夏目漱石「こころ」3-36

夏目漱石の「こころ」(下)でございます。
なるべく原文ママで問題を設定しておりますので、誤字なのか原文なのかややこしいとは思われますが最後までお付き合い下さい。
オリジナルの書き方・読み方については以下に載せますので、参考の程よろしくお願い致します。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
3:仲好(なかよし)
15:有福(ゆうふく)
30:生捕られた(いけどられた)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
今回も長めです。
近頃長文となっておりますがどうか勘弁して下さい。
順位 | 名前 | スコア | 称号 | 打鍵/秒 | 正誤率 | 時間(秒) | 打鍵数 | ミス | 問題 | 日付 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | berry | 8237 | 神 | 8.3 | 98.4% | 195.7 | 1638 | 26 | 33 | 2025/09/30 |
2 | とん | 5737 | A | 6.1 | 93.9% | 270.5 | 1658 | 106 | 33 | 2025/08/31 |
3 | ko | 3794 | D++ | 4.3 | 88.0% | 380.0 | 1668 | 226 | 33 | 2025/09/13 |
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問題文
(じゅうきゅう)
十九
(「わたくしはそのともだちのなをここにけいとよんでおきます。)
「私はその友達の名を此所にKと呼んで置きます。
(わたくしはこのけいとこどものときからのなかよしでした。)
私はこのKと小供の時からの仲好でした。
(こどものときからといえばことわらないでもわかっているでしょう。)
小供の時からと云えば断らないでも解っているでしょう。
(ふたりにはどうきょうのえんこがあったのです。)
二人には同郷の縁故があったのです。
(けいはしんしゅうのぼうさんのこでした。)
Kは真宗の坊さんの子でした。
(もっともちょうなんではありません。じなんでした。)
尤も長男ではありません。次男でした。
(それであるいしゃのところへようしにやられたのです。)
それである医者の所へ養子に遣られたのです。
(わたくしのうまれたちほうはたいへんほんがんじはのせいりょくのつよいところでしたから、)
私の生れた地方は大変本願寺派の勢力の強い所でしたから、
(しんしゅうのぼうさんはほかのものにくらべると、ぶっしつてきにわりがよかったようです。)
真宗の坊さんは他のものに比べると、物質的に割が好かったようです。
(いちれいをあげると、もしぼうさんにおんなのこがあって、)
一例を挙げると、もし坊さんに女の子があって、
(そのおんなのこがとしごろになったとすると、)
その女の子が年頃になったとすると、
(だんかのものがそうだんして、どこかてきとうなところへよめにやってくれます。)
檀家のものが相談して、何処か適当な所へ嫁に遣ってくれます。
(むろんひようはぼうさんのふところからでるのではありません。)
無論費用は坊さんの懐から出るのではありません。
(そんなわけでしんしゅうでらはたいていゆうふくでした。)
そんな訳で真宗寺は大抵有福でした。
(けいのうまれたいえもそうおうにくらしていたのです。)
Kの生れた家も相応に暮らしていたのです。
(しかしじなんをとうきょうへしゅぎょうにだすほどのよりょくがあったかどうかしりません。)
然し次男を東京へ修業に出す程の余力があったかどうか知りません。
(またしゅぎょうにでられるべんぎがあるので、ようしのそうだんがまとまったものかどうか、)
又修行に出られる便宜があるので、養子の相談が纏まったものかどうか、
(そこもわたくしにはわかりません。)
其所も私には分りません。
(とにかくけいはいしゃのうちへようしにいったのです。)
とにかくKは医者の家へ養子に行ったのです。
(それはわたくしたちがまだちゅうがくにいるときのことでした。)
それは私達がまだ中学にいる時の事でした。
(わたくしはきょうじょうでせんせいがめいぼをよぶときに、)
私は教場で先生が名簿を呼ぶ時に、
(けいのせいがきゅうにかわっていたのでおどろいたのをいまでもきおくしています。)
Kの姓が急に変っていたので驚ろいたのを今でも記憶しています。
(けいのようしさきもかなりなざいさんかでした。)
Kの養子先も可なりな財産家でした。
(けいはそこからがくしをもらってとうきょうへでてきたのです。)
Kは其所から学資を貰って東京へ出て来たのです。
(でてきたのはわたくしといっしょでなかったけれども、とうきょうへついてからは、)
出て来たのは私と一所でなかったけれども、東京へ着いてからは、
(すぐおなじげしゅくにはいりました。)
すぐ同じ下宿に入りました。
(そのじぶんはひとつへやによくふたりもさんにんもつくえをならべてねおきしたものです。)
その時分は一つ室によく二人も三人も机を並べて寐起したものです。
(けいとわたくしもふたりでおなじまにいました。)
Kと私も二人で同じ間にいました。
(やまでいけどられたどうぶつが、)
山で生捕られた動物が、
(おりのなかでだきあいながら、そとをにらめるようなものでしたろう。)
檻の中で抱き合いながら、外を睨めるようなものでしたろう。
(ふたりはとうきょうととうきょうのひとをおそれました。)
二人は東京と東京の人を畏れました。
(それでいてろくじょうのまのなかでは、てんかをへいげいするようなことをいっていたのです。)
それでいて六畳の間の中では、天下を睥睨するような事を云っていたのです。