~33

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西郷隆盛の教えです。
ふんわりと現代語に訳しております。
詳しくは大家の翻訳を参照してください。

前半の「1~20」は、主に為政者(上に立つ者)としての訓えが説かれ、
後半の「21~41」は、主に個人の修身についての訓えが説かれています。
個人的には後半の「21~」進めるのがお勧めです。

ローマ字欄に原文を記載してあります。
盛和塾関係の方に是非おすすめです。

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問題文

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(いのちもいらぬし、めいよもいらぬ、ちいもいらぬかねもいらぬ。)

命もいらぬし、名誉もいらぬ、地位もいらぬ金もいらぬ。

命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、

(このようなじんぶつは、とかくしまつにこまるものである。)

このような人物は、とかく始末に困るものである。

仕末に困るもの也。

(だがこのようなしまつにこまるじんぶつでなければ、こんなんしんくをともにして、)

だがこのような始末に困る人物でなければ、困難辛苦を共にして、

此の仕末に困る人ならでは、艱難を共にして

(こっかのようなだいじぎょうをなしえない。)

国家のような大事業を成し得ない。

國家の大業は成し得られぬなり。

(しかしながら、このようなじんぶつはぼんじんのめではみぬくことができないのだ、)

しかしながら、このような人物は凡人の眼では見抜く事が出来ないのだ、

去れ共、个樣の人は、凡俗の眼には見得られぬぞ

(となんしゅうおうはおっしゃるので、それではもうしのしょに)

と南洲翁は仰るので、それでは孟子の書に

と申さるゝに付、孟子に、

(「ひとはてんかのこうだいなせかいにそんざいし、てんかのそれぞれのただしいたちばにあまんじ、)

「人は天下の宏大な世界に存在し、天下のそれぞれの正しい立場に甘んじ、

「天下の廣居に居り、天下の正位に立ち、

(てんかのおおいなるせいどうをおこなうものだ。)

天下の大いなる正道を行うものだ。

天下の大道を行ふ、

(もし、こころざしをえてもちいられるならばたいしゅうとともにみちをおこない、)

もし、志を得て用いられるならば大衆と共に道を行い、

志を得れば民と之に由り、

(もしこころざしをえないでもちいられなければ、ただひとりみちをおこなえばよい。)

もし志を得ないで用いられなければ、ただ独り道を行えばよい。

志を得ざれば獨り其道を行ふ、

(そういったにんげんは、たとえきんせんやちいでこれをたぶらかすことはできず、)

そういった人間は、たとえ金銭や地位でこれを誑かす事はできず、

富貴も淫すること能はず、

(まずしくとも、ひくいみぶんにあまんじたとしても、これによってこころがくじけることはない。)

貧しくとも、低い身分に甘んじたとしても、これによって心が挫ける事はない。

貧賤も移すこと能はず、

(またけんいやぼうりょくをもってしても、これをくっぷくさせることもできない」)

また権威や暴力をもってしても、これを屈服させることも出来ない」

威武も屈すること能はず」

(と、こうあるのは、いま、おおせのようなじんぶつのことでしょうか、とおたずねすると、)

と、こうあるのは、今、仰せのような人物の事でしょうか、とお尋ねすると、

と云ひしは、今仰せられし如きの人物にやと問ひしかば、

(いかにもそのとおりだ。)

いかにもそのとおりだ。

いかにも其の通り、

(しんにみちをおこなうひとでなければ、そのようなせいしんはえがたいことだ、とこたえられた。)

真に道を行う人でなければ、そのような精神は得難い事だ、と答えられた。

道に立ちたる人ならでは彼の氣象は出ぬ也。

(せいどうをまっとうしてゆくものは、くにじゅうのものからこぞって、わるくいわれ、)

正道を全うして行く者は、国中の者からこぞって、悪く言われ、

道を行ふ者は、天下擧て

(おとしめられるようなきょうぐうであったとしても、べつだんふまんにおもわない。)

貶められるような境遇であったとしても、別段不満に思わない。

毀るも足らざるとせず、

(また、くにじゅうのものがこぞってほめたたえたとしても、)

また、国中の者がこぞって褒め称えたとしても、

天下擧て譽るも

(それでじぶんにまんぞくすることなどもけっしてない。)

それで自分に満足することなども決して無い。

足れりとせざるは、

など

(これはしんにおのれをふかくしんじるがゆえである。)

これは真に己を深く信じるが故である。

自ら信ずるの厚きが故也。

(このようなじんぶつになるほうほうは、はんぶんこう(かんたいし、とうだいのじょじゅつか)の)

このような人物になる方法は、韓文公(韓退之、唐代の叙述家)の

其の工夫は、韓文公が

(「はくいのしょう」)

「伯夷の頌」

伯夷の頌

((はくい、しゅくせいきょうだいのせつぎをまもりがししたことをほめたたえたぶんのいっしょう))

(伯夷、叔斉兄弟の節義を守り餓死したことを褒め称えた文の一章)

(をじゅくどくすること、そしてそのせいしんをえとくしなさい。)

を熟読すること、そしてその精神を会得しなさい。

を熟讀して會得せよ。

(せいどうにこころざすものは、いだいなじぎょうなどをとうとばないものである。)

正道に志す者は、偉大な事業などを尊ばないものである。

道に志す者は、偉業を貴ばぬもの也。

(しばおんこうは、)

司馬温公は、

司馬温公は

(しんしつのなかでつまとひそかにかたったことでも、たにんにたいしていえないようなことはない、)

寝室の中で妻と密かに語ったことでも、他人に対して言えないような事は無い、

閨中にて語りし言も、人に對して言ふべからざる事無し

(といわれた。)

と言われた。

と申されたり。

(これにて、どくをつつしむということのしんいはいかなるものかおしてしるべしだ。)

これにて、独を慎むという事の真意は如何なるものか推して知るべしだ。

獨を愼むの學推て知る可し。

(ひとをおどろかすようなはでなことをなし、)

人を驚かすような派手なことをなし、

人の意表に出て

(そのいちじだけよいきぶんになることごときをこのむのは、)

その一時だけ良い気分になること如きを好むのは、

一時の快適を好むは、

(にんげんとしてみじゅくなもののすることだ。)

人間として未熟な者のする事だ。

未熟の事なり、

(じゅうぶんいましめねばならない。)

十分戒めねばならない。

戒む可し。

(へいじよりせいどうをふみおこなわないにんげんは、いざなんじにちょくめんすると、)

平時より正道を踏み行わない人間は、いざ難事に直面すると、

平日道を蹈まざる人は、事に臨て

(うろたえどうようし、いったいなにをどうたいしょしてよいかわからぬものである。)

うろたえ動揺し、一体何をどう対処して良いか判らぬものである。

狼狽し、處分の出來ぬもの也。

(たとえるならば、きんじょでかじがあったばあいなどだ。)

例えるならば、近所で火事があった場合などだ。

譬へば近隣に出火有らんに、

(へいじより、こころがまえがしっかりできているものは、)

平時より、心構えがしっかり出来ている者は、

平生處分有る者は動搖せずして、

(すこしもどうようすることなく、れいせいにこれにたいしょすることができる。)

少しも動揺する事なく、冷静にこれに対処することが出来る。

取仕末も能く出來るなり。

(しかし、かねてそのようなこころがまえのできていないものは、)

しかし、かねてそのような心構えの出来ていない者は、

平日處分無き者は、

(あわてふためき、ただろうばいするばかりで、たいしょうんぬんどころではないであろう。)

慌てふためき、ただ狼狽するばかりで、対処云々どころではないであろう。

唯狼狽して、中々取仕末どころには之無きぞ。

(それとおなじことで、かねてからせいどうをふみおこなっているにんげんでなければ、)

それと同じ事で、かねてから正道を踏み行っている人間でなければ、

夫れも同じにて、平生道を蹈み居る者に非れば、

(いざことがおこったときに、おちついててきかくなたいおうさくはとれないのだ。)

いざ事が起こった時に、落ち着いて的確な対応策は取れないのだ。

事に臨みて策は出來ぬもの也。

(わたしがせんねん、たたかいにしゅつじんしたあるひのことである。)

私が先年、戦いに出陣したある日のことである。

予先年出陣の日、

(へいしにむかって、わがぐんのぼうえいのそなえがじゅうぶんであるかどうか、)

兵士に向かって、我軍の防衛の備えが十分であるかどうか、

兵士に向ひ、我が備への整不整を、

(ただみかたのめばかりでみないで、てきがわのこころになってひとつとつげきをかんがえてみよ、)

ただ味方の目ばかりで見ないで、敵側の心になって一つ突撃を考えて見よ、

唯味方の目を以て見ず、敵の心に成りて一つ衝て見よ、

(それこそはぼうびのだいいちであるぞ、とといてきかせた、とおっしゃっていた。)

それこそは防備の第一であるぞ、と説いて聞かせたのだ、と仰ていた。

夫れは第一の備ぞと申せしとぞ。

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