「心理試験」12 江戸川乱歩
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問題文
(たとえば、ふいに「おまえはろうばをころしたほんにんであろう」ととわれたばあい、)
例えば、不意に「お前は老婆を殺した本人であろう」と問われた場合、
(かれはへいきなかおで「なにをしょうこにそんなことをおっしゃるのです」といいかえす)
彼は平気な顔で「何を証拠にそんなことをおっしゃるのです」と云い返す
(だけのじしんはある。だが、そのときふしぜんにみゃくはくがたかまったり、こきゅうが)
丈けの自信はある。だが、その時不自然に脈搏が高まったり、呼吸が
(はやくなるようなことはないだろうか。それをふせぐことはぜったいにふかのうなのでは)
早くなるようなことはないだろうか。それを防ぐことは絶対に不可能なのでは
(あるまいか。かれはいろいろなばあいをかていして、こころのうちでじっけんしてみた。ところが、)
あるまいか。彼は色々な場合を仮定して、心の内で実験して見た。ところが、
(ふしぎなことには、じぶんじしんではっしたじんもんは、それがどんなにきわどい、)
不思議なことには、自分自身で発した訊問は、それがどんなにきわどい、
(ふいのおもいつきであっても、にくたいじょうにへんかをおよぼすようにはかんがえられなかった。)
不意の思付きであっても、肉体上に変化を及ぼす様には考えられなかった。
(むろんびさいなへんかをはかるどうぐがあるわけではないから、たしかなことは)
無論微細な変化を計る道具がある訳ではないから、確かなことは
(いえぬけれど、しんけいのこうふんそのものがかんじられないいじょうは、そのけっかで)
云えぬけれど、神経の興奮そのものが感じられない以上は、その結果で
(あるにくたいじょうのへんかもおこらぬはずだった。そうしていろいろとじっけんやすいりょうを)
ある肉体上の変化も起らぬ筈だった。そうして色々と実験や推量を
(つづけているうちに、ふきやはふとあるかんがえにぶっつかった。それは、れんしゅうというものが)
続けている内に、蕗谷はふとある考にぶッつかった。それは、練習というものが
(しんりしけんのこうかをさまたげはしないか、いいかえれば、おなじしつもんにたいしても、)
心理試験の効果を妨げはしないか、云い換えれば、同じ質問に対しても、
(いっかいめよりはにかいめが、にかいめよりはさんかいめが、しんけいのはんのうがびじゃくに)
一回目よりは二回目が、二回目よりは三回目が、神経の反応が微弱に
(なりはしないかということだった。つまり、なれるということだ。これはほかの)
なりはしないかということだった。つまり、慣れるということだ。これは他の
(いろいろのばあいをかんがえてみてもわかるとおり、ずいぶんかのうせいがある。じぶんじしんの)
色々の場合を考えて見ても分る通り、随分可能性がある。自分自身の
(じんもんにたいしてはんのうがないというのも、けっきょくはこれをおなじりくつで、じんもんが)
訊問に対して反応がないというのも、結局はこれを同じ理窟で、訊問が
(はっせられるいぜんに、すでによきがあるためにそういない。そこで、かれは「じりん」の)
発せられる以前に、已に予期がある為に相違ない。そこで、彼は「辞林」の
(なかのなんまんというたんごをひとつものこらずしらべてみて、すこしでもじんもんされそうな)
中の何万という単語を一つも残らず調べて見て、少しでも訊問され相な
(ことばをすっかりかきぬいた。そして、いっしゅうかんもかかって、それにたいするしんけいの)
言葉をすっかり書き抜いた。そして、一週間もかかって、それに対する神経の
(「れんしゅう」をやった。さてつぎには、ことばをつうじてしけんするほうほうだ。)
「練習」をやった。さて次には、言葉を通じて試験する方法だ。
(これとてもおそれることはない。いやむしろ、それがことばであるだけごまかしやすい)
これとても恐れることはない。いや寧ろ、それが言葉である丈けごまかし易い
(というものだ。これにはいろいろなほうほうがあるけれど、もっともよくおこなわれるのは、)
というものだ。これには色々な方法があるけれど、最もよく行われるのは、
(あのせいしんぶんせきかがびょうにんをみるときにもちいるのとおなじほうほうで、れんそうしんだん)
あの精神分析家が病人を見る時に用いるのと同じ方法で、聯想診断
(というやつだ。「しょうじ」だとか「つくえ」だとか「いんき」だとか「ぺん」だとか、)
という奴だ。「障子」だとか「机」だとか「インキ」だとか「ペン」だとか、
(なんでもないたんごをいくつもじゅんじによみきかせて、できるだけはやく、)
なんでもない単語をいくつも順次に読み聞かせて、出来る丈け早く、
(すこしもかんがえないで、それらのたんごについてれんそうしたことばをしゃべらせるのだ。)
少しも考えないで、それらの単語について聯想した言葉を喋らせるのだ。
(たとえば、「しょうじ」にたいしては「まど」とか「しきい」とか「かみ」とか「と」とか)
例えば、「障子」に対しては「窓」とか「敷居」とか「紙」とか「戸」とか
(いろいろのれんそうがあるだろうが、どれでもかまわない、そのときふとうかんだことばを)
色々の連想があるだろうが、どれでも構わない、その時ふと浮かんだ言葉を
(いわせる。そして、それらのいみのないたんごのあいだへ、「ないふ」だとか)
云わせる。そして、それらの意味のない単語の間へ、「ナイフ」だとか
(「ち」だとか「かね」だとか「さいふ」だとか、はんざいにかんけいのあるたんごを、)
「血」だとか「金」だとか「財布」だとか、犯罪に関係のある単語を、
(きづかれぬようにまぜておいて、それにたいするれんそうをしらべるのだ。)
気づかれぬ様に混ぜて置いて、それに対する聯想を検べるのだ。
(まずだいいちに、もっともしりょのあさいものは、このろうばごろしのじけんでいえば、「うえきばち」)
先ず第一に、最も思慮の浅い者は、この老婆殺しの事件で云えば、「植木鉢」
(というたんごにたいして、うっかり「かね」とこたえるかもしれない。すなわち「うえきばち」の)
という単語に対して、うっかり「金」と答えるかも知れない。即ち「植木鉢」の
(そこから「かね」をぬすんだことがもっともふかくいんしょうされているからだ。そこでかれはざいじょうを)
底から「金」を盗んだことが最も深く印象されているからだ。そこで彼は罪状を
(じはくしたことになる。だが、すこしかんがえぶかいものだったら、たとい「かね」ということばが)
自白したことになる。だが、少し考え深い者だったら、仮令「金」という言葉が
(うかんでも、それをおしころして、たとえば「せともの」とこたえるだろう。)
浮かんでも、それを押し殺して、例えば「瀬戸物」と答えるだろう。