吉田松陰 寸言集〈現代語訳〉6

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松下村塾で学びましょう。
長州藩、維新の志士達の心の師であった吉田松陰。
松蔭の寸言を勝手に現代語に翻訳しました。
詳しくは大家の翻訳をご覧ください。
「誠」のみで生きた松蔭の心震える言葉で、人生を考え直してみましょう。

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問題文

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(えいゆうといえどもそのじだいやそのばで、あるべきふるまいというものがある。)

英雄といえどもその時代やその場で、あるべき振る舞いというものがある。

英雄自らの時措の宜しきあり。

(だが、いずれにしてもみずからのこころにかえりみてやましいことがないというのがそのこんぽんだ。)

だが、いずれにしても自らの心に顧みて疚しい事がないというのがその根本だ。

要は内に省みて疚しからざるにあり。

(いくらすぐれたさいのうをもっているせいねんがいたとしても、)

いくら優れた才能を持っている青年がいたとしても、

青年の俊才

(それできたいにたりるものではない。)

それで期待に足りるものではない。

恃むに足らず、

(そこではなく、やはりすきとおるようなまごころ、つきぬけたまことのこころ、)

そこではなく、やはり透き通るような真心、突き抜けた誠の心、

精誠至誠、

(これこそがしんらいにたるものなのである。)

これこそが信頼に足るものなのである。

是れ恃むべしと為すのみ。

(いきるもしぬも、これはてんめいである。)

生きるも死ぬも、これは天命である。

夫れ死生命あり、

(ざいをなすことやみぶんがたかいこと、これもてんがしるところである。)

財を成すことや身分が高いこと、これも天が知るところである。

富貴は天にあり、

(そのようなことにこころをくだかず、みをりっしてわがみをおさめ、てんめいをまつ、)

そのようなことに心を砕かず、身を律して我が身を修め、天命を待つ、

身を修めて命を竢ち、

(つねにじぶんのできることのせいいっぱいをつくしててんにみをゆだねる。)

常に自分の出来ることの精一杯を尽くして天に身を委ねる。

己を竭して天に聴くは

(これがくんしのいきかたでありどうとくというものである。)

これが君子の生き方であり道徳というものである。

君子の道なり。

(にちじょうのめさきのちいさなことにたえしのび、たいきょくのけいをなしとげる。)

日常の目先の小さな事に耐え忍び、大局の計を成し遂げる。

小を忍びて大を謀るは

(これこそが、こらいこうしのがくのおしえのしんずいである。)

これこそが、古来孔子の学の教えの真髄である。

則ち孔門の教なり。

(さいのうといいきはくといい、これらはがくもんがそのみなもとである。)

才能といい気魄といい、これらは学問がその源である。

才といひ気というふも学を基と為し、

(はくしきといいじっちょくさといい、これらはきんべんがそのみなもとである。)

博識といい実直さといい、これらは勤勉がその源である。

博といひ精といふも勤を資と為す。

(じゅっけんくらいのちいさなむらにあってもこうしのようなけっしゅつしたにんげんもいる。)

十軒くらいの小さな村にあっても孔子のような傑出した人間もいる。

十室の邑必ず丘のごときあり、

(いままさにがくもんにはげみ、きんべんでなければ、)

今まさに学問に励み、勤勉でなければ、

学ばず勤めずんば

(ろうねんになってからはげしくこうかいすることとなろう。)

老年になってから激しく後悔することとなろう。

老大にして悲しまん。

(まさにいまがだいどりょくすべきそのときなのである。)

まさに今が大努力すべきその時なのである。

時に及んでまさに努力すべし、

(きをいっしてしまい、うちたてたそのあついこころざしを、)

機を逸してしまい、打ち樹てたその熱い志を、

青年の志を

など

(けっしてむだにしてしまうようなまねをしてはならない。)

決して無駄にしてしまうような真似をしてはならない。

空しうすることなかれ。

(じんかくをこうじょうさせ、さいのうやのうりょくをかいはつするのには、)

人格を向上させ、才能や能力を開発するのには、

徳を成し材を達するには、

(しからのえいきょうがおおきくまた、ともからのえることがとてもおおい。)

師からの影響が大きくまた、友からの得ることがとても多い。

師恩友益多きに居り。

(だから、くんしはひととのまじわりやこうゆうかんけいをえらび、つつしみ、しんけんにするのである。)

だから、君子は人との交わりや交友関係を選び、慎み、真剣にするのである。

故に君子は交游を慎む。

(こじんは「ひさんなのは、こころがしんでしまうよりもひさんなことはない」といった。)

古人は「悲惨なのは、心が死んでしまうよりも悲惨なことはない」といった。

古語に曰く、「惨は心死より惨なるはなし」と。

(だが、たとえしんたいがくちほろんでいてもそのせいしんがいきつづけているのは、)

だが、たとえ身体が朽ち滅んでいてもその精神が生き続けているのは、

蓋し身死して而も心死せざる者は

(いにしえのせいじんけんじゃであり、これはまさにふきゅうのひとといえよう。)

古の聖人賢者であり、これはまさに不朽の人と言えよう。

古聖賢の徒、不朽の人なり。

(ぎゃくに、しんたいはいまだいきてはいるが、そのせいしんがしんでしまっているもの、)

逆に、身体は未だ生きてはいるが、その精神が死んでしまっている者、

身死せずして而も心死せる者は

(これはまさにげんだいのつまらないにんげんのたぐいであり、もはやいきるしかばねといってよい。)

これはまさに現代のつまらない人間の類であり、もはや生きる屍といってよい。

今の鄙夫の流、行屍の人なり。

(とにかくもわがみのほしんをまっさきにかんがえてしまうにんげん。)

とにかくも我が身の保身を真っ先に考えてしまう人間。

徒に身を衛ることを知る者、

(このようなものに、どうしててんかこっかをやすんずることができようか。)

このような者に、どうして天下国家を安んずる事ができようか。

安んぞ能く国を安んぜんや。

(なにごともくろうなくじゅんちょうにことをなしてきたにんげんというものは、)

何事も苦労なく順調に事を成してきた人間というものは、

万事速やかに成れば

(しんにいしがかたいじんぶつにはならないものだ。)

真に意思が堅い人物にはならないものだ。

堅固ならず、

(ほんもののうつわのあるにんげんというものは、)

本物の器のある人間というものは、

大器は

(じっくりとできあがっていくものというのがこらいよりのどうりである。)

じっくりと出来上がっていくものというのが古来よりの道理である。

遅く成るの理にて、

(にわかじたてでは、ほんもののじんぶつにねりあがらず、またそれがながくつづくこともない。)

俄仕立てでは、本物の人物に練り上がらず、またそれが長く続くこともない。

躁敷き事にては大成も長久も相成らざる事に之れあるべく候。

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