夏目漱石「こころ」3-5
夏目漱石の「こころ」(下)でございます。
なるべく原文ママで問題を設定しておりますので、誤字なのか原文なのかややこしいとは思われますが最後までお付き合い下さい。
次:https://typing.twi1.me/game/372454
オリジナルの書き方・読み方については以下に載せますので、参考の程よろしくお願い致します。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
7:腸窒扶斯(ちょうちふす)
29:確かりした(しっかりした)
35:幾何(いくら)
49:他(ひと)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
すみません、今回は少し長めです。
順位 | 名前 | スコア | 称号 | 打鍵/秒 | 正誤率 | 時間(秒) | 打鍵数 | ミス | 問題 | 日付 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | berry | 7644 | 神 | 7.8 | 97.7% | 340.5 | 2663 | 60 | 51 | 2024/09/23 |
2 | なおきち | 7516 | 神 | 7.6 | 98.1% | 350.3 | 2683 | 50 | 51 | 2024/10/15 |
3 | ヤス | 7408 | 光 | 7.8 | 95.1% | 345.7 | 2699 | 138 | 51 | 2024/10/27 |
4 | やまちゃん | 4846 | B | 4.9 | 97.8% | 539.2 | 2673 | 60 | 51 | 2024/10/06 |
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問題文
(さん)
三
(「わたくしがりょうしんをなくしたのは、まだわたくしのはたちにならないじぶんでした。)
「私が両親を亡くしたのは、まだ私の二十歳にならない時分でした。
(いつかさいがあなたにはなしていたようにもきおくしていますが、)
何時か妻があなたに話していたようにも記憶していますが、
(ふたりはおなじびょうきでしんだのです。)
二人は同じ病気で死んだのです。
(しかもさいがあなたにふしんをおこさせたとおり、)
しかも妻が貴方に不審を起させた通り、
(ほとんどどうじといっていいくらいに、ぜんごしてしんだのです。)
殆んど同時といって可い位に、前後して死んだのです。
(じつをいうと、ちちのびょうきはおそるべきちょうちふすでした。)
実をいうと、父の病気は恐るべき腸窒扶斯でした。
(それがそばにいてかんごをしたははにでんせんしたのです。)
それが傍にいて看護をした母に伝染したのです。
(わたくしはふたりのあいだにできたたったひとりのおとこのこでした。)
私は二人の間に出来たたった一人の男の子でした。
(うちにはそうとうのざいさんがあったので、むしろおうようにそだてられました。)
宅には相当の財産があったので、寧ろ鷹揚に育てられました。
(わたくしはじぶんのかこをかえりみて、あのときりょうしんがしなずにいてくれたなら、)
私は自分の過去を顧みて、あの時両親が死なずにいてくれたなら、
(すくなくともちちかははかどっちか、かたほうでいいからいきていてくれたなら、)
少なくとも父か母か何方か、片方で好いから生きていてくれたなら、
(わたくしはあのおうようなきぶんをいままでもちつづけることができたろうにとおもいます。)
私はあの鷹揚な気分を今まで持ち続ける事が出来たろうにと思います。
(わたくしはふたりのあとにぼうぜんとしてとりのこされました。)
私は二人の後に茫然として取り残されました。
(わたくしにはちしきもなく、けいけんもなく、またふんべつもありませんでした。)
私には知識もなく、経験もなく、また分別もありませんでした。
(ちちのしぬとき、はははそばにいることができませんでした。)
父の死ぬ時、母は傍に居る事が出来ませんでした。
(ははのしぬとき、ははにはちちのしんだことさえまだしらせてなかったのです。)
母の死ぬ時、母には父の死んだ事さえまだ知らせてなかったのです。
(はははそれをさとっていたか、またはそばのもののいうごとく、)
母はそれを覚っていたか、又は傍のものの云う如く、
(じっさいちちはかいふくきにむかいつつあるものとしんじていたか、それはわかりません。)
実際父は回復期に向いつつあるものと信じていたか、それは分りません。
(はははただおじにばんじをたのんでいました。)
母はただ叔父に万事を頼んでいました。
(そこにいあわせたわたくしをゆびさすようにして、)
其所に居合せた私を指さすようにして、
(「このこをどうぞなにぶん」といいました。)
『この子をどうぞ何分』と云いました。
(わたくしはそのまえからりょうしんのきょかをえて、とうきょうへでるはずになっていましたので、)
私はその前から両親の許可を得て、東京へ出る筈になっていましたので、
(はははそれもついでにいうつもりらしかったのです。)
母はそれも序に云う積りらしかったのです。
(それで「とうきょうへ」とだけつけくわえましたら、)
それで『東京へ』とだけ付け加えましたら、
(おじがすぐあとをひきとって、)
叔父がすぐ後を引き取って、
(「よろしいけっしてしんぱいしないがいい」とこたえました。)
『よろしい決して心配しないがいい』と答えました。
(はははつよいねつにたえうるたいしつのおんななんでしたろうか、)
母は強い熱に堪え得る体質の女なんでしたろうか、
(おじは「しっかりしたものだ」といって、わたくしにむかってははのことをほめていました。)
叔父は『確かりしたものだ』と云って、私に向って母の事を褒めていました。
(しかしこれがはたしてははのゆいごんであったのかどうだか、)
然しこれが果して母の遺言であったのかどうだか、
(いまかんがえるとわからないのです。)
今考えると分らないのです。
(はははむろんちちのかかったびょうきのおそるべきなまえをしっていたのです。)
母は無論父の罹った病気の恐るべき名前を知っていたのです。
(そうして、じぶんがそれにでんせんしていたこともしょうちしていたのです。)
そうして、自分がそれに伝染していた事も承知していたのです。
(けれどもじぶんはきっとこのびょうきでいのちをとられるとまでしんじていたかどうか、)
けれども自分はきっとこの病気で命を取られるとまで信じていたかどうか、
(そこになるとうたがうよちはまだいくらでもあるだろうとおもわれるのです。)
其所になると疑う余地はまだ幾何でもあるだろうと思われるのです。
(そのうえねつのたかいときにでるははのことばは、)
その上熱の高い時に出る母の言葉は、
(いかにそれがすじみちのとおったあきらかなものにせよ、)
いかにそれが筋道の通った明かなものにせよ、
(いっこうきおくとなってははのあたまにかげさえのこしていないことがしばしばあったのです。)
一向記憶となって母の頭に影さえ残していない事がしばしばあったのです。
(だから・・・・・・)
だから……
(しかしそんなことはもんだいではありません。)
然しそんな事は問題ではありません。
(ただこういうふうにものをときほどいてみたり、)
ただこういう風に物を解きほどいて見たり、
(またぐるぐるまわしてながめたりするくせは、)
又ぐるぐる廻して眺めたりする癖は、
(もうそのじぶんから、わたくしにはちゃんとそなわっていたのです。)
もうその時分から、私にはちゃんと備わっていたのです。
(それはあなたにもはじめからおことわりしておかなければならないとおもいますが、)
それは貴方にも始めから御断りして置かなければならないと思いますが、
(そのじつれいとしてはとうめんのもんだいにたいしたかんけいのないこんなきじゅつが、)
その実例としては当面の問題に大した関係のないこんな記述が、
(かえってやくにたちはしないかとかんがえます。)
却って役に立ちはしないかと考えます。
(あなたのほうでもまあそのつもりでよんでください。)
貴方の方でもまあその積りで読んで下さい。
(このしょうぶんがりんりてきにこじんのこういやらどうさのうえにおよんで、)
この性分が倫理的に個人の行為やら動作の上に及んで、
(わたくしはこうらいますますひとのとくぎしんをうたがうようになったのだろうとおもうのです。)
私は高来益他の徳義心を疑うようになったのだろうと思うのです。
(それがわたくしのはんもんやくのうにむかって、)
それが私の煩悶や苦悩に向って、
(せっきょくてきにおおきなちからをそえているのはたしかですからおぼえていてください。)
積極的に大きな力を添えているのは慥ですから覚えていて下さい。