平成24年パソコン入力スピード認定試験問題

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平成24年パソコン入力スピード認定試験の問題(前編)です。
平成24年パソコン入力スピード認定試験の問題です。
長文なので、前編と後編にわけました。
前編は60問です。
順位 名前 スコア 称号 打鍵/秒 正誤率 時間(秒) 打鍵数 ミス 問題 日付
1 茶々 5104 B+ 5.3 95.0% 589.7 3175 165 60 2024/10/08

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問題文

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(とうきょうのにほんばしが、1911ねんにいしづくりのはしとなってから、)

東京の日本橋が、1911年に石造りの橋となってから、

(さくねんで100しゅうねんをむかえた。はしができたとうしょは、たんににほんのきをわたしただけの)

昨年で100周年を迎えた。橋ができた当初は、単に二本の木を渡しただけの

(かんそなはしであったといわれている。)

簡素な橋であったといわれている。

(そのようすから「にほんばし」とよばれるようになり、)

その様子から「二本橋」と呼ばれるようになり、

(はしのなまえのゆらいとなったというせつがある。)

橋の名前の由来となったという説がある。

(そのご、とくがわいえやすがえどばくふをひらいた1603ねんに、)

その後、徳川家康が江戸幕府を開いた1603年に、

(きでつくられたおおきなはしへとかえられた。あるしりょうによると、)

木で造られた大きな橋へと替えられた。ある資料によると、

(ぜんちょう51めーとるで、はばは8めーとるというりっぱなはしだった。)

全長51メートルで、幅は8メートルという立派な橋だった。

(そのよくねん、ぜんこくかくちへとつうじるどうろのせいびがじっしされ、)

その翌年、全国各地へと通じる道路の整備が実施され、

(とうかいどうをはじめとするごかいどうのきてんにさだめられた。)

東海道をはじめとする五街道の起点に定められた。

(1618ねんには、だいきぼなかいしゅうこうじがあり、ながさが68めーとるとなり、)

1618年には、大規模な改修工事があり、長さが68メートルとなり、

(あとにかけられたはしよりもながかった。)

後に架けられた橋よりも長かった。

(このじだい、はしのしゅうへんは、しょうぎょうやりゅうつう、けいざいのちゅうしんちとしてはってんをつづけた。)

この時代、橋の周辺は、商業や流通、経済の中心地として発展をつづけた。

(したをながれるにほんばしがわのりょうさいどにはかしがもうけられて、)

下を流れる日本橋川の両サイドには河岸が設けられて、

(ぜんこくからにもつをはこぶふねがしゅうけつするすいろのきょてんとなった。)

全国から荷物を運ぶ舟が集結する水路の拠点となった。

(にもつはかしでりくあげされ、そこからえどのしちゅうへとはこばれた。)

荷物は河岸で陸揚げされ、そこから江戸の市中へと運ばれた。

(つまり、にほんばしはぶつりゅうのじゅうようなやくわりももっていたのである。)

つまり、日本橋は物流の重要な役割ももっていたのである。

(とうじのようすは、うきよえやにしきえなどにものこされている。)

当時の様子は、浮世絵や錦絵などにも残されている。

(かわぞいにはうおがしやざいもくがしなどがならび、)

川沿いには魚河岸や材木河岸などが並び、

(おおくのひとがあつまるようすをうかがうことができる。)

多くの人が集まる様子をうかがうことができる。

など

(ひとやぶっし、じょうほうがあつまるばしょとして、しょうこうぎょうのはったつがひやくてきで、)

人や物資、情報が集まる場所として、商工業の発達が飛躍的で、

(げんざいのにほんばししゅうへんのげんけいになった。)

現在の日本橋周辺の原型になった。

(そのはんえいについては、ほかのきろくからもしることができる。)

その繁栄については、他の記録からも知ることができる。

(えどのじんこうは、1800ねんごろには120まんにんにたっし、)

江戸の人口は、1800年頃には120万人に達し、

(とうじせかいいちといわれた。おなじころのぱりはやく50まんにんで、)

当時世界一といわれた。同じ頃のパリは約50万人で、

(ろんどんはやく90まんにんであったという。)

ロンドンは約90万人であったという。

(おおくのひとがせいかつをし、うんがにかこまれ、)

多くの人が生活をし、運河に囲まれ、

(ふねがいきかうようすから、ばくまつにおとずれたがいこくじんは)

舟が行き交う様子から、幕末に訪れた外国人は

(「とうようのべにす」とたとえた。)

「東洋のベニス」と例えた。

(いっぽう、えどじだいにはかじがひんぱんにおきたといわれており、)

一方、江戸時代には火事が頻繁に起きたといわれており、

(きろくにのこるたいかは200けんいじょうにもおよんでいる。)

記録に残る大火は200件以上にも及んでいる。

(これによって、にほんばしはなんどとなくしょうしつした。さらに、)

これによって、日本橋は何度となく焼失した。さらに、

(おおあめによるこうずいなどのひがいもあり、)

大雨による洪水などの被害もあり、

(そのつどほしゅうやかけかえをくりかえしてきた。)

その都度補修や架け替えを繰り返してきた。

(ひがいをかいしょうするため、これまでのきのはしから、)

被害を解消するため、これまでの木の橋から、

(あたらしくいしづくりのにれんあーちのはしが、)

新しく石造りの二連アーチの橋が、

(ひゃくねんまえにけんぞうされた。)

百年前に建造された。

(かぞえて20だいめとなるこのはしが、げんざいものこっている。)

数えて20代目となるこの橋が、現在も残っている。

(そのさいに、どうろのきてんをあらわすどうろげんぴょうが、)

その際に、道路の起点を表す道路元標が、

(はしのちゅうおうぶにせっちされた。)

橋の中央部に設置された。

(どうろげんぴょうとは、どうろのきてんやしゅうてん、けいかちをひょうじするためのひょうしきのことである。)

道路元標とは、道路の起点や終点、経過地を表示するための標識のことである。

(これはりとうもふくめ、ほっかいどうからおきなわまでにっぽんぜんこくにそんざいし、)

これは離島も含め、北海道から沖縄まで日本全国に存在し、

(そのしるしにせきひょうやもにゅめんとがせっちされている。)

その印に石標やモニュメントがせっちされている。

(そのきてんがにほんばしとなっていることから、)

その起点が日本橋となっていることから、

(にほんのどうろのすたーとちてんともいわれている。)

日本の道路のスタート地点ともいわれている。

(1963ねんに、にほんばしのじょうくうにはじゅうたいかんわのもくてきと、)

1963年に、日本橋の上空には渋滞緩和の目的と、

(こうどせいちょうのしんぼるとしてしゅとこうそくどうろがつくられた。)

高度成長のシンボルとして首都高速道路が造られた。

(それにかんして、しゅうへんじゅうみんのはんたいやさまざまなろんぎがあった。)

それに関して、周辺住民の反対やさまざまな論議があった。

(しかし、いそいでけんせつがすすめられたために、)

しかし、急いで建設が進められたために、

(かせんをうめたてるほうほうや、かせんのうえにそうようにこうかきょうを)

河川を埋め立てる方法や、河川の上に沿うように高架橋を

(たてるほうほうがさいようされた。けっか、)

立てる方法が採用された。結果、

(にほんばしをおおうかたちでしゅとこうそくどうろはかんせいしたのである。)

日本橋を覆う形で首都高速道路は完成したのである。

(にほんばしのかきょう100しゅうねんにともない、)

日本橋の架橋100周年に伴い、

(ちいきじゅうみんやきぎょうがきょうりょくし、さまざまなかつどうやとりくみがおこなわれている。)

地域住民や企業が協力し、さまざまな活動や取り組みが行われている。

(そのひとつに、はしのじょうくうをおおっている)

その一つに、橋の上空を覆っている

(しゅとこうそくどうろをちかやべつのばしょへいせつをして、)

首都高速道路を地下や別の場所へ移設をして、

(ちいきぜんたいのけいかんをみなおそうというかつどうである。)

地域全体の景観を見直そうという活動である。

(それは、としのはんえいが、くにのはんえいをささえるというはっそうから、)

それは、都市の繁栄が、国の繁栄を支えるという発想から、

(じゅうみんだけでなくきぎょうやちょめいじんもさんかし、)

住民だけでなく企業や著名人も参加し、

(かつてのはんえいをにほんばししゅうへんにとりもどそうというものだ。)

かつての繁栄を日本橋周辺に取り戻そうというものだ。

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