かもめ 喜劇4幕 第一幕(2)

問題文
(ところでけんぶつはそんなぞくあくなばめんやせりふからなんとかしてもらるをつかみだそうと)
ところで見物はそんな俗悪な場面や台詞から何とかしてモラルを掴み出そうと
(ちまなこだ。もらるといってもちっぽけなてっとりばやいごかていにあってちょうほうといった)
血眼だ。モラルと言ってもちっぽけな手っ取り早いご家庭にあって重宝と言った
(しろものばかりさ。そいつがてをかえしなをかえてひゃっぺんせんべんいつみてもたねはひとつ)
代物ばかりさ。そいつが手を変え品を変えて百ぺん千べんいつ見ても種は一つ
(ことのくりかえしだ。そいつをみるとぼくはもーぱっさんみたいにわっとにげだすん)
事の繰り返しだ。そいつを見ると僕はモーパッサンみたいにワッと逃げ出すん
(です。えっふぇるとうのぞくあくさがやりきれなくなっていのちからがらにげだした)
です。エッフェル塔の俗悪さがやり切れなくなって命からがら逃げ出した
(もーぱっさんみたいにね)
モーパッサンみたいにね
(げきじょうがないじゃはなしになるまい)
劇場がないじゃ話になるまい
(だからあたらしいけいしきがひつようなんですよ。しんけいしきがいるんでそれがないなら)
だから新しい形式が必要なんですよ。新形式がいるんでそれが無いなら
(いっそなにもないほうがよい)
いっそ何も無い方が良い
(ぼくはおっかさんがすきです、とてもすきです。だがあのひとのせいかつはなんぼなんでも)
僕はおっかさんが好きです、とても好きです。だがあの人の生活はなんぼ何でも
(ひどすぎる。しょっちゅうあのしょうせつかのやつとべたべたしちゃ、のべつしんぶんにうきなを)
酷すぎる。しょっちゅうあの小説家の奴とベタベタしちゃ、のべつ新聞に浮名を
(ながしてる。これにゃまったくへいこうですよ。ときによるとにんげんのかなしさでぼくだってひとなみ)
流してる。これにゃ全く閉口ですよ。時によると人間の悲しさで僕だって人並み
(のえごいずむがむらむらっとおきることもある。つまりうちのおっかさんがゆうめいな)
のエゴイズムがムラムラっと起きる事もある。つまりウチのおっかさんが有名な
(じょゆうなのがくやしくなるんです。もしふつうのおんなでいてくれたらぼくもちっとはしあわせ)
女優なのが悔しくなるんです。もし普通の女でいてくれたら僕もちっとは幸せ
(だったろうになってね。ねおじさん、これほどなさけないばかげたきょうぐうがある)
だったろうになってね。ね伯父さん、これほど情け無い馬鹿げた境遇がある
(もんでしょうか?おっかさんのきゃくまにはずらりてんかのおれきれきがあたまをならべたもんで)
もんでしょうか?おっかさんの客間にはずらり天下のお歴々が頭を並べたもんで
(すやくしゃとかべんしとかね。そのなかでぼくだけなもなにもないざこなんだ。)
す役者とか弁士とかね。その中で僕だけ名も何もない雑魚なんだ。
(どうせきをゆるしてもらえるのもぼくがあのひとのむすこだということにすぎん)
同席を許して貰えるのも僕があの人の息子だという事に過ぎん
(ぼくはいったいだれだ?どこのなにものだ?だいがくを3ねんでとびだした。りゆうはしんぶんやざっしの)
僕は一体誰だ?何処の何者だ?大学を3年で飛び出した。理由は新聞や雑誌の
(しゃこくによくあるれいの「さるがいぶじじょうのため」っていうやつでさ。しかもこれっぱかり)
社告によくある例の「さる外部事情の為」っていう奴でさ。しかもこれっぱかり
(のさいのうもなし、いちもんだってかねはなし、おまけにりょけんにゃきーえふのちょうにんとかいて)
の才能もなし、一文だって金は無し、オマケに旅券にゃキーエフの町人と書いて
(ある。なるほどうちのおやじはゆうめいなやくしゃじゃあったがもとをただせばきーえふの)
ある。なるほどウチの親父は有名な役者じゃあったが元を正せばキーエフの
(じゅうにんにちがいない。といったわけで、おっかさんのきゃくまでてんかのめいゆうやさっかどもが)
住人に違いない。と言った訳で、おっかさんの客間で天下の名優や作家共が
(じんじのまなこをぼくにそそいでくれるごとにぼくはまるであいてのしせんでこっちの)
仁慈の眼(まなこ)を僕に注いでくれる毎に僕はまるで相手の視線でこっちの
(ちっぽけさかげんをはかられてるみたいなきがした)
小っぽけさ加減を計られてるみたいな気がした
(むこうのきもちをすいりょうしてかたみのせまいおもいをしたもんですよ)
向こうの気持ちを推量して肩身の狭い思いをしたもんですよ
(ことのついでにちょっときかせてもらうがぜんたいあのしょうせつかはなにものかね?)
事のついでにちょっと聞かせてもらうが全体あの小説家は何者かね?
(どうもえたいのしれんおとこだ、むっつりだまりこんでてな)
どうも得体の知れん男だ、むっつり黙り込んでてな
(あれはあたまのよいさばさばしたそれにちょいとそのめらんこりっくなおとこですよ)
あれは頭の良いサバサバしたそれにちょいとそのメランコリックな男ですよ
(なかなかりっぱなじんぶつでさ。まだ40にはまがあるのにそのなはてんかにとどろいてなにから)
中々立派な人物でさ。まだ40には間があるのにその名は天下に轟いて何から
(なにまでけっこうずくめのごみぶんだ。かくものはどうかというと)
何まで結構ずくめのご身分だ。書くものはどうかと言うと
(さあなんといったらいいかなあ?ひとずきのするさいのうじゃあるけれど、が、しかし)
さあ何と言ったらいいかなあ?人好きのする才能じゃあるけれど、が、しかし
(とるすといやぞらがでたあととりごーりんをよむきにゃどうもね)
トルストイやゾラが出た後トリゴーリンを読む気にゃどうもね
(ところでわたしはぶんしというものがすきでな。むかしはこれでもあこがれのまとがふたつあった)
所で私は文士というものが好きでな。昔はこれでも憧れの的が二つあった
(にょうぼうをもらうこととぶんしになることなんだが、どっちもけっきょくだめだったな)
女房を貰う事と文士になる事なんだが、どっちも結局ダメだったな
(そうちっちゃなぶんしだってもなれりゃおもしろかろうて、はやいはなしがな)
そうちっちゃな文士だってもなれりゃ面白かろうて、早い話がな
((みみをすます)あしおとがきこえる。ぼくはあのひとなしじゃいきられない)
(耳をすます)足音が聞こえる。僕はあの人なしじゃ生きられない
(あのあしおとまでがすばらしい。ぼくはめちゃめちゃにこうふくだ!)
あの足音までが素晴らしい。僕は目茶目茶に幸福だ!
(さあかわいいまじょがきた、ぼくのゆめが)
さあ可愛い魔女が来た、僕の夢が
((こうふんのていで)あたしおくれなかったわね?ね、おくれやしないでしょう?)
(興奮のていで)あたし遅れなかったわね?ね、遅れやしないでしょう?
((おんなのりょうてにきすしながら)ええ、だいじょうぶ、だいじょうぶ)
(女の両手にキスしながら)ええ、大丈夫、大丈夫
(いちにちじゅうしんぱいだった。どきどきするくらい。ちちがだしてはくれまいと)
一日中心配だった。ドキドキするくらい。父が出してはくれまいと
(きがきじゃなかったわ。でもちちはいましがたははといっしょにでかけたの)
気が気じゃなかったわ。でも父は今しがた継母(はは)と一緒に出掛けたの
(そらがあかくってつきがもうでそうでしょう。)
空が赤くって月がもう出そうでしょう。
(で、あたしいっしょうけんめいうまをおいたててきたの。(わらう)でもうれしいわ)
で、あたし一生懸命馬を追い立てて来たの。(笑う)でも嬉しいわ
((わらって)どうやらおめめをなきはらしてござる。ほらほらわるいこだ!)
(笑って)どうやらお目々を泣きはらしてござる。ほらほら悪い子だ!
(ううん、ちょっと。だってほらこんなにいきがはずんでるんですもの)
ううん、ちょっと。だってほらこんなに息がはずんでるんですもの
(30ぷんしたら、あたしかえるわ、おおいそぎなの、ごしょうだからひきとめないでね)
30分したら、あたし帰るわ、大急ぎなの、後生だから引き止めないでね
(ここへきたこと、ちちにはないしょなの)
ここへ来たこと、父には内緒なの
(ほんとにもうはじめるじこくだ。みんなをよんでこなくっちゃ)
ほんとにもう始める時刻だ。みんなを呼んで来なくっちゃ
(ではわたしがちょっくら、とまあいったしだいでな。はいはいただいま)
では私がちょっくら、とまあ言った次第でな。はいはい只今
(ふらんすをさしてかえるへいしのふたりづれ)
フランスを指して帰る兵士の二人連れ
(いつぞや、まあこういったぐあいにうたいだしたらな、あるけんじほのやつめが)
いつぞや、まあこう言った具合に歌い出したらな、ある検事補のやつめが
(こういいおった「いやかっか、なかなかたいしたのどですな」そこでせんせいちょいとかんがえて)
こう言いおった「いや閣下、中々たいした喉ですな」そこで先生ちょいと考えて
(こうつけたしたよ「しかしいやなおこえで」(わらってたいじょう))
こう付け足したよ「しかし厭なお声で」(笑って退場)
(ちちもははも、あたしがここへくるのははんたいなの。)
父も継母(はは)も、あたしがここへ来るのは反対なの。
(ここはぼへみあんのそうくつだって。あたしがじょゆうにでもなりゃしないかと)
ここはボヘミアンの巣窟だって。あたしが女優にでもなりゃしないかと
(しんぱいなのね。でもあたしはここのみずうみにひきつけられるの、かもめみたいにね)
心配なのね。でもあたしはここの湖に惹きつけられるの、カモメみたいにね
(むねのなかはあなたのことでいっぱい(あたりをみまわす) ぼくたちきりですよ)
胸の中はあなたの事でいっぱい(あたりを見回す) 僕たちきりですよ
(だれかいるみたいだわ いやしない(せっぷん))
誰かいるみたいだわ いやしない(接吻)
(これ、なんのき? にれのき)
これ、なんの木? にれの木
(どうしてあんなにくろいのかしら?)
どうしてあんなに黒いのかしら?
(もうばんだからものがみんなくろくみえるのです。)
もう晩だから物がみんな黒く見えるのです。
(そういそいでかえらないでください、ごしょうだから だめよ)
そう急いで帰らないで下さい、後生だから ダメよ
(じゃあぼくのほうからいったらどう、にーな?)
じゃあ僕の方から行ったらどう、ニーナ?
(ぼくはよどおしにわにたって、あなたのへやのまどをながめてるんだ)
僕は夜通し庭に立って、あなたの部屋の窓を眺めてるんだ
(だめ、ばんにんにみつかるわ。)
ダメ、番人に見つかるわ。
(それにとれぞーるはまだおなじみじゃないからきっとほえてよ。)
それにトレゾールはまだお馴染みじゃないからきっと吠えてよ。
(ぼくはきみがすきだ しーっ)
僕は君が好きだ シーッ
(だれだ?やーこふおまえか?)
誰だ?ヤーコフお前か?
(へえ、さようで)
へえ、さようで
(みんなもちばについてくれ。じこくだ。つきはでたかい?)
みんな持ち場についてくれ。時刻だ。月は出たかい?
(へえ、さようで)
へえ、さようで
(あるこーるのよういはいいね?いおうもあるね?あかいめだまがでたらいおうのにおいを)
アルコールの用意はいいね?硫黄もあるね?赤い目玉が出たら硫黄の匂いを
(させるんだ。さ、いらっしゃい。したくはすっかりできています。あがってますね)
させるんだ。さ、いらっしゃい。支度はすっかり出来ています。あがってますね
(ええとても。あなたのままは・・・へいきですわこわくなんかない。)
ええとても。あなたのママは・・・平気ですわ怖くなんかない。
(でもとりごーりんがきてるでしょう。あのひとのまえでしばいをするのは)
でもトリゴーリンが来てるでしょう。あの人の前で芝居をするのは
(あたしこわいの、はずかしいの。ゆうめいなさっかですもの・・・わかいかた?)
あたし怖いの、恥ずかしいの。有名な作家ですもの・・・若い方?
(ええ あのひとのしょうせつすばらしいわ)
ええ あの人の小説素晴らしいわ
(しらないな、よんでないから)
知らないな、読んでないから
(あなたのぎきょくなんだかやりにくいわ。いきたにんげんがいないんだもの)
あなたの戯曲なんだか演(や)りにくいわ。生きた人間がいないんだもの
(いきたにんげんか!じんせいをえがくにはあるがままでもいけない)
生きた人間か!人生を描くにはあるがままでもいけない
(かくあるべきすがたでもいけない。じゆうなくうそうにあらわれるかたちでなくちゃ)
かくあるべき姿でもいけない。自由な空想に現れる形でなくちゃ
(あなたのぎきょくはうごきがすくなすぎてよむだけなんですもの。ぎきょくというものは)
あなたの戯曲は動きが少なすぎて読むだけなんですもの。戯曲というものは
(やっぱりれんあいがなくちゃいけないとあたしはおもうわ(ふたり、かりぶたいのかげへさる))
やっぱり恋愛がなくちゃいけないとあたしは思うわ(二人、仮舞台の影へ去る)
(ぽりーなとどーるんとうじょう)
ポリーナとドールン登場
(しめっぽくなってきたわ。ひきかえしておーばーしゅーずをはいてらしたら?)
湿っぽくなってきたわ。引き返してオーバーシューズを履いてらしたら?
(ぼくはあついんです)
僕は暑いんです
(それがいしゃのふようじょうよ。がんこというものよ。しょくしょうがらしめっぽいくうきがごじぶんに)
それが医者の不養生よ。頑固というものよ。職掌がら湿っぽい空気がご自分に
(どくなことぐらいひゃくもしょうちでいらっしゃるくせにまだわたしをやきもきさせたいのね)
毒なことぐらい百も承知でいらっしゃるくせにまだ私をヤキモキさせたいのね
(さくやだってわざとひとばんじゅうてらすにでてらしたり)
昨夜だってわざと一晩中テラスに出てらしたり
(いうなかれきみ、せいしゅんをうしないしと)
言うなかれ君、青春を失いしと
(あなたはあるかーじなさんとはなしにみがはいりすぎて)
あなたはアルカージナさんと話に身が入り過ぎて
(ついさむいのもわすれてらしたのね。はくじょうなさい、あのひとおすきなのね)
つい寒いのも忘れてらしたのね。白状なさい、あの人お好きなのね
(ぼくは55ですよ)
僕は55ですよ
(そんなこと。おとこのばあい、としよりのうちにはいらないわ。)
そんな事。男の場合、年寄りのうちに入らないわ。
(まだそのとおりのおとこまえなんだからけっこうおんなにもてますわ)
まだその通りの男前なんだから結構おんなにモテますわ
(そこでどうしろとおっしゃる?)
そこでどうしろと仰る?
(あいてがじょゆうさんだといつだってひらぐもみたい。いつだってね!)
相手が女優さんだといつだって平蜘蛛みたい。いつだってね!
(われふたたびおんみのまえにこうこつとしてたつ。)
我ふたたび御身の前に恍惚として立つ。 (続く)